第007話 握手
◆ ◆ レティナ視点 ◆ ◆
目を覚ました瞬間に、いつもと違う匂い、いつもと違うベッドの触り心地を感じることに動揺しなくなっている。今日、いや昨日から現実味のない出来事ばかりだ。全て夢を見ていたのだろうか。
あの謎の透明な球体も、スキンヘッドに襲われたのも、ムキムキ男に襲われたのも全部夢だったら良かったのに。けれど、私はそれが夢ではないことをすぐに理解した。可視光における視界は暗闇に閉ざされていても、透視能力は発現できる。右眼の力は失われていない。
私は目覚めたけれど、まだ身体を起こさない。下手に動くよりも現状の把握をすべきだと考えた。まず、私は拘束されている。視界はアイマスクで塞がれている。口は猿轡で縛られているため、うめき声しか挙げられないだろう。両手首は腰の後ろで固く縛られ、両足首も同じ状況だ。手の縛った縄と足を縛った縄が、30センチメートルほどの一本のロープで結ばれている。すなわち、正座したような体勢で横向きに寝かされているのが今の体勢だ。手と足部分が繋がれているので、腕を前に回したり脚を伸ばしたりもできない。今の私はどう頑張っても転がることしかできないだろう。
周囲の状況を透視能力で観察する。ぱっと見たときの印象はどこかのオフィスの倉庫のようだ。20平米程度の長方形の部屋で天井の高さは3メートルほど。LEDの白いライトが天井から輝いて部屋全体を照らしているため、不穏な印象は抱かない。私はこの部屋の隅に置かれた折り畳み式の簡易ベッドの上に寝かされている。そして、すぐ隣の簡素な回転椅子に赤黒髪の男が座って私を睨んでいる。
残念だな、大男。透視能力のある私にはアイマスクは効かないのだよ。このまま機会を伺ってここを気付かれずに脱出する策を練ろう。そう考えていると、男が立ち上がり私を見下ろす。
「うぐぅっ!」
男が素早く右手を突き出して私の喉元に手を入れ込み、首を強く握る。この男の手は、私の首を片手で絞め上げるのに苦労しないほどの大きさだ。痛みを与えるための絞め方というよりは血流と呼吸を止めるため挟むように絞め上げられ、息を吸うことも吐くこともできない。その苦しさが私の不自由な手足を暴れさせる。
「目を覚ましたな? 呼吸のタイミングと唾の飲み込み方の変化で分かる。気絶した振りで周囲の情報を読み取ろうとしているんだろう。そうはさせない」
この男、プロだ。
首を絞める手の力が緩み、少しだけ呼吸ができるようになる。
「今から猿轡を解いてやる。不審な動きを見せた瞬間にお前の首を刎ねる。余計な口を利いた瞬間にお前の首を刎ねる。わかったな? 理解したら両手両足の動きを止めろ。理解できなかったらそのままバタバタしていろ。そして、バタバタ暴れていたらそのまま首を刎ねる」
この男は首をどれだけ刎ねたいんだよ。
とにかく私に他に取るべき選択肢が無いようだから、身体の動きをピタリと止める。その瞬間、頬にスッと冷たく細いものが通ったように感じた。そして、猿轡の拘束が解ける。同時に首を締めていた手が遠ざかっていく。
苦しさに焦って透視能力を止めていたため一瞬何が起きたが分からなかったけれど、おそらくあの指先から出る刀で猿轡を切ったんだろう。素直に結び目を解いてくれ。暴れていたら本当に首が飛んでいたかもしれない。
「か、かはっ! ハァ、ハっ……」
必死に呼吸を整えようとする。どういう行為が首を刎ねる引き金となるか分からない。苦しい肺に我慢を強いて、息を殺して黙り込む。
「今から3つ質問をするから必ず真実を応えろ。まず1つ目、お前の名前と身分を明かせ」
「ハァ…ハァ、は、はい! わ、私の名前はレティナ=ホイール。年齢は22歳です。トスタ大学に通い、原子位相学を研究しています。身分を証明するものは先ほどバッグごとゴミ箱に捨ててきたので持ち合わせておりません」
「ホイール? 原子位相学? まさか……」
あれ? 原子位相学という世間的にはマイナーな単語に食いつくとは思わなかった。意外とこのムキムキ男は科学に明るいのかも。
「……まあいい。2つ目の質問だ。ガラス玉のような透明な球体を見たことがあるか?」
やっぱり、この質問が来たか。
私がこの右眼の能力を得て、その能力を把握し始めたところで1つの疑問が浮かんできたのだ。「この特殊能力は私だけが有しているのだろうか?」という疑問だ。私はこの答えを「否」だと考えていた。
私は自分を過小評価する傾向にあることを自覚している。体力の乏しい私が、少し痛い思いをするだけで超常的な能力を手に入れられるなんておこがましいと考えるのが私の思考回路だ。だからこそ、私の他にも同じように超常的な能力をもつ者が複数人居ると考えるに至った。
この考えは、この大男の異常な移動速度と指先から刀を出す様を見ることで確信に変わった。おそらく、この男もあの謎の球体を眼に取り込んだことで超常の力を身につけたのだろう。
今までに特殊能力を持った人間の存在の報告を知らなかったことと、世界の人口のスケールを考慮すると、特殊能力を有する人間に簡単には出会えまいと予想していた。しかし、今夜早速その予想は裏切られてしまった。
「は、はい。確かに、昨日の夕暮れ時に大学の中庭で拾いました。それで遊んでいたら不意に転んでしまって右眼に入り込んでしまったのです」
「……転ぶだと? ふっ、そういう展開もあるのか。しかし昨日の夕方なのか、随分と直近の出来事だな。では、最後の質問だ。お前が球体から得た能力を明らかにしろ。まだ分からない点があるようなら身の回りで生じた不思議なことをそのまま正確に教えろ」
この人、今笑わなかった?
もしかして、転んだ私の運動能力の無さが馬鹿にされているのだろうか。私が自分自身を卑下する性格だといっても、周りから嘲笑されるのはムカつくな。まあいいや、私の能力を言わないと首を刎ねられるなら言うしか無い。とりあえず、今まで分かっていることを整理しながら話していこう。
「そうですね。私が現時点で把握している能力は大別して3つあります。超視力、暗視能力、透視能力の三つです。それぞれについて順番に説明させていただきます。まずは超視力です。単純に言ってしまえば、視力が良くなったものだとお考えください。私の元々の裸眼の右眼の視力は矯正の必要はない程度で、10メートル程度の先の小さな文字に読むのに苦労する程度の標準的な視力でした。しかしながら、今の右眼の視力はとてもその数字表記で表せないほど向上しております。近視力について具体的に申し上げるならば、眼球から30センチメートルほど先にある木の葉を観察するとその細胞組織を認識できるほどです。少々ピントをあわせるのに戸惑いますが、葉緑体などの小器官も観察することができました。加えて、単純に小さいものが見えるだけでなく、光順応のスピードと領域が異常に向上しています。数万ルーメンの灯光器を直視しても目が眩むことはなく、その電源を急に切って暗闇の状態にしても、一瞬で暗い状況に慣れることができます。非常にダイナミックレンジが広く、高い感度を持ち合わせていることが分かりました。一方で、遠視力の観点で、いくらでも遠くを見ることができるかというと、そうは断言できません。湿度の高いこの季節の場合は空気中に漂う微細な水滴やチリにより光が散乱してそれほど遠くが見えないのです。私が気を失う前、雲が多くなってきていて試すことができませんでしたが、大気の澄んだ場所で実験すれば遠視力の限界を判断できると思います。ちなみに、眼球ほどの小さく1枚だけのレンズでこれほどの光学性能を実現することは不可能です。古典科学では解明できない力が働いていると考えています。今後はこの力がどのように働いているのかを追加検証する予定です。続いては2つ目の暗視能力です。これを便宜的に暗視能力と称していますが、正確には赤外線や紫外線、その他幅広い波長の電磁波を眼で知覚することができる能力と言い換えて良いでしょう。サーモグラフィの映像を見たことはありますか? サーモグラフィは、物質が発する熱輻射すなわち赤外線の波長を可視光に置き換えてグラデーションで表すことにより、離れた位置の温度情報を読み取ることができます。それと同じことが赤外線と紫外線に対して私の眼と脳で行われているようです。光を受け取ってそれを電気信号に変換するのは眼の中にある細胞の役割ですが、その信号を色として認識するのは脳の役割です。暗視能力を行使しているときに、眼の中で受け取る波長や信号が変換されているのか、球体の力が私の脳まで影響して信号が変換されたのかを断定するに必要な証拠を得られていません。この件についてもこれから追加検証が必要なところですね。また、先ほど遠視力について申し上げた点で空気中のチリによる散乱で遠くが見えにくいと話しましたが、赤外域の光は散乱しにくいためこの遠景を解像感良く認識することができました。上手く両者を切り替え組み合わせながら使用することで、暗い環境でも不自由なく行動できます。それでは、3つ目の透視能力です。正直に申しまして、この透視能力が実現できている科学的背景はまったく思い当たりません。とにかくその能力を説明致しますと―」
「おい、おい、待て、話が長い」
えっ?
「今のところは十分だ、やめろ」
え、これから一番役に立つ透視能力の話が続くはずだったのに。
「だがまあ、視力に関連する特殊能力か。まさに《眼の能力》らしい能力だな」
大男は勝手に感心している。まだ、全部話しきれてないんですけれど。
「お前と話すと追加で質問すべきことが増えすぎる。3つだと言ったが、質問を追加させてもらうぞ。ああ、もう首を刎ねるつもりはないから安心してくれ」
良かった。これで落ち着いて話すことができる。無表情の大男の感情を読み取ることは難しいが、温和な雰囲気が感じられて安心した。
「お前の姓はホイールと言ったな。破壊神などと呼ばれるコルネウス=ホイールと血縁関係があるのか?」
「え、はい。コルネウスは私の父です」
急に私の父の名が出てきて驚く。さきほど原子位相学について食いついてきていたが、まさかその学問の祖である父の名前まで把握しているとは。
「っ! そうか。確かにコルネウス……に面影がある顔だな。コルネウスの行方は知っているのか?」
「知りません。私が、えーと、5歳のときに聴講したトスタ大学での記念講演の後からずっと消息を絶っています」
「なるほど、あの時からか。母親は?」
「亡くなっています。私も詳細は知らないのですが、ちょうど父が消息を絶ったあたりで……。当時、母の所在も分からないまま父の弟、叔父のもとで育てられていていました。私が大学に入るころに、その叔父から『おまえの母は亡くなったんだ』と伝えられてはじめて母の死を知りました」
大男は何もない白い天井を仰いでいる。何か思案しているのだろうか。両親がいない私に対して親の話題を出してしまったことに後ろめたさを感じているのかもしれない。私としてはすでに受け入れている事実なので何も感じない話題だけれど、その姿勢はありがたく感じる。
「レティナとやら、お前は父親を探したいと考えているか?」
「えっ、それは、もちろんです。そのために、私は父と同じ原子位相学を専攻していますから。彼に対する父としての記憶はほとんどありませんが、研究者としてコルネウス=ホイールという人物を尊敬しています」
大男は顎に手を添えて、さらに10秒程度考え込む。
私の父さんは超有名人だ。今では小中学校の社会や理科の教科書にも大きく写真が載せられて功績が紹介されているほどだ。ただし、父の発表した報告よりもその足取りの不明さのほうがセンセーショナルで世間からの注目を集めている。
父さんがノーベル物理学賞を受賞した2103年、その12月のトスタ大学での講演の後に忽然と姿を消したのだ。今でも『伝説の研究者、破壊神コルネウス=ホイールを追う』なんていうテーマで番組が構成されることがあり、娘である私にメディア関連の人間がたまに接触してくる。当然、そうした取材は全て断っている。
娘として、なぜ私を置いて父が姿を消したのか気になる。そして、未熟ながら1人の研究者として、偉大な研究者である父さんに研究のアドバイスを貰いたい。
大男が目を大きく開け、覚悟を決めた表情を見せて口を開く。
「名乗っていなかったな。俺はセロ=ミデンという。何でも屋という探偵業を主とした小規模な会社を営んでいる。この部屋は会社の事務所の一室だな。業務内容は、人からの依頼に基本的に何でも応えることだ」
「何でも……屋?」
「ああ、受ける依頼はある程度選別するが、受けた依頼ならば言葉通り何でもやる。部屋掃除から遺失物探し、そして人殺しまで何でもだ。依頼人は明かせないが、今日はガラムの上級構成員の1人であるクローブを殺害する依頼だった。その依頼遂行中、クローブの後を追っていたらお前を見つけた」
セロと名乗った大男は、アイマスクで隠された私の瞳の奥まで見透かすように凝視して話を続けた。
「クローブは相当に危険な男だ。2本のナイフの扱いと俊敏なステップは俺の知る強者の中でも上に位置する。お前に《眼の能力》という強力な力が宿っているとはいえ、周囲の状況を上手く扱って危機を逃れたお前には非凡な才能がある。いや、そう……、だからこそ、俺はお前に興味を抱いた」
興味を抱いた人間に対する行為がこの拘束ってどういうことなんですかね。クローブという男の目を見たときにただものではないとは感じていたものの、そこまでのやり手だったとは。なんでも見える眼を持っていたとしても、見たものを判断する力がなければ意味がない。人間に対する私の観察眼のなさを実感する。
「ええと、セロさん、ですかね。その、クローブを殺害する依頼、ということは」
「ああ、依頼は完了だ。お前が誘導したレストランでな。俺がそこの客と店員を避難させてなかったらあいつは凶行に走るつもりだったぞ」
それは悪いことをした。前日の雨で靴跡がアスファルトにわずかに残っていることが逃げているときに気になったのだ。奴の異様な注意力を警戒し、急遽対応した念のための足跡消しの処置であった。けれど、目をやられたクローブにそこまでのスキルが本当にあるとは思っていなかった。レストランには申し訳ない。
「痕跡は特別なツテに頼んですべて消してもらった。そのレストランの関係者には依頼の成功報酬の一部を渡して口止めしておく手筈だから、お前が後のことは気にする必要はない」
「いやあ、お優しいことで。お手数おかけしました。まあ、興味を持った相手を襲いかかろうとしたことには全く優しさを感じませんでしたけれども」
人の命が奪われたという非現実的な報告を淡々と受けた衝撃に加えて、生命の危機から逃れた安心感と開放感から、つい攻める口ぶりになる。
「すまんな、お前がどれほどの実力者なのか分からなかったゆえ、お前の限界を見極めたかった。俺の最高速の移動スピードを眼で追えていたお前なら、俺が指先から刀を出せることは分かっているだろう? 実は、あの刀は何らかの物体に触れると、切れないように曲がるか引っ込むギミックナイフのような設定にしていた。だから、お前に繰り出した袈裟斬りや突きは避けなくても怪我はなかったはずだ」
「うわあ、私、頑張り損じゃないですか……」
「ふっ、でもな、俺は本気でお前を斬り捨てる気概で向かっていった。本気の俺の太刀筋を2度も避けた人間はそういない。それと、俺に引きずられながらも抵抗しようとする胆力も評価できる」
「は、はあ。刀を避けたのはほとんど偶然だったんですけどね」
セロという男、急に私を褒めてくる。特に、突きを避けられたのは体力の限界で身体が崩れ落ちたからだ。
「そこでだ」
セロの両手人差し指が一瞬で30センチメートルほどの刀に変化する。その2本の刀が揺れ動き、私の眉間、手首、足首に素早く剣先が走る。
アイマスクと縄が解かれて手足が解放された。透視能力があるので、アイマスクに関しては取らなくても問題ないのだけれど。
両手から伸びた刀が音を立てず元の人差し指に変形して戻る。大きな両手が私の華奢な両肩をがっしりと掴み、寝かされていた私の上体が垂直に引き起こされる。為されるがまま、簡易ベッドの端に椅子のように座る体勢にされた。私の肩を掴んだまま、セロの目線が私と同じ高さまで下がってきた。私の左目がセロの顔を捉えるのは、これが初めてだろう。白い肌との対比で強く燃え上がる赤の瞳が私の黒い瞳に突き刺さる。私の心の奥にある何かを探られているように思えた。
「俺は何でも屋の依頼を通してこの国の裏社会に入り込み、《眼の能力》の謎を明らかにするためにお前の父親コルネウス=ホイールを探している。お前の《眼の能力》と状況判断力、そしてコルネウスの娘という立場は非常に助けになる。俺の部下となって、力を貸してくれないか?」
セロの髪は黒がかった赤だ。しかし、この場所では白いライトの反射が強く、赤色が映えている。長い前髪を左右に分け、耳にかけるように側頭部と後頭部に流している。
私は眉を顰めて一瞬考える。この誘いはすなわち何でも屋に就職してくれということだろう。確かに尊敬する父さんを探し出したいし、この眼のことを深く知りたい。けれど、大学での研究のこともあるので簡単に了承できない。
「いくつか質問があります。まず1つ、父の行方の目星は付いているのですか? 2つ目に、父親が《眼の能力》の解明に重要ということは原子位相学が能力に関連しているのですか? 最後に、私は大学に通う身です。時間的・金銭的な生活の保障はありますか?」
「……詳しくはまだ企業秘密とするが、3つの質問は全てイエスだ。端的に答えよう。コルネウスの居場所に関しては、ガラムが怪しいと睨んでいる。《眼の能力》の超常現象は、原子位相学の重位相化の概念が関わっていると考えている。その点で、原子位相学を大学で専攻しているお前のことをより高く評価している。だからこそ、大学でより専門的なことを学んでほしいから両立してもらうつもりだ。できるかぎりの金銭的バックアップはしよう」
私の3つの質問に対して、セロは指を1つずつ折りながら回答してくれた。
なるほど、悪くなさそうだ。
セロの回答に納得したことを頷いて示す。
「前向きに考えてもらっているところに水を差すようだが、この仕事を実行するにあたって知ってもらわなければならない重要なことがある。この仕事は犯罪、特に人の死に密接に関係しうるということだ。実際に俺がクローブを手にかけたようにだ。人の命に手をかけるにあたって、俺には俺のルールがある。刑法上で死刑に処されることが明確な者を対象とするとき、そして、自分自身の身を守るためにそうしなければならないときにその選択をする。基本的にそういう状況に陥ることがないように配慮するが、お前にもそういう決意を求めることになる」
司法で裁かれるべき人間を、主観で裁くことになる。法治国家において、これ以上ないワガママだ。その選択はとても重い。
クローブという男に相対したときのことを思い出す。暴力とは無縁な生活を送っていたけれど、私は抵抗なく戦闘することができた。私には、きっとできる資質がある。
「その選択をすることに躊躇はもちろんあります。なるべくなら、逃げたい。けれど、多分、私なら大丈夫だと思います」
「ふむ。申し訳ないが、大丈夫、という曖昧な返事はしないで欲しい」
セロは数回瞬きをして、私の眼の奥を再び強く覗いた。
その視線から逃げたかったわけではない。自分の頭の中で自問自答するために私は深く眼を閉じた。
眼を閉じると、私という存在が複数いるように感じられる。どの私も、極端に好奇心が旺盛で研究が始まってしまうと過集中して他の仕事を蔑ろにする面倒なタイプだ。その誰もが、この問いに関心を抱いていない。
正直に言って、私自身はあまり人の生死を重要視していないがゆえに選択することを躊躇しているのだろう。だからこそ、私が必要だと納得できる理由があれば、人に危害を加えられる。私が私らしく、研究第一で過ごせる環境を守りたい。残酷、かもしれないけれど、それが私の生き方だ。
「……決意します。私は、私の生き方が否定される時が来れば、人の命を奪う選択肢を採ることを厭いません」
眼を見開いて、セロに言葉とともに視線で返事をした。
「……ありがとう。お前がどういう回答をしようが、何でも屋に関わらせるつもりでいた。しかし、そう覚悟してくれて感謝する」
セロは私から目線を話して立ち上がった。190センチほどのその巨体は、顔を見上げる私の首を痛くした。そしてセロは言葉を続ける。
「なにより、一瞬でも深く思い悩んでくれた。お前は暴走する狂人ではない」
セロは何かを思い返すように少し斜め上を見上げて、ぼそりと私に語りかけた。
私はセロに認められたようだ。
「ありがとうございます。ちなみに、先ほどの話に戻りますけれど、金銭的なサポートってどのくらいの金額なんでしょうか?」
「ああ。クローブの件の成功報酬は4千万だったな。つまり、俺の腰につけているナイフは1本あたり2千万の価値がある。他の危ない依頼も似たようなレベルの金額だと考えてもらっていい」
ウン千万。それを言われたら、お終いだ。
「セロさん、これからもよろしくお願いいたします。一緒に私の父を探しましょう」
「はあ、金欲深い女だ。それがお前の生き方か」
私は高い位置から差し出された大きな右手に手を伸ばし、セロ=ミデンと硬い握手を交わした。
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