第017話 教え子

◆ ◆ レティナ視点 ◆ ◆


 私とティオ君は、倉庫に残されていたディスクを耐荷重の許す限りタクシーのトランクへと詰め込み、何でも屋事務所の帰路へとついていた。残ったディスクは第三者による悪用を恐れ、数枚のディスクを時限爆破し、すべて誘爆させて処理しておいた。


「なあ、レティナさん。兄ちゃ……スプールが最後に言ったことって本当だと思う?」

「うん、多分本当だと思う。セロさん本人に聞けと言っていたから、聞けば納得できる理由があるんじゃないかな。帰ったら聞いてみよう」


 夜の街を駆け抜けるタクシーの中で、私たちは後部座席に座ってそれぞれ左右の窓の外を見つめて会話を交わしていた。街灯や住宅から漏れる光がさっと流れて、それに合わせて先ほどのスプールとの会話の記憶が断片的に浮かび上がっている。しっかりと舗装された道路を走る最新の電気自動車なのに、やけに車の振動が大きく感じられた。


 事務所に到着すると、時刻は既に零時を回っていた。セロさんはまだ外に出たままのようだ。ティオ君と協力して事務所の倉庫に持ち帰ったディスクを運び込む。

 最後の1枚を運び終えて、応接間の机で依頼の報告書をちょうど書き始めようとしたところで、セロさんが帰ってきた。


「おう、今日の依頼はどうだった? まだ報告書を書いていないってことは、結構時間かかったか」

「ええっと……、師匠、何からお伝えすればいいものか」


 ドアを空けて事務所の中に入ってきたセロさんは、私の方を一瞬ちらと見た後にティオ君に進捗状況を尋ねた。

 今日この日は色んなことが起こったのだ。ティオ君は何から話せばよいのかしどろもどろになっている。私からセロさんに口頭で報告することにする。


「依頼遂行の成否だけを端的に言うなら、失敗ですかね。手品のトリックは見つけ出せましたが、依頼人に報告できないようなものでした」

「……それはつまり、モーシュシヒルたちは能力者だったということか? 二人で協力するのにちょうど良さそうな依頼だと思ってお前たちに当てたが、申し訳なかったな。無事に帰ってくれてよかった。首尾を教えてくれ」


 応接間の空いたソファにセロさんはどっしりと腰掛けて、私たちに目線を合わせる。


「モーシュは炎のような光と熱を生み出す能力者でした。ティオ君が氷のアーマーを着て熱に耐えながら、私が本物の炎で酸欠にさせることで気絶させることができました」

「なるほど、あのショーの炎の一部は能力で作られたものだったのか。それで、シヒルの方は?」

「……それはティオ君の方から報告したほうがいいんじゃないかな?」


 私は言葉を止めて、ティオ君から話すように促す。

 隣に座っているティオ君は、ぴっちりと合わせた膝の上に手を置いて背中を丸めており、誰の目から見ても落ち込んでいるのが分かる。


「シヒルは、僕の兄ちゃん。そう、スプールでした……」


 ティオ君のその言葉に、セロさんは硬直した。


「……そうか、スプールの《影泳アンブラ》なら確かに瞬間移動的なことができるな。炎による光で生じる影を利用したんだろう。スプールとは争いにはならなかったか?」

「うん。僕に気づいた兄ちゃん、『顔を見に来ただけだ。これから身を隠す』って言ってどこかに消えちゃった。そして、他にも……」


 ティオ君はそう言いながら下を向き、セロさんから視線を切った。


「……ふう。その言葉の詰まり具合から考えて、スプールが何でも屋から出ていった理由でも聞いたか。俺が教師を辞めることになった事件のことを」


 セロさんは、ティオ君の様子から私たちが何を知ってしまったのかを勘付いたようだ。


「師匠、本当、なんですね。理由を、理由を教えて下さいよ!」


 ティオ君は叫んでセロさんを問い詰める。

 セロさんは背中を大きく後ろに反らし、ソファの背もたれに身体を預けた。そのまま天井を3秒ほど見つめた後に、上体を起こして元の体勢に戻った。そして、理由を請うティオ君ではなく、私の顔をじっと見つめながら口を開いた。


「スクレラ……」


 セロさんは、誰に聞かせるでもない声量で小さくそう呟いた。そして、声のボリュームを少し上げて、私たちに語りかけた。


「スクレラという教え子がいた。両親のいない女の子で、保護施設で物心ついたときから育てられていたという。2113年、そう、7年前、その時の俺はスクレラたち小学3年生のクラスの担任をしていた。スクレラが今生きていたら、16歳になるな」


 セロさんは、先ほど落ち込んでいたティオ君と同じように頭を下げた。昔を懐かしむ温和な語り口調だけれど、後悔や反省の念が入り混じっているように聞こえる。


「ある日、小学校の体育館で設備不良が見つかったということで、体育館周りの火元管理者だった俺は、補修業者と日中に打ち合わせすることになった。そこで、授業1時間分だけを自習の時間としたんだ。小3の子供が、誰の指導もなく自習するはずがないだろ? 実際に、クラスの中はほとんど休み時間と同じ状態だった。ま、俺はそれでもいいと思って自習時間にしたんだが」


 私もティオ君も、セロさんの昔話に聞き入る。


「スクレラはその育ちもあり、クラスメイトとはあまり馴染めていなかった。多くの子が机から離れて友達グループで集まってしゃべっている中、スクレラは最前方の自席で1人だけ真面目に自習を進めていた。しばらくして、そのスクレラの机の上に、友達と立ち話していたシュアンという子が悪気なく座って自習の邪魔をしてしまったんだ。そして……」


 しばし、5秒ほどの沈黙が事務所の中を支配した。


「……そして?」


 言葉に詰まったセロさんの言葉尻を、ティオ君が復唱して続きを促す。


「机に座ったシュアンは、スクレラに机ごと蹴り上げられ、天井と机に挟まれて死んだ」

「蹴り上っ……!?」


 続きを聞いたティオ君も、私も、想像だにしない展開に息を飲んだ。

 握った拳と、足裏にじんわりと嫌な汗をかく。


「楽しい友達同士の会話が教室のあちこちで交わされていた中に、人が潰れる音が鈍く響き、そのすぐ後に机と人が床に落ちる音が響いた。クラス中の誰もが聞き慣れない突然の音に困惑し、思考が停止してしまった。そして、スクレラだけが時が止まったような教室の中で動き出していた」


 セロさんは一息置いて、淡々と語り始めた。


「シュアンと仲が良く、そばで立ち尽くしていたカイランの頭を左手で掴み、そして、ナデシュカの頭を右手で掴み、スクレラは両手を合わせて2人の頭を1つにした。その行為の後に、ようやく恐怖という感情を取り戻した周りのクラスメイトは、その暴力の発生源から逃げようとした。俺のクラスは学校の3階に位置していたから、転落防止のためベランダ側の窓は集中管理で電子施錠されていた。そちら側にいた子たちは、泣き叫び窓ガラスをバンバンと叩くことだけしかできなくなってしまった」


 楽しい自習時間が地獄へと様変わりした光景が脳裏にありありと浮かぶ。

 淡々と客観的に事実を話し続けるセロさんから、寂しさだけをただ感じる。


「廊下側にいた子たちは、教室の前と後ろにある引き扉から逃げようとした。後ろ側の扉は教室の内側から自由に施錠解錠できるようになっているが、その時は運悪く鍵がかかったままだった。扉を1度引いて鍵がかかっている事に気づいたソラリは、鍵を開けようと扉の中央に手を伸ばそうとした。しかし、逃げようとしてその扉に大挙して押しかけた子たちに身体を押されて圧迫されてしまい、扉を開けることは叶わなくなってしまう。終いには、その扉の周囲に集まった子供たち全員が将棋倒しになって全員身動きすら取れなくなってしまった」


 セロさんの後ろに流した前髪が重力に負けて、下へ向けた顔面の方へとはらりはらりと垂れていく。


「教室の前方の引き扉はスクレラの席が近く、そこから逃げようとする子はいなかった。ニアだけは勇敢にも飛び出し、スクレラの横を抜けて引き扉に手を掛けたが、スクレラの横蹴りを受けて教室前方の時間割が貼ってある壁に身体を強く打って死んだ。引き扉の取手には、ニアの曲がった人差し指と中指が残されていた。その後も、スクレラによる虐殺劇が続いた」


 前髪がすべて顔面の方に垂れたセロさんは、右手の甲を使ってその前髪を軽くはらった。


「その学校は奇数クラスと偶数クラスに分かれて合同で体育を行うシステムで、ちょうどその時限、両隣のクラスは体育の授業で誰もいないときだった。その教室から響く叫び声と振動は他の誰にも届かなかった。上下の階には届いていたかもしれないが、小3の児童がはしゃいでいるようにしか聞こえなかったかもしれないな」


 セロさんは自嘲気味に笑みを漏らした。


「そして、クラウスは喉を潰され死んだ。イヴァリンは首を捻られて死んだ。エトワールは胸を強く殴られて死んだ。後ろの扉を開けようとしていたソラリは、押しかけた子たちの重みに耐えられずショック死した。みんな、みんな死んだ。死んでしまった」


 セロさんの肩が震えている。私も、ティオ君も、セロさんのその姿から眼を逸らしてしまう。


「業者との打ち合わせが終わり、どうせ自習もせず遊んでいる子たちをどうやって叱ってやろうかと呑気に考えながら俺が教室に戻ったのは、スクレラを除く27名全員が死んでから、ほんの数十秒後だった。何かが引っかかっている教室の引き扉を力ずくで無理やり開くと、血の匂いが倒れてくる壁のように俺の身体を包んだ。足元を見ると、扉に引っかかっていた何かは、ニアの潰れた死体だった。そして、教室の中央には、拳で腹部を貫かれたサイラスをまるで大きな手提げカバンのようにぶら下げながら呆然と立つスクレラがいた」


 できるだけ感情を込めないように機械的に話しているが、スクレラの名前を呼ぶ時だけその声が少し震えている。


「スクレラは両目から血の涙を流しているように見えたが、それは、目尻を自分の爪か何かで引っ掻いた傷から流れていた血だった。俺に気づいたスクレラは、サイラスの身体を投げ捨てて、俺に向かって踏み込んできた。その時の俺は……指先から刀を出す《手剣マネンシス》しか持っていなかった。スクレラの踏み出した速度は今の俺の《移動モヴィーレ》に比肩するほどだったと思う。スクレラの突撃を受けて教室前の壁までふっとばされたが、なんとか腕で衝撃を受けて致命傷を避けた。俺は混乱こそしていたが、身体能力が上昇する能力が暴走してしまったと思われるスクレラを無力化することだけに思考を切り替えて、全神経を集中させた」


 セロさんは10年ほど前に刀を出す能力を手に入れていたと言っていた。それから3年経った時点でこの事件に遭遇したということだ。


「……詳細は省くが、俺は何とかスクレラを拘束し、気絶させた。そして、その後、俺がやったことが俺の罪だ」


 そう、これまでセロさんが苦しみながら説明してくれたのは、酷く凄惨な話ではあるけれど、能力が暴走し狂気に走ったスクレラという少女と彼女に対峙したセロさんの話だ。スプールが言った「児童全員をセロさんが殺害した」ということには当てはまらない。

 スクレラの凶行の責任が、その教師に帰するというのは無理がある。


「俺は、俺は、教え子の中で唯一生き残っているスクレラを、その先生として、大人として、《眼の能力》の暴走に苛まれた者として守ろうとした。スクレラは能力の被害者だ。その時の俺にはそう考えることしかできなかった。それで、俺は、スクレラの罪をすべて被ることにした」

「罪を被る……?」


 セロさんの言葉が何を意味しているのかが分からず、これまで黙って話を聞いていた私も聞き返してしまう。


「ああ、そうだ。クラスメイト全員がスクレラに殴殺された証拠を消すために、俺は、俺の能力で、教え子全員を切り刻んだ」


 その告白に、私も、ティオ君も、返す言葉がなかった。その行動について、単に狂人の行いだと断じること簡単だ。だけれど、私にはそれはできなかった。背中を丸めた眼の前の大男が、ティオ君よりも、もっと小さく見えたからだ。


「教え子の顔も名前も性格も好きなことも嫌いなことも成績も、全部覚えている。その亡骸を、俺は丹念に切り刻んだ。血と脂ですぐにダメになる刀を生やし直した回数も覚えている。その学校には、どの教室にも外部からの侵入監視やイジメ防止のためのカメラが公的に設置されていたのだが、先ほど説明した通りのスクレラの凶行が残されていたので、俺が確認した後にデータをすべて抹消した」


 私はソファから立ち上がって移動し、セロさんの隣に座ってその背中に手を置いた。かけるべき言葉が見つからなかったので、こうする他なかった。ティオ君は座ったまま眉間すぐ下の鼻根を人差し指と親指でつまんでおり、涙を流すのを我慢しているようだった。


「師匠がしてしまったそのことを、僕の兄ちゃんはいつ知ったの?」

「2年前、スプールがここを出ていくときの数日前だったかな。俺が直接スプールに教えたんだ」

「……僕にはどうして教えてくれなかったんですか?」

「スプールもお前も、《眼の能力》の暴走で死にかけていたところを5年前に俺が助けて拾っただろ。当時、ティオは幼くて精神への影響は少なかったが、スプールは死にかけた記憶をよく覚えていて、その経験から能力を悪用した危害や犯罪を酷く嫌悪するようになった。スプールは、自分と同じく能力による犯罪を憎む俺の動機を知りたがったんだ。過去の罪を隠すのは良くないと思い、俺は覚悟を決めて告白した。しかし、能力により死体を損壊した俺の所業はスプールにとって受け入れ難いことだった。そんなこと、誰にとっても当たり前だ。俺があの子達を殺したと言っても過言ではない」

「……僕は、少なくとも僕は、師匠のやったことについてはショックですけど、理解はできます。そのスクレラって女の子も師匠の大切な教え子だったんですよね。残ったスクレラちゃんをどんな手段でもいいから守りたかったんですよね」


 ティオ君は、鼻をすする音を交えながらセロさんへの理解を示す。眉間を抑えた手の隙間から大きな涙をいくつも零している。


「私も、理解できます。セロさんが言っていた《眼の能力》を無くしたいというのは、スクレラちゃんと同じような人が出ないようにすることが目的だったんですね」

「……ああ」


 私は、セロさんの背中を軽くさすった。

 セロさんは頭を更に床に向けて下げて、理解を示した私たちに謝意を表した。


「それで、セロさん。その後、セロさんとスクレラちゃんはどうなったんですか?」

「……俺は逃亡し、正気に戻ったスクレラを連れて裏社会に逃げ込んだ。1年ほど逃亡生活を送りながら、スクレラを養ったよ。しかし、ある時、スクレラは行方不明となった。俺に伝言も何もなく」


 スクレラちゃんは行方知れずになったのか。それで、この話の冒頭に「生きていたら16歳」と不明瞭なことを言っていたのだろう。


「実は、スクレラを探すことを目的として立ち上げたのが、この何でも屋だった。裏社会からも表社会からも、その活動の中でわずかでもいいから情報を集めたかった。《眼の能力》による危害をなくすためにコルネウスを追いたいという目的はそれに付随するものだった」

「なるほど。何でも屋が作られてから……ええと、今年で6年目ということですね。それからスクレラちゃんに関する情報は何も得られていないんですか?」


 私がそう質問を投げかけると、セロさんは背中に置かれていた私の手を握り取って上体を起こした。上げた顔が見せたその表情は、いつものように凛々しくも無表情で、先ほどまで声ににじませていた悲しみは一切感じられなかった。

 大きな両手で私の右手を包み込むように握って、セロさんは私の顔をじっと見つめる。


「いくつは小さな手がかりはあったが、どれも本質に結びつかない者だった。だが、1つ、ただ1つ。ちょうど1ヶ月前に情報が得られた」


 今日は7月20日……の零時を回ったところだから7月21日だ。つまり、ちょうど1ヶ月前となると6月21日だ。

 確かその日は、私がセロさんと出会った日。

 セロさんが私の手を握る力がぐっと強くなる。


「えっと、その日って……」

「レティナ、お前だ。お前は今22歳で年齢こそ食い違うが、あの時のスクレラがそのまま成長したと言ってもいいくらいお前はスクレラに似ている。それこそ、あの夜に顔を見た時は同一人物だと思ったほどだ。お前は一体、何者なんだ……? なあ、先生よ」


 そうか、私の正体を知ったのは昨日だったんですね。セロさん。

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