第2話 深夜2時50分……

通算成績 0勝49敗。

もう負けれない!

長らく思っていたその感情が、実は間違っていたと最近になってやっと気づいた。

だから今は、「勝ちたい」としか考えていない。


口にするくらいなら死んだほうがマシだが、あの女と俺の勝負は一戦目から、先週の負けまでずっと同じ結果だ。

スタートでは一度も負けたことがない。

911に乗っているからには、そこは絶対に譲れない。

よーい、どん! で始まり、大体10秒で終わるゼロヨンにおいて、スタートで前に出るのはかなりのアドバンテージになる。

加速というものがすべてだといっていい。

なのに負ける……。

それが49回も続けばそれはもう発狂ものだ!

なのに、どうしてこんな戦績になるまで続けてこれたのかといえば、初めて会ったあの夜に交わした約束だあったからだ。




「マスター、そろそろ閉店時間だろ? はやく店閉めてくれよ」

「寝言は寝てから言え。お前……この繁盛っぷりの店内にいて、よくもそんなこといえるな」

「なら、あいつだけ上がらせてくれ」

「……」

「訊いてるのか?」

「あのなぁ、毎度まいど分かりきったことを訊くなよ」

「んだよ、融通がきかない大人だなぁ……もういいよ、いつもどおり伝言だけ頼むな!」

ここまでがひとつのパッケージ。

俺は満足して店を出た。


このあたりからいつも、俺の心臓は徐々に高鳴ってくる。

一歩、一歩。

ロックを解除し、ドアを引く。

気分を害されることなく、車内に乗り込む。

路駐において、後方確認しなくてもいいという、余分なことに気を回さなくていいところが左ハンドルのひとつの利点だ。

興奮を落ち着かせるように深呼吸ひとつ。それでも高揚感は微塵も消えない。

シリンダーに鍵をさし、カチ、カチっとゆっくり2回。僅かな間を空けてイグニッションON。

バラバララという乾いた音と、ドドドドという地響きのような音が混ざって聴こえ出す。

タコメーターの針が、850回転でビシッと安定しているのを見るだけで、我慢できなくなる。

今すぐにでも全開にしたい気持ちを必死に抑え、ぐうっとクラッチを踏み込み、右手でギヤを1速に入れる。

落ち着けというメッセージのようなクラッチ操作でもって、機械構造を頭に浮かべながらゆっくり繋ぐと、スーっと911が動き出した。


「よし……いい感じだ」

1速から2速へ。そして3速……。

ゆっくりというスピードは実は、速いというスピードとなんら変わらない。

やることは同じで、操作という点でいえばむしろ、スピードが上げれば上がるほど、丁寧に、精度を上げるためにになるくらいだ。


店を出てから5分。目的の場所が見えてきた。

暗黒の眼前は、右にハンドルを切ると、規則正しい暖色の光でもって世界を変える。

不思議なことに、この景色を見るとさっきまでの高揚感、心臓の鼓動は普段のものよりも落ち着きをみせる。


「いいよな……やっぱり」

十年も同じものを見ているのに、この、まっすぐで、頂点の見えない、どこまでも続いている台形を前にすると、はじめてのあの夜が蘇る。


時刻は、あと10分で深夜の3時。

いつもの場所に停め、車を降りると同時に、煙草の先に、擦ったマッチで火を点けると、最上の一吸い目を存分に堪能し、丁寧に一筋の白い煙を吐く。

上がっていくにつれてそれは、不規則な揺れでもって広がり、淡い街灯のオレンジに紛れていく。

それをいつまでも目で追う。

俺は、この時間がどうしようもなく好きだ。


この埠頭でのゼロヨンの最盛時間は深夜1時。

そのあたりから、メインの車同士での、無謀に狂った競争が始まる。

けれど、そんな空間も、30分もすればすっかり落ち着き、こんな時間にまでなってしまえばここはただの公道。それ以上でも以下でもなくなる。


「あと5分か……」

俺は考えるまでもなく、吸い終わるタイミングを見計らって、二本目の煙草に火を付けた。

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