届かぬ手、隔絶する壁
グールの剛腕と再生能力を手に入れたレオナルドにとって、迷宮の中層域はもはや狩り場と化していた。 襲い来る魔物を次々と屠り、その力を貪欲に吸収していく。皮膚の再生は進み、腐敗していた箇所は減りつつある。このまま進めば、いずれ生前と変わらぬ姿を取り戻せる──そんな希望が、彼の歩みを加速させていた。
その時だった。 迷宮の奥から、金属が激しくぶつかり合う音と、悲鳴にも似た怒号が聞こえてきた。
「──下がれ! 陣形を崩すなッ!」 「ダメです、魔法が弾かれます!」
(……人間か?)
その声を聞いた瞬間、レオナルドの思考よりも先に、騎士としての本能が体を突き動かした。 同胞がいる。生きた人間が、窮地に立たされている。 彼は風のように回廊を駆け抜けた。
辿り着いた広間では、若い冒険者のパーティが、一匹の巨大な魔物に蹂躙されかけていた。 牛の頭に巨躯を持つ「ミノタウロス」。 その剛力は岩盤すら砕き、冒険者たちの盾を紙屑のように吹き飛ばしていた。前衛の剣士が血まみれで倒れ、後衛の魔術師の少女に巨大な戦斧が振り下ろされようとしている。
「あ……」
少女の絶望に染まった瞳。それが、かつて守りたかった人の記憶と重なる。 気がつけば、レオナルドはミノタウロスの懐へと飛び込んでいた。
ガギィンッ!!
轟音が響き渡る。 少女を押し潰すはずだった戦斧を、レオナルドは自身の剣──グールの腕力で強化された一撃──で受け止めていた。
「グルァァァッ!?」 ミノタウロスが驚愕の声を上げる。自分よりも遥かに小さな人型が、その一撃を止めたことが信じられないのだ。 だが、今のレオナルドはただの騎士ではない。 (重い……だが、押し返せる!) ミシミシと筋肉が軋むが、再生した肉体が即座に断裂を修復し、爆発的な力を生み出す。 「おおおおッ!」 咆哮と共に剣を跳ね上げ、体勢を崩した巨獣の懐へ踏み込む。 一閃。 迷宮で研ぎ澄ませた刃が、ミノタウロスの太い首を深々と切り裂いた。
巨獣が地響きを立てて倒れる。 静寂が戻った広間に、荒い息遣いだけが残った。 レオナルドは剣を納め、ゆっくりと振り返った。助けた人間たちに、大丈夫かと声をかけようとして──言葉を飲み込んだ。
そこには、感謝の眼差しはなかった。 あるのは、底知れぬ「恐怖」だけ。
「く、来るな……!」 「なんだあいつ……ミノタウロスを一撃で……」 「ヒッ……アンデッド……上位種(ハイ・アンデッド)だ……殺される……!」
倒れていた剣士はガタガタと震えながら剣を向け、助けられた少女は腰を抜かしたまま、青ざめた顔で後ずさっている。 レオナルドは呆然と自分の手を見つめた。 皮膚は再生し、人間に近づいているはずだった。だが、彼らの目には、ミノタウロスを力任せに屠る、血にまみれた恐るべき「怪物」にしか映っていないのだ。
(そうか……まだ、ダメなのか)
言葉が通じるかどうかも怪しい。下手に近づけば、彼らはパニックを起こして攻撃してくるだろう。そうなれば、反撃せざるを得なくなる。 レオナルドにとって、人間を手に掛けることだけは絶対にできない。
「…………」
彼は何も言わず、踵(きびす)を返した。 背後から、安堵の溜息と「助かったのか……?」という困惑の声が聞こえる。 胸の奥が張り裂けそうなほど痛んだ。だが、その痛みが逆に彼に冷徹な事実を突きつける。
中途半端な進化では意味がない。 誰が見ても疑いようのない、完全な「人間」に戻らなければ、彼らの輪には入れないのだ。
「……行くぞ」
レオナルドは一度だけ振り返り、かつて自分が属していた光の世界を目に焼き付けると、再び独り、暗い闇の奥へと姿を消した。 その背中は、以前よりも孤独で、しかし強固な決意を纏っていた。
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