第014話 燃え上がる

◆ ◆ レティナ視点 ◆ ◆


「ティオ君。モーシュとシヒルは既に次のツアーのために遠方に出てしまっているから、依頼のことは置いておいて退却して、セロさんと今後の方針を相談するのがいいんじゃないかな」

「そうだね。相手が《眼の能力》を持ってるなら、師匠も一緒に参加してくれると思う」

「ティオ君にとっては楽しみなんじゃない?」


 ティオ君はセロさんのことを端から見ると異常と思えるほど尊敬している。以前、トレーニング中に「僕が一人前だと判断されてから、ソロでの任務遂行ばっかりになっちゃったんだよね」とぼやいていたことを思い出す。一緒に仕事できるとなればティオ君にとってこの上ない幸せだろう。


「まあ、違うと言ったら嘘になるけど……」

「来てくれるといいね。さて、今やれることといえば、例のディスクをこっそり回収しておくことかな」


 ディスクをこの国に密輸したとされるシヒルは、裏社会ないしはガラムと関わっている可能性が高い。裏社会を通して私の父さんの足跡を追いたい私達にとっては、降って湧いてきた重要な手がかりだ。あの小部屋の散らかり具合から考えて、ディスクの枚数は正確に管理されていないと思われる。何枚かいただいてしまってよいだろう。


 私達は宿直室を後にして、ホールを通って倉庫へと戻っていく。

 今回の依頼は、手品のトリックという情報だけを持ち帰ることが主目的であったので、私達2人は物品を持ち運ぶことを考えていなかった。私は簡単な工具を入れるためのポーチしか身の回りで収納できるところがなく、直径20センチほどのディスクはここには入らない。衣服の下に挟み込むか、数枚を手に持って持ち帰ろうかと思案した。


 倉庫のあたりを見回すと、長辺が2メートル程度ある肌触り滑らかな長方形の布が畳んで置かれているのに気づく。小規模なテーブルトップでの手品をするときのテーブルクロスだろう。これなら、風呂敷として上手く結わえ付ければ10枚程度をまとめて背嚢として持ち運べるようになる。そうティオ君に伝えて、2人でディスクを取りに小部屋へと向かう。


 その時、私が常に透視しながら警戒していた正門側の警備室に動きが見えた。そこに駐在していた2人の警備員は、これまでリングフォンで動画を鑑賞してサボっており、監視カメラの映像不良のアラートは単なる誤作動であるとみなして解除してくれていた。私達にとってはありがたい警備員であった。

 警備員たちは、正門を訪ねてきた白色の高級車を見て慌てているようだった。


「待って、ティオ君。正門に車が来た。誰かが訪ねてきたみたい」


 ティオ君は、ディスクに伸ばそうとした手を止める。


「こんな夜更けに……?」

「ちょっと車の中も透視してみるね」


 その高級車の中には、黒スーツを着てぴっしりと髪を整えた男性の運転手と、広い後部座席に足を組んでふんぞり返って座る金髪の男が乗っている。警備員の畏まった様子から、この金髪の男がモーシュかシヒルのどちらかなのかもしれない。ショーのために外に出ていた家の主が事前連絡もなく急に帰ってきたとなれば、慌てるのは当然だ。そういえば、宣材写真に写っていた仮面の二人組のうち、モーシュは金髪だった。

 運転手は窓を少し開いて、警備員となんらかの会話をしている。運転手の唇は「モーシュ」と発音しているように見えた。やはり、後部座席に座っているのがモーシュのようだ。

 正門を通過したモーシュの車は、駐車場へと直行した。


「理由は分からないけど、モーシュが帰ってきたみたい。今駐車場に向かっている」

「レティナさん、それってマズくない? ここからホールを通って出ると、駐車場で鉢合わせになっちゃうよ」


 そう。今いる倉庫からは窓や非常口のない私設ホールを通って外に出るしかなく、その出入り口は駐車場に直通となっている。今しがた駐車場に停車した車を避けて出るのは難しい。モーシュがこのまま邸宅の方へと向かってくれたらいいんだけれど……。

 その期待とは裏腹に、運転手のエスコートで開いたドアから、のそのそとモーシュが外に踏み出す。その歩みは、私設ホールの扉へとまっすぐ向かっている。モーシュは身長180センチほどの細身の身体で、黒のストライプが入った白いスキニースーツに包まれている。明るい金髪がよく似合う鋭い眼光が特徴的だ。いつもは仮面に隠された顔は、その派手な姿に相応しい傲慢さに溢れた笑みを常に湛えている。


「マズいね、このままホールにやってくるみたい。ディスクの密輸にモーシュも関与していたと考えると、もしかしたら倉庫までブツの確認にやってくるかもね」

「逆に考えたらいい機会かもよ。別の小部屋に隠れるのもいいけど、不意打ちを仕掛けてもいいんじゃない? モーシュだけでも何か情報が得られるでしょ」

「さすがティオ君、こういう事態に慣れてるね。私も賛成。相手は瞬間移動する《眼の能力》を持っているかもしれないんだから、中途半端な拘束は通用しないかもしれない。先手必勝だね」


 倉庫からホールへと足早に戻り、ホールの入口から死角となる舞台袖に私達二人は並んで身を隠す。配置につきながら、トレーニング中にセロさんから能力のよる戦いの基本について伝えられたことを思い出す。


 《眼の能力》は、主に大別して遠隔で作用するタイプと身体の表面または内部で作用するタイプがある。前者を外向系、後者を内向系とセロさんは呼んでいた。

 外向系の能力は、自分の身体を原点として対象がどの座標に位置するのかを明確にイメージする必要がある。そのためは、対象を視野に収めることが最も簡単な方法だ。視野に収めずとも、自分の身体がどこに存在していて、周囲の環境がどうであるかを音の反響などで把握することができれば能力を行使することができる。逆に言えば、眼を閉じて適当に歩きながらぐるぐると身体を回転させ、自分の身体がどこにあるのか、どこを向いているのか確信がもてない状況に陥ってしまうと能力は使いにくくなる。

 一方で、内向系の能力は特に制限はない。能力の対象は原点である自分の位置にあるからだ。

 要約すると、能力を行使したい対象について、自らの五感を用いて相対的な位置を正確に把握することができれば能力を行使できるのである。


 ティオ君の《グレイシー》は外向系で、遠くにある水を凍らせるときには基本的にはその水を視野に収めなければならない。ただ、先ほど氷の階段を登るときなどで実演してみせた靴裏の水を凍らせるときには、靴底から伝わる感覚から水の存在を知覚できるため眼で見る必要はなかった。

 私の《観測スペクティ》は、私の身体の内部である眼や脳の認識そのものを強化しているようなので内向系に該当する。つまり、周囲の環境に依存せずいつでも能力を行使できる。

 セロさんの能力のうち、《手剣マネンシス》は内向系なので私と同じくいつでも使うことができる。もう1つの《移動モヴィーレ》は、移動先を眼で見るか立体構造を把握しておくことなどにより、移動先の環境を正確に理解する必要があるらしい。


 周囲の環境の立体構造を正確に把握しておくことにより、眼で認識することなく外向系の能力を行使することを、セロさんは「不視行使」と呼称していた。

 私には関係がないので若干流し聞きしていたけれど、ティオ君は不視行使できるように空間の瞬間認識能力や想像力を高めるよう指導されていた。氷の階段を作ったときに塀を超えた先はティオ君には見えていなかったはずだけれど、そこに着地用の滑り台を生成することができたのは不視行使の成功例だ。


 モーシュかシヒルが有する瞬間移動能力というのは、セロさんの高速移動の能力とよく似たものだと推察できる。つまり、基本的には瞬間移動する先を眼で見る必要がある。しかし、例外として、よく見知った環境であれば不視行使で瞬間移動先を設定することができるかもしれない。今いるこのホールは、相手のモーシュにとってまさによく見知った環境であろう。ここで対峙するのは私達にとって、かなりの不利に追い込まれうる。


 そこで、ティオ君と素早く静かに相談し、このホールの環境を変えてしまう作戦を予め進めておくことにした。ティオ君が今日持参した5つのミズアメのうち、4つを利用してホール各所に高さ1メートルほどの氷筍を数十本立てていった。簡単な処置ではあるものの、立体的な構造が変わったこの環境において瞬間移動の行使は躊躇われるはずだ。

 そう考えているうちに、モーシュが出入り口の開き扉に手をかけて今にもこのホールに入ろうとしていた。扉を開いた瞬間に、ティオ君が水鉄砲でモーシュの脚を撃ち行動を制限する手筈だ。リングフォンを介した振動を伝える機能により、モーシュが扉を開くタイミングをタップしてティオ君に伝えることにした。何事も先手必勝だ。

 ガチリと扉が開かれて、外から夜中の淡白い光がホールに差し込むのと同時に、私は合図を送り、ティオ君は金髪の男に対して不意の1発を大腿に向けて放った。


「うぐおっ⁉」


 男は驚きの声を上げたが、私とティオ君はそれよりももっと驚く事態となった。

 私の《観測スペクティ》は、男の左大腿で破裂するはずだった氷の弾がまばゆいオレンジ色の閃光とともに命中直後に消失したことを観測した。そして、何よりも、そのオレンジ色の閃光は数千℃の熱を発生させていたこともサーモグラフィの能力で確認できた。


「おいおい、なんだ、何か飛んできたのか……? っち、ウチんとこにネズミが入り込んだのかよ」


 男は肘を90度曲げ、両方の前腕を身体の横に広げた。両手のひらは上に向けられており、その上にはオレンジ色の火の玉が生じた。男の顔は左右から火の玉に照らされ、ニヤけた笑みを強調させた。


 私は、重大な勘違いに気づいた。

 モーシュシヒルの公演には炎による演出があった。そう、あの炎は、このモーシュの《眼の能力》によるものだった。

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