第7話 魂の重み
今日は、土曜日。昨日の夜、自己紹介動画を投稿してから一晩が経った。ゆづは昨日、ようやく世界に歩き出した。夜に語る準備は終わったのだ。
今日もいつも通り、朝からゆづは家に来ており、携帯を見る手がいつも震えている。
ゆづは朝から何度もスマホを開いては、画面を見つめていた。
「……いいね、三つ……」
呟きながら、指先で画面をスクロールする。リポストが一件。コメントが一つ。
『雰囲気すてきです』
コメントされたものは、これのみだった。
コメントが1件しかないことに普通なら悲しくなるかもしれないし、焦るかもしれない…
しかし、ゆづは違った。たかがいいねが3つ。されど3つだ。誰かに見てもらえた。ゆづにとって数は大切ではなかった。誰かに見てもらえたこと。コメントしてくれる程真剣に見てもらえたこと。それが何より、嬉しかったし大切だった。
「誰かが見てくれたんだな」
背後から朔真の声がする。彼は窓辺に座り、光の差す方を見ていた。もうすぐ夕方だ。
「……うん。嬉しい。ゆづをみてくれた。こんな自分でも。生きていて良かった。生きている実感ってこんななのかな、朔?」
ゆづはスマホを伏せて、膝を抱える。
「そうかもな。でも、配信が始まったらもっと多くの人に見られることになるよ」
「見られるって……こんなに緊張するんだね」
朔真は少し笑って、「それでも、語りたいと思ったんだろ?」とだけ言った。
*
朔真と悠月は、日曜日の朝から商店街にあるPCショップに来ていた。二人は、配信用のPCを買いに来ていた。
さすがにゆづが持っているノートPCでは配信はできない。今日の予定は、急だった。2人ともSNSの開設も終わり、安心しきってしまっていて、すっかり忘れていた。
ゆづは、朝から俺の家で、少しだけ髪を整えて、出かける準備をしていた。制服ではなく、私服。俺の家では、制服でいることが多いので、私服をみるのは何気に久しぶりだった。
ゆづは、淡いグレーのロングスカートに、白のニットを合わせていた。首元には、月のモチーフがついたシルバーのネックレス。髪はいつもより少しだけ丁寧に整えられていて、耳元には小さなイヤーカフが光っていた。
「……なんか、気合い入ってる?」
朔真がそう言うと、ゆづは少しだけ頬を赤らめた。
「べ、別に……今日は“よみの”のためだから」
その言葉に、朔真は何も言わず、ただ小さく笑っていた。
それだけで、なんだか“特別な日”のような気がした。
電車の中、ゆづは窓の外を眺めていた。 俺たちが行こうとしているPCショップは少し遠くて、電車で2駅ぐらい行かなくてはならなかった。
「朔って、電気街よく来てるの?」
「いや。そんなに直接見に来ることは少ないかな。いつもネットで見てる。パーツをみてるだけで楽しいな。買わなくても、スペック眺めてるだけで満足する」
「……オタクだね」
「褒め言葉として受け取る」
ゆづは、くすっと笑った。
その笑顔に、朔真は少しだけ目を逸らした。
電車を降り、俺たちは商店街の目的の店に到着した。商店街のPCショップ。
店内には、モニターの光が反射するガラス棚と、無数のパーツが並んでいた。
ゆづは、CPUの棚の前で立ち尽くしていた。
「……高っ。これ、一個で三万円以上するの?」
「CPUは所謂PC脳みそだからな。そりゃ高くなるよ。性能が低いと、Live2Dもまともに動かないだろう」
朔真は、IntelのCore i7の箱を手に取ってから、隣の棚に目を移す。
「でも、最近はAMDのRyzenがコスパいい。配信なら、Ryzen 7 5700Xあたりが安定してる。マルチスレッド強いし、熱もそこまで出ない。これで2万8千円くらいかな……」
「……朔、詳しすぎない?」
ゆづの声にはっとする。ついに夢中になってしまっていた。
「ゲーム用に自作したことあるからな。VTuberは“魂を動かす”から、スペックは命だ」
次に二人は、グラフィックボードの棚へ。
「Live2Dなら、RTX3050でも十分だけど、余裕を持つなら3060。VRAMは8GB以上が理想。これが……4万5千円」
「……数字も値段も、重すぎるよ……」
「大丈夫、俺が足りるように選ぶよ。でも、ゆづが“よみの”を動かすんだから、納得して買ってくれ」
ゆづは、財布を握りしめたまま、重く頷いた。
最後に、マザーボードの棚。
「B550チップセットで、M.2スロットが2つあるやつ。Wi-Fi付きなら配信も安定する。これで1万5千円くらい」
「……それ、何語?」
「PC語かな。」
オタク語とも言えるかもしれない、PC語。専門的な言葉といった方が聞きなじみはいいかもしれない。
朔真は、棚の最上段に並ぶ黒い箱を見上げながら、ぽつりとつぶやいた。
「……本当は、Ryzen 9 9950Xがいいんだけどな」
「それって、さっきのよりすごいやつ?」
「うん。16コア32スレッド。配信しながら3Dモデリングしても余裕。VTuberどころか、AI生成もリアルタイムで回せる。……まあ、値段もすごいけど。これだけで10万超えることになるし」
「ひえっ」
ゆづは財布を抱きしめた。
朔真は少し笑って、Ryzen 7 5700Xの箱を手に取った。
「でも、これは“語る”ためのPCだろ。動かすだけじゃない。“よみの”が、ゆづの言葉を届けるためのPCさ」
その言葉に、ゆづは少しだけ目を伏せた。
ゆづは、小さくつぶやいた。
「これお年玉で足りるかな……」
それを聞いて、朔真は、何気ない風を装って言った。
「俺が、半分出すよ」
「え?」
「いや、全部じゃないよ。半分。……“よみの”の初配信、俺が見たいのもあるし。俺は、手伝うって決めたからな。設備にもお金は出すよ。」
「朔……でも、朔の貯金だって……」
「いいよ。どうせ、次のセールでまた何か買うし。オタクってそういうもんでしょ?」
朔真は、RTX3060の箱を手に取った。
「VRAM8GB、GDDR6。Live2Dなら余裕。……本当はRTX4070 Superが欲しいけど、あれは“夢”の領域。12万とかするし」
「夢、高すぎる……」
「でも、オタクなら通じるだろ。“スペックは魂”って」
「魂?」
「そう。VTuberは、声と動きだけじゃない。裏にある“熱”が、スペックに宿る。
だから、俺は妥協したくない。……でも、ゆづの“語り”に合わせるなら、これが最適解だと思う」
ゆづは、朔真の横顔を見つめた。
その目は、スペック表よりもずっと真剣だった。
「……ありがとう。でも、やっぱり自分で買う。今後なにかお金とか……手伝ってもらうかもしれない。でもVTuberをやるって決めたのはゆづ自身。なら、ゆづが全部買うべき。ここは、朔には頼れない。お年玉、三年分あるし。誕生日のも、ちょっと残ってる。どうにかなるはず……」
「そっか。じゃあ、俺は“技術支援”ってことにするよ」
「技術支援?」
「組み立てと、初期設定と、配信環境の最適化。あと、OBSのプリセット作る」
「それ、全部やってくれるの?」
「当然。俺の趣味でもあるし」
「いつもありがとう。朔」
ゆづは、財布を開いて中身を確認した。
「……ギリギリだけど、いける。これで、“よみの”が語れるなら」
「じゃあ、構成は決まりだな。Ryzen 7、RTX3060、B550マザボ、32GBメモリ、1TB SSD。電源は650W、80Plus Gold。ケースは……白でいい?」
「白がいい。“よみの”のイメージカラーだし」
「了解。じゃあ、“ゆづ”の“よみの”の【魂の器】を作ろう」
帰り道、ゆづは手にしたレシートを見つめていた。
「……これがお年玉の重み。重いけど、なんか……嬉しい」
「それは、“魂”を買ったからだよ」
「朔、詩人みたいなこと言うね」
「そうかな」
ふたりは、夕暮れの街を並んで歩いた。
明日からは、組み立てだ。そこから配信が始まる。
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