第2話 赤毛の令嬢

 揺れる木漏れびの中。

 カッコウが鳴く森を、少女が楽しそうに歩いている。

 鮮やかな赤い髪と翠玉エメラルドのような瞳をもった十二歳の侯爵令嬢、クレア・アークライトは。

 ついさっき婚約が成立して、この国の第一王子の婚約者になったばかりだった。

 断られるものと思っていただけに、まだその実感はなかったが。

「でも決まったからには護符がわりの婚約者として、王子様が本当の恋人に出会うまではお側にいなくちゃ」

 王家に仕える臣下の気持ちで、王子様とのお見合いを乗りきったクレアは。

 区切りがついて大人達が雑談を始めた隙に、こっそりと広間を抜けだした。

 ドレスから動きやすい服装に着替えて、ボリュームのある髪を後ろで束ね。

 やってきたのは、築城の際にも伐採されずに残された森。

 城内で森林浴を楽しむための散策コースになっていたが。少し前から最深部に狼が住みついたという噂がでて、今では全く人気ひとけがない場所だった。

 初めて登城したクレアが、実は一番楽しみにしていたことは。

 寝物語に母が語ってくれたこの森の秘密を、自分の目で確かめることだった。

 辺境育ちの母が花嫁修業としてお城に務めていた時に、故郷が恋しくなると来ていたというこの森。

 父にプロポーズされた場所でもあったが。

 森の奥には、父にも内緒の秘密があるという。

「あの森の奥にはね。お菓子のお家があって、そこには異国の王子様が住んでいるの」

 母の言葉に衝撃を受けたクレアはそれ以来、この森に入る機会をずっと待っていた。



 クレアが森に入ってすぐ。

「待ってー、置いて行かないでよー!」

 入口から聞き慣れた弟の声がする。

 はあ。と肩を落として、クレアは足を止めた。

「上手くまいたと思ったのに」

 十歳にもなって半泣きで追いかけてくる弟にあきれるが、森の中で迷われても困る。

「他に遊ぶ友達はいないの? 早く友達を作りなさいよ、ルイ」

 聞こえてきた姉の声に、ホッとしたルイが。

「お父様が、森は危ないから入っちゃ駄目って言ってたよ。ちゃんと聞いてた?」

 いつもの調子に戻って、姉に説教を始める。

「ハイハイ、あんたは危ないから帰りなさい」

 ルイを待たずにクレアは歩き始めている。

 母の実家が片田舎なので、クレアは山や森に慣れ親しんで育った。

 二つ年下のルイは怖がりな箱入り息子で、本来は家で本ばかりを読んでいる。

 父から「危ない事をしないように姉を見張っていてくれ」と頼まれて、イヤイヤ姉について回る羽目になっていたが。

 怖いもの知らずの姉には抑止力、ひ弱な弟には体力づくりをさせるのが父親の目的のようだ。

「この森に狼がでるっていうのは、人を遠ざけるために広められた噂なの。こんな近くにそんな危険があったら、お城の兵士さんが総力をあげて退治してるはずでしょ」

 とドヤ顔で説明してくる姉に。

「なんでそんなことする必要があるんだよ」

 納得がいかず口をとがらせるルイ。

「それはね、隠しておきたい秘密がこの森にはあるからよ」

 目をキラキラさせた答えが返ってきた。

「秘密って?」

「それを今から確かめに行くの!」

 姉につられて、ついルイも興味を持ちそうになったが。

「ダメだよ。お父様の言いつけを守らないと、後で叱られるんだから!」

 姉の腕を引いて、意地でも引き返そうと頑張る。

「たしかに、お父様にバレたら面倒そう」

 クレアが、そのルイの腕をガッシリと掴んだ。

「な、なに」

 イヤな予感に後ずさる弟の手をしっかりと離さずに。

「森に入った時点でもう同罪だから。あきらめなさい、ルイ」

 にっこり、と笑顔をみせるクレア。

 姉の手によって、ルイは森の奥へと引きずられていく。

「いやだ! 狼に食べられちゃうよー!」

 悲痛な叫びが森に消えていった。



 しぶしぶ歩くルイの前で、姉の赤い髪が楽しそうな尻尾のように揺れている。

 王子様の婚約者には姉は向いていないのでは、とルイは思う。

 それに毎日楽しそうなクレアが、王子様との結婚で変わってしまうのも少しイヤだった。

「着いた! 最初の目的地はここよ!」

 急に高いテンションで、クレアがかけだす。

 歩道の横には小さな広場があって、立派な大木の枝から下がったブランコが風に揺れていた。

「この場所で。このブランコに座ったお母様が、お父様からプロポーズされたんですって」

 ブランコに座ったクレアが、大きく揺らし始める。

「もう少しおしとやかに乗りなよ」

 弟の小言は、右から左に抜けていく。

「よっ。あー気持ちいー」

 クレアは立ちあがって漕ぎだした。

「人の話を聞いてないでしょ! 王子様の婚約者なんだよ、そんな事絶対に人前でしちゃダメだからね!」

「誰もいないし」

 とクレアが笑っている。



 名乗り出るタイミングを外して。

 離れた茂みから様子を見ていたセシルは。

「……想像とは違うタイプの侯爵令嬢だった」

 ブランコを立ち漕ぎする候爵令嬢に、軽くショックを受けていた。

 深窓の令嬢が持つ闇や弱さが微塵も感じられない。

 弟の手を引いて迷いなく森を進む足取りの軽さは、まるで兵士長か若い騎士のような明るいたくましさと重なる。

「あれが兄上の婚約者……」

 困惑した声がセシルの口から漏れた。

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