EP.2 辛いじゃん
「大丈夫ですか?あ、飯田じゃん。久しぶり!」
ぶつかった相手は知り合いか?K-POPアイドルの様なイケメン男子だ。
「あれ?先輩。韓国から戻ったんですか?」
「おう。今、旧正月のソルラルで連休だからな。」
「そうですか。じゃ、私達急ぐので。」
飯田は再び走り出す。本出がイケメン男子に会釈すると飯田を追う。
「走ると危ないですって~!」
後ろからイケメン男子の声が聞こえる。
「ちょっと待ってよ~、そいつ誰だ?!」
イケメン男子も走りながら叫ぶが、飯田は聞く耳を持た無い。
路地を曲がった先の店に入って行った。看板を見るとタッカルビの店だ。
追い付いて店内に入る。飯田が「2名です。」と伝えた。
その瞬間に「3名です。」とイケメン男子が割り込み訂正する。
「先輩も食べるんですか?」
「おう。走ったら腹減っちまった。」
「良いですけど。」
飯田は4人掛けテーブルの壁側にある椅子を引く。先程の店で購入した商品が入ったエコバッグを置くと、通路側の椅子に座る。本出は壁側の椅子、イケメン男子は通路側の椅子に腰掛けた。
飯田は壁側に置かれたタブレットでメニューを素早くチェックする。
「注文は私がします。」
韓国料理に関しては飯田の方が詳しい。退社時間も迫っている中で口を挟め無い。
ふと店内を見渡す。暖色系の照明で落ち着いたオシャレな印象。
壁の上部には大型の液晶テレビがあり、K-POPのMVが流れている。
不意に飯田のスマホが鳴る。あ、この曲!
「お疲れ様です。今から夕食なので、退社時間には間に合うかと。
え、直帰で良いんですか?ありがとうございます。」
どうやら彼女の部長が電話で状況を聞いてくれた様だ。飯田は喜んで通話を終える。
「あ~、良かった。日頃残業無しで頑張っているから、今日も定時の退社扱いにする
って部長から電話でした。」
「良かったですね。これで夕食ゆっくり味わえますね。」
時間の制約から解放された2人。
「てか、この男は誰なのか教えてくれよ。彼氏か?」
「違います~。今日、初めて会いました。」
「マッチングアプリか?」
「いいえ、同じ会社の人で一緒に韓国料理を調べているんです~。」
そうこうしていると、注文したドリンクが運ばれて来た。
テーブルに置かれたドリンクを飯田が素早く配る。
「はい。甘党の本出さんは乳酸菌飲料どうぞ。」
「ありがとうございます。」
「先輩は日本の生ビールです。」
「おう。サンキュー~。てか、強制?丁度、飲みてえと思っていたぜ!」
「私は烏龍茶。まだ仕事中なので!」
「ぷはぁ~。マジ美味いぜ!」
「もぅ、先輩~。私の言った事、聞いていました?」
イケメン男子。いや、飯田の先輩は聞く耳を持た無い。さっきの仕返しだろうか。
本出は乳酸菌飲料を一口飲む。甘くて美味しい。それにしても彼女は凄い。
それぞれの好みを把握している。この時は知る由も無かった。これから始まるバトルイベントの序章に過ぎ無い事を。
「あ、本出さん。そのショルダーバッグ、椅子の下に入れて下さい。」
立ち上がり椅子の下を見ると荷物の収納スペースがあった。そこにショルダーバッグを収めた直後、料理が運ばれて来た。
底が深めで四隅がカーブしている黒い鉄板がテーブルの中央にある銀色をした
ビルトインガスコンロ上に置かれ、火が着けられる。
「お、チーズタッカルビじゃね~か。」
これがチーズタッカルビ。あ、この鉄板の中央にあるオレンジ色とベージュ色のツートンはチーズか。
続いて、別のポータブルガスコンロと共に浅い円盤状の鉄板が運ばれて来た。
「これがチュクミとサムギョプサルです。」
店員の方が調理を始める。豚肉の香ばしさ。赤いコチュジャンでコーティングされたタコを焼きながらキッチンバサミで一口サイズにカットする。
熱々で既に香りからして辛いが、テーブルの真上にある銀色をした煙筒によって
幾分かは和らいでいる。
「本出さん、どうぞ。」
飯田が笑みを浮かべながら言う。本出は思わず唾を飲み込む。人は美味しそうな料理を前にすると無意識にヨダレが出る。 だが、この時は違った。
苦手な辛い料理を前に動揺したのだ。それに、何か裏がある様で妙に引っ掛かる。
善意だろうか。どっちにしろ、今は韓国料理の勉強に来ている。
ここで嫌とは言え無い。イエスしか選択肢は無いのだと思った。
「いただきます!」
意を決してチュクミを口に運ぶ。熱っ!わっ、辛い!一気に目が覚める。
コチュジャンの辛さで噛む度にファンファーレが鳴る。
「どうですか?」
噛めば噛む程に辛い!
「辛いです。」
「辛いだと?」
飯田の先輩イケメン野郎が平気な面をして食べながら言う。何故か悔しい。
涙目になりながら乳酸菌飲料を飲む。口のヒリヒリ感が和らぎ助かった。
「辛い料理には乳酸菌飲料が良いんですよ。」
「韓国の激辛タコ料理屋には乳酸菌飲料が置いてっけど、これ1辛だろ?」
「そうですよ。」
飯田もチュクミを食べるが、顔色一つ変わら無い。
「うん、美味しい。」
「やっぱりな。イイダコだから美味いぜ!」
「先輩~、それって駄洒落ですか?」
「おう。それに定番の韓国焼酎も良いが、日本の生ビールとも合う。
ワンジョン、ネ、スタイリエヨ!」
出た。韓国語!直訳は”完全に私のスタイルです。”だが、意味は”私の好みです。”だ。
「本出さん、そこのお皿にあるエゴマの葉でチュクミを包んで食べて下さい。」
本出は頷き、言われた通りにする。もう躊躇は無かった。意地だ。
一気に頬張ると、エゴマの葉を感じる。ミント系の香り、独特の苦み。
ナッツの様なゴマ油にも近い香ばしさ。 幾分か辛さが和らいだ気がする。
「あ、さっきより良い感じです。」
とは言え、チュクミ自体は辛い。汗も出るが、根性で食べ続ける。
チュクミはクリアした。サムギョプサルもエゴマの葉に包んで頬張る。
肉と脂身の配分が2:1でバランス良くエゴマの葉とのハーモニーも美味しい。
「エゴマの葉に包んで食べると、お肉の脂っぽさが抑えられスッキリしますよね。」
「はい!マシッソヨ(美味しいです)。これってシソの仲間ですか?」
「大葉と同じシソ科です。」
大根ピクルス、キャベツサラダを食べる。
この茶碗蒸しみたいな料理は何だろう?本出は香りを嗅ぐ。
「それは韓国の茶碗蒸し事、ケランチムです。」
一口食べる。海老の出汁が効いて少し塩味を感じる。日本で馴染みがある和風出汁の茶碗蒸しとは異なるが、美味しい。自然と笑みが溢れる。
「さて、チーズタッカルビも食べ頃ですよ。」
底が深い鉄板の中を見ると、2種類のチーズが良い感じに溶けている。
まずは、チーズの横にある鶏肉を口へ運ぶ。甘辛いタレでチュクミの辛さよりも刺激が優しく感じられる。これがタッカルビ。
「どうですか?」
「タッカルビも辛いですけど、甘さもありますね。」
「サツマイモも食べて下さい。」
「あ、甘辛くて美味しいですね。」
イケメン野郎が鶏肉をベージュ色をしている方のチーズにディップする。それを口に放り込み美味しそうに食べる。本出も負けじと真似をして食べる。あ、ミルクの甘さと酸味を感じる。水分も多くフレッシュでタッカルビの辛さが抑えられて良い。
「モッツァレラチーズ美味しいですよね。」
「はい!」
これがモッツァレラチーズだったか~。普段食べる機会が無く知らずに食べていた。
「チェダーチーズの方も美味えぞ!」
こっちのオレンジ色はチェダーチーズか~。ディップして食べると、爽やかな酸味が口に広がりタッカルビの味がマイルドに感じられる。
あっと言う間に鉄板の中が空になった。
「チュクミと言えばシメのポックムパッだぜ。注文するだろう?」
「そうですね。退社時間も大丈夫なので、注文します。本出さんも食べますよね?」
「はい。」
お腹に余裕はある。食べてやるぞー!再びポータブルガスコンロの出番だ。底が浅い円盤状の鉄板に残っているチュクミのエキスが加わったコチュジャンソースでご飯が炒められる。ん~、やっぱり辛そうだ。炒め終わり熱々のポックムパッに挑む。
とにかく一口食べる。辛い。だが、ご飯は香ばしく食欲が湧く。美味しい。まだまだ行ける。
「どうだ。美味えだろう!これが鉄板だぜ。」
「確かに美味いです。」
「先輩、寒いです。」
「クールダウンになったろ。」
冷めると辛さが穏やかに感じられる。本出は黙々と食べ続け、無事に食べ終わった。
乳酸菌飲料を飲み干す。バトルは終わった。ふと手首のスマートウォッチを見る。
17:00だ。丁度勤務終了時間なので、スマホでミーハー部長にお疲れ様でした。と
メッセージを送り退勤する。
「呑み足りね~な。じゃ、2次会で次の店に行こうぜ!」
「本出さん、行きましょう。」
さすがに彼女も付き合え無いだろう。椅子から立ち上がりエコバッグを持ってレジへと向かう。本出も立ち上がり椅子の下に収納していたショルダーバッグを取り出すと肩に掛けた。
飯田が会計を済ませる。
「私が支払いました。これ、領収書です。」
「ありがとうございます。」
店を出ると本出の愛車があるコインパーキングへ向かう。日は落ちて辺りは暗いが、通り沿いは店の看板や窓から漏れる照明で明るい。数分で愛車の元に着いた。飯田が後部座席にエコバッグを置く。助手席のドアを開けるかと思いきや、通り沿いの歩道へと向かう。
「え、乗らないんですか?」
飯田が振り向き手招きをする。
「本出さん、行きますよ。」
2次会、行くんかい!心の中で突っ込む。とりあえずドアロックして飯田の元に駆け寄る。ま、無理も無い。呑みたそうにしていたからな。
「遅えぞ~!」
イケメン野郎は叫ぶと、建物内に入って行った。後に続き2人も建物内に入る。
入口の自動ドアを通過すると、通路が奥に長く続いている様だ。
「本出さん、どの店にします?」
ふと、飯田の声がする方を見る。右側の壁には館内マップと飲食に関する十か条。
2階もある様だ。壁の下には店名と料理写真が10店舗分の一覧でディスプレイされている。それを彼女は見て聞いていた。
「写真だと決められないので、店のメニューを見ながら決めません?」
「私お腹あまり空いてないので、調べます!」
飯田がスマホで検索を始めた。本出が通路の床を見るとハングルが書かれている。
辞書で意味を調べて、それが朝鮮時代から伝わる古典の題名だと知った。
韓国では有名な作品らしいが、日本だと知る人ぞ知るだ。
「2階のカラオケに行きましょう。」
飯田は通路を進む。床にはUターン禁止のマークもある。
一方通行だ。少し進むと、海鮮料理の店舗が見えた。
「飯田!カンジャンケジャン美味え~ぞ。」
「あ、私達も食べましょう~。」
飯田はレジカウンターで注文。会計を済ませレシートと料理を受け取りテーブル席の方に向かう。トレーには料理プレート2つと銀色の蓋付き茶碗1つ、ドリンクが2つ。それを飯田が配る。プレートにはカニの脚と胴体、醤油色で艶があるタイプとコチュジャン色で照りがあるタイプの2種類が盛り付けられている。
「くぅ~!美味しい^^」
飯田は中ジョッキの生ビールを呑んで至福な表情になっている。
「本出さんも一杯どうぞ!」
「え?」
「あ、お酒じゃないですよw。」
本出は何やらベージュ色のドリンクを顔に近付ける。ほのかに甘い香りだ。
一口飲む。甘みと香ばしさを感じる。 日本の甘酒に近いイメージだ。
「もしかして、シッケですか?」
「当たりです。 疲労回復にピッタリでしょ!」
飯田の印象が変わった。妙に明るい。
「甘酒はお水とお米、麹で発酵させた物とお水と酒粕、砂糖を使った物の2種類あり
白く濁った色ですよね。シッケはお水とお米、麦芽粉のヨッキルムで発酵、砂糖を
加えた物で麦芽のベージュ色です。さ、カンジャンケジャン食べましょう!」
飯田がカニの脚を手で持って口を使って身を吸い出す。本出も見様見真似で食べる。
ニンニク醤油やゴマ油の香りと新鮮な生のカニ身が甘く旨い。
飯田はカニ身を食べ終えると、カニ面の奥にあるカニ味噌を集める。
カニ味噌と醤油ダレを馴染ませ、そこに白ご飯を混ぜる。
銀色の蓋付き茶碗は白ご飯だったのか~。と本出は思った。
「本出さんもご飯どうぞ。」
「はい。」
本出もカニ味噌醤油と白ご飯を混ぜて食べる。カニ味噌の味とニンニク醤油の香りが相まって美味しい。
「さて、お次はヤンニョムケジャンですね!」
飯田の目が何か意図を持っている様に見える。ヤンニョムは甘辛いと言われるが、本出は辛い味付けを苦手とする。赤い見た目をした料理だと身構えてしまうのだ。
辛そうだが、これも記事を書く為には避けられない。
いざ、プレートにあるヤンニョム色をしたカニ脚の身を食べる。やはりコチュジャンの辛みを感じるが、水飴の甘みもある。そこにカニの甘みが加わる。辛いが、甘みで辛さが和らぐ感じだ。シッケを一口飲んで次に備え、カニ面の方も食べる。カニ味噌が加わり白ご飯で辛さはあるが、中和される。食べ終わり、シッケを飲み干す。
「ごちそうさまでした。」
「美味しかったですね!今日は食べ過ぎなので、思いっきり消費しますよ。」
飯田は立ち上がる。
「先輩~!次、行きますよ!」
「お?おう。」
飯田の先輩が立ち上がり近付いて来た。本出も立ち上がる。
飯田は通路を進む。付いて行くと、女子トイレの前に来た。
「ちょっと、お手洗い寄って行きます。」
「カニ食っただけに化粧室かよ!俺達もよう、用足すぞ。」
野郎2人で男子トイレに入る。
「お前、歳いくつだ?」
「33です。」
「お、タメじゃん!」
手を洗いトイレを出る。
「韓国は確か年功序列が厳しいんですよね?」
「それな。年上には言葉遣いや食事作法とか気を付けねえと終わりだぜ。」
飯田も化粧室から出て来た。
「お待たせしました。」
「おう。」
階段で2階に上がりカラオケルームに入る。
「飯田、カンジャンケジャンにはマッコリが合うんだぜ。」
飯田がドリンクメニューを探す。
「あった。私は生マッコリにします。」
「マッコリってテレビで見た事はあるんですけど、どんな飲み物ですか?」
「お米や麦、小麦粉、ジャガイモとかを蒸した後に乾燥させ、麹と水を加えて発酵。
それを粗く濾す事からマッコリと呼ばれているんです。お肌にも良いので~。」
「そうだぜ。マッコリがメインの居酒屋だと松の実やヌルンジ味のもある。」
飯田がドリンクメニューを本出に見せる。メニューを見ると、生マッコリの他に黒豆やおこげ、サイダー、栗、ピーナッツ、各種フルーツ味がある。
「お、おこげ味あるじゃん!ヌルンジの事な。」
「ここにはありませんが、濾さないのもあるんですよね?」
「おう。トンドンジュの事だな。」
「ところで、マッコリ自体はどんな味がするんですか?」
「マッコリは加熱されていて酸味は少なくコクとほのかな甘みがあり、甘酒や乳酸菌
飲料っぽい。生マッコリは非加熱なので、ほのかな酸味と微炭酸を感じますよ。」
「生マッコリは時間経って発酵進むと、酸味も炭酸も強くなるぜ。気付けろ。」
本出はメニューの下にあるソフトドリンクを見る。
「僕は乳酸菌飲料ソーダにします。」
飯田が注文を終えると、早速カラオケマシンのリモコンを手元に引き寄せる。
「本出さんはK-POP聴かれます?」
「はい!好みの曲が多いので、聴いています。」
「歌唱力やダンスのレベルも高くて良き。努力も並大抵ではないですよね。」
今やK-POPは韓国だけに留まらず、日本を含むアジアや米国にも広まっている。
その影響だろうかK-FOODも注目され、コリアンタウンの新大久保のみならず
コンビニやディスカウントストアでも取り扱われる時代だ。
「さて、イントロクイズです。」
耳を澄ます。あ、これは知っている。
世界的に有名で人気があるK-POPガールズグループの曲だ。飯田が歌い始める。
本出も歌いたいが、キーは高くテンポも速い。特にラップパートは付いて行けない。
本出はネットで聴いて曲と歌唱力の高さからファンになった1人。振り付けは知っているので、手振り身振り踊り参加する。曲が終わり、本出は拍手した。
「歌お上手ですね!」
「本出さんも踊れていましたよ。」
「踊りと言えば、サンナクチだな。知ってっか?」
「タコの踊り食いでしょ~。」
「あ、見た事あります!新鮮で動いていて吸盤も引っ付いて危ないんですよね?」
「まあな。ちなみにナクチはテナガダコの事だぜ。」
店員が金色のやかんと乳酸菌飲料ソーダを持って来た。テーブルに置かれたやかんの取っ手を飯田が持ちグラスへと注ぐ。白く濁った飲むヨーグルトの様な見た目だ。
「お、やっぱりマッコリと言えばやかんだな。」
「乾杯しましょう!」
3人は各自グラスを手に取る。
「コンベ!」
飯田の先輩が韓国語で乾杯と叫び、3人でグラスを合わせる。
「おっと、ここで注意するポイントがあるぜ。」
「目上の人が持っているグラス位置より少し下でグラスを合わせるんでしょ!」
「そうだぜ。グラスに口を付ける時は目上の人が先な。」
飯田の先輩がグラスに口を付ける。
ワンテンポ遅れ本出も自分のグラスに口を付ける。
「呑む時も目上の人から顔を少し背けて口元を隠す。」
「はい。はい。」
飯田は嫌々指示に従う。
「それと目上の人が呑んでいるグラスに注ぎ足すなよ絶対。」
「縁起が悪いからでしょ~。」
「おう。お偉いさんに注ぎ足したら、一巻の終わりだな。」
なるほど。韓国では気を付け様と思う本出。
「グラスが空になったら注ぐんですよね。」
「合ってっぞ。ただ、グラスに残ってんのに注ごうとする人もいるぜ。」
「それは、その人が注ごうとする相手への意思表示ですね。」
「そんな時は呑み干してグラスを空けっと良いぞ。」
飯田が突然カラオケマシンで曲を流す。これも知っている。飯田は歌い始めた。
本出は要所要所でお決まりの振り付けを踊る。 数分ではあるが、良い運動だ。
最後まで歌い終えると生マッコリを呑む。
「お酒を注ぐ時は相手からのシグナルを受け取るって事ですね。」
「相手へのシグナルもあるぜ。自分のグラスを空けて相手に渡す。そこに注ぐんだ。
酒を通じて情も交わすって意味がある。」
何曲か歌いカロリーを消費した。
「何か食べます?」
「マッコリにはチヂミやポッサムが合うんだぜ。」
「ポッサムは茹でた豚肉ですよね?」
「間違っちゃいねえが、野菜の中に包んで食べる料理だ。」
飯田が注文する。待っている間に1曲流す。あのガールズグループのリードボーカルが歌うソロだ。推しの歌なので、張り切って振り付けを真似する。飯田の先輩が途中で”ポッサム!”と一部分歌詞を変えて歌う。フルサイズを何だかんだ歌い終えると、グラスの生マッコリを呑み干す。やかんの生マッコリを飯田が自分でグラスに注ぐ。
「おい、韓国で手酌するなよ。酒は注ぎ合ってワイワイ呑むのがセオリーだぞ。」
「はい。」
そうこうしていると、注文した料理が運ばれて来た。
「本出さん、ポッサムとキムチチヂミです。」
料理の方を見ると、黒い丸皿にキムチチヂミがある。
「冷める前に食べましょう!」
本出はキムチチヂミを一口食べる。キムチが少し辛いが、チヂミの少しモッチリした食感の生地と合わさり美味しい。乳酸菌飲料ソーダにも合う。
お次はポッサム。白い丸皿の内側に赤い紐状の食品が入ったカップ、その外側半分に豚肉が所狭しと重ねられ並ぶ。残り半分が野菜だ。
「さ、ポッサムは風呂敷状の布で包む。って意味だ。」
飯田の先輩が茹で白菜を手に持ち、箸で豚肉と赤い紐状を白菜の上に置く。
それを巻いて食べる。
「その赤い紐状は何ですか?」
「お?セウジョッ。アミの塩辛だぜ。食ってみ。」
「はい。」
本出も白菜の上に豚肉とアミの塩辛を置き包んで口へと運ぶ。白菜のシャキシャキとした食感にヘルシーな豚肉の味、アミの塩辛は独特な風味が加わり美味しい。
「どうだ?」
「アミの塩辛って独特な味ですね。」
「まあな。このセウジョッはキムチ作りに欠かせない調味料だぜ。」
「アミの塩辛は数ヶ月間発酵熟成させているので、味わい深いんですよ。」
「他にもスンドゥブチゲの味付けやクッパの味変で使われる。」
「あと、チョッパルやスンデのつけダレに使うんですよね。」
「そう言や、チョッパルもマッコリに合うんだったぜ。」
飯田の先輩は追加注文する。数分後、料理が届いた。
「ところで、チョッパルって何ですか?」
「豚足の事だ。美味え~ぞ。」
本出はチョッパルを口に運ぶ。醤油ベースの甘く香辛料が効いた味付けで、豚足の皮はプリッと肉はコリッと食感。皮の柔らかなゼラチン質と肉の歯応えの絶妙なコンビネーションが美味しい。
「豚足は皮にコラーゲンが含まれているので、プルプル食感なんですよ。」
「じっくり煮込まれて豚角煮の様なルーローハンの具に近い味で美味しいですね。」
チョッパルの皿も空になった。
「そろそろ、お開きにしましょう!」
「はい!」
「ちょっと。先輩起きて下さい!金田先輩~!」
飯田が先輩の金田を声で目を覚まさせようとする。
金田は熟睡していて全く反応が無い。
「起きなさそうですね。僕が担いで行きます。」
「え、大丈夫ですか?」
本出は頷く。このまま金田を放って置けない。仕方無く金田を音負って階段で1階へと向かう。そのまま建物から出て駐車場に行く。
愛車のハザードランプが2回光り輝く。起きる気配は無い。
後部座席のスライドドアを開ける。
「飯田さん!エンジン掛けて下さい!」
「あ、はい!」
エンジンが掛かると、後部座席にあるリモコンスイッチを押す。シートが外側を向き車外へと降りる。金田を座らせシートベルトを着けシートが車内に格納させる。
スライドドアを閉めて2人は前席に乗り込む。
ひとまずコインパーキングを出て出版社へと愛車を走らせる。
「遅くまで付き合わせちゃって、すみません。」
「いえ、勉強になりました。」
「K-POPお好きなんですね。」
「はい。」
カーステのCDを流す。
「ファン歴5年目です。」
「私は大学生の時からなので、ファン歴8年になります。」
「ファンクラブ入っているんですか?」
「はい。後ろで寝ている先輩に誘われて入会しました。」
交差点の信号が赤になる。
「ところで、金田さんの家は何処ですか?」
「知らないんです。」
停車寸前で思わずブレーキペダルを押し込む。
本出とした事がカックンブレーキになってしまった。
「え?あ、ブレーキ強かったですね。すみません。」
「いえ、大丈夫です。お気になさらず。」
信号が青に変わる。気を取り直し走り出す。出版社近くの交差点を右折。
社屋の玄関先に優しく愛車を停める。
「今日はありがとうございました。」
飯田は助手席を降りると、スライドドアを開ける。
「金田先輩!起きて下さい~!」
飯田がスマホのライトを金田に浴びせるが、ぐっすり寝ている。
「飯田さん、起こさなくて良いですよ。僕の家に泊めます。」
「それは助かります。ご迷惑じゃないですか?」
「1人暮らしなので、大丈夫です。では、お疲れでした。」
「はい。ありがとうございます。」
飯田がスライドドアを閉め、帰って行く。本出は飯田の後ろ姿を見送ると、 愛車を発進させる。少し荒っぽい運転で自宅マンションへと向かう。金田は疲れているのかオーバースピード気味にコーナリングや強いブレーキングをしても寝続ける。
金田が起きる事も無く自宅マンション地下駐車場に到着。後部座席のリモコン操作でシートを車外に降ろす。シート下にタイヤ付きで車椅子として使い、通路に置く。
愛車を駐車スペースに停める。後部座席の荷物を確認すると、本出の商売道具であるノートPCの入ったショルダーバッグと飯田のエコバッグがあった。忘れ物だ。
それらを持ち金田を乗せた車椅子も押す。エレベーターで自宅のある階へと向かう。
自宅の玄関ドアを開け、車椅子と共に玄関を入る。
靴を脱ぎ荷物をリビングのテーブルに置く。休む暇は無い。濡らした雑巾で 車椅子のタイヤを拭きながら室内へ車椅子を移動させる。
本来の用途は歩行が難しい方の移動だが、酔って寝ている野郎の移動でも使える。
祖父母を乗せるつもりが、こんな時に役立つとは。
シートのリクライニングを倒すと、本出は風呂で汗を流す。風呂上がりに新大久保の韓国食品店で買ったぶどうジュースを飲む。甘くて美味しい。水分補給を終えベッドで就寝する。
EP.2 END
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