偽りの貴族、真実の怪物


人間たちとの遭遇、そして拒絶。その苦い記憶を振り払うように、レオナルドは迷宮のさらに深い階層へと足を踏み入れていた。 ただの力だけでは足りない。あのミノタウロスを葬った剛腕も、人間たちからすれば恐怖の対象でしかなかった。 求められているのは、「人間としての形」だ。誰が見ても疑うことのない、生気ある肌、温もり、そして瞳の光。それを得るためには、より人間に近く、かつ強力な生命力を持つ魔物を喰らうしかない。


そんな飢餓感を抱えて彷徨う彼の前に、異質な空間が現れた。 腐臭漂う迷宮には似つかわしくない、豪奢な調度品の残骸が散らばる広間。その中央に、一人の男が優雅に佇んでいた。 蒼白な肌に、整った顔立ち。纏う服はボロボロだが、貴族のような気品がある。


(人間……? いや、違う)


レオナルドは直感した。その男からは、死の冷たさと、濃厚な血の匂いが漂っている。 「ほう……珍しい客だ」 男が口を開いた。流暢な言葉。知性がある。 「ただのゾンビかと思ったが……その瞳、自我があるな? 『レヴナント』か。下賤な死体あさりが、私の領分に何用だ?」


男の正体は「ヴァンパイア」。 人の血を啜り、永き時を生きる不死の王。その姿は、レオナルドが渇望してやまない「生前の人間」そのものだった。 美しい肌、知的な言葉、洗練された所作。だが、その瞳の奥にあるのは、人間を見下し、餌としか見ていない冷酷な光だ。


「……その身体、寄越してもらおう」


レオナルドの喉から、軋むような声が出る。 ヴァンパイアは片眉を上げ、嘲るように笑った。 「身の程を知らぬ野良犬め。この高貴なる血を欲するか? 良かろう、その薄汚い肉体ごと灰にしてくれる」


戦いは一瞬で始まった。 ヴァンパイアの動きは、これまでのどの魔物よりも速かった。残像すら残さぬ速度で背後を取り、鋭利な爪がレオナルドの首を切り裂く。 「遅い、遅いぞ!」 嘲笑とともに繰り出される連撃。再生したばかりの皮膚が裂け、黒い血が飛び散る。 だが、レオナルドは倒れない。グールの再生力が傷を即座に修復し、痛みを怒りへと変換する。


(速いが……デスナイトほどの重さはない!)


レオナルドは防御を捨てた。 心臓を狙うヴァンパイアの手刀を、あえて自らの肉体で受け止める。 ドスッ! 胸板を貫かれる激痛。だが、それは罠だ。レオナルドの筋肉が収縮し、突き刺さった相手の腕を万力のように締め上げる。


「なっ……!?」 ヴァンパイアの表情が初めて凍りついた。 「捕まえたぞ……!」 逃げようとする相手の肩を、剛腕が掴み、砕く。 至近距離で見つめ合う両者。 美しくも腐った魂を持つ怪物と、腐った肉体に高潔な魂を宿す騎士。 「貴様、その執念はなんだ……! 死体の分際で、なぜそこまで生に固執する!」 「俺には……帰る場所があるからだッ!」


レオナルドの頭突きが、ヴァンパイアの美しい顔面を粉砕した。 怯んだ隙を見逃さず、剣が一閃する。 不死の王の首が宙を舞い、その胴体が崩れ落ちた。


直後、かつてないほどの濃密な「血の魔力」がレオナルドを包み込む。 それは熱く、甘美な奔流だった。ヴァンパイアが長い時をかけて啜ってきた数多の生命力が、レオナルドの乾ききった器へと注ぎ込まれる。 腐敗していた細胞が死滅し、新たな細胞が爆発的に再生していく。


「あ、あああああ……ッ!」


咆哮とともに光が収まる。 レオナルドは膝をつき、荒い息を吐きながら、自身の顔に触れた。 崩れていた鼻、削げ落ちていた頬肉。それらが滑らかな皮膚の下で完全に再生していた。 近くの水たまりを覗き込む。 そこに映っていたのは、青白くはあるが、紛れもなく「レオナルド」という一人の青年の顔だった。


「戻った……顔が、戻った……」


震える手で頬を撫でる。 これなら、人は逃げないかもしれない。これなら、彼女の前に立てるかもしれない。 だが、まだ完全ではない。肌は氷のように冷たく、心臓は動いていない。 完全な蘇生(リザレクション)には、まだ足りないものがある。


レオナルドは立ち上がった。 その姿は、もはや薄汚れたアンデッドではない。 闇の迷宮に咲いた、蒼白の騎士。 その眼光は、次なる標的──全ての元凶であり、迷宮最強の存在であるデスナイトの方角を鋭く見据えていた。

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