推薦と別れ






**――朝霧の立ち込める山のふもと――**


静寂のなか、アレンは一人、薪割りを終えた斧を地面に立てかけた。

張りのある筋肉が光を受け、肩の動きには無駄がない。かつての焦りや荒さは消えていた。


「……これで三ヶ月か」


空を見上げる。

高く、晴れ渡った空が広がっている。だが、その澄み切った青の奥に、まだ消せない影が沈殿しているのを彼は知っていた。


あの日、老剣士ヴァルトと出会わなければ、きっと力任せに剣を振り続けていただろう。

だが、ヴァルトは剣を通して「自分自身を見つめること」を教えてくれたのだ。


---


焚き火のそばで湯を沸かすヴァルトは、変わらず朴訥で飄々とした様子だった。

アレンが近づくと、彼は湯呑を差し出しながら、静かに問いかける。


「……行くのか?」


「はい。村の村長が王立学園への推薦状を書いてくれました。旅費も用意してくれて……今日、出発します」


老人は少しの間、何も言わず目を伏せていたが、やがて静かに言葉を紡いだ。


「そうか……お前の剣は、もう“自分を守るだけの剣”じゃなくなっている」


アレンは眉を寄せて火に手をかざしながら答えた。


「……でも、まだ自分が怖いんです。誰かを信じることも、自分の剣がまた間違った道を歩くことも。……でも、それでも行かなければいけない。今度こそ、間違えないように」


沈黙のなか、湯気だけが静かに立ちのぼる。


ヴァルトはゆっくりと立ち上がり、粗末な木の鞘に収まった短剣を差し出した。

刃はすり減り、柄は擦り切れている。


「これは昔、わしが旅に出た時に持っていたものだ。今のわしにはもう必要ない。護身用にでも持っていけ」


「え……でも、こんな大切なものを――」


「礼などいらん。忘れるな。剣はあくまで道具だ。心が腐れば剣も腐る。……お前の剣は、お前の心次第で決まる」


アレンはその言葉を胸に深く刻み、膝をついて両手で短剣を受け取った。


「……必ず、俺の答えを見つけて帰ってきます」


ヴァルトの目に、ほんの一瞬、柔らかな色が差し込んだ。


「そうだな。帰ってこい。そして、また朝から薪を割れ」


言葉は少なかったが、二人の間には言葉以上の信頼が静かに流れていた。


焚き火の火がゆっくりと消えていくのを、二人はただ静かに見つめていた。


---


数日後。


アレンは山を下り、旅支度を整え馬車に揺られていた。


彼の手には、ヴァルトから託された短剣がしっかりと握られている。


心にはまだ迷いや痛みが燻っている。けれど、その奥には確かな覚悟が宿っていた。


「今度こそ、間違えない」


胸の中で、強くそう誓いながら。

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