第016話 再会
◆ ◆ レティナ視点 ◆ ◆
分厚い氷のアーマーに包まれたティオ君が、ホールの大規模火災から逃れて私のいる倉庫に帰ってきた。首尾よくモーシュを無力化できたことは、《
「かはっ、はあ、はあ、マジで死ぬかと思った。こんな作戦を直前で伝えてくるのって、レティナさんマジで人の心ないよね!?」
アーマーの兜部分にあたる顔面の氷を叩き割って、ティオ君は私を開口一番に罵倒してくる。あの作戦が私もティオ君も五体満足で帰れる唯一の作戦だったと思う。
ティオ君に伝えた作戦のその4。それは、モーシュを一酸化炭素中毒で酸欠にして失神させるというものだ。けれど、その作戦を決行するのにはいくつかのステップが必要であった。
まず、モーシュの能力の詳細な解明を必要とした。観察した結果、モーシュが生み出す炎は、日常生活で観測できる化学的な燃焼とは全く異なる性質のものであった。あの炎は、激しいオレンジ色の光と熱を生み出し、強い上昇気流を巻き起こしていたけれど、炭素源と酸素を結合させて一酸化炭素や二酸化炭素に変換する化学反応ではなかったのだ。《眼の能力》による超常的な力により、まるで燃焼反応のように見える光と熱を生み出す現象を引き起こしていただけなのだ。その現象は、酸素を消費しないし、中毒のもととなる一酸化炭素を生み出さない。延焼して床などに燃え広がる炎も、同じような性質だ。燃焼ではないのにのに座席やカーペットが炭化するように黒ずんでいたのはどういう原理なのか理解できないけれど、そこは《眼の能力》だからと思考を保留した。
これは補足となる情報であり、話は少しだけ逸れるけれど、《眼の能力》は能力者に副次的な恩恵を与える。恩恵とは、自身の肉体と自身が着用する衣服が能力によりもたらされる影響を受けにくくなるというものだ。
ティオ君とモーシュは、外気の極端な温度変化に対して頑健な身体を恩恵により得ている。ティオ君の場合は低温側への変化に強いので、モーシュのあの凄まじい火力に対しては副次的な恩恵では耐えられそうになかった。そのため、氷のアーマーを着てもらうことにした。
他の能力における恩恵の例を挙げると、セロさんは超高速で動く際に空気抵抗による衝撃や乾燥から身を守れるようになっていると聞いた。また、あの火炎に包まれてもモーシュの着ているスーツが無事であったのも、副次的な恩恵であるのだろう。
人間は文化的に衣服を着る生物であり、衣服が当然に身体の一部であると認識しているので、自分の身だけでなく衣服も恩恵の対象となると、セロさんは説を提唱している。
火災旋風が巻き起こるあの炎に身を包まれても不自由なく発話ができるモーシュを見て、2通りの考え方ができた。1つ目は、副次的な恩恵により、モーシュの身体は酸素を必要としないというものだ。けれど、透視して肺の活動を見る限り、横隔膜が上下して正常に呼吸を繰り返しており、身体は酸素を必要としているようであったので、この考えは棄却された。よって、2つ目の考えがもっともらしいと結論付けたのだ。そう、それは、先程も述べた通り、モーシュの生み出すあの炎は、酸素の消費が起こらない炎のように見える現象だということだ。両手に浮かぶ火の玉に燃焼の核となる物質がなかったことも、その説を強く支持する事象であった。
作戦その4を遂行するための次のステップとして、倉庫に保管されていた演出用の炎の噴射装置を利用した。モーシュがティオ君を追って舞台から眼を離したときに、ガスの弁を全開にして炎を噴射させた。ホール中を勢いよく循環する空気により、その炎はわずか数秒で10メートル近い炎の柱を形成し、舞台周りの緞帳や床へと燃え広がる。そして、その炎は閉じられたホールの中の酸素を一気に消費していった。身体に熱を感じないモーシュは、自分が作り出した偽物の炎に混じる本物の炎に気づかなかったのだ。木の葉を隠すなら森の中、炎を隠すなら炎の海の中だ。
噴射装置をオンにするためには、あの場では手で装置を操作する必要があった。熱気が渦巻くホールに生身の私が入ってしまうと全身に熱傷を負ってしまう。そこで、私は着用している制服全体に持参していたナイフで小さな切り傷を入れ、切断されたアイソマー繊維が生み出す緩衝材を身にまとった。頭については、ディスクをまとめるのに使おうとしていたテーブルクロスをぐるぐると巻いた。
こうして全身がふかふかの綿状の繊維で包まれた私は、ミズアメから取り出した水で全身を濡らすことで、熱気をガードする空気と水の層を作り出した。私は透視ができるので顔面全体を覆ってしまっても問題なく移動できる。幸い、ほとんど熱さを感じることなく噴射装置を操作することができた。
ティオ君は氷のフルアーマーにより視界が不明瞭であったはずだけれど、目元の部分を歪みが少なく透明度の高い氷の膜に調整したほかに、日頃から鍛えていた空間認識能力を駆使してホールの中を不自由なく移動することができた。
また、激しい勢いで解ける氷のアーマーを再凝固させるとき、走る自分の身体に干渉しないように形状を変化させることで走る速度を緩めなかった。そのティオ君の細微な能力の調整力は素晴らしかった。2人の実力をちゃんと見定めたわけではないけど、セロさんよりティオ君の方が細やかな能力の調整は上手いんじゃないかな。
そして、作戦その4の最終ステップだ。いや、最初のステップといってもいい。ホールに残ったティオ君は、熱気を吸うことにより気道を焼く恐れがあった。それを回避するために私はアメをティオ君に渡したのだ。ミズアメではなく、クウキアメをだ。
クウキアメはミズアメと同様に私の研究室で製造できる酸素と窒素を混合した重位相化物だ。衝撃を与えると、重位相化が解けて空気を噴出する。高圧による事故を防止するために、常圧程度の空気だけ出力する標準タイプのクウキアメと、一気に放出する高圧タイプのクウキアメがある。今回ティオ君に渡したのは標準タイプのものだ。
ダイビングなどで酸素ボンベを利用するときと同様にコツがあるので訓練する必要があるけれど、クウキアメを使えば酸素が限られる環境でも呼吸が可能になる。口の中に放り込んだ後、適したタイミングでクウキアメを軽く歯で噛むと1回の呼吸分程度の空気が口内に発生する。それを口呼吸で吸い込んで、鼻から呼気を排出する。先日のトレーニングの際に、セロさんとティオ君にクウキアメを渡して呼吸術を習得してもらっていた。
ちなみに、間違って高圧タイプを口に含むと肺や消化器官が破裂して無惨な結末を迎えてしまう。標準タイプであっても誤って噛み砕いたり誤飲したりすると同様の結末を迎える可能性があるので、そもそもクウキアメを口に含むことは推奨されない。
「でも、私の言ったとおりになったでしょ?」
「そりゃまぁ、あの時に採れる択で一番良かったと思うけど……。とりあえず、ありがと」
身にまとった氷のアーマーをバキバキと手で割りながら、少し不本意げにティオ君は謝意を述べる。まったく、この子は素直なのか素直じゃないのか分からんね。
「で、レティナさん。これからどう脱出すんの? アイツは気絶して能力で作られた炎は消えたけど、レティナさんが放火したせい……おかげでステージ部分は大炎上しているから、そのモコモコでビショビショの服でも耐えられないと思うよ」
私は今、大変みすぼらしい格好をしている。早く帰って着替えたいものだ。
それにしても、未だにこの施設の出入り口はホールの1つしかないという先入観にティオ君は支配されているようだ。
「ティオ君、キミぃ、熱さに頭やられたわけじゃないよね。この倉庫には何が保管されていたのか覚えてないの?」
そう言って、私は倉庫奥の小部屋を指さした。ティオ君は「あ、そっか」と短く声を漏らして、恥ずかしそうにうつむいてしまった。
この倉庫には高性能な特殊爆弾、ディスクがあるのだ。ディスクを使えば、倉庫の壁や事務所周囲を取り囲む塀を発破して外に逃げ出すことができる。警備の人間は、これから大火事が起きたホールへの対処と、主人の1人がそのホールに入ってから消息を絶ってしまったことに混乱するはずだ。壁を爆破して逃げる私達に割くリソースはほとんどないだろう。
私は1枚のディスクを取り出して、粘着面の保護シートを引き剥がし鉄筋が通っていない位置の壁にそれを貼り付けた。回転のノブを10秒に設定し、爆破のための硬いトグルスイッチをカチリと倒す。
私とティオ君は、貼り付けたディスクからそそくさと3メートルほど離れて耳を塞いだ。スイッチを入れてからちょうど10秒後、爆音とともに外への穴が開けた。私達の立つ側には、大きな音と髪をなびかせる程度の風が届いた程度の影響を残すばかりであった。
先ほど、ティオ君がモーシュに掴みかかられんとするその直前に、モーシュの手を止めるためにディスクを倉庫の空いた小部屋の内壁に向けて爆破させた。2回目の使用でも、この爆弾の使い勝手の良さに感心するばかりであった。確かに、これだけ手軽に使える強力な爆弾が悪人の手に渡ってしまえば、これがどう悪事に利用されるのかと次々と想像できてしまう。
「ほえぇ、僕、ディスクが爆発するところは初めて見たけど、これは便利だね」
「すごいよね、これ。ぜんぜんこっちに衝撃が来ない。あ、そうそう、帰宅用のタクシーを塀の少し先に呼んでおいたよ。持ち運べるだけディスクは回収してトランクに詰め込もう。倉庫から塀のところまで何回か往復できるだろうから、バケツリレー的に運搬しちゃおう」
塀を破壊するためのディスクを数枚取り出して、私は倉庫に空けた穴から外に踏み出した。外壁は分厚いので1枚では穴を空けられないかもしれない。ティオ君は5枚ほどのディスクを重ねて抱えて、私の後ろをゆっくりと追ってくる。モーシュとの戦闘で体力を消耗してしまったんだろう。
倉庫の壁から塀までは7メートルほどの幅だ。警備室からはここにアクセスするにはホールの横を大きく迂回しなければならないので、警備の人間からは気づかれないし、カメラで捕捉されても直ぐにはここまでやって来れない。黒い煙がホールの天井から漏れ始めたのを今しがた認識した警備員は、消防へ連絡している。予測した通り、私達にかまっている余裕はなさそうだ。
火災を知らせる警報がけたたましく鳴り始め、ディスクによって塀に穴を開ける爆音は火災による爆発の一種だと周囲の住民や警備員も勘違いしてくれるだろう。さてさて、ディスクを盗み出すチャンスだ。
塀にも穴を空けるため、いざ塀に近づいたそのとき、ディスクを貼り付けようとした壁のすぐ正面の影に違和感を覚えた。
塀の上部に設置された照明が放つ白い光が塀の庇に遮られてできた眼前の暗がりに、ぬっと人影が現れた。まるで闇そのものが形を持ち、実体化したかのようだ。
その人影は、モーシュの高級車を運転していた黒いスーツの男であった。身長は170センチくらいでモーシュほど大柄ではない。スキニーなスーツが細身の身体にフィットしている。髪は黒く、模範的なビジネスマンであると主張したがっているようにヘアスプレーで固めて整えられている。ティオ君のように大きく開かれた眼と青い瞳が特徴的だ。
……眼の前に一瞬で現れた。瞬間移動の能力のように見える。この男がシヒルなのか?
「モーシュが車に戻ってこないと思えば、この事態。ついて行かなかった俺が間違いだったな」
運転手だった男はそう言いながら私の顔をチラと見た後に、私の肩越しに立ち止まったティオ君に視線を移した。その視線に気づいたティオ君は男と眼を合わせる。
ティオ君は「これ、《
「兄ちゃん⁉」
「久しぶりだな、ティオ。2年ちょっとぶりくらいか?」
ティオ君は腕に抱えたディスクに衝撃を与えないように優しく地面に置き、3歩ほど後ろに下がって警戒態勢を取る。私も合わせて後ろへ下がり、ティオ君が兄と呼んだ男へディスクの爆破面を向けた。このまま爆破させるとディスクの縁を握っている私の指は吹っ飛んでしまうだろう。けれど、この相手がどういう手段に出るのかがわからないので、こうして牽制しておくことに越したことがない。
男は影になった壁際でそのまま直立している。鼻の頭や頬骨など、顔面の凸になった部分だけに光が落ちていて、それ以外は真っ暗な闇に飲み込まれているように感じられた。そのままでは表情がよく見えないけれど、私の眼で暗視すると温和そうに見える。
「兄ちゃん、アンタがマジシャンの……シヒルなのか?」
ティオ君の兄は、きりっと尖った顎の下を手で擦りながら応える。
「まあ、そういうことだな。金が入り用だったゆえ、俺の能力とモーシュを利用してショービジネスで稼がせてもらっていた。ある程度は加減していたつもりだったが、副業としてディスクの輸入に手を出すところまではやり過ぎだったか。まさか何でも屋のターゲットとされる事態になってしまったとは、本当に失態だ」
「いや、それは……」
私はティオ君の顔の前に手を広げ、発言を静止させた。ティオくんは「ディスクを見つけたのは偶然だった」と返答しかけていたようだったけれど、相手の勘違いを正す必要はないと判断した。
「どうも、こんばんは。私は何でも屋の新人のレティナと申します。弟のティオさんとは一緒に仕事をさせてもらっています。ティオさんに兄がいて、過去にセロさんと仲違いして独立されたということは存じています」
「ふうん、女を手元に置くとは師匠も変わったもんだな。俺の本名はスプール=ティーズ。芸名はシヒル。そこのティオの兄だ」
スプールと名乗ったティオ君の兄がどういう目的で私達の眼の前に現れたのか、その目的を聞き出したい。理性的に会話できる相手だと見込んだので、とりあえず挨拶からコミュニケーションを始めた。喧嘩別れしたと聞いていたけれど、セロさんのことをティオ君と同じく「師匠」と呼んでいる。関係性はそれほど拗れていないのかもしれない。
「私達は、モーシュシヒルとガラムの繋がりを疑い、それを確認するためにこの事務所へ潜入調査しました。あちらで燃えているホールで遭遇し、私達が返り討ちにしたあなたの相棒のモーシュの口からもガラムの関与を確認できました。合っていますか?」
はじめからあなた達を疑っていましたよ、という体でスプールとガラムの関係性を確認してみる。偶然気づきました、と言ってしまうと言い逃れされるかもしれないからだ。
「あー、モーシュのやつ、口が軽いなぁ。ああ、合っているよ。相場以上の価格で買い取ってくれる確約があったから、俺の国外のツテで大量に仕入れさせてもらった。しかし、ここまで荒らされてしまってはガラムと取引するどころの話じゃない。あいつらは目立つのを嫌う。ディスクの取引も、俺達のモーシュシヒルとしての活動も終わりだな」
スプールは右手で頭の横を掻きむしり、整えた髪がボサボサと乱れ出した。諦観と若干の怒気を含んだその物言いに、私は警戒を強めてディスクを持つ手に力を込める。
「……兄ちゃん、金が必要ってどうして?」
「お前には、説明できないな」
「能力による危害を防ぎたいって言っていたじゃんか! どうしてお金なんか」
「ティオ、俺は別に社会の味方でもなんでもない。依然として、師匠が掲げる理想には賛同していて《眼の能力》による危害は抑えたいとは思っている」
語気を強めるティオ君を宥めるようにスプールは手を広げて、言葉を続けた。
「今の俺には、能力を悪用せずに得られる金が必要なんだよ。マジックショーはトリック自体には能力を使っていたが、順当に誠実に仲間と協力して稼いだ金だ。ディスクの件は誠実な取引とは言い難いが、能力で得た産物というわけじゃない。そうやって儲けた金で何をするかは言うつもりはないが」
スプールにはスプールなりの考えがあって、出どころは問わずに金を集めていたらしい。瞬間移動を利用すれば現金や貴重品を盗むことができるはずだが、能力を直接的に利用して金を得ることだけは避けているようだ。
お金に正しいことや邪なことを見出すタイプなのだろうか。初対面ゆえ、性格を掴みかねる。
「なるほど。スプールさんの目的は想像もつきませんが、私達の活動と方向性は違えていないようで良かったです。ところで、あなたのマジシャンコンビとしての相方のモーシュさんは、あの火災の中で気を失っています。このままでは一酸化炭素中毒で脳に障害を負うかもしれないので、早めに助けてあげてください」
「レティナさん、だったか。あんた優しいんだな。モーシュについては心配しなくていい。もう回収している」
実は、スプールが私達の眼の前に現れる直前に、モーシュの身体が瞬時にどこかへ消えたことを《
とにかく、相手の協力者の安否を心配することで、少しでも友好的な態度を示しておく。
「それは良かったです。それで、スプールさんは私達をどうするつもりですか? 私達がスプールさんの稼ぎどころを潰してしまったといっても過言ではない状況かと思いますが」
心配していた核心部分を直接尋ねてみる。
「これまで2年間で積み上げてきたものをぶっ壊されたんだ。最初は拘束してそれなりの対応をしてやろうかと思ったが、懐かしい顔が見えた今はお前たちにどうこうするつもりはない。冷静になって考えると、俺達の活動は少しラインを踏み越えすぎた感は否めないしな。俺はこのまましばらく身を隠させてもらう。そのディスクは持っていって構わないぜ」
どうやら、スプールは弟のティオ君を見つけたことを契機に私達に危害は加えるつもりはなくなったようだ。嘘を言っているようにも思えないので信用してもよさそうだ。ティオ君も私も警戒の姿勢を解く。
「兄ちゃん、お金を稼ぎたいなら何でも屋に戻ってきてもいいんじゃ……? 僕たちも能力を使ってはいるけど、悪用しているわけじゃない。師匠も歓迎してくれるよ」
「そうか、ティオは俺が出ていった理由を知らないんだったな。これは俺の気持ちの問題なんだよ。師匠と一緒に歩むのが難しいと俺が思った時点で、別行動していくのが最良さ」
スプールは両手を広げて首を左右に降る。ティオ君の頼みは無下なく断られてしまった。
「あの、1つ、スプールさんに私達からお願いしてもよいでしょうか? スプールさんにも利益のあることです」
「なんだ?」
「私達何でも屋がディスクを盗み出したということを、スプールさんの持つルートでガラムの人間に報告していただけないでしょうか? これからスプールさんは、ガラムの取引を反故にした裏切り者として追われる身になるでしょう。その報告があれば、ディスクを欲しがっているガラムは私達を追うことを優先するはずです」
「それは願ったり叶ったりだが、お前たちに何の利益がある?」
「詳細は申し上げられませんが、私達はガラムの人間と接触する方法を探っています。たとえ私達自身が狙われる立場になったとしても」
「……俺が金を稼ぐ理由を話さないんだ。お前たちの目的も深くは追求しねぇよ。分かった、ガラムにそう連絡しておこう。お前たちがガラムの連中を撃退してくれるのが俺にとって一番ありがたい」
思いがけずガラムに繋がるルートを得ることができた。足がつかないように、明日にでも紙媒体の手紙で何でも屋の事務所宛に情報提供してくれるとの言葉をスプールは加えた。
スプールは、影を利用した瞬間移動の能力を使ってこの場から立ち去る準備に入った。身体を横に向けて塀の方へと寄り、顔だけをこちらに向けて、ティオ君に別れの言葉を投げかけた。
「ティオ。また再会することがあるか分からないから言っておくが、死ぬなよ」
「なんだよ、それ。兄ちゃんこそ」
本当に、ただ弟の顔を見に来ただけらしい。どういう背景があってスプールは何でも屋から離れたのかわからないけれど、責任感の強い人格者である印象を受けた。セロさんと合いそうな性格なのに、なぜ離別したのか。
私達の眼の前に現れたときとは逆に、塀に触れたスプールの右腕が闇の中に溶け込んで消え始めた。肘までが塀の影の中に吸い込まれた時点で、スプールは思い出したように言葉を発した。
「ああ、そうそう。レティナさん、それにティオ。セロ師匠と俺が、何でそりが合わなくなったか知りたいか?」
「それ、出ていく前は頑なに教えてくれなかったよな、兄ちゃん?」
「お前ももう大人になったしな、もういいだろう。師匠も自分の罪だと自覚して積極的に隠しているわけじゃないんだ。いずれ知ることになる」
「……気にならないといえば嘘になりますね。教えていただけるなら、ぜひ」
先ほど浮かんだ疑問の解答がすぐに得られるらしい。
私の返答を聞いたスプールは、闇の中に突っ込んでいた右腕を引き戻して、全身を私たちに向き直した。右手の人差し指を立てて、こめかみに軽く当てている。昔のことを思い出しているようだ。
「じゃあ言っておく。師匠は過去、小学校で教師をしていた」
「ああ、この前聞いたよ」
「それは知っていたか。それでな……、師匠はそこで、担任していたクラスの児童全員を、殺した。それを知って、俺は師匠のもとを離れたんだ」
一瞬の静寂。
「え?」
「理由については本人に聞いてくれ」
突然の告白に驚愕し、私たちは思考を止めて同じ一語で聞き返してしまった。
スプールは胸の前で手を合わせてパンと鳴らし、私たちの意識を現実に引き戻した。セロさんがよくやる行動だ。
「じゃあな。モーシュシヒルの公演はこれにてお終いだ。楽しんでいただけたかな?」
今回の依頼を受ける前に動画で見たモーシュシヒルのマジックショー。そのお決まりのエンディングリマークを私たちに披露して、スプールは影の中へと背面から飛び込んで消えていった。
私たちの心の中に放り込まれた爆弾は、消えることなく残り続けていた。
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