第30話
車を路端に停め、道路の真ん中に佇む。ずっと遠くの喧騒がすぐ近くまで迫る。
トランシーバーから流れる情報を聞いて、ここらへんかなとあたりをつけて適当に選んだ場所だが、運よくターゲットが誘い込まれてきたらしい。
車のライトが夜闇を真っ直ぐに裂く。ローズの姿を視認してか、間近まで迫るオープンカーがクラクションを鳴らした。
それでも、車の搭乗者はスピードを緩めるつもりなんてないらしい。
こちらを撥ね飛ばす勢いで走ってくる車。道は狭く、車がローズを避けることはできない幅だ。
それでいい。
車が眼前まで迫った瞬間、ローズは跳んだ。体を横に転がして車体に乗り、フロントガラスに張り付いて運転席で愕然と呆けている人間に微笑みかける。いっそ恐ろしいくらいの、穏やかな笑みで。とはいっても、そのにこやかな口元はガスマスキングで隠れて見えなかったのだが。
「こんばんは〜、炎火にとろさん」
運転席の女、にとろはさっと顔を青褪めさせる。今まで何度も行ってきたチェイスの中で、ローズが警察に属する人間だということは割れていた。
「っ、離れねぇかべらぼうめ!」
にとろは車を軽く左右にドリフトさせるかのように揺するが、ローズはフロントガラスを乗り越えて助手席に立った。
「あっはははっははは‼︎ 炎火さぁん、一緒に眠りましょぉ〜?」
クッションが敷き詰められた助手席の中で、ローズは踊るように舞う。薔薇の香水の香りが周囲に広がった。それに掻き消されるように、微かに変な匂いも微かに鼻腔を突く。古くなった匂い付きの消しゴムのような。
「ねぇねぇ、ゲームをしましょう? 楽しい楽しいゲームを!」
「ゲーム……?」
「ええ、ええ! だってお祭りですからぁ、楽しまないと損でしょう?」
言いながら、ローズは一丁の拳銃をにとろに投げ渡した。
「実銃……」
「じゃ、ないですよ〜。これ、うちの隊長に貸してもらった銃のコピーです。粗悪品なので、本物より色々劣ってますがね〜」
同じ形のものを、ローズも手にして艶然と微笑んでいる。
「これは装填数五発のゴム銃ですよ〜。結構強力な麻酔弾が込められてるんで〜。もし当たったらその部位が痺れちゃうんですね〜。全身に回ったら……なんて、言うまでもないですよねぇ〜?」
「……もしかして、これを撃ち合う射的だとでも言いてぇのかい?」
「そのと〜り。ですがそれだけじゃあつまらないですよねぇ〜? というか、麻酔が全身に回っておねむ、なんて嫌ですよねぇ〜。お祭りなんだから、オールしないともったいない。だ・か・らぁ〜……」
ローズは言いながら、斧の刃を月光に煌めかせた。
「コイントスを交互に投げて、勝った方が、麻酔銃を一発だけ相手の好きな部位に撃つ。そして、撃たれた方が望むなら撃たれた部位を斬り落とす。弾を避けるのは禁止。ルール違反をしたら、相手の好きな部位を落とされる……どうでしょお〜」
イカれてる、という言葉をにとろは飲み込んだ。
「んなん、祭りじゃねえよ」
「少なくとも、血祭りにはなりますよ〜」
「ああ言えばこう言う……」
「どうします? やります? やらないなら今すぐこの麻酔弾ぶち込んでやるだけですよ〜」
銃口をにとろの胸に突きつけながら、にやにやとローズは言う。今にとろはハンドルに両手が塞がっており、爆弾に火をつけても爆破まで時間がかかる。その間に麻酔を撃たれて車から突き落とされ、ローズも車を降りるだろう。精々、全身打ち身の傷を負わせるのが関の山だ。
「……てやんでえ、こうなったらヤケだ。乗ってやらあ!」
「そう来なくっちゃ。先攻は譲りますよ〜」
ローズは一枚の硬貨をにとろに投げ渡す。
「お好きな方を」
「じゃあ、あちきは表だ」
「ボクが裏、ですね。どうぞ?」
にとろは片手でハンドルを握りながら、もう一方の手でコインを投げる。空中で数回転したそれはすぐににとろの手の中に着地した。
彼女は、イカサマをしようとすら考えなかった。彼女の祭り好きの精神が、そんなことを許さなかった。いちゃもんはつけても、イカサマやズルはしない。それがにとろなりの祭りの流儀だ。
掌の上のコインは、表。
「あちきの勝ち」
「ですね〜。好きな部位に撃っていいですよ」
二分の一の確率で負けたと言うのに、ローズは変わらず飄々と笑みを浮かべており、焦りなんて微塵も感じ取れない。ローズの意図がつかみ取れず、にとろは背中に冷たいものを伝う感触に鳥肌を立てた。
にとろは麻酔銃をローズに向け、胴体を撃った。蜂のようなアンプル弾が、狙いを定め場所と少しずれて、ローズの肋骨があるあたりに突き刺さる。
最初は頭部に撃とうと思ったが、頭蓋骨の堅さに銃弾が勝てると思えなかった。脳に少しでも近い位置になるように撃ちたかったから、胸だ。
要は、この勝負はどちらが早く脳まで麻酔が回るかの勝負なのだから。
「次はおまえがコインを投げる番でえ」
ローズはにとろの手から硬貨を受け取り、それを投げる。でたのは裏。注視したが、イカサマなどをした様子はなかった。
「そんじゃ、撃たせてもらいま〜す」
間の抜ける喋り方のまま、ローズは麻酔銃をにとろに突きつける。撃つ場所を迷う素振りは、一切なく。
ローズはにとろの右腕に、アンプル弾を撃ち込んだ。
二の腕に走った刺すような痛みの後、じわじわと妙な感覚が広がる。長時間正座をした後のような、触れてもその感触がわからない、皮膚が張って腫れるような感覚。
「即効性ってのは、本当みてえだな」
同時に、にとろはやられた、と思った。
にとろは今も車を運転している。両手を使っている。もし片方の手が使えなくなれば、ハンドルか銃、どちらかを使えなくなるのだ。ハンドルを手放したら事故まっしぐらなので、それはできない。
これは二分の一の確率のゲームではない。最初から、ローズの方が有利だったのだ。
ならば。
「あちきの右腕、そいつで落とせ」
袖を襷掛けしていた紐で腕を縛りながら、にとろはローズに命令した。ローズは動じることなく一つ頷き、簡単に斧を振り下ろす。
当然、激痛が走った。けれども溢れ出るドーパミンのせいか、思っていたよりも痛くは感じなかった。悲鳴を噛み殺せる程度には。
「ハッハァ! お望み通りの血祭りだ! 楽しいかい?」
「ええ、とっても」
「そいつはよかった!」
にとろは体勢を変え。片脚を車のハンドルにかけた。伊達に花火師をやっていない、筋力はそこそこある。片足はペダルにかけたままなので、アクセルとブレーキのどちらかを踏むことはできる。少しスピードは落とすことになるが、運転は続けられた。
「コインを寄越しな」
次に投げた硬貨は、表が出た。
にとろは迷うことなく、麻酔弾をローズの肩に撃ち込む。これならば斬り落とそうにも切り落とせまい。二の腕の半ばから残っているにとろはまだ欠損部位が少ないが、肩となると腕全体を失うことになる。そうそう切り落とせないだろう。
そう踏んでいたのだが、ローズの狂気はにとろの想像を超えていたとしか言いようがない。いいや、にとろが狂うには常識を残しすぎていたか。
ローズは青ざめることなく、むしろ恍惚とした様子で、にとろに血塗られた斧を差し出したのだ。
言葉を失って硬直するにとろに、ローズは微笑みながら告げた。
「どうしました〜? さ、斬り落として」
まるで当然のことのように、自分の肩から下を落とせと言う彼女は、傍目から見ても頭のネジが飛んでいるとしか言いようがない。それほどまでに狂気的で、にとろは思わず笑みを引き攣らせた。
「おまえさん、頭おかしいよ」
「それはそれは、大層な褒め言葉で。ささ」
にとろは躊躇を見せる。斧を手に取って、持ち手についた己の血の感触と、それにに残った僅かな温度に不快感を覚えた。脂と手汗でぬるぬるとして、持ちづらい。呼吸が少し浅くなった気がする。手に力が入らなくて、震えた。
「やらないんですかぁ〜?」
斬りやすいように、と距離が詰められる。しかし、にとろは斧を振り下ろすどころか、振り上げることすらできない。
脚でハンドルを操作している今の体勢では力が入らないとはいえ、こんなにも虚脱感があるのは何故だろうか。祭りが終わった後の静けさにも似た、全身が動くことを拒んでいるかのような感覚だ。
その違和感に気がついた頃には、もう遅すぎた。
「やらないならぁ〜……ルール違反ですねぇ〜ッ!」
にとろの力が入らない手から斧を抜き取り、ローズは勢いに任せて斧を振り上げる。
まともに狙いなど定まっていない。しかし、真正面から相対した状態で振り下ろされた斧が狙いを外す訳もない。
血潮に塗りつぶされた銀色の軌跡が走る。その数瞬後に、闇夜のせいで真っ黒に見える飛沫が舞った。
斧は、にとろの左肩を寸断したのだ。
「……あ」
にとろは呆然と吐息を零す。血と一緒に体温が抜け落ちていって、止まらない。視界がぼやけて、目の前にふらふらと立つ女のシルエットすらまともに認識できなくなる。
「もっ、と……まつ、り……」
言葉と共に吐き出した息が、途切れた。
これが、炎火にとろという祭り好きの宿業を持って生まれた『ガワ』の、最初で最後の祭りだった。
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