第022話 地区幹部
◆ ◆ 第三者視点 ◆ ◆
「ワンツートラスト株式会社は、認定エキスパートが懇切丁寧に物件紹介から内装リフォームコンサルテーション、契約、各種保険を終始サポートし、あなたの事業を応援しております。トスタ市で事業展開を予定している方は、まずはご相談ください」
地域密着型の不動産を取り扱う会社がトスタ市西区の西トスタ第6ビルに入居しており、ビル前の掲示板に慎ましやかに自社の宣伝文句を並べていた。
トスタ市西区は観光地区であり、このビルの周囲を通る人間からすれば、テーマパークや大時計塔に行く観光客向けの事業者をターゲットにしている不動産会社と見られているだろう。
奇妙なことに、この会社は地下1階から6階まである中規模なビルの全フロアを借りている。今年度の有価証券報告書では、社員数は2名と報告されている。人員規模からすれば、それは過剰なオフィス面積だ。社員数として計数されない業務委託が多い訳でもない。
ビルの窓ガラスが全て遮光シールもしくはブラインドで塞がれており、人の有無はもちろん内部でライトが点灯しているかすら分からない。
会社として記録上は良好な利益を上げており、毎期ごとにテナント料は不足なく支払われている。
小さな自動ドアを入った先がエントランスとなっている。1週間に1度ほどの頻度でそこから大きな荷物が運び出されることはあるが、物品が搬入されることは滅多にない。
このワンツートラスト株式会社は、世界的犯罪組織ガラムのフロント企業である。
裏社会と呼ばれる存在は、平然と表社会に入り込んでいる。実質的には、この世界に表も裏もないのだ。表社会だけで生きていると考えている人間は、いくら警戒しようともその事実は気づけない。
このビルの5階に2人の人影がある。身長180センチほどの筋骨隆々の男が1人。浅黒い褐色の肌によく似合う茶色い長髪を首の後ろで結っている。その隣に、黒縁メガネを掛けたスーツ姿でスタイルの優れた女が1人。紫色のメッシュが入った黒髪をショートボブに切り揃えており、吊り上がった目から気の強さが窺える。
男は、部屋に備え付けられたフリーウェイトトレーニング用のベンチに座って、楽しそうにダンベルを上げ下げしている。自らの身体の鍛錬を重ねることが趣味のようだ。
女は、そのすぐ隣に設置された事務用のデスク前に座ってパソコンで作業している。
「カルダモ様、クローブの件でお耳に入れておきたい報告がございます」
デスクの上に浮かぶ大きな空間投影ディスプレイを見ながら、女は男に対して丁寧に語りかけた。
「ご苦労だな、ジュニパー。聞いておこう」
「2週間ほど前からトスタ中央街でクローブのナイフと同型のホルダーを腰にぶら下げた男の目撃情報が相次いでいます。我々の出した懸賞金目当ての虚偽かと疑われましたが、過去の実績もある一般構成員の通報もありますので、確定と言っていいでしょう」
ジュニパーという女の報告を聞いたカルダモは、ダンベルを動かす手を止めた。
「……んで? その男は特定されたのか」
カルダモはジュニパーに身体を向けて腰掛け直した。カルダモは右手の人差し指と中指をくいくいと曲げて、報告の続きを促した。
「我々が特定している敵対組織の者ではなさそうです。しかし、報告に上がった男の体格と外見を鑑みるに、噂の何でも屋のセロ=ミデンである可能性が高いと思われます」
ジュニパーはキーボードを叩いて操作すると、空間投影ディスプレイ上にセロ=ミデンの情報が並ぶ。目撃証言から推定されたAI生成の容姿三面図が載せられている。その空間投影ディスプレイを指先で撫でるようにスワイプすると、カルダモが見やすいようにディスプレイの向きがくるんと変わった。
「ああ、そいつが噂の何でも屋か。俺たちにちょっかいをかけた疑いはこれまでもあったが、ようやく確定的な尻尾を出しやがったか」
「はい。数日前、ディスクの大口取引が妨害されたのも何でも屋の仕業であったと取引先のモーシュシヒルから報告がありました。どういう意図かは分かりませんが、ずいぶんと我々を敵視しているようです」
「そんなに俺たちのことを好いてくれるんなら、こっちからもご挨拶に伺わねぇとなぁ」
カルダモは両手の指を互い違いに組んで、その関節をポキポキと鳴らす。
「ええ。カルダモ様ならそうおっしゃると思いまして、何でも屋の事務所周辺を既に張っております」
そう言いながら、ジュニパーは軽く微笑み、右手でメガネのズレを直した。
「さすが、ジュニパーだな。そのまま突撃の命令出していいぞ。セロを生きたままここに持ってきた奴は特別ボーナスの支給とレベル3上級構成員への昇進を確約させよう。クローブが居なくなって空いた席に座らせてやる」
「かしこまりました」
カルダモの決行の意を聞き、ジュニパーは右手中指を耳にあてて早速どこかに通話を掛けた。
「こちらジェニパー。現場に即トツすること。対象タマありで縛れば、金と席を用意してくださるとカルダモ様が仰せだ」
ジュニパーは、淡々と冷徹に通話先にそう伝えた。
ガラムでは、レベルとタイトルという制度がある。
レベルは、その値が大きいものほど指揮命令系統の上位として認定されている。ここでは、カルダモがレベル5、ジュニパーがレベル4である。
過去、レティナの抵抗を受け、その後にセロにより殺害されたクローブは、レベル4への昇進が目前であったレベル3であった。
タイトルは、その者の役職を示すものである。カルダモは、トスタ市やトーラス市その周辺を含むガラムの構成員を束ねる地区幹部というタイトルを持っている。レベルの値がタイトルと直結する訳では無いが、おおよそレベル4か5辺りの人間が他のガラム構成員を指揮するタイトルを与えられる。同レベル帯の構成員であれば、上位のタイトルを持つ者の命令が優先される。
ジュニパーは、その事務能力の高さを買われてカルダモの幹部代理として登用された人材である。地区幹部の権限を一部委譲され、下位の構成員の報告をまとめて連絡を発出する役割を担っている。
レベル1から3の構成員は主に一般構成員である。タイトルを持つことはなく、上位の命令に従って犯罪行為を遂行する。その中でも才があると認められた者は上級構成員のタイトルを与えられて、ある程度の裁量で動くことができるようになる。
貴重品を換金するルート、犯罪遂行にあたっての住居、装備のサポートなどを考えると、無法者たちがガラムという組織に従って秩序のもとに行動することは理に適っていた。機械化とAIによって警備インフラが成熟した現代において、単身で計画的犯罪を行うことは非常に難易度が高い。表の社会で真っ当に生きることができないが悪事への才能が溢れる者たちにとって、ガラムは完成された受け皿であった。
このトスタ地区において、組織として「飴」により構成員を統制するのはもちろん、「鞭」によっての自治も欠かされていない。
レベルが上位である構成員は、下位の者とは何らかの分野で秀でた能力を有している。カルダモという男は、そのカリスマ的暴力性でレベル5として君臨しており、特に「鞭」によって下位の構成員を統制することに長けている地区幹部であった。
何でも屋の事務所の襲撃を実行した末端の構成員は、5分とも経たずジュニパーに折り返しの通話を掛けた。制圧に30分程度は要するだろうと見込んでいたジュニパーは、少し驚きとともにその通話を受けた。
「……あなたたち、次は無いわよ」
末端の報告を受けたジュニパーは、ただそう呟いた。
「あぁん? どうした、ジュニパー?」
「何でも屋の事務所とされている物件はカラだったそうです。ただいま連絡のあったカスどもの報告によると、確かにそこに何者かが入り浸って生活していた痕跡がある、などと喚いておりましたが」
その事務所は電気や通信、ガスが通っており、セロと思われる人物がそこに入っていく確かな映像証拠もあった。それゆえ、末端構成員はそこが何でも屋の本拠地であると確信してしまっていた。
何らかの策により、ダミーの事務所が用意されていたということだ。
それから推認されるのは、何でも屋は敵からの襲撃を警戒してそういう対策を取っていたという事実。これは、クローブを殺った犯人がセロであるという疑いを確信に変えるものであった。
「ふぅん。面白ぇじゃねえか。俺達がクローブを殺った犯人探しをしているのを逆手に取って、釣り出そうとしてやがるんじゃねぇのか? そうじゃねぇと、わざわざクローブのナイフを持って外なんか歩かねぇだろ」
「カルダモ様、慧眼でございます。私もそう愚考しておりました。我々も舐められたものですね」
「いいねぇ。本気で相手してやろうや」
ジュニパーは末端構成員との通話を再開し、空っぽのダミー事務所の状況を聞き出すことにした。残された通信機器等から、何でも屋に関する情報を引き出すよう手配している。
カルダモはトレーニング用ベンチから立ち上がり、首を左右に倒して骨をゴキゴキと鳴らした。その目は獲物を見つけた狼のごとく瞳孔が開けており、空間投影ディスプレイに浮かぶセロの情報に向けられていた。
◆ ◆ 第三者視点 ◆ ◆
2120年7月27日土曜日。
西トスタ第6ビルから200メートルほど離れた別の雑居ビルの屋上に、セロ、レティナ、ティオたち3人の何でも屋総員が揃っている。
レティナはあぐらをかいて地べたに座り、左手の人差し指を顎の下に当て、眼を閉じて集中している。
「レティナ、どうだ? 奴らの動向を掴めたか?」
「ええ。100パーセントじゃないけれど、会話はほぼ全部読み取れたと思います」
レティナは、透視能力によって西トスタ第6ビルこと、ガラムの拠点の位置を監視していた。
レティナは中にいる人間の唇を読むことでおおよその会話を把握することができていた。
先週、モーシュシヒルの事務所で運転していたスプールと警備員が会話しているシーンを透視していたとき、読唇術を身につけることで透視時に得られる情報量が段違いに多くなることにレティナは思い至った。
レティナは研究と大学での研究と講義の合間を縫い、唇の動きから発話内容を把握するスキルをこの1週間で身につけた。短期間でレティナが読唇術を習得したことを知ったセロとティオは、レティナの生来の観察能力の高さと《
「相手のボスの名前はカルダモと呼ばれる男です。セロさんほどではないですけれど、身長180センチ越えのかなり大柄な男です。トレーニングが好きなようで、姿を見るだけでもうるさく感じられる外見ですね。もう1人、ジュニパーという女がいます。カルダモの秘書的な立場のように見えます。ビル内部の構造や相手の容姿などの詳細は例のサーバのほうに書き足しておきますね」
先週、スプールからガラムに関する情報が何でも屋に提供された。そこにはスプールが知るガラムへの連絡ルートのほか、トスタ市周辺におけるガラムの拠点として疑われる場所が5件記されていた。連絡ルートは使い捨てされている可能性が高いことと、逆探知の危険もあることから、ガラムの拠点の特定を優先することとした。
セロがクローブのナイフホルダーを使ってガラムの注意を惹き、レティナが読唇術の特訓に励む中、ティオは拠点の特定を行っていた。
疑いのあるうちの1つ、西トスタ第6ビルには人の出入りがほとんどないにも関わらず一部の部屋から光が漏れていた。それをティオは怪しんだ。つい2日前、その調査のために研究室帰りで疲れ果てていたレティナを無理やり連れてきた。ビルの中を透視して確認させると、そこがガラムの拠点であることが分かった。
目的とする相手方の居場所が分かったので、こうして何でも屋一行は少し遠くのビルに集合し、ガラム拠点への襲撃作戦の前準備を始めていた。
レティナは、透視して見たビル内部の状況とカルダモとジュニパーの会話の内容を口頭で2人に伝えつつ、リングフォンでサーバに情報を入力した。セロとティオはリングフォンの空間投影ディスプレイで逐次同期されるその情報を眼で追っている。
「……ガラムのイメージ通りだが、随分と好戦的そうな奴らだな」
「相手の方針が分かったのはいいんですが、僕たちが警戒していることもバレちゃいましたね。今日この日にあの事務所に突撃されるなんて」
セロは反社会的な組織をこれまで何度も相手取って来たこともあり、敵の急襲に備えていくつかの隠れ家を用意していた。隠れ家といっても、どの場所も事務所として利用できる設備を残しており、依頼人のタイプによって受け入れる場所を変えるというバックアップ的な側面が大きかった。
今回、ガラムが攻め入ってくる可能性があることから、セロはその隠れ家の1つを本拠地に見せかける工作を行っていた。ジュニパーが突撃を指示したガラムの兵隊は、そのダミーに騙されていた。
「ティオ君、それも作戦のうち。私たちは作戦通り進めるだけだよ」
「ええー、僕、レティナさんと一緒にガラムの拠点に潜入することしか聞いていないんですけど」
ガラムの拠点が特定された後に、わずか1日でレティナとセロが協議して作戦を考案した。ティオには、まだその概要しか伝えられていなかった。
「はいはい、ちゃんと計画書に書いておいたから、リングフォンで確認しておいてね」
ティオは早速リングフォンでサーバにアクセスし、計画書を読み始めた。
《眼の能力》の情報消失の性質の影響を受けるため、能力に関することを計画書に直接記述することはできない。そのため、実行する主体は明確に記述されているが、能力を使って具体的に何をするかは婉曲的かつ冗長な表現にならざるを得ない。それに加えてレティナは綿密な計画を組むことを良しとするタイプであるので、計画書の文量は膨大であった。もし状況Aになったら分岐aの作戦を、もし状況Bになったら分岐bの作戦を、状況Aと状況Bが同時に起きたら作戦は中止し逃亡する……などと、考えうるあらゆる状況とその対応方法がフローチャートで網羅されており、別のページに飛んでそのノードの詳細を参照するという構成であった。
ここまで綿密な計画書には慣れていないティオはその内容を読み解くのに苦労し、銀髪の頭に指を潜らせて頭を掻きむしった。
「しかし、前準備のこの段階でダミー事務所が攻められる事態になるとはな。レティナ、これで一応俺達の作戦が進められるようになったわけだが、このまま直ぐにやるのか?」
「そうですね。このまま時間を置けば置くほどこちらは不利になっていくと思われます。相手の最大の人数規模は不明ですが、今日よりも人が少ない日は無いでしょう。今日やります」
「うひぃ、まだ計画読み切れてないってぇ!」
計画書の文字を読むティオの瞳が左右に忙しなく動く。
「俺も了承したとはいえ、潜入するのはお前たち2人で本当に良いのか?」
「師匠の体格じゃ潜入するのは無理じゃないですか? その背格好で師匠は有名で、それで師匠が関わっていると向こうに断定されたみたいですし」
「そうそう。セロさんには別の重要な仕事を用意しておきましたよね。そちらをお願いします」
今回の計画では、モーシュシヒルのときの依頼と同様にレティナとティオがタッグでガラムの拠点に潜入することとなった。セロはその特徴的な体格から潜入や変装に向かないので、レティナの発案で別の作業を行うこととなった。
「はあ、どっちが上司か分からんな。じゃあ、俺は着替える必要もあるし先に行くからな。お前たちも着替えるんだろ? さあ、気を引き締めていけ」
セロは屋上から降りる階段へと向かった。
レティナは立ち上がり、計画書を一生懸命読み進めていたティオに話しかける。
「じゃあ、ティオ君。変装用の服に着替えよっか。着替えしている間にあの布石も完了しそうだし」
「えーっと、変装については、計画書の25ページ……っえ?」
ティオは計画書の内容を見て愕然とした。
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