第3話 勝負!
静寂を切り裂く音が聴こえる。
「今夜もピッタシだな」
キーッという、温まりきっていないブレーキローターが鳴って911のすぐ横で止まる。
ゼロヨンにブレーキングは必要ない。
「さあ……始めるわよ」
こいつはいつもこうだ。
車から降りずに俺に向かってそう言うだけ……。
今夜こそ。
俺は咥えていた煙草を足で踏んで消し、無言で頷いてから911に乗り込む。
スタートラインにきっちり車を横並びで止め、サイドブレーキを引くと、窓を全開まで開ける。
普通ならばここで、合図役が5からのカウントダウンでもって、ゼロの代わりとなるGO! の掛け声でスタートを切る。
けれど、今ここには俺とこいつのふたり、911とGT-Rの2台だけ。
「準備はいいかい?」
こちらを見ないまま確認してくる。
「いつでも」
同じようにして即答する。
「忘れてないだろうな」
「ああ」
「ならいい」
今夜で50戦目。
「5……」
いつもどおりで、彼女から始まる。
「4……」
だから次はいつも俺で。
「3……」
同時にして1速へ。
「2……」
バァァァァァン!! アクセルを吹かし、リアタイヤを空転させる。
いつも不思議に思う。
どうしてかこの時だけは、911とGT-Rの音が同じになって轟響くことに。
「「1……」」
その音にかき消されないような大声で1の声でもって合わせる。
俺が右車線。
こいつが左車線。
だから二人の配置は隣り合わせになる。
「「GO!」」
絶妙のクラッチミート。同時に、馴れたタイミングでもってサイドブレーキを下ろす。
スタートはいつもどおり、オーバーハング分俺が前に出た。
「……よし!」
パンッ!
シフトチェンジをクラッチを切るのとどっちが先か分からないようなタイミングで2速に入れ、瞬時に繋ぎ直す。
ここまでで100メートル。
「来たか」
Hパターンのシフトチェンジではどうしても、パドルシフトの恩寵に負けてしまう。
だとしても、そんなものは百も承知。言い訳なんて恥でしかない。
フラットに配置されたメーターの針が一切のストレスなく上昇を続ける。
100……120……150……。
半分を過ぎた時点で、スタート時点の差はもうほとんど無くなっていた。
まだ……まだ我慢だ……。わるい、911。もう少しだ……。
50回目の勝負の中で、この方法は今までもやろうとすればできた。
2速、7000回転。
脳裏には、パワーとトルクの出力カーブの図が嫌でも浮かんでくる。
300メートル通過。
のこり100……。
悲鳴のような轟音鳴り響く中、8という数字までしか書かれていない目盛りいっぱい、その真紅の針先一本分だけ手前でシフトアップする。
3速。
残り50メートル。
いつもはここで勝負が決していた。でも今夜は違った。
俺は、横目に一瞬だけ彼女の横顔を確認するという、今まで絶対にしなかったことを無意識にしてしまう。
その瞬間、音が消え、時が止まった。
いや、そうじゃない。
消えてくれた、止まってくれた。
『今日勝てば50よ』
『勝てれば、な』
『どうして、そこまでこだわるのよ?』
『まさか、忘れたとは言わせねえぞ』
『あの約束のことでしょ』
『当たり前だ』
『でも、あんただけよ。未だに遂行しようとしてるのって』
『人聞き悪い言い方するな。約束なんだから、守ろうとしてるだけだ』
『……ふーん』
『とにかく……今日は勝つ』
『約束なんだから守るわ、私だって。ただし。あんたが勝てれば、ね』
開け放った窓から激しい風切音がする。
気づけばいつもの視界。極限まで狭まった、僅かにクリアな部分が消えかかっていく。
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