自分の剣
**――その後、幾日も――**
朝露が草を濡らし、鶏の鳴き声が谷間にこだまする頃。
アレンはまだ眠たげな目をこすりながら、一本の木刀を握りしめ、静かに立っていた。
「振れ。迷わず、ただ一太刀でいい」
背後から老人の低く落ち着いた声が響く。
振り下ろしたその一太刀は、どこか鈍く、腰の入っていないものだった。
「また迷っているな。剣の先に、お前は何を見ている?」
その言葉が、深く心に突き刺さる。
(何を見ている?……俺は……)
頭に浮かぶのは、あの忌まわしい記憶。処刑台に立った時の冷たい眼差し、裏切り、疑念、絶望。
信じていたはずの仲間たちの手によって、突き落とされたあの終わり。
(……実は、俺は何も信じていなかったんじゃない。本当は、信じたかっただけだ)
握りしめる木刀の柄に力が入り、汗がにじみ、腕が震えた。
それでもアレンは、歯を食いしばる。
「……もう逃げない。俺は、俺の剣を見つける」
老人は何も言わず、ただ穏やかに頷いた。
---
修行は容赦なく、過酷だった。
丸太を背負い、斜面を駆け上がる。重たい石を縄で引きずり、何度も転び、何度も吐き、何度も倒れた。
だが、アレンの瞳に次第に闇ではなく、光が差し込んできた。
老人の指導は厳しくも温かい。押し付けるのではなく、選択を委ねる教え方。
ある日、アレンが息も絶え絶えに倒れ込むと、老人はぽつりと口を開いた。
「……俺にも、弟子がいた」
初めて聞くその言葉に、アレンは目を開ける。
「俺はその子に、すべてを託した。だが、戦の混乱に巻き込まれ、守れなかった」
老人の声はかすれ、風に流されそうなほど弱々しかった。
「だから今は、誰かを育てることも諦めていた。だが、お前を見てると……まだ遅くはないかもしれんと思う」
胸が熱くなる。言葉にできない想いがこみ上げた。
守れなかったもの。託した願い。失った信頼。
「……俺は、守る力が欲しかった。でも、間違えた。力が増せば増すほど、独りになると思ってた」
「孤独と強さは違う。……だが、お前は独りで、よくここまで来た」
焚き火のパチパチという音だけが、二人の沈黙を夜の闇に溶かしていった。
その夜、アレンは初めて老人の前で泣いた。
声を上げず、ただ静かに流れる涙を止めなかった。
---
翌朝。
アレンの動きは明らかに変わっていた。
踏み込みは静かで迷いがなく、木刀の軌道は鋭く、芯を捉えている。
無駄が削ぎ落とされ、形ではなく、意志で剣を振っていた。
老人は黙って見守り、静かに言った。
「……これで、“お前の剣”が始まったな」
アレンはふっと微笑み、
「……はい。まだ始まったばかりですけど」
頬をなでる風が、いつもより柔らかく感じられた。
(きっと、いつかまた誰かを――)
遠くに離れた少女の姿が、彼の胸の奥でくっきりと重なっていた。
剣聖として王都に旅立ったミナのことを、アレンは決して忘れていなかった。
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