教師近藤と前世
近藤が籍を置く中学校で、年末の時期、正式な忘年会ではありませんが、特別予定のない教師みんなで食事にいきました。
それが終わって解散となり、帰る方向が同じなので近藤を含む数人が一緒に外を歩いていたところ、「あれ?」と一人が声を漏らし、そのメンバー全員が視線を向けました。
声を出した教師が進んでいる先を指さし、そちらへまた揃って目を移すと、道の端に見るからに易者という格好の占い師がいました。
「今どき、あんな占いの人、いるんですねえ」
声を発した教員が言いました。
「確かに。というか、私は実際にああいう人を目にしたのは初めてかも」
別の一人が応じました。
「私、占い大好きなんです。当たりそうだし、見てもらおうかな」
そう口にしたのは、二十代の女性である岩舘夕美でした。
他の教師たちは「いいんじゃない」「行ってらっしゃいよ」と促し、夕美は遠慮がちな態度ながらも嬉しそうに、高齢でひげを生やした男性の占い師に近寄っていって、問いかけました。
「いいですか?」
「どうぞ」
占い師は自身の向かいに置いてある椅子を勧めました。
そうして彼女は手相などを十分くらい見てもらって、いろいろアドバイスを受けたりしました。
「お次、いらっしゃったら、いいですよ」
夕美が席を立ちながらそう口にしましたけれども、手を挙げる人はおらず、彼女は占い師の視線を感じて言いました。
「近藤先生、いかがですか?」
「はあ」
興味がない近藤は気の抜けた返事をしました。
「ん?」
すると、占い師が近藤に注目しました。
そして離れた位置のまま、手相などを見ることなく、こう述べたのです。
「あなた、前世は魔女ですな。周りの方は気をつけたほうがよろしい」
それを聞いて、近藤はリアクションしませんでしたが、他の教師の面々は「え? 魔女?」「やだー」などと、ついクスクス笑ってしまったりしたのでした。
前の出来事から日が経ち、年末年始を過ぎ、冬休みだった学校が再開して落ち着いた頃に、あることが目につくようになりました。
近藤が、職員室の自らの席で、頻繁にリンゴを食べるようになったのです。
他の教師たちは違和感を覚えつつも、近藤にしてはむしろおとなしいくらいの行動なので、すぐに気にしなくなりました。ただ一人、夕美を除いては。
「先生」
夕美は声をかけようか、やっぱりやめようか、寸前まで迷いましたが、意を決して尋ねました。
「ど、どうして最近よくリンゴを食べてらっしゃるんですか?」
緊張から声が上ずりましたけれども、気づいてないのかどうでもいいのか、近藤はあっけらかんとした態度で答えました。
「え? いや、私は甘いものが好きですので果物も好物ですし、リンゴは今の時期、値段がリーズナブルじゃないですか。これなんて、こんなに大きくて六個で、たったのサンキュッパですよ」
そう言うと、右手に持っている、皮をむいていない丸々一個のリンゴを思いきりかじりました。
「しかもリンゴは健康に良いときている。最高ですよね。先生もいかがですか? これ。はい」
近藤は夕美にそのリンゴを差しだしました。
「え?」
夕美がたじろぐと、近藤は笑って続けました。
「もちろん、私が口をつけてない、反対側の部分でいいですよ」
「いや、それでも……」
「あれ? リンゴはお嫌いですか?」
「そんなことはないですけど……」
「だったら、ほら。遠慮なさらずに」
さらに自分の近くにリンゴを向けられ、夕美は返す言葉が見つからず、引きつった笑顔で固まりました。
「さあ、さあ。ほうら、どうぞ」
近藤の顔は笑みを浮かべながらも不気味で、周りには邪悪なオーラが立ち込めていました。
「フェッ、フェッ、フェッ」
なぜか、その近藤がどんどん彼女に迫ってきます。
「わあ!」
夕美はガバッと体を起こしました。
「ハー、ハー……夢、か」
そうです。今しがたのは、夕美が見た夢でした。安堵した彼女は倒れ込むようにして横になりました。
しかし、何かに気づいてすぐにまた起き上がると、そばにある目覚まし時計に目をやりました。
「やばい、遅刻しちゃう!」
夕美は勢いよくベッドを離れました。
そして、教師が寝坊して遅刻するなどあってはならぬと思い、大急ぎで学校に向かいました。
「ハー、ハー」
なんとか遅れずに、職員室に足を踏み入れました。
「大丈夫ですか?」
「はい……」
「これ、どうぞ」
息を切らせて見るからに疲れ、顔に汗がにじんだ彼女の目の前に、タオルが差しだされました。
「あ、どうも、ご親切に。……え?」
夕美は素早く頭を動かしてタオルをくれた人に目をやりました。その人物は近藤で、不敵な笑みを浮かべており、握っている大きな一個のリンゴをシャリッといい音を響かせてほおばりました。
「いやー!」
夕美は叫びました。
「おやおや、どうしたんですか? 岩舘先生。お疲れで、気持ちも不安定になってらっしゃるのかな?」
悪魔のような雰囲気になった近藤が、続けてしゃべりました。
「急いで来られて体力をお使いになったようですので、栄養をお取りになられたほうがいいですよ。どうです? お一口」
そして、遠慮なく食べられるようにという配慮からか、今自分がかじったのとは別のリンゴを差しだしました。
夕美は声を発することができず、アワアワといった状態で、ただひたすら顔を横に振りました。
「駄目ですよぉ、先生。しっかりしてくださらないと、生徒たちが迷惑しますよぉー。フェッフェッフェッフェッ」
近藤は、己が食べたリンゴと夕美に渡そうとしたリンゴを左右の手に一つずつ持ち、それを交互に勢いよくかじりながら、背中が丸まった老婆のような姿勢で彼女のもとから去っていきました。
夕美は自分の席でガタガタと震えました。冬で寒いからなどでは当然なく、近藤に恐怖してです。
近藤は、現実に近頃リンゴをしょっちゅう食べるようになっていたのでした。それゆえ夕美は夢に見たのです。
あの占いで前世を魔女と言われてからのリンゴ。魔女でリンゴといったら、毒でしょう。まさか本当に毒リンゴを食べさせるはずはないと思うものの、何かあってからでは遅い。彼が前世を魔女と言われたことでその気になっているのか、それとも、同僚たちに笑われましたし、腹立たしく思って自分に嫌な思いをさせようとしているのか、真意はわかりませんが、なぜあのとき、魔女であるという発言のきっかけとなった占いを勧める相手に近藤を選んでしまったのかと、夕美は激しく後悔しました。
このままでは心が休まらず、普通に生活するのさえままならないので、なんとかせねばと考えた彼女は、あることを思いつきました。あの占い師は凄腕に見えるけれども、本当に近藤の前世が魔女であるかはわからないし、たとえ当たっていても、前世はいくつもあるものだろう。だったら、他の占い師に別の前世を口にしてもらえば、近藤の態度は改まるのではないか、と。
近藤にどうにかされてしまう前にと、夕美はすぐさまネットを中心に、適した占い師探しを始めました。
もしもその占い師まで前世を魔女だと言ってしまったら……。ならば、別のものを口にしてもらうようにあらかじめ頼んでおくか、占い師のふりをした誰かに違うものを言ってもらうか、なども考えましたが、それがバレたら、ただでさえ敵にしたくない怖さがある近藤がどうなってしまうかわかったものではないために、正攻法で良い結果が出るのに賭けることにしました。
「うーん、この人かな……」
そして、別の前世を口にして信じられるだけの説得力がありそうで、なんとなく自分を助けてくれそうな雰囲気もある、年配の女性の人に決め、翌日の職員室で近藤に話しかけました。
「先生」
「おやおや、岩舘先生じゃありませんか」
近藤はもはや完全に魔女と化しています。
「何の御用ですかぁ? リンゴが欲しいのでしたら、たくさんありますよぉ」
彼の机の脇に置かれた段ボールいっぱいにリンゴが入っており、その一つを取って、また彼女に差しだしました。
「い、いえ、そうではなくて」
夕美は近藤の調子にのみ込まれないように気をつけながらしゃべりました。
「あの、以前私、占いが好きって言って、見てもらったじゃないですか、路上で。でも、そのときのが、いまいち当たってないんですよ。で、別の、よく当たるって評判の人に見てもらおうかなと思ってるんですけど、一緒に行ってもらえませんか?」
「えぇ? なぜに私がぁ?」
近藤は渡そうとしたリンゴを一口かじって訊きました。
「私、占いが好きで信じるからこそ、何を言われるか不安も強くて、一人じゃ怖いんです。その占い師がいるのはここから近くて、帰りにでも足を運ぼうかと思ってるんですね。それで、我が校の誰かに同行してもらいたいんですけど、この学校で一番頼りになる人を考えたとき、近藤先生じゃないかと思いまして」
「あれれれれぇ? 本当ですかぁ?」
近藤は疑り深い顔で言いました。
「本当です!」
夕美は真剣な表情で返しました。
「しかしですねぇ、私は別に見てもらいたくないのにぃ、いくら近いとはいえぇ、わざわざその場所に足を運ぶのもねぇ。どうしようかしらぁ」
「お願いします。よかったら、これ、受け取ってください」
そう口にして夕美が近藤に差しだしたのは、おいしいと評判になっている高級チョコレートでした。
「おや、まあー。フフフフフ、こいつは素晴らしい。仕方ありませんねぇ、今回だけですよぉ」
近藤は実に嬉しそうに受け取りました。
「ありがとうございます」
夕美は深く頭を下げました。魔女になっても、近藤のチョコレート好きはなくなっておらず、彼女はほっとしたのでした。
そうして訪れた占い師のもとで、まずは夕美が普通に見てもらいました。
それを終えると、彼女は何かあって聞けないことになっては困るので、素早く近藤を指し示して占い師に尋ねました。
「すみません、この方の前世は何でしょうか?」
その占い師はメインではないものの前世も見るのでした。メインだと近藤に怪しまれると考え、それも彼女を選んだ理由の一つでした。
「んん?」
占い師の女性はまじまじと近藤を観察しました。
お願い! 魔女以外なら何でもいいですから!
夕美はそう祈りました。
「虫です」
占い師は言いました。
「はあ? 虫ぃ?」
近藤が声を発しました。
「何虫ですか?」
夕美が訊きました。
「フンコロガシです」
「ふ……」
近藤と夕美はともにそう言葉を詰まらせました。
「あれ? 近藤先生、今日も休みですか?」
「なんか体調が優れないみたいですよ」
職員室で教師たちがそのように話しました。
事情を唯一知っている夕美は、自分の席で「近藤さん、ごめんなさい」と心の中で謝ったのでした。
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