教師近藤と趣味

「ご趣味は?」

 近藤は、このように尋ねられたとき、次のように答えたいと思っています。

「チェスです」

 それが最もかっこいい回答だと考えているわけですが、実際はチェスに関して、ルールすらさっぱりわかりません。ならば覚えればよいだけの話なのに、そこは面倒くさいのでした。

 もし趣味を訊かれたら、嘘はいけない、まして自分は教師なのだから、と思うものの、現実に問われたとき、ついこう口にしてしまいます。

「チェ……」

 そこで「チェスと言いたい。だけど駄目だ」という葛藤により続きが出てこないので、相手は怪訝な表情になります。

「チェ?」

「……チェックの服を収集することです」

「はあ……」

 近藤を知っている人の場合、「チェックの服を着ているところなんて見たことないけど、集めるだけ? 何のために?」などと、余計に顔をしかめることになります。

 あるいは、こんな具合です。

「チェ……」

 やっぱりそこで言葉に詰まるので、相手は眉をひそめます。

「え?」

「チェコに旅行に行くことです」

「そうですか……」

「海外旅行じゃなくて、チェコ限定? そんなにチェコが好きなんて初耳だな」などと思われるのでしょう、小首を傾げられたこともありました。

「結局、噓をついてるじゃないか。それに、こんなことで悩むなんて」と近藤は自己嫌悪に陥りました。

 しかし、こうしたやりとりをくり返したなかで、ある日ふと気づきました。

「よっしゃ。これで、しりとりをするとき、『チェ』から始まるものをいっぱい用意できるぜ!」

 とはいえ、いい歳をした大人がしりとりをする機会はそうありません。

 そこで、良さそうな男性の友人に言いました。

「なあ、しりとりしよう」

「えー、なんで? 他に何もできない状況でもないのに、しりとりなんて。やだよ、つまんねえ」

「いいからやるんだよ!」

「ええ……。じゃあ……」

 近藤のあまりの血相の変わりっぷりに、その友達は引き、仕方なくやることにしました。

 ところが、「チェ」で終わる言葉が、ほぼ出ないに等しいことが判明しました。

「『ニーチェ』って言えよ!」

 近藤は業を煮やして訴えました。

「なんでだよ? 訳わかんねえな」

「いいからやるんだよ!」

「ええ……。じゃあ……」

 最初と同じことがくり返されました。

「ニーチェ」

「そうか、そうか、ニーチェか。哲学者の名前を出すなんて、おしゃれだなー、おい。よーし、だったら……」

 とんだ茶番ですが、近藤は嬉しそうに考えました。

「チェーンソー」

「おい、その場合普通、『チェ』じゃなくて『エ』で始まる言葉だろ」

 友人は指摘しました。

「確かに」と近藤はショックを受けました。ここに来るまで無理を重ねたというのに、この有様か、とまたしても落ち込みました。

 しかし、しばらく経って、別のことを思いつきました。

「よっしゃ。だったら、あいうえお作文をするとき、『チェ』で始まる文章をたくさん用意できるぜ!」

 とはいえ、あいうえお作文をする機会など、年齢関係なく、まったくないのでした。

 そこで、しりとりのときと一緒の友人に再び声をかけました。

「なあ、あいうえお作文しよう」

「えー……」

「いいからやるんだよ!」

「言うと思った。わかったよ」

「よし、私からやるぞ。使う言葉は『ドルチェ』な」

 近藤はウキウキしてそう口にしました。

 そして友達は言いました。

「はい、じゃあ、『ド!』」

「道路を歩いていたら」

「ル!」

「ルビーの指輪を拾いました」

「チ!」

「『チ』じゃなくて、『チェ』やろがい!」

 近藤は激怒しました。

「え~」

 友人はいきなりキレられてドン引きしました。


「近藤先生、趣味は何ですか?」

 あるとき、そう質問されました。

「落語を聴くことです」

 結局、本当の趣味を言うのに落ち着いたのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る