第023話 蹂躙
◆ ◆ セロ視点 ◆ ◆
今日の作戦は、レティナがわずか1日で打ち立てた作戦だ。
人の生死が関わりうる作戦はなるべく時間を掛けて綿密に協議したい。慎重派な俺だけでなく、誰だってそう考える。
しかし、今回は急ぐ必要があった。
元々はクローブのナイフホルダーをさりげなくチラつかせることでガラム側が尻尾を出すことを待っていた。しかし、偶然にもスプールがガラムに関する情報を提供してくれたことにより誘き出す必要がなくなった。このまま時間をかけてしまうと不必要にガラム側の襲撃を受けてしまうことになる。
そして、ティオとレティナの調査の結果、ダミーの事務所に向けて近いうちに襲撃が予定されていること判明し、作戦を急ぐ必要に迫られた。
俺がナイフによる誘き出し作戦を始めた2週間ほど前、レティナには何でも屋が保有する5つのダミー事務所を知らせておいた。基本的に、どこも事務所として機能できる設備を導入してある。先週、ティオとレティナがモーシュシヒルの手品のタネを盗み出す依頼を受けたときも、ダミー事務所の1つを利用していた。そこは公共交通機関からアクセスしやすいところに位置しているため、一般の依頼人を呼ぶときによく利用している。
平日に大学の研究室からタクシーで帰宅する際には、あえて迂回してその各ダミー事務所周囲の状況を確認しておいて欲しいとレティナに依頼しておいた。レティナは幾分か渋っていたが、特別手当を出すことを伝えると快く引き受けてくれた。
俺はあるダミー事務所にしばらく帰宅するようにして、メインの事務所の位置を悟られないように心がけていた。
あるダミー事務所の周辺にガラの悪い男たちの集団がたむろしていることにレティナが気づいたのが、ちょうど昨日の夜であった。レティナが報告したジュニパーとかいう女が指示して監視させていたのだろう。
それを知った俺達は、すぐにガラムが攻めてくることを悟った。ダミー事務所を襲われても俺達には直接危害は及ばない。しかし、俺達がダミー事務所を用意するほどにガラムを警戒していることを知られてしまう。ガラムは執念深く過激な奴らだが、俺達に警戒されていることを悟られると拠点を変えるくらいの対策は取ってくる慎重さも兼ね備えていると思われる。
そのため、レティナと俺はその日のうちに作戦を完成させ、明くる日の今日に前準備に移ることとした。突貫工事で作り上げた作戦のため不安は残るが、最終的にはレティナが上手く仕上げてくれた。今日ダミー事務所への襲撃があったそうなので、急ぎで対応する判断は間違いではなかったと思う。
レティナが報告してくれた会話によると、事務所が囮であることに気づいても好戦的な態度を崩さず逃げる様子はなかった。そのため、逃げられることを懸念して急ぐ必要はなかったかもしれない。ただ、それは結果論だ。レティナが言った通り仲間を集められるリスクがあるので、行動するなら早いほうがいい。
先日、レティナがガラムの拠点ビルを透視したとき、その地階に不思議な構造があることを報告してくれた。ビルの隣には、製薬企業が管理しているとされる大規模な工場群があるのだが、その工場の一部に地下トンネルが通っていてビルの地階と繋がっているのだ。
その製薬企業について調べてみると、既に合併により吸収されて消滅した企業らしく、合併時の資産整理でその工場は企業系不動産の間を転々と取引され続けていたようだ。それが今、登記情報上ではガラムのフロント企業であるワンツートラスト株式会社の手中にある。
時間がなく工場内部の詳しい調査は行えていないが、その施設の内部は違法薬物の製造に利用されているほか、一部が改修されてガラムの構成員の居住空間および武器庫として運用されているようだ。
ワンツートラスト株式会社の入っているビル自体はガラムの所有物ではないようなので、ビルと工場を繋ぐ地下トンネルについては不正に作ったものだろう。工場の敷地は他企業との共同運営になっているらしく、周囲はガラムと無関係の施設も併設されており、薬物や武器を直接輸出するのには周囲の目が気になるはずだ。周囲から見つかるのを避けるため、最寄りのテナントビルを丸ごと借り上げて地下トンネルを通したのだろう。随分と大胆なことをする。
「地区幹部カルダモとその秘書ジュニパーがいる拠点ビルには連絡させず、素早く工場を制圧しろ、か。確かに俺にしかできないが、始めての協力での仕事で人使いが荒いな」
ティオとレティナが地区幹部カルダモとその秘書ジュニパーの拘束を行い、俺が隣の工場に潜むガラムの兵隊を無力化する。それが今回のおおまかな分担だ。
訓練を積んだ多人数の人物を相手にするには俺の《
そうこう考えながらしばらく歩いていると、目当ての化学工場にやってきた。
レティナの透視のおかげで内部構造は把握している。いきなり突撃してもよいのだが、対象とする工場内部以外の敷地にはガラム以外の人間もいる。工場の中に入るまでは穏便に済ませたい。
そういうわけで、今日はフォーマルな紺色のスーツに身を包んでいる。俺の図体の大きさは隠せないが、スーツというのは社会的な生活を営む一員として見られるのに最適なコスチュームである。教師時代はスーツを着る機会もあったが、今となってはこういう「らしさ」を演出する必要がある機会にしか着ることはない。
これから工場の敷地の守衛門を訪ねる。そこにいる年を召した警備員は一般人だ。うまく話を持っていき、工場内部の人間に繋いでもらうこととする。
「すみません、わたくしトスタ市環境整備局のタナカと申します。本日の13時にこちらの第3工場の工場長のカルダモ様と市の環境リスクアセスメントに関するご相談でアポイントを取っておりました。お手数ですが、カルダモ様へお繋ぎいただけないでしょうか?」
俺はタナカという偽名を称し、警備員に話しかけた。
「んえっ、訪問の方ですか……? すみません、私はこちらの敷地の警備だけを担当しておりまして、内部の人のアポイント状況は把握していないのですが……」
「そうなのですか。しかしながら、先方より警備の方へお繋ぎを願い出るよういわれておりまして……。ああ、そうだ、そちらにある受話器は内線でしょうか? よろしければ、第3工場のどなたでもよいので、『カルダモ様とアポを取っている者が守衛門にいる』とお伝えいただけないでしょうか?」
「ええ……、はあ、分かりました」
この警備員は、ガラムのことは何も知らされずにここの守衛門に置かれているのだろう。ただ、ここまで具体的に請われると警備員として何らかのアクションを起こさざるを得ない。
警備員は内線経由で内部の何者かに訪問者が来たことを話す。通話口から漏れ伝わる内容から、俺のことを追い返せと言われていることが伝わる。
しかし、警備員が「ええと、カルダモという方にアポがあるらしいんです」とのことを通話先に伝えると、通話先の音声が3秒程度止まった。
「えっ、どんな人かって? ああ、トスタ市の環境整備のタナカ様とおっしゃる大柄の男性の方で……。はあ、分かりました」
「どうなさいましたか?」
「ああ、いえ、こちらの話です。タナカ様、担当の者がこちらまで来るそうです。そうですね、待合室にご案内いたしましょうか」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
カルダモという名前が本名なのかコードネームなのかは分からないが、ガラム内部ではその名で通っている名前に違いない。ガラムを熱心に調査していた俺が知らない名なのだから、内部の人間からすればその名を知っている奴は関係者である可能性が高いと判断される。
本当に市の環境整備局の人間だろうが、駆込みの営業だろうが、ガラムの仲間だろうが、はたまた敵対組織だろうが、カルダモの名前を知るものはガラムにとっては身柄を確保しておきたい存在となる。それを利用した作戦だ。
俺は、そのまま守衛門に併設されている簡易な待合室に案内された。金属製の扉の先には、冷暖房もなく折りたたみ式の机とパイプ椅子だけが備えられた、ただ雨と風だけをしのぐことだけが考えられた狭い部屋があった。
「ここ暑いですよね、すみません。訪問の方の受け入れなんて私も始めてでして。こんな部屋しかありませんが、担当の者がこれから参りますので数分ほどお待ち下さい」
「いえいえ、ご案内いただきありがとうございます」
警備員はそのまま扉を締めて持ち場へと戻っていった。
俺は頼りないパイプ椅子には座らず、内開きのドアを開いたところから死角になる壁際へと移動した。
そのまま壁にもたれかかったまま待っていると、リングフォンが振動した。
これはアプリの通知ではなくレティナからのタップ信号だ。リングフォンには、任意のユーザと振動で交流できるアプリがプリインストールされている。リングフォンを親指で弾いたり引っ掻いたりすると、その感覚を遠隔のユーザに届かせることができる。こんな機能は、始めてリングフォンに触れたユーザがその機能を確かめる時に数分利用するだけで、ほとんど使われることはない。
しかし、画面を表示させたり発話したりできない環境において、最低限のコミュニケーションをするときに役立つ。レティナにはモールス信号とオリジナルの短縮コードを3週間前のトレーニングのときに習得してもらっていた。随分前に教えていたティオとは違って、わずか数日で不自由なくコミュニケーションを行うことができるようになったことには驚いた。読唇術も含めて、体力を使わないスキルに関する飲み込みの早さには驚かされるばかりだ。
レティナとティオは、俺の作戦が軌道に乗るまで待機してもらっている。その間、レティナは遠隔で俺の周囲を透視して索敵を行なってくれている。俺のもとに今届いた振動は、ガラムの関係者がやってくることを知らせるものだった。
振動によって、レティナからの索敵報告が届く。
(警備、下げた、ガラム2人来る、あと20秒)
どうやら、ガラムの人間がこの待合室に向かってきているようだ。警備員をどこかに下げたということは、相手がやろうとしていることの予想もつく。
待合室のドアが急に荒々しく空き、2人のガラの悪い男が入ってきた。
「お? 誰も居ないっすよ」
「あん? カルダモ様の名前を出す奴が来たって……」
男たちが部屋の中に踏み込んできたが、ドアの死角に入っていた俺の姿は一瞬見えなかったようだ。
その隙をついて、俺の姿を認めたか否かの瞬間に《
同時に、2人の首元に貫手を突き刺した。
「こ……あっ」
2人の男は何が起こったのか理解する間もなく、喉を潰されて声もあげられずに身体を崩れ落とした。そのまま俺の方向に向かって力なく倒れ込む2人を床に引き倒す。
血の滲んだ泡を口から吹いて全身を悶えさせている2人の脚を、用意していた手錠で拘束し、喉を押さえていた腕も引き剥がして同様に拘束する。
同時に、外部と連絡が取れないように男たちのリングフォンを破壊した。
「すまんな。お前たちが極悪人だったら貫手と同時に《
人を殺さずに抵抗できない状態にさせるというのは意外と難しい。背中に当身したり特殊な薬品を嗅がせたりすることで確実かつ安全に気絶させることができればよいのだが、そういう便利手段は限られる。今日、ティオとレティナが拘束のために昏睡させる薬品を持っていっているが、あれも効果まで数十分は要したはずだ。こうして喉を潰して拘束するといった強硬手段を取るしかなくなってしまう。
2人の男を待合室に閉じ込め、ドアと小窓の錠を壊して簡単には脱出できないようにしておく。この夏日に冷房が効かない部屋に閉じ込められてしまっては数時間で命が危ぶまれる状況になるかもしれないが、戻ってきた警備員が気づいてくれることに期待しておこう。
そのまま俺は奪ったカードキーを手にして工場へと向かった。
近年のゲートセキュリティというのは、リングフォンの生体認証とリンクさせたものがメインだ。しかし、先日訪れたトスタ大学の研究棟やここの工場のようにリングフォンの普及前に建造された建物は、鍵となる媒体さえあれば誰でも通過できる設備で済ましているものが多く残っている。カードキーだけで工場に入場できることは調査済みである。
(工場。A1に2人。B2に3人。B3に1人。全員無警戒)
工場の近くに寄ると、レティナからタップ連絡が届いた。事前に工場内の見取り図の特定に地点に記号を割り振っており、その記号に対応させるように対象の人数と警戒状態を知らせてくれた。
ティオから先週のレティナの活躍を聞いていたが、こうして潜入先の状況がすべて筒抜けになるというのは非常に快適だ。想定外の事態ということが基本的に起こらなくなるので、敵対する相手が能力者でない限りは遅れは取らないのではないかと思えてしまう。
工場の出入り口にカードキーを通し、中に入っていく。出入り口の近くにはガラムの構成員がいないことは報告されているので、堂々と入場できた。
工場内部に入ると、元々は製薬工場であった名残から、玄関と更衣室の先にホコリなどの不純物を洗浄するためのエアーシャワーが設けられていた。ボタンを押して数十秒風を浴びた後にA1地点として割り振っていたゾーンへと堂々と侵入していった。
A1地点にはガラム構成員が2人いるはず。
「おい、ヤー坊たち。例の訪問者は連れてき……ん⁉」
エアーシャワーの稼働音で誰かが入ってくることには気づかれていたようだ。ヤー坊たちと呼ばれた荒くれ者ではなくスーツを着た大男が入ってきて驚きの表情を浮かべた男が2人いた。
A1地点へと踏み込んだ瞬間、俺は懐に忍ばせていたチャフ弾を床に投げつけた。ポンッという軽い破裂音とともに、辺りが銀色のキラメキで包まれる。電波を吸収、乱反射する金属片により、辺りに電波障害が生じて工場内部の人間はリングフォンを含めた無線通信がおよそ5分程度できなくなる。チャフが効かない有線回線による連絡網がないことはレティナが確認済みだ。これにより、拠点ビルにいるカルダモとジュニパーへ通報するルートを一時的に断つ。
もちろん、俺もレティナによるリングフォンを介した索敵支援を受けることができなくなってしまうが、予め敵の配置は記憶しているので問題ない。
チャフ弾の破裂音で怯んだ2人のもとに《
「なんだ、てめっ……!」
「おっ……ぐげっは!」
待合室での2人と同じく、A1地点にいた二人の喉を潰す。先ほどの処理で慣れていたので、無力化には10秒もかからない。
それから、2階部分にあたるBゾーンへの階段を高速移動で駆け登った。
Bゾーンは工場の製造ラインを上層からモニターして機器の動作を管理するための領域となっており、目の細かい金網で地面と側壁が構成されていた。ここは大きくB1地点からB4地点の4つの空間に分かれており、そのうち階段を上ったところから2つブロック先のB2地点に構成員が3人いて、その奥のB3地点のところに1人いる。
その4人全員がAゾーンで鳴ったチャフ弾の破裂音を訝しみ、金網から身を乗り出して下の階を確認している。既に階段を駆け登った俺は、その視界を避けるように回り込み、B2地点にいる3人を無力化しようとする。
「えっ? ぐぐっ⁉」
「あがっ!」
近くにいた2人は難なく喉を潰すことができた。しかし、1人の男は金網を駆ける俺の存在に足音で感づいたらしく、喉に差す貫手を手で防がれてしまった。しかし、《
手の指を落とされて激痛に怯んだその男の背後へと回る。男の左腕を絡め取り、背面で固めて拘束する。さらに、首に俺の右腕を回して締め上げ、身動きを封じた。
首の動脈部分を圧迫されてその男は気を失いそうになるが、指を失った痛みが意識を覚醒させ、口から泡を吹いてうめき声を上げている。
俺はその男の身体を盾にするようにして、10メートルほど離れたB3地点に残った1人の男の方を向く。その男は拳銃で武装している。
金属片が舞い銀色に輝く世界の中で、仲間がバタリバタリと倒されていく。その様子を見ていた男はその暴力の発生源の中心である俺に銃を向けている。
「なんだ、なんなんだよ、お前はよぉ!」
男は取り乱した声をあげながら銃を3発撃ち出した。
驚いたことに、その3発ともが男の首の前に回していた俺の腕に命中した。ガラムの構成員は末端の者でも優れたスキルを有するとは聞いていたが、気が動転している最中で俺の腕だけに命中させるとは、なかなかやる奴だ。
「は、はは! やった……、あれ?」
腕に銃弾を撃ち込んでも身じろぐことなく仲間を盾にし続ける俺を見て、男は困惑している。
「んー、能力について説明してもお前は覚えていられないだろう。まあ、簡潔に説明してやろうか。俺にはこういう弾丸は効かないんだな」
そう言い終わるのと同時に、俺は盾にしていた男の身体を手放して、銃を撃った男の目の前へと《
一仕事終えた俺は、ふうと大きく息を吐いて胸の前で構えていた腕をだらんと下ろした。銃弾で焦げた穴の空いた俺のスーツの右袖から、ひしゃげた銃弾3つが零れ落ちて、俺の足元の金網にカランカランと音を響かせた。
《
刀だけではなく装甲も作ることができるという能力の応用範囲を見せた様子は、俺を透視しているレティナにおそらく観測されているだろう。指先から伸ばす刀を、刀という形に縛られずに柔軟に変形させられることはティオにも言っていないことだ。こうやって能力を隠す姿勢が、俺が疑り深いと言われる所以なのだろうな。
俺は、敵を騙すなら味方も必要に応じて騙す覚悟がある。しかし、レティナは俺の考えすらも見越したうえで、俺の隠していること全てに指摘しようとはしない。まったく、任務はやりやすくなったが、俺の心持ちは穏やかではないな。
工場の襲撃作戦が完遂したことはレティナが《
レティナ、ティオ、後は任せたぞ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます