千刃の回廊・第一の試練編



 




「──よぉ」


 


その声が響いた瞬間、アレンの心臓が静かに跳ねた。


聞き慣れている。

忘れたくても、決して忘れられなかった声。


何より、その“主”が今――目の前に、確かに立っている。


 


それは、**十四歳の頃の自分**だった。


 


あの頃のアレンは、剣を捨てていた。


希望を捨て、努力をあざ笑われ、何もかもが虚しく感じていた。


誰かに追いつこうとすることも、信じようとすることも、全てが痛くて、怖かった。


そんな自分を抱えきれずに、ただただ、閉じこもっていた――**過去のアレン**。


 


「まさか……お前が、出てくるのかよ」


 


呟くように言ったのは、未来のアレンの方だった。


それを聞いた過去のアレンは、皮肉めいた笑みを浮かべる。


 


「皮肉だよな。俺が“剣”を諦めた日からさ……お前はずっと、俺を殺したがってたんじゃないか?」


 


その声音には、怒りも、寂しさも、憎しみも、全部が溶けていた。


だが、それらは決して消えてはいなかった。


ずっと胸の奥で燻り、どこかで叫び続けていた、もうひとりの自分。


 


アレンは何も言わなかった。ただ、静かに剣を構える。


その姿は、過去の自分と寸分違わない。


足の運びも、呼吸のリズムも、剣の角度も――鏡写しのようだった。


 


「……これは“試練”だ。だけど、やってることはただひとつ……“自分を超えられるかどうか”、だろ」


 


瞬間、過去のアレンが踏み込んできた。


 


速い。


だが、それ以上に――**重い**。


 


技術や筋力ではない。

それは“感情”の重さだった。


悔しさ。怒り。絶望。後悔。


生きてきた証ごと、剣に乗せて振り下ろしてくる。


 


剣が交わるたびに、アレンの体が震える。


剣先だけでなく、心をも削られるような感覚。


 


(……あの頃、俺は……こんなにも、苦しかったのか)


 


過去の自分の叫びが、空間に響いた。


 


「お前なんかが、変われるわけないんだよッ! 何度だって失敗して、何も守れず、全部、壊れていくんだよ!!」


 


――その言葉に、アレンの胸が、音もなくえぐられる。


そして、記憶が閃く。


 


あの日、師匠が語ってくれた言葉。


 


> 『剣は、時間すら越える。斬撃が“届く”と思った瞬間には、既に結果が生まれている。……それが“間”だ』


 


(……時間を、斬る?)


 


その瞬間、アレンの視界に“風”が走った。


身体の輪郭が浮き上がり、世界の色がにじみ、空気が静止する。


まるで時間そのものが、アレンの中に宿ったかのように。


 


**──ひとつの“理”が、心に落ちてきた。**


 


 


「──《時斬剣・一ノ太刀 刻断(こくだん)》」


 


静かな声とともに、アレンの剣が空を裂いた。


 


過去の自分の剣が止まる。

否、斬撃の途中で――**時間が断ち切られた**のだ。


 


空間のすべてが静止し、過去のアレンが膝をつく。


剣は落ち、視線はゆっくりとアレンを見上げていた。


 


「──よく……ここまで……来たな」


 


過去の自分が、微かに、だが確かに微笑んだ。


それは、悲しみでも、悔しさでもない。


ようやく赦されたような、安堵に満ちた微笑みだった。


 


「これで……やっと、前に進める……な」


 


その言葉と共に、空間に光が差す。


過去の自分は光となり、音もなく弾けて、消えた。


 


 


アレンは、深く息を吐いた。


手の中にあるのは、過去と未来の“継ぎ目”。


ただの剣ではない。

それは――“決意の刃”だった。


 


その時、背後から声が響いた。


 


「……見事だ。あの技……《時斬剣》を得るとはな」


 


振り返れば、ザイラスが再び現れていた。


老いた瞳に宿るのは、驚きと、ほんの少しの安堵だった。


 


「……これは、俺の剣じゃない。まだ……“借り物の理屈”だ」


 


アレンの言葉に、ザイラスは静かに頷いた。


 


「ならば、その剣を“自分のもの”にせよ。千刃の回廊は、まだ終わらん。……第二の扉は、すでに開かれている」


 


アレンの足元に、ひとつの光の道が浮かび上がる。


その先には、さらなる試練が待っていた。


 


だが、アレンの目には、もはや迷いはない。


もう二度と、あの頃には戻らない。


過去を乗り越えた今こそ、真に“自分の剣”を得る旅が始まるのだから――。

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