第9話 “月守よみの”デビュー
時が過ぎるのは早いものだ。
練習配信から6日が経った金曜日。今日は、ゆづの初配信日だった。
配信は、今日の20時から。現在は、18時。開始まで2時間ある。
「……朔……助けて…緊張でお腹痛い…」
今日のゆづは、学校から帰ってきてから震えっぱなしだった。どうやら、SOSを求めるほどまで、緊張しているらしい。そう言われても、俺には励ます、応援することしかできない。
俺は少しでもゆづを落ち着かせようとお茶を差し出す。
「はい、ゆづこれでも飲んで少しは落ち着きな。リラックス効果のあるお茶だ」
「うぅ……ありがとう、朔」
ゆづがゆっくりとお茶を飲む。少しソワソワしているが、先程までよりは、落ち着いたように見える。
「ねぇ、朔?配信上手くいくかな?……誰も見てくれなかったらどうしよう?」
今日は、普段おとなしいゆづが落ち着いていない上にネガティブな思考にまでなっていた。俺は、ポケットからスマホを取り出す。スマホに映っていたのは、月守よみののaXアカウント。
本当は、配信が終わるまで見せるつもりはなかったもの。配信が終わって感想でもつぶやく時に見てもらいたかった。
「ゆづ。aXのフォロワー見てみて」
朔真が悠月に注目させたaXのフォロワーの欄。ゆづは、アカウントを開設した当初は、律儀に何人見たとか、いいねがついたとか見ていた。
しかし、最近は緊張や不安から数字を、気にする余裕すらなかった。
よみののフォロワーは、823人
自己紹介動画のいいねに関しては、3651件を超えていた。
この数字は、多くのVTuberがいる現代において少ない数字なのかもしれない。しかし、800人というすぐには想像できない数字。その人たちが自分のことを知ってくれて、見ようとしてくれている。その事実は、ゆづを後押しする一手となった。
「こんなにもの人が見てくれたんだ……そして期待してくれている。緊張している場合ではないんだ。」
ゆづの覚悟は決まったようだった。
どうにか初配信に挑めそうで一安心する。
この方法ほ、諸刃の剣だった。今回のように多くの期待から頑張ろうとしてくれればいいが、緊張に押しつぶされる可能性もあった。
*
時計の針は、無慈悲にも、ただ時を刻む。刻一刻と配信時間が近づいていた。
配信開始のカウントダウンが、画面の隅で静かに進んでいく。
ゆづは、マイクの前で深呼吸をした。手元のメモには、自己紹介と話す予定のエピソードが箇条書きされている。だが、どれも今の気持ちにはしっくりこない。
「……朔、ほんとに出てくれないの?」
背後のモニター越しに、朔が肩をすくめた。
「今日の主役は、ゆづだ。俺が出てどうするんだ。大体“誰だ”って話になるよ。後、前にも言ったろ俺は、裏方だって」
「だって……でも、初配信だし……ちょっとくらい喋ってくれても……ゆづのためにもさ…」
「だってもでももない。今日はゆづのための日だ。俺は、後ろで見守ってるからさ」
「……わかった。じゃあこの椅子の後ろには立っててね…」
「いいよ。」
朔は小さく頷いて了承した。俺は後ろでモデレーターをする。あくまでも今日の主役はゆづだし、俺は後ろでサポートする。
画面に映るのは、Live2Dで動く“月守よみの”の姿。少し緊張した表情で、配信開始の合図を待っている。
カウントがゼロになり、ついに配信が始まった。
*
「こんばんは、我は月守よみのと申す者。……えっと、初めましての者がほとんどだと思います。」
コメント欄には、ちらほらと視聴者が現れる。
『こんばんは〜』
『初配信おめでとう』
『誰?』
『ふらっと立ち寄りました』
配信開始から数分。視聴人数は、三百人ちょっと。フォロワーに対して思ったより少ない。でも、ゼロではなかった。
「今宵は、自己紹介と……ちと、語りたいことがありまして」
ゆづは、ゆっくりと話し始めた。自己紹介動画より、口調は丁寧だ。しかし、 設定の通りの特徴は出来るだけ崩さないようにしていた。
自分の名前、よみのというキャラクターの由来。
「夜に読むもの」「夜に語るもの」
そんな意味を込めた名前だということを。月読命がモデルだということを。
「……昔、我は夜が怖かったんです。
静かすぎて、何もないみたいで。
でも、誰かの声があると、ちょっとだけ安心できた。だから、我も……誰かの夜に、声を届けられたらいいと思いました」
コメント欄が少しだけ動いた。
『少し偉そうな所に清楚の存在』
『いい声だ』
『声、落ち着くね』
『自己紹介動画と少し違うね』
ゆづは、画面の向こうに誰かがいることを、少しずつ実感していく。口調も、少しづつぶれてきた。
それでも、配信は順調に進んでいき、自身のファンネームと配信タグ決めの、時間になる。
「我のタグにふさわしいタグは、ありませんか?」
ゆづは、視聴者に案を委ねるた。
コメント欄の人数は配信初めより増えており、様々な面白い案が出ていた。
その案の一つに朔は、思わず笑ってしまった。
マイクには入っていないはずだった。
しかし、これが配信を思わぬ方向へ持って行くことになろうとは。
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