第3話 婚約破棄

 5年後。

 王立学園内の廊下を、クレアが歩いていた。

 子供の頃にあったソバカスはいつの間にか消えて、スラリと手足の伸びた健康的な17歳に成長している。

 前からやってくる少女に気づいて。

「こんにちは、ジュリエッタさん」

 笑顔で手を振る元気な様子は、相変わらずだった。

 控えめな笑顔で、ひざを折り。

「クリア様、ごきげんよう」

と挨拶を返しているのは。絹のような白金の髪と、珍しい紫色のをした、落ち着いた雰囲気のジュリエッタ。

 平民から男爵の養女に迎えられたばかりの16歳のジュリエッタは、生徒がほぼ貴族という学園の中では浮いていたので、どこか遠慮がちに人と接していた。

 しかも最近は、18歳になった第一王子オーランドの想い人がジュリエッタだという噂まで広まっている。

 そんな畏れ多いことがあるはずないので、誰かのイタズラだろうとジュリエッタは思っていたが。

 婚約者であるクレアの前では少し緊張した。

 クレアがその事を気にした様子は一度もなかったが。

「実は、少し相談したいことがあるの。このあとお茶でもいかが?」

 今日は初めてジュリエッタをお茶会に誘っている。

 少し戸惑いながら。

「は、はい」

とジュリエッタは了承した。

 学園中が周知のゴシップに。

「ついに修羅場か!?」

と聞き耳をたてていた周囲の人間が固唾をのむ。

 その気配に動揺するジュリエッタと、それに気づいたクレアがあわてて。

「あっ、違うの。大丈夫よ」

 誤解を解こうとする。

 足をとめた人々の中にクレアの姿を見つけた弟のルイが。

「何してるんだよ、姉さん。目立つ事はやめてよね」

 あわててやってきた。

「だから違うの、今から彼女とお茶を……」

バタバタしているクレア達の後ろから。

「何をしているんだい、君たち?」

 颯爽さっそうとキラッキラした髪の王子様が現れた。

 オーランド王子はクレアとジュリエッタの間にさりげなく入ると、ニコニコと笑っている。

 渦中の人物の登場に、さらに周囲の注目が集まっていく。

(ああ……)

 頭をかかえたくなったクレアは、こっそりと溜息をついた。

 いつまでも婚約破棄が後回しになって、人目に晒され続けていることに限界を感じていたクレアは。オーランド王子の事はあきらめて、ジュリエッタと話しをしたら少しは進展するんじゃないだろうかと、彼女をお茶に誘ってみた。

(でも失敗だったかも)

 クレアは気を取り直して。

「ジュリエッタさんをお茶会にお誘いしていました。なにか周りに誤解されてしまったみたいですけど、ご心配はいりません」

 にっこり、と微笑む。

 オーランドも、クレアが王子の婚約者という立場に固執して他人に害を与えるような人間ではないことを知っていたので。

「……私のせいかもしれないな。これ以上は気持ちも隠し通せないようだ」

とつぶやくと。

「……うん」

 少し考えた後、小さく頷いた。

 それから急に姿勢を正し、胸に手を当てると。

「クレア嬢。突然こんな場所で申しわけないけど、婚約を解消してもらえないだろうか」

と正面から真っすぐにクレアを見た。

 唐突な婚約破棄が、ついにきた。

 ずっとこの言葉を待っていたクレアは。

「承知いたしました、オーランド様。私の方は、全く問題ありません」

 会心の笑みで、即答した。

 あまりの余韻のなさに。

「き、君らしい返事だね。ありがとう、君にはいつも迷惑ばかりをかけてしまうな」

 オーランドも思わず笑ってしまう。

 唐突な婚約破棄に周囲もざわざわしていると。

「クスクス」

 楽しそうな笑い声が、すぐそばから聞こえてきた。

「本当によろしいのですね、兄上?」

 気まぐれな猫のオーラをまとった少年が、生徒の間からあらわれた。

 アシンメトリーな銀色の前髪の下に、美しい色彩のアースアイを持った第2王子。

 背が伸びなかったのは本意ではなかったが。生意気そうで秀麗な、15歳になったセシルだった。

「セシル。私は心を決めたよ、この気持ちはもう変えられないからね」

 そう言うとオーランドは、くるりとジュリエッタの方に振り向いて。

 白金の髪と紫色の瞳を持つ少女の前に、片ひざをついた。

 そっと少女の手をとると。

「突然すまない、ジュリエッタ。初めて君に出会った時から私は、その紫水晶のような瞳と、温かくしなやかな心に惹かれ……」

 公衆の面前で愛の告白を始める。

 そんな兄を、軽く肩をすくめてスルーし。

 セシルがクレアの前へとやってきた。

 クレアの両手をとって。

「兄上が迷惑かけてごめんね。クレアの貴重な時間が5年も無駄になっちゃった。こんなことなら、始めから婚約なんてしなければ良かったのにね。クレアかわいそう」

 甘えるような声で、首をかたむけてクレアの緑色の目を覗きこんでくるセシルは、まるで猫のようだった。

 そしてクレアの指に自分の指を絡めて、胸の前でキュッと握ると。

「でも、ここからは僕のルートだよね。僕がクレアを守るよ、全身全霊をかけて」

 にっこりと可憐な笑顔をみせた。

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