第024話 お見通し

◆ ◆ レティナ視点 ◆ ◆


 ティオ君と私はガラムの拠点である西トスタ第6ビル近くの路地裏で待機していた。


「おっけ、ティオ君。セロさんの方はもう終わったみたい」


 潜入準備をしながら、私はセロさんの周囲を索敵してリングフォン経由で情報を送っていた。そして、セロさん側の工場の制圧が今しがた終わったことを確認できた。


 セロさんが実際に能力を活用しているところを見るのは、私を捕らえたあの日以来だった。その後のトレーニングにおいても何度か実演してくれたけれど、本気で身体を動かしているわけではなかった。あの凄まじいスピードであの巨体が動き回り、的確に喉に貫手を突き刺してくるとなると、相手となったガラム構成員は本当にご愁傷さまだ。

 ガラムの一員が放った銃弾を、刀を盾のように変形させて腕全体を守ったことには驚いた。セロさんは指先から刀を出す能力と見せかけているけれど、あのシーンを見る限り、《手剣マネンシス》は指先から自在に鋼鉄を生み出して変形させられる能力、と言った方が正しい。

 セロさんはあえて私たちに隠している能力が他にもいくつかある。


「はあ、師匠、もう工場側の制圧終わっちゃったんだ。僕まだ覚悟できてないって……」


 私の報告を聞いて、ティオ君は長い前髪を一生懸命に慌てて整えながら叫んだ。

 私たちは、この一帯の電力メインシェアを占めるトスタ電気のワッペンが縫い付けられた作業着に身を包んだ。

 私はただ着替えただけだ。一方で、ティオ君は銀髪セミロングのカツラを被って軽く化粧をしてもらった。大きな瞳と幼い顔ゆえに、その姿はとてもキュートだ。女性らしい衣服を纏わずとも首から上だけでここまで可愛さを表現できるとは、素材の良さが光っている。

 少し下を向いて不満げに口を横一文字に伸ばしたティオ君に、私は軽く膝を曲げて目線を合わせた。


「髪の毛を伸ばして、肌を整えるだけでここまで完成されるのか。いいね、似合ってるね」

「はあ、こうやって茶化されるのが嫌なんだよ……」


 18歳の多感な時期に、こうして性的嗜好を歪めかねないことをさせるのは申し訳なく思っている。ただ、今回は電力会社の人間に扮してガラムの拠点に潜入する作戦なのだ。

 そのままのティオ君に作業着を着せると、作業着がもつ男性的なイメージとティオ君の外見的な幼さとの間にミスマッチが生じてしまう。小中学生が体験就業しているように見えてしまうのだ。それは、相手に疑念を与えてしまう材料となるかもしれない。むしろ、女性として見せた方が外見から年齢を判断しにくくなる。

 というわけで、私が勝手に判断してティオ君を女装させることにした。そこには若干の私欲も入っている。

 自分の外見の幼さを様々な依頼の場面で有効活用してきたティオ君自身も女装作戦を理解してくれて、計画書を見たときには嫌悪感を示しつつも了承してくれた。


「さて、ティオ君、行くよ」


 私たちはガラムの拠点である西トスタ第6ビルへと赴いた。


◆ ◆ ティオ視点 ◆ ◆


 僕が発話してしまうと、声の感じから男だとバレてしまう可能性がある。今回の任務では、相手方とのコミュニケーションは基本的にレティナさんに任せきりとなる。

 潜入とは言っても、前回のモーシュシヒルの事務所のように隠れて入り込むのではなく、整備士に扮して正面から招き入れてもらう作戦だ。ガラムの人間と直接対話することになるのだから、レティナさんの負担は大きい。


 ボスと思しきカルダモという男と、その秘書のジュニパーという女を《グレイシー》で氷漬けにして無力化し、尋問できる状況にすることが僕の役目だ。レティナさんが言うには、カルダモという男は身体能力が相当に恵まれているようで、先手を取れる状態で水を浴びせかけないと反撃を受けてしまう可能性があるので注意が必要だ。


 ビル内にはカルダモとジュニパーの2人しかいないらしい。工場側からの応援が来ることはセロさんが食い止めたからありえない。勝機は十分。


 レティナさんと僕は、西トスタ第6ビルのエントランスへと辿り着いた。そこには昔ながらのカメラ付きインターフォンがあった。これを経由してビル内部の人間とコンタクトし、中へと入れてもらう必要がある。このビルにはワンツートラスト株式会社しか入居していないため、選ぶ通話先もそこしかない。

 師匠がすでに制圧した工場から繋がる地下ルートも含めて、屋上からのドア、窓、すべてに簡易な警備システムがこのビルには張り巡らされている。無理やり突撃する作戦も考えていたらしいが、正面から入れてもらう方が逃亡されるリスクが低いと判断して今回の作戦で実行する運びとなった。

 ガラムの人間を拘束し、レティナさんの父に関する情報が得られるなら聞き出す。もしその情報を相手が持ち合わせないとしても、ガラムという社会の脅威を始末する。それが今回の目的だ。

レティナさんがインターフォンのボタンを押下して、相手を呼び出す。


「……どなたでしょうか?」


 格子状にドットの穴が空いたスピーカーから、冷たげな女の声が届いた。インターフォンの呼び出しが鳴ってからしばらく時間を要したのは、カメラ映像で僕たちの姿を確認したのだろう。

 レティナさんがそれに対して僕たちが何者であるのかを説明し始めた。


「我々、トスタ電気の者です。過日よりご連絡差し上げておりました無償交換の件で参りました。本日はよろしくお願いします」

「……? ええと、本日そのような作業があるとは聞いておりませんが?」


 当然の疑問だ。無償交換なんて嘘っぱちなんだから。


「おや、貸主様よりご連絡は届いていなかったのでしょうか。困りましたね……。こちらのビルに備えられているPZ型のエアフローコントローラにはチップセット不良がございまして、我々トスタ電気が無償交換作業を進めているのです」

「必要ございませんわ。お帰りくださいませ」


 これも当然の否定だ。しかし、こうやって拒絶されてしまうことも計画通り。


「そうですか……。しかしながら、我々も当ビルの貸主様より作業を委託されている身分ですので、このまま帰ることができないのです。お手数おかけしますが、お断りになる旨を書類に一筆ご署名いただけないでしょうか?」

「はあ。率直に申し上げて、私はあなたがたを怪しいと言っているのです。何も事前連絡もなく、やれ交換だ署名だと急に要求する人間を信用できるとお思いでしょうか?」


 この通話先の女は、ジュニパーというカルダモの秘書のはず。レティナさんが透視した限りの印象によると気が強く冷酷そうな姿だったとのことらしいけど、その印象と違わずにきっぱりと口に出すタイプだ。


「これは大変失礼いたしました。そうですよね、我々の都合を押し付けるばかりでございました。それでは、我々がトスタ電気の者であると信用していただくために、弊社の管理台帳に記載されている機器情報と当ビルの機器情報が一致しているか確認してだけないでしょうか? チップセット不良による障害が生じてしまうとビル全体の空調に不具合が波及し、最悪の場合すべての部屋のエアコンと換気ダクトの点検が必要になるため、なるべく早期に交換しておきたいのです」

「……全部屋の点検ですか。まあ、それなら」


 レティナさんの口車によって、ようやく相手の譲歩を引き出すことができた。

 特に地下に設けられたトンネルをはじめ、このビル内部には見られてはまずいものが沢山あるはず。全ての部屋を確認しなければならない事態になってしまうのは相手にとってデメリットである。今回の交換作業だけで済ませられるのであればその懸念はなくなる。


「ありがとうございます。こちら、西トスタ第6ビルの最上階の6階には全館のエアフローを管理する機械室があるかと思います。機械室に入って右奥に、高さが150センチほどある灰色の四角い金属製の箱が配置されているはずです。その機器が今回の交換対象となるものです。その下部に機器情報シールが貼付されています。その番号について確認いただけますと幸いです。それでは、その番号を申し上げますね。製造年2082年で、型番はPZ―AIRC、管理番号は983と記載されているはずです。復唱しましょうか?」

「いえ、覚えましたので結構ですわ。2082年、PZ―AIRC、983ですね。暑い中恐縮ですが、そのままエントランスで5分ほどお待ちくださいませ」


 レティナさんは透視によって機器の型番を盗み見ている。関係者しか入れないビルの機器の型番や管理番号を言い当てられる人間がいたなら、懇意にしている業者の関係者であると勘違いするのは必然だ。

 もちろん、その機器に障害の危険があるなんて報告はない。ただ、機械室が今回の作戦にとってちょうど良い場所に位置しているため、そのエアフローを管理する機器を選んだと計画書には書かれていた。

 ジュニパーの言葉通り5分ほどエントランスで待っていると、再びインターフォンから声が聞こえてきた。


「お待たせしました。確かに、おっしゃった機器が機械室にありましたわ。それで、交換作業はどのくらいで終わるのかしら?」


 僕たちの信用を得させることができたようだ。本物のトスタ電気や貸主に確認する流れとなったときため、口裏を合わせてもらう工作も行なっていたがそれは空振りとなってしまった。ネットから情報を調べられて該当の機器に障害なんて無いことを確認されたとき用の対応策も練っていたが、問題なく信用してもらえた。


「ご確認ありがとうございました。交換で15分ほど、その後の通電チェックで15分、合計で30分ほど頂けますと幸いです」

「30分ですね。かしこまりました。エントランスにお迎えにあがりますので、そのまま数分お待ちくださいませ」


 エントランスの施錠を解除してビル内での作業を僕たちに委ねてくれるということは無さそうだ。ジュニパーが監視役として就くのだろう。

 インターフォンの通話が終了したことを確認すると、レティナさんは後ろにいる僕に親指を上に立てた握り拳をこっそり見せつけてきた。作戦の第一段階成功と言いたいようだ。

 1分もかからずに、エントランスの透明のガラス戸の奥に見えるエレベータからジュニパーらしき女が現れた。太い黒縁のメガネで強調されたツリ目から、イメージ通りの気の強さが感じられた。

 ジュニパーがガラス戸の前に立つと左右にウィンと自動ドアが開き、それと同時に腰からまっすぐ折れる浅い礼を示した。


「先ほどは不躾な態度で失礼いたしました。ワンツートラスト株式会社のジュニパーと申します」

「いえいえ、当然の防犯意識です。私はトスタ電気のタナカ、こちらはサトウです」

「タナカ様にサトウ様ですね。よろしくお願い申し上げます」


 このジュニパーという女は、カルダモという地区幹部の秘書的な立場にある。おそらく一般人を含めた対外的なやり取りはこのジュニパーを介しているのだろう。パンツスーツ姿の外見からも、所作や言葉づかいからも、反社会的組織の一員であるとは思えない。

 ジュニパーは「機械室にご案内します」と言って僕たちをエレベータへと手招きした。


 この場でミズアメを破裂させてジュニパーを氷漬けにしてもよいのだが、先日のモーシュとの戦いでミズアメを使い切ってしまっている。その後、レティナさんの方も忙しくて製造が間に合わずに補充が1つしかできなかった。つまり、水鉄砲に込めた使いかけのミズアメと、もう1つのミズアメが今の手持ちの水だ。その1つは手強そうなカルダモと接触することとなったとき使用したいので、作戦上、ここでのジュニパーへの襲撃は止めておくことにしている。


「しかし、こういう交換修理工事でいらっしゃるのが若い女性2人というのは珍しいですわね」

「はは、そう言われる方は多いですね。部品交換と据付確認を行うだけですので、それほど力は要らないんですよ。私たちは実は派遣社員でして、今は交換対応で人手が足りないとかでトスタ電気の子会社のメンテナンス部門に急遽呼び出されたんです」

「あら、そうなのですね。ご苦労様です」


 エレベータが6階へと昇っていく間に、ジュニパーとレティナさんは雑談を交わしている。

 一般に電気整備士は男が多いのでそう質問されることは予測の範囲だ。事前に作っておいたストーリー通りにレティナさんは回答してくれている。僕はレティナさんの発言に合わせて笑みを浮かべて頷き、自然に相槌を打っておくだけだ。


 6階に到着して、エレベータから歩いて20歩程度の機械室へと案内されてゆく。事前調査でビル内の構造は把握しているので機械室の場所も知っているのだが、何も知らないことを演じるために足取りはジュニパーに合わせてゆっくりと動かす。

 前を歩くジュニパーは僕たちがついてきているか頻回に振り返って確認している。他の部屋には見られてはマズい物が保管されているのだろう。レティナさんは透視して知っているはずだが、特に報告を受けていないので今回の任務に関係あるものという訳ではなさそうだ。


 さて、ジュニパーが機械室の重そうな金属製の扉を開き、ようやく目当ての場所にたどり着くことができた。

 僕とレティナさんは肩から提げていた工具カバンを床に置き、作業を始めるように見せかける。


「ジュニパー様、先ほど申し上げた通りこれから30分ほどの作業に入らせていただきます。終わり次第その旨を報告させていただきますので、お仕事されている階を教えていただければ……」

「いえ、それには及びませんわ。ちょうど手が空いていますから、このまま作業を拝見させていただきます。遠慮なく作業をお進めくださいませ」


 ジュニパーを別の場所に動かせたらこの後の作業がやりやすくなったのだが、やはり僕たちの監視は継続するようだ。だが、見られていても問題は無い。ジュニパーが同席する場合も計画の範疇だ。


「ジュニパー様、機器のチップを交換する前に、床下の空調配管の接続を一時的に外しますね」

「ええ、はい。どうぞ」

「じゃあ、サトウさん。お願いします」


 タナカを名乗るレティナさんに促されて、サトウこと僕は、機器の足元にあるカーペットを持ち上げて床面を露出させた。

 このビルの電気配線や空調配管は床下に格納されている。建物の構造を支える格子状の軽量鉄骨梁の上に、細かいメッシュ状の頑丈な床面ユニットが格子に合わせて乗せられている。タイルカーペットを剥いで、素手で持ち上げられる程度の重さの1メートル四方の床面ユニットさえズラしてしまえば、簡単に床下の配管にアクセスできる。そのメンテナンス性の高さから、オフィスビルではこの構造を採用しているところが多いらしい。

 僕は持ってきた専用の工具を床面ユニットの隙間に挟み込み、テコの原理で持ち上げた。そして、高さ80センチほどの暗い床下へと潜り込んでいった。


 僕たちがどうして6階の機械室に入ることを選んだのかというと、このすぐ下の5階がカルダモのいる居室だからだ。ビルに入る前にレティナさんに確認してもらったところ、このすぐ下の居室で筋トレに励んでいるとのことだった。リングフォンを介したタップ信号により、今も動かずに下にいることがレティナさんから伝えられる。

 カルダモの居室は幅15メートル、奥行き20メートルほどの広さで、もともとは少人数がデスクを並べて働くことが想定されたオフィス空間のようだ。その空間にはカルダモのトレーニングマシンが小規模なジムと見紛うレベルで所狭しと並んでおり、秘書のジュニパーが作業するデスクが隅に配置されているとのことをレティナさんから伝えられている。


 床下から階下の天井までは防音遮音断熱用の厚さ10センチほどのグラスウールボードが敷き詰められている。そのボードと天井の建材に穴を開けてしまえば下の階にアクセスできる。僕は機器の配管を調整するように見せかけながら、簡易な電動ドリルでボードに穴を開けていった。

 天井を支える梁は床面を支える梁よりも間隔が広い格子状で、梁が通っていない箇所に大きな荷重をかけてしまうと天井をぶち抜いてしまう可能性があるらしい。梁の上に脚をかけることはもちろん心がけるし、そもそも僕の体重と持ってきた機材の重量では天井をぶち抜く心配はない。


 持ってきた機材のうち、検査用として持ってきていたガスボンベには、催眠ガスを封入してある。15分ほど継続して吸引させる必要があるので即効性はないが、低い濃度でも吸った人間を自覚症状なく昏倒させられる特殊なガスだ。目が覚めたときにも寝落ちてしまったのかと思わせる程度には体調に影響を及ぼさない。これをカルダモの居室に送り込んでターゲットを無力化する算段である。部屋が広く、カルダモが大柄ゆえ標準体型の人間より耐性があることを考えると、ガスを送り込んでから25分ほどで確実に昏倒させられるはずだ。

 より即効性のある催眠ガスもあるが、自分たちが吸ってしまうリスクを高めてしまう。そこで、あえて作業時間を長く確保し、ゆっくりと昏倒させることとした。そのために30分の作業時間を申告した。


 モーシュシヒルの事務所でスタッフの男を気絶させたのと同じように、僕の能力で低体温症にさせることも選択肢の1つとして挙がったそうだ。だけど、筋トレで激しく活動している対象には効きづらい。そのため、催眠ガスの出番となった。それに、あのときは窓から部屋の中を監視できたから遠隔で氷を操ることができたのであって、下の階の様子を見ることができない今の状況では僕の能力はそもそも上手く扱えない。


 僕の頭上で立っているレティナさんは、ジュニパーに嘘の作業の説明を続けて僕の工作から意識を逸らすように努めてくれている。


「どうなさいましたか? ジュニパー様」

「……いえ。少々仕事の連絡がございまして。お気になさらず」


 上の状況は、聞こえる会話の内容からしか判断できない。ジュニパーはレティナさんの説明はあまり熱心に聞いていないようで、リングフォンで仕事の連絡をしているようだ。

 もし、工場側のガラム構成員に連絡しようとしているのならその連絡は不通となるだろう。セロさんが制圧しており、今はそこにいた構成員の捕縛を進めているところだ。

 僕は穴を開け終え、ガスボンベのレギュレータを操作し始める。この催眠ガスは、一気に放出すると白い煙として目視できるようになってしまう。したがって、レギュレータで圧力を調節して少量ずつ放出させなければならない。

 レギュレータから伸びたホースをボードに開けた穴に慎重に挿入し、ガスの放出を始めようとしていたところ、僕の頭上で誰かがゆっくりと歩いて機械室から出ていく足音が頭上に聞こえた。コツコツとしたハイヒールのような足音から判断するに、ジュニパーだろう。

 その直後だ。


「……! ティオ君、そこ離れて!」


 レティナさんが急に僕の本名を叫ぶと同時に、足元で天井を支えている金属製の梁が激しく軋み始めた。


―ガゴォン!


 しゃがんでいたボードの穴が急に大きく裂けて、薄暗い床下に階下の電灯の明かりが差し込んできた。

 ガスボンベとレギュレータを握って作業を進めていた僕は、周りの何かを掴む暇もないままその裂け目へと吸い込まれていき、身体が浮遊感に包まれた。


 そのまま僕は5階のカルダモの居室へと落ちてしまった。

 3メートル以上の不意の落下であったゆえ、利き手の右手に全体重をかけてしまう着地となってしまった。右手首から前腕にかけて激痛が走る。

 しまった、これはおそらく骨を折ってしまった。

 根気でその痛みを無視して体勢を立て直し、この部屋にいるはずのカルダモを探そうと辺りを見回した。


 僕が落ちてきた天井の裂け目を見上げると、その穴からひしゃげたように伸びた鉄骨を右手で掴み、全体重を支えてぶら下がっている大男の姿を認めた。

 褐色に輝く裸の上半身の逞しさを主張するように身体を揺らす、長い茶髪を後ろで結った大男。

 こいつが、カルダモか。


「よぉ、カワイ子ちゃん。ガスで気絶させようたぁ、狡い真似をするよなぁ」


 口角が耳まで裂けんとばかりにカルダモは悪い笑顔を見せた。

 この男、まさか腕力だけで天井の鉄骨とグラスウールのボードを引きちぎったのか?

 いや、それよりも、催眠ガスのことを勘付かれている……?


「さて、レティナさん、ティオさん。我々の組織の社会科見学は楽しかったでしょうか?」


 天井の穴の奥から、機械室にいるジュニパーの声が小さく響いてくる。

 僕らの名前が知られている。つまり、これは……。


「あなたがた何でも屋のダミーの事務所、調査させていただきましたよ。人が生活している様子を演出するために、電気や水道を通わせて日常のゴミなどをさり気なく放置させる演出までされているのは流石でございましたが、通信環境まで無防備に放置しておくのは残念なところでした。難なくサーバに潜入できましたよ」


 僕の疑念に答えるように、天井の穴からジュニパーの演説口調の声が届いた。


「……! まさか、私たちの計画書を……?」


 上の階に残ったレティナさんの困惑した声が同じく天井の穴から聞こえてきた。

 催眠ガスのこと、僕らの名前のこと。どれもあの計画書に書かれていた内容だ。


「そう。更新の新しいファイルを見てみると、我々の拠点へ襲撃する計画が事細かに書かれているではありませんか。ぜーんぶ、お見通し。フフフ、本当にバカね。計画書を確認した直後に、そこに書かれていた通りの作業員が訪ねてきて、笑いを堪えるのが大変でしたわ」


 僕の方からはジュニパーの姿は見えない。しかし、あの冷たい目が小動物でも可愛がるかのように薄い笑みを湛えているのが頭に浮かんだ。


「テメェら、何でも屋のセロ=ミデンの小間使いなんだろ? 命は奪わないでおいてやるから、大人しく捕まってくれやぁ」


 カルダモはそう言いながら鉄骨を掴んでいた右手を離し、膝と腰を曲げてズンと音を立てて着地した。辺りに散乱したグラスウールがその着地の衝撃で周囲に舞い、その鍛え上げられた身体をキラキラと光らせる演出を醸し出した。


 僕は3歩ほどカルダモから離れて間合いを確保し、作業着に忍ばせていた水鉄砲に手をかけようとする。しかし、着地時に捻ってしまった右手が使い物にならず、水鉄砲を握れない。

 なんとか左手で構え直したものの、左手で水鉄砲を撃つ訓練はほとんどしたことがない。

 ある条件を除けば勝機は十分だと思っていたのだが、その条件に当てはまる事例となってしまったかもしれない。敵は凄まじい筋力をもつ大男。天井を引き裂くほどの力は尋常のものではない。おそらく、カルダモは内向系の《眼の能力》を持つ者だ。

 さらに、僕の身体のコンディションは最悪。さて、どうしよう。

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