第3章 ほのぼの
トト、トトトトトト……トト。
自室にNINEのフリック入力の音が微かに響く。
小森 裕(こもりゆう)――僕は、今日も家でぐうたらしながら夏休みを絶賛満喫していた。
あの奈留莉さんとのやりとりが行われた日から、もうそれなりの月日は経ち、気が付けば周りの季節すらも一変してしまうくらい。あまりにも季節の流れが早い、早すぎる。
カーテンレースから部屋の中へと差し込む光は、まだ朝とはいってもそれなり強いもので、太陽君の仕事に対するやる気を伺える。ミンミンと夏ならではの蝉が発する音は、もはやそれだけで暑さを感じてしまうほどだった。鳴りやむことのないアラームだ、と悪態をつくが僕には〝追い払う〟というコマンドは出てこない。第一、触れない……。
割と憂鬱なお目覚めではあるのだが、それでも僕はいつもの時間に目が覚めてしまう。起き上がるのはまだ先にしても、どうやら眠気は春と言う季節とともに流され消えてしまったようだ。ベットに伏せながら腕を伸ばし、枕を顎の下敷きにしてからスマホのアプリ『NINE』でのメッセージとにらめっこをしていた。
すべすべで肌触りの良いシーツから両足を突きだし、ベッドの上でパタパタする。素足が風をきる。みんなからのメッセージに返信し、既読が付かない不安感を、この時間帯だからまだみんな起きてないからだ、と一人でケアしながらベッドから立ち上がった。立ち上がると同時に持ってたスマホを枕元に投げ置くと、スマホのどういう機能かは分からないがクッションの「ぼすっ」という柔らかい音を起点にロック画面がつく。
特に何ら面白みのない質素な壁紙と、画面の真ん中より少し上あたりに『6:30PM』という時間が表示された。
「くっ、きゅぁ――――」
誰にも聞かれたくないお目覚め奇声とともに僕は伸びをする。そこまで体に重さを感じているわけではないが、それでも腕から肩、つま先まで伸ばすと気持ちがいい。さっき眠気が吹っ切れたみたいなことを言った気がするけど、どうやらあれは嘘みたいだ。まだぽわぽわする。さっきの夢と現実の区別がつかないくらいには。
目を線に、大きなあくびをしながら、ろくに前が見えない霧の中を感覚だよりで洗面台へと向かう。きっと洗面台へ入る僕と洗面台から出てきた僕を見比べる人がいたらみんなこう口をそろえて言うだろう。全くの別人だ、もしくは、ぇ、洗面所で生活してる小森裕と瓜二つの双子? って。
ふにゃふにゃな僕は、洗面台で歯磨き、髪のブラシ、洗顔、眼鏡の着用をすべて同時に済ませ、スライド式の扉を開く。そこからは胸を張り、ぱっちり目を開け、心なしか日常のBGMに強いドラムとクラップ音が加わったような完全体の僕が現れる。眉もきりっとしていてどや顔で……いや、もういいか。
学校ではかけていない眼鏡のずれを正し、僕は胸の前で両こぶしを握った。壁に掛ってる時計はさっきの六時半と変わらない数値を映す。よしっ、と気合を入れた。
そう、今日は僕の家に来客が来るのだ。
来客が来るという日本語力の皆無さは決め台詞のように言った後から気づいたけど、それは今はスルーしてもらい……。来客とは言ってもそこまで硬くはなく、むしろドーナツのように柔い集団。言わずもがな奈留莉さん、朝陽、柚充さん、空、五十嵐の5人だ。
来る時間は約3時間四十分後だろう。そのくらいの時間だとNINEで話していたけど……まぁ、彼彼女らが時間通りに来るとは思っていない。柚充さんくらいかな、時間ちゃんと守りそうな人。あ、でも柚充さんも皆から流されてしまいそうな気がする。だからその遅延を見越しての四十分だ。失礼な話ではあるけど、流石に否定はしきれない。
それと、もう一つ僕には説明する必要があるものがあるだろう。きっちり起きたこの時間、そもそもカレンダーにちゃんと書いていた今日の予定。今やっている準備運動。
そう、この時間何をするのかと言うと――
「大掃除、かいしー!」
僕は気合の入った声で絞った雑巾を掲げた。
そう、大掃除だ。これは奈留莉さんたちが来るからという訳ではなく、元々スケジュールが組まれてたものでその日程がたまたま重なってしまったという訳だ。あるよね、何かこれをしようっ! って思ったときに予定が被ってしまうこと。けど、来客が来るからという理由でもどのみち間違っていないのでいいだろう。
だから今日はいつもより1時間早く、学校がある人同じ時間に起きたのだ。
長袖でも半袖でもない絶妙な長さの袖をまくり、大げさに腕を大きく振って窓から仕上げることに、と窓にZLボタンで注目をする。早速――と霧吹きとワイパーが置かれてる倉庫へとBダッシュで向かおうとしたのだが、走り出した体は某そのアクションゲームと同様、キュキュキュという音とともに急ブレーキをした。僕は髪こそ緑だけどそこまで止まりにくいわけではなかったみたいだ。ジャンプが高いかって聞かれたら……そんなことはない。
「その前に~っと……」
僕はテレビの両サイドに置かれている大きな縦長のスピーカーに電源を入れた。同時にテレビの電源もつける。リモコンの数少ない動作を終えたら自分が好きな音楽の再生リストを〝シャッフル再生〟で流した。両サイドのスピーカーにはこのテレビと接続されているので良質な音で楽しめるようになっている。僕のお父さんのものだ。
流石に早朝と言うのと僕の家をクラブか何かと間違えてほしくはないために、音量は控えめに。
こういう風に何かとめんどくさい、でもやらなきゃいけないっていうタスクには毎回音楽を付ける。そうしたら以外にも楽しかったりする。
さて、これで準備は万端だと持ってたリモコンを机の上に置き、今度は両手を肩と平行に開いてまるで幼稚園児がやる飛行機のようなポーズで倉庫へ走り出すと、シャッフル再生から1曲目の『ミラーズスター』のイントロが流れてきた。なんだかんだもうお馴染み曲。有名ではあるのらしいだが僕はシンリマ経由でこんなにハマってしまうとは思ってもいなかった。この曲が持つ中毒性にまんまと染まったのだろうか。音ゲーからは色んなジャンルの色んな曲を知れてとてもいい。
シャッとリビングのガラス扉を開く。庭へと出るこの一枚のガラスは外と中との境界線になっており、朝日の激しい直射日光ともわもわした熱気に流石に顔をしかめてしまった。あまりの違いにうちのガラス窓の断熱性に改めて感謝する。いよいよほんとに夏だなぁ。
「うへ~。暑いよぉ。これ、お昼ぐらいもっと暑いだろうなー」
動いてもないのに汗が出てくる始末。でも、だからこそ体力のあるうちに大きくてめんどくさい窓掃除からやろうと決めたのだ。額を拭い、流石に一度首に巻くタオルと大きな帽子を取りに帰ってから窓へ霧を放った。
上から透明で日差しに反射した光の粒が窓に付着していく。窓に張らなかった水霧は僕の腕や顔にかかってしまうが、これくらいの気温になるともはや心地いい。ひんやりとしていて、ゆっくりと落ちて木製のデスクに落ちるその霧粒々は真逆の季節を表す粉雪のように神秘的だ。時折季節外れの小さな粒雪がくれる冷気に励まされ、僕は汗水流して身長の倍くらいある窓を拭いた。
おそらくどこかの電柱か木々か。夏の風物詩である蝉が鳴いている。なんとなく目覚めが良かった朝だったからか、今日はなんだか気分がいい。朝から視界が明るく、いつも以上に空が輝いて見える。結局はめんどくさく感じる掃除も不思議と気合が入ってしまう。家の前を散歩するおばあさんと挨拶を交わした。その声でさえ何だか清々しい。
気が付けば窓ふきはあっという間に終わってしまい、ぴかぴかになっていた。
「よし、いい感じ!」
目に掛る前髪をずらし、湿り気のある首元のシャツを仰いでから仕上げた窓の全体を見てみた。結構高値の洗剤を買ったかいがあった。よく見るキランっ☆と輝くハイライトまで見えてしまう。これは窓から終わらせて正解だった。これ最後とかだったらモチベーションとか体力とか絶対になかったよ!
「うんうん、この調子で全部終わらせちゃおーう!」
大好きなソシャゲの1つbgmにある〝いえぇーい!〟という可愛い掛け声に合わせて僕もいえーいをしてみた。僕はいつでもお宅でオタクで、頭の中はパラダイスなのだ。……ここは夏の暑さで、という言い訳を使おうと思う。
それからの僕は数々の項目にチェックをつけるかの如く、仕事を順序良くこなしていった。
* 大掃除チャレンジ
[自室掃除の匠 │◦] COMPLETE
[そうじ'sキッチン │◦] COMPLETE
[食品の蓄え? │◦] COMPLETE
[羽ばたけ! トイレ掃除専門家 │◦] COMPLETE
[お風呂掃除の行方 │◦] COMPLETE
……そして
[Ex お仏壇の清掃 │◦] COMPLETE
思い出を巡らせ、仏壇の細かなところも丁寧に掃除した――。
悩みに悩んだ妹の部屋はドアの前にある『無断入室禁止!!』と書かれた掛看板と何度もにらみ合いをした結果、僕が折れることになった。まぁいいだろう、プライバシーという言葉はこのために存在している……。また、どうせ近いうちにひょっこり帰ってきたりするだろうし。
こうしてすべてが終わり、身も心も部屋もすべてきれいさっぱりになった僕は、どこか気持ちの大きいままリビングの真ん中あたりに立って腰に両手を置き胸を張る。ぐるーっと深そうで対して何も考えてはない真剣な表情をしてからぐるーっと周りを見渡してみる。まるでぴかぴかと発光しているようだった。
床は天井の照明と反射して艶が分かるくらい。
テレビ台や棚の上にある物々はブロックのパズルゲームで上手くいっているときくらいの整頓力。長い4マスの棒を挟んだらすべて消えてしまいそうだ。物が消滅してしまうのは困るから、もし物を置くときは上に積み上げよう。
キッチンのシンクには水滴の1つもなく、何なら冷蔵庫の中まですべて出してまた入れなおした。
それに加え何より、一番。1つ1つを指さして綺麗になったことを確認したあと、僕はスケートリンクの上で回っているみたいに優雅に回転し、びたっと時計を指さして止まる。指す時刻は――
「よしっ! 10時ジャスト!」
秒針が12という数字にぴたりと重なったと同時に僕は叫び終わった。あまりにもうまくいくもんだから両手を上にくるくるフィギュアスケーターのように回転しながら喜ぶ。偶然じゃないって言うのは流石に嘘だけど、ある程度の時間は逆算して容量の良く仕事できていたと我ながら思う。
計画通りと言うのは何も悪いことじゃない。むしろ全然いいことだろう。取り柄がない僕でも自分で決めたことくらいは何とか守りたい、の精神でやれば怠惰な考えで生成されてる僕が、今の真面目モード小森を侵略するのを〝KNOCKOUT!!〟できるんだ。そうして頑張ったおかげで奈留莉さんたちが来るまでの時間を有意義に自分の時間として使うことができる。大勝利! ノーダメージボーナスでもらえるお金が増えてしまうくらいだ。
「なにしよっかなぁ~? 夏アニであのアーティストがopをするって噂のアニメも~。あ、頑張ったご褒美に冷蔵庫のアイスでも……いや、お昼ご飯の後にしよう。んぁ、そうだ! 結構溜まってたインディーゲームをしよう! 壁キックを見つけたから新しいエリアも増えて――」
そうぶつぶつ呟きながらリビングから自室にコントローラーを取りに行き、ソファに置いた。流れでそのままテレビのリモコンも手にして、流していた音楽をきる。さて、このままゲームを起動して、チャン♪ タァーン♪ 静かで神秘的な音とともに画面に〝水色の虫と花が入り混じったような生き物〟……が画面に映る前、今度は別の扉からリビングを出た。
「その前にぃ、まずはお風呂、お風呂♪ お昼でお風呂ー♪ にくいね、真夏日!」
鼻歌とともに僕は浴室へと向かう。お昼か、と言われれば微妙な時間だけど、それは語感だ。掃除も終わったことだし、首回りが湿ってて気持ちが悪いこのシャツともおさらばしたいところ。髪も少しべたついている。うぇ~。
リビングから脱出する直前に、ここ照明の横にある小さなリモコンを壁に付いてあるカバーから抜き取ってワンプッシュした。テレビの上近くに設けられている箱状な物体からピッと音がして、ゆっくりと側面に付いてある蓋が開き始める。エアコンの電源が入った。
夏休み。きっとおばあちゃんとかからこう言われたことはないだろうか?
(「んたぁ、だめでしょ! あーたのぱぱもままも暑い中働いてるのに、なぁーにあんただけ涼しい中ぐぅたらしてるのね! エアコンは昼からにしときん!!」)
――と。
ちなみに僕は、ない。
この頭の中の声は完全に想像でしかないのだが、実際には僕もこれはどこの方言なのか分かっていない。第一、僕のおばあちゃんこんな風にしゃべらないし、それにあんまり会わないからこんなやり取りしたことない。
じゃあ、何故経験もしたことないのにこんなこと言ったのかって?
……ふっ、夏のあるあるに参加してみたかったのさ。
僕は、エアコンから冷風が吹いている様子を見届けることもなく、そそくさとお風呂へと向かった。そろそろ、ほんとに熱気で頭が変になっていたのを自分でも自覚していたみたいだ。
頭を冷やすのも含め、シャワーを浴びようと思った。
□■ 小 森 入 浴 中 ■□
「はぁ~。さっぱりしたぁー」
半乾きの髪を首にかけたタオルで拭きながらリビングへ向かう。さっきまでの労働と、汗で重かったシャツと、いつかやろうと思ってた大掃除がようやく終わったという気持ちで本当にサッパリしている。体全身が羽のように軽かった。
半目の状態で脳内のリズムに頭を揺らしながら僕は待ちに待ったリビングの扉を開ける。どこでも行けるドアでこの先は海外とか新天地だとか、そんなイメージで扉を開いた。一気に顔から空気が押し寄せてくる。
「うわぁぁ~涼しいぃぃ~」
僕はソファーへダイブした。そこまで長いシャワータイムだったという訳ではないのだがそれでも最近の冷房は部屋の全体を適温に変えてくれる。さっきまでお湯を浴びていたからその反発で余計に涼しいのかもしれない。爽やかな空気が服の隙間から皮膚へと触れた。
「さいこーだーね、こりゃ。おじさん嬉しいよぉ」
リビングと廊下とのドアをちゃんと閉めておいてよかったとつくづく思う。ぐるぐるとソファーの上で横に回転したのち、がばぁと全身を広げて首を後ろのクッションに全身を全任せ。スライムとかゼリーとかゲル状に近しい生物なって溶けた。タイムリープはしないから安心してほしい。
ソファーにグデンとなりながら座るその姿。よれよれでぶかぶかな白いシャツに、またもや足を通す穴との差が広いひらひらな黒いドルフィンパンツ。白いシャツには情けないフォントで〝へやぎ〟と書かれていた。この文字Tを見たとき、僕はあまりのシュールさに洗脳されるかの如く興味が沸き、ネットですぐさま購入した。だからサイズはとてもオーバーで、左肩が露出してしまうくらいなのだが別に構わない。お気に入りの1着である。ソファーで寝転がりながら足を組む。
――これ以上に夏休みを謳歌している人間はそうそういないだろう。
とても悪い人間になっている気分がしてテンションが上がってしまう。さっき、ゲームをしようって言ってコントローラーを持ってきたり準備をしていたのだが……あぁ、なんかもういいやぁ。今は、ほんっとぉうになにもしたくない。
ただ、時間だけが経過した。クッションの上に全力で背中を置いていると、そのまま呑み込まれてしまいそうなくらいだけどもはや「それもアリかー」と思ってしまいそうなくらい、だらけてる。
いつもなら「お昼食べる料理の食材あったっけな?」「この間確かチョコレートすごい高いって聞いたな、物高かぁ」「夏休みの課題、英作文は早めにやっとこう」とか頭の中で箇条書きでまとめているみたいに忙しいのに、今はほんとただ「…………。……、……………………。………………………………。…………………(すぅ)………………………………………。〝真面目〟って言葉……。なんで面でじって読むんだろ――――――――」
くらいしか考えてなかった。きっと『( ᐛ )パァ』こんな顔をしながら天井を見ているに違いない。それくらい今の僕はあほだった。
くきゅーー……。
僕以外誰もいない部屋、さっきまで流れていた音楽も止めたので無音の室内。耳を澄ませばガラス越しの音響で蝉々がオーケストラをしているのが聞こえてくるくらい、静か。ちょうどオーボエ蝉がA(ラ)の音を出しているみたいだ。
その中で、僕のお腹がチューニングの音とは違う音を出してしまい、目立つ。
そういえば今日は朝から何も食べていないじゃないか。顔を洗い、冷蔵庫で冷えた麦茶をぷはーっとしただけだった。そりゃあ、お腹も空く訳だ。あんなに掃除で体力も使ったし、無駄な動きで1人はしゃいだりもしたし。いくら胃袋がガマ財布くらいしかないとはいっても、流石に限界だ。胃袋が「おい、相棒。何か食わせろ」と急かしてくる。チョコでも食べようかな?
僕は、1度ソファーの背もたれにぐぐぐと力を入れて全身を埋め込み、その反発で勢いよく射出され、立ち上がる。軽く宙を舞った僕は、素足がカーペットに着くと同時に目を瞑ってポーズをとる。跳馬の着地時みたいなポーズだった。
折角の暑い夏だ。何か冷たいものでも食べよう、とは言うが思いつくものは1つもない。僕の頭にクールな考え浮かばないみたいだ。とりあえずで冷蔵庫を開く。中にはさっき整頓した野菜類や昨日の夜に作った麦茶、タッパーに入ったカレーくらいしかない。すっからかんとは言えないが、今の気分にそそられるものは何もなかった。下の冷凍庫も同じだ。こっちはレンチン用のパスタばかり。もっと、こう……ほんとに夏っぽい、もの。料理は別に夜とかでいいし、だからってソーダアイスはいかにも夏なんだけど――。
僕は8つ入りのソーダぼう(←棒と某)アイスの箱を見てからぱたりと扉を閉めた。もう、どこかに食べにでも行こうか? いや、まだもうちょっと。
もう1つの捜索場。食器棚の下にある戸棚をのぞき込みながら色々と物色してみた。薄っすら残ってる記憶。確か、ここにあった筈だ。擬音通りガサゴソ言わせて戸棚の中に頭を突っ込んだ。沢山のインスタント麺や紙皿などが入ってる山の中から、1つの袋を手に「あった!」と籠った声をあげた。
「やっぱ、夏と言ったら〝蕎麦〟だね!」
どんな場面でも漁りは大事だ。終盤での注射器1本はとても大きな差につながる。隅々まで攻略すれば強い武器と入れ替えれる。目を凝らせば全然見つかんない収集アイテムもちゃんと手に入れられる。どういうことかというと――
……ちゃんと物は整理しようということ。
大掃除の時にここもしっかりまとめておけばよかった、と今になって思う。適当にあしらったのは、確かだ。反省すると同時、ポットに水を入れて沸騰のボタンを押す。手にした大きな袋の口を開くと、中にも3つくらい袋が入っていた。つまりは3回も楽しめちゃうっていうことだ。なんてお手軽でお得なんだろう!
マトリョシーカ袋レトルト蕎麦は固くて色も相まって石みたいな状態の塊は、どうやら水やお湯やでなんやかんやしたらお簡単、お手頃、お蕎麦を楽しむことができるらしい。原理はカップラーメンとかレトルトカレーとかと似たようなものだろう。怠惰な性格のあの人やその人に手を差し伸べてくれる存在だ、この蕎麦は。
流石にもっと本格的な蕎麦を楽しむなら『うどん/そば』と書かれたお店に行くのが一番だろうけど、それでも家の中で雰囲気や〝なんとなく〟を味わえるのは好きだ。人がどう捉えるか分からないけど少なくとも季節に合ったことは自ら進んでやってみたい。それに、今年の夏ほんとにお店の蕎麦屋さん行ったりするかもしれないし!
そんなことを考えているうちに、当のメンメンが出来上がってしまった。
あんなに石化したようなものはみずみずしさを感じる柔らかい細麺へと姿を変えてしまう。石化を解除する魔法みたいだった。少しこだわって麺の束を用意した笊の上に乗せて、冷蔵庫からいくつか氷と取り出し、乗せる。確か、つゆも冷蔵庫の2段目にあった筈だ、右手に笊on the蕎麦を持って左手につゆ、小皿、箸を器用に持った。開きっぱなしの2段目はお尻で軽く押して閉める。
こんなにも苦労を乗り越えて食べる蕎麦はさぞかしうまいだろう、と目の前の蕎麦にプレッシャーをかけてから椅子に座った。思い返せば、あれでバランスを崩してすべてがおじゃんになる可能性もあったのだが……過去にジャイロ系のゲームをちゃんとクリア出来ていたからだろう。 絶妙に体制がしんどかった。
「それじゃぁ――いっただきまぁーす!」
つゆをお皿にトクトク注いで、箸を持ち、そのまま合掌する。
笊から麺1口分をこちらによそい、落とさないようにサッと右手に持ったつゆ入り皿を下に忍ばせた。灰色の麺を黒い縁取りは茶色なつゆにゆっくりと浸して、またゆっくりと上げていく。中で麺の全身がつゆという温泉に浸かりきるのを確認したら、そっと口元へ運んだ。
ズズ、ズズズルズル――。家に1人しかいないので外国人には配慮をせず、蕎麦ならではの音を立てて、予想以上に多めだった麺を何度も口の中で咀嚼する。うん、うん。と頷くように思わず目を閉じて、久々なこの感覚を楽しんだ。
思った以上に弾力がある。麺と麺が束なっているからだろうか、それでも固くはない。細いもんだから噛みしめたらすぐにパラパラ小さくなる。あっさりとはしているがレトルトという割にコシがあり、浸ったつゆは心地いい味わいで少し辛めと言うかしょっぱいというか、その行き過ぎ分が動いたあとで塩分を欲っしていた体にちょうどよかった。
飲み込めば、またそこで新しい感触が生まれてしまう。口の中にあったひんやりは喉から食道へ、爽やかで冷えた清々しい風が一瞬吹き抜けたようだ。体の中心に線対称の軸があって、その内側から全身に冷気を送るみたいに空気が包む。もうすっかり夏気分だ。風鈴と麦わら帽子も用意した方がよかっただろうか? あ、天ぷらも作ればよかったっ!!
「ん~! さいっこうっ」
思わず冷気とともに口から感想が漏れてしまうが、仕方ない。僕が好きなあのピンクボールも『冷気』の能力を貰った時、こんな気分なんだろうか。吐息がこちこちになったみたいだ。こんなにも蕎麦とは魅力がいっぱいに詰まった食べ物だって、今まで気づいていなかった。
きっと誰もが2,3年ぶりの蕎麦を食べたら「最高」や「完璧」の1つや2つや5つくらいの感想を口にするだろう。そのくらい、今日の昼食は印象に残った。
ズズズ、また三口目。いく。
確か、つゆにワサビやネギを入れるとこれまた違った美味しさを味わえるんじゃなかったっけ? せっかくならネギを買って来ればよかったと、2回目の反省をしながら啜る。ほんと、おいしぃ。
でも確か、ネギは11月くらいが旬だし、ワサビはどうも苦手な食べ物の引き出しでずっとキャンプしてるから……。旬じゃないとはいってもスーパーで売ってない訳じゃないので今度の蕎麦用でネギは買っておくとして、ワサビはホントにダメだ。毎回、お寿司やお刺身をワサビと一緒に食べれる人は尊敬してしまう。いつかは、極ごく普通な顔で平然とワサビを使えるダンディな人になりたい。この話を空とか五十嵐とかにして子供舌というレッテルまで貼られてしまうのは……勘弁だ。実際苦手だから何も言い返せないし。
鼻歌でメロディーを追いながらもう1口、もう1口……。自分のペースでのんびりゆっくり味わって食べていると――
『ピンポーン、ピンポーン……』
蕎麦を啜る以外の音が、耳に入った。
そのインターホンにビクッと跳ね上がり、勢いよく振り返って時計を見てみる。そこに表示されてたものは時刻じゃなく絶望だった。時計の針どもは10時30分を指している。そう、例の約束の時間だ。
まずい! 完全に忘れてた! 僕は思わず立ち上がって握っていた箸を思わず落としてしまう。さーっと青くなっていく顔に、落とした箸を拾おうという考えも至らず、焦りすぎてまず何をするべきかも忘れてじたばたし始めた。ひとまず箸を拾って、1人分だと言ってもまだ結構残っている笊の上の蕎麦は……後でどうにか――危ないっ! 勢いよく立ち上がった時に机の上からつゆのボトルが落ちそうになったのを何とかキャッチする。
ダッシュで玄関まで向かうがリビングから廊下へと出る扉を開くとき、慌てている僕をさらに急かすかのようにインターホンがもう1度なった。ピンポーン、ピピピーンポーン、連打している人は誰だろうと予想する余裕も今の僕にはない。
「あいつ、どっか行ってんのか?」
空の声がドア越しに聞こえてくる。もう、お帰りのムードになってるの!?
あと少し、もう少し……ドアがわずか数メートルと言うところで事件は起こった。いや、実際、事件とは大きく出たものの、それはあまりにも珍事件で大事じゃない。ただ、滑って転んだ。
「みぎゃ!!」
つるーんと昔の漫画でバナナを踏んで転んだみたいな転び方をしてしまう。ドン! と音をあたりに響かせ、体が床に着いた。それと無意識に両手が親指、人差し指、小指を立てた(ハンドサインの〝大好き〟を表す)状態で倒れる。典型的なドジだ。きっとSEを付けるとするのなら『ズテーン』か『ストーン』だろう。
きっと掃除のときにここを磨きすぎたせいだ、カーリングの真似とか言って。それとも単に僕がどんくさいだけだろうか? ……いや、両方かも?
ボロボロになり、どこから生まれたか後頭部にバツ印(×)のテープを貼られたままのろのろ立ち上がる。その後ろ姿は何とも弱々しいものだっただろう。あぁ、自分でも情けない……。それでも何とか歩んでドアノブを掴んでひねった。
そっと開いた扉の先には、さっき転んだ時に出た『ドン!』に困惑して黙っているみんな――奈留莉なるりさん、
そのおしゃん姿に自分のラフな格好との差に気づいたのが恥ずかしかったのか、それとも色々慌てすぎたせいなのか。顔が赤くなって首の付け根辺りが痒くなるのを感じる。――それを我慢するのも含め、それを隠すのも含め、なるべく平常心を保ち
「……ぉ、おまたせ……? まっ、まったぁ?」
なかなかでない声で何とか最後までセリフを言い切る。
そんな様子に誰もしゃべらない。固まる。音のない空間が流れ、どこかの蝉がジジ……ッと鳴いた。
断ち切った言葉は同じセリフだった。
「「いや、無理ある」」
空と五十嵐が同じ口調で、呆れたように、同じ半目で僕の方を見る。
……予想は、してたけども。
「そっ――――」
「うぅぁぁああ! 小森くん!? 何です、その格好!!」
「ひぃぅ――っ!?」
そんなことないでしょ、を続けようと思ってた時、急に目の前に影ができた。叫びながら割って入る奈留莉さんは、目の前にいる僕をまるで人型のぬいぐるみかのように大きく手を広げられ、抱きしめられる。テーマパークの大好きなキャラの被り物にハグするみたいな感じだ。
瞳にハートを浮かべた奈留莉さんが寄せてきたせいで息が詰まってしまい、甘い花のような香りのシャンプーから抜け出すにはかなり大変だった。さらさら揺らめく後ろ髪の中から顔をだし、ぷはーっと息を吸う。柔らかい感触が僕の肌に押し当たる。途中、体温を感じるほっぺたが自分の頬と触れたとき、心臓が肌を突き破ってくるんじゃないかって言うくらい鼓動が増した。発作のぐるぐる目が発動してしまう。
僕は、捕獲された体から伸びた腕や手をじたばたし、弁解をする。
「い、いやこれは違う! これはみんなが来る前にちゃんと着替える予定の服で……。いつもの部屋着はもうちょっとちゃんとしているもので――」
「腕ほそぉ。足ほそぉ。腰ほっそぉ! コンパクトサイズだ」
「あのー、聞いてます? 聞いてないね!」
必死に取り繕うとしているのにその説明も奈留莉さんは右から左。というかそもそも耳に届いていない気がする。抱き寄せたのをいったん離して、僕の肩に両手を置きながら『とろん♡』とした目つきで僕の全身を上から下へと視線で舐めまわすように見ていた。んぇ? ホントに舐められて……よかった、流石にないない。
気が気ではない。諦めたように僕は目を瞑り、途方に暮れる。前に爪楊枝と言われたのを思い出すのだが、納得はしたくない。慣れたように、されるがままに、奈留莉さんが僕の顔を寄せてツーショットの自撮りをする。元気な彼女と裏腹に僕は肩を落としてカメラには目線を向けなかった。そんな様子でもまったく気にしていない様子だったけど。パシャパシャ鳴るシャッター音が一定間隔でシンクに落ちる水滴のように鬱陶しい。
じとーっ、と今度は無限に続くシャッター音の方へと目線を向けてみる。空と五十嵐の間。そこには胸の前でスマホを構えている柚充さんが無表情のままカメラの撮影ボタンを長押ししていた。シャシャシャシャ――とすごいことになっているが、何より無表情なのが一番ゾッとする。普段学校で授業を受けている柚充さんの真面目な顔とは違い、目を凝らしてみると眼球に力を入れたような真剣な顔、薄く浅く噛んだ下唇。青い瞳の奥に見える『ドクッ゙ドクッ゙』としたなにか。たちまち不安感と心配と恐怖を抱く。
――最近思うのだ。柚充さんって案外クレイジーなのかもと。
奈留莉さんは分かる。説明するまでもないよね? でも、最近脅威を感じているのはこの高速シャッター起動さんだ。どういう訳か、何やら特殊な趣味的なものを持っているらしく、具体的なことは何も教えてくれないが……若干察している点はある。あくまで予想とか、決定事項ではないのだが。ところで、あの画像はいつ消すのだろうか。
縄で締め付けられたみたいに奈留莉さん捕まった僕と、いよいよいろんな角度から写真を撮り始めた柚充さん。僕のシャツの裾幅をそっと掴んで「小森クン、この下はどうなってるのカナ! 確認してイイッ?」「ぃ、いいわけないでしょ!?」と奈留莉オジさんの魔の手から必死にシャツをガードする僕。
蝉が鳴く。普段人気のない静かな一軒家は、今までになく騒がしい。屋根が燦々と照る日光を反射していた。その後ろで青く縁どられた入道雲が大きく見守っている。はるか遠くの空、入道雲の前をミニチュアよりも小さな飛行機が後ろに細長い雲を走らせ横切っていた。
そしてそんな夏の下。今まで全く喋ってなかった男組の内の1人、空が口を開いた。
「早く、中入れろや」
□ ■ □ ♪ □ ■ □
「おじゃましまーす」
「じゃまするぜー」
「おじゃまします」
「こもゆうの家、すげーキレーだな!」
「懐かしいな」
こんなにも『口々に言う』が当てはまる状況があるなんて。朝陽が靴を脱いだのを片目で確認してから、玄関の鍵を閉めた。玄関にこんなにも靴が並んでいるのを改めて見てしまい、嬉しくなって微笑んでしまう。来客、否、僕以外に人が家に上がるなんていつぶりなんだろう。とても久々だ。今は何よりそれが嬉しい。僕も靴を脱いでさっき滑った廊下を進んだ。
すぐに着くリビングに行くと、皆が一息ついていた。やっぱり外と中とでは温度が全く違う。皆クーラーの出す冷気に満足しているようだった。真ん中にあるソファーでさっきの僕のように座っている奈留莉さんはどこかシンパシーを感じてクスって笑ってしまう。流石に僕よりかは崩れてゲル状にはなっていないけど。
「ふわぁ~涼じぃぃ~」
「冷えた酒飲んだ後みたいだな」
ガナリの声をあげる奈留莉さんに朝陽がソファーの隣にある丸い椅子に腰かけながら言った。珍しい、あの朝陽がツッコミに回るなんて……と冷蔵庫から麦茶の入った容器を取り出しながら思う。普段は朝陽は小ボケを挟んでくるような存在なのに、どうやらその立ち位置は結構な頻度で入れ替わるみたいだ。この2人があんまり話しているところを見たことがないので新鮮に感じた。
「なぁ、こもゆうぅ~。この蕎麦なんだ? 出しっぱなしだぞー」
テーブルの上に置きっぱなしだった蕎麦を五十嵐が指さしながら聞いてくる。そう、さっきまで食べていたレトルトの蕎麦だ。お皿の半分に入ったつゆ、その上に橋掛けている箸、笊の上でもう溶けかけている氷。……時間をこまめに確認して完璧な計画を立ててたはずなのに、それがうまくいっていない様子を形で残したものかもしれない、これは。
「あぁー、そのままだった。皆が来る前に片付けまで終わらしておこうって思ってたんだけど……。流石にもう伸びちゃってる?」
「「いや、蕎麦は伸びねぇよ」」
五十嵐とどこから聞いていたか空と同時に『ビシッ!』とされた。キレのあるというより「うそだろ、お前……」みたいなニュアンスだった。――衝撃な事実だ。蕎麦って伸びないんですね。難しい話だ。どうも僕は知識の偏りが出てしまう。
伸びないことを知った蕎麦は、空と五十嵐が食べることになった。どうやら1人用だと思って作った蕎麦は3人分らしく、じゃあ猶更あの袋の分け方は何だったんだろうと疑問が生まれてしまう。途中で中断されたお昼ご飯は、僕はもう色々あって十分だ。お腹いっぱい。使った箸とつゆのお皿をいったん下げて、2人分のお皿と箸を持って行ってあげる。
「いらないなら食べていいか?」って聞いたのは2人だけど、残り物になるのが省けたのは嬉しい。レトルトなのでタッパーに入れて冷蔵庫に入れとくにしてもきっと微妙だろう。だから、感謝はしている。試しでワサビを持って行ってあげたら2人共ワサビで食べやがりましたけども……。
気にしているのは僕だけっていうのもなぁ、とため息をつきながらキッチンから戻っていると
「あの小森さん、小森さん」
テレビの横に置いてあるさっき整頓した棚をじーっと眺めていた柚充さんが僕を手招きした。さっきから何か見ているなぁ、とは思っていたのだけれど、どうかしたのだろうか?
柚充さんは三段になっている棚の二段目を指した。どうやらここに置かれている円柱型のアロマのことのようだ。2人してそのアロマをのぞき込むような形となる。
「このアロマの香り、とてもいいですね。わたしアロマ好きなんですよ」
何か異変を感じたのかと思いきや、案外普通の女の子らしい質問だった。確かに、アロマに気になってこの棚を見ていたんだから妥当な質問だよ、と心の中で自身に指摘しておきながら話のラリーを続けた。
「あ、柚充さんもアロマ好きなんだ。この香りいいよね。えーっと、確かハーブ系のベルガモッドって言うやつだったかな?」
曖昧な記憶を辿って何とか名称を出す。具体的で詳しくは思い出せないけど、確かこんな感じの名前だった。
このアロマはお母さんのだ。
お母さんが大切にしていた一品で、リビングにいるときはよくこの香りをつけている。とおの昔に僕がプレゼントしたものだった。アロマの液の量はまだ結構残っていて、かつ、使ったような形跡はあまりない。今日もみんなが来るというのだから朝に久々使ったものだ。普段は、使わない。
お母さんは、貰った日から毎日、仕事から帰ってきたらすぐさまこの香りを使用していた。だから僕にとってのお母さんの香りはこの香りだった。中々に嬉しかったようで、鼻歌交じりにここの棚の前に立っていた背中を今でも覚えている。
――僕にとってもとても大好きな、忘れられない。リラックスできるもの。
柚充さんがきょとんとした顔で僕を見ていた。その視線と視線がぶつかり合う。一瞬僕は反ってしまうが、距離が近いのにびっくりしたということにする。折角アロマが好きだっていう話題だったのに、途中で相手が瞑想に行ったなんて笑えないだろう。
「――コホン。もうどこで買ったか、どこでこの商品を知ったかも覚えていないんだけどね。それでも、僕は……これが好きなんだ」
「そうなんですね。大切にされているのが分かります」
柚充さんはそう言って微笑んでくれた。僕は呆気にとられる。首を少し傾けた後、見せた表情は何の偽りもない真っすぐな気持ちを述べているようだった。そしてまた柚充さんはアロマの方を向く。しばらく僕は、ふむふむと顎に手を置きながらアロマを観察している柚充さんの横顔を眺めておくことしかできなかった。
「ところで、小森さん。そのオメガマットって言う香りはどんな――」
「へ?」
抜けた僕の声が柚充さんのセリフを遮る。頭に浮かんだ疑問符はどうやら柚充さんの方にも移ったらしく、どうして僕がこんな声を出して、どうしてこんな困惑した表情をしているのが分かっていない様子だった。いやいやいやいや、と頭の中で整理させて再度確認してみることにする。あんないいことをサラリと言える人だ、んなはずないよ。
「ごめん、柚充さん。今なんて……」
「あ、はい。ですから、その香りはどんなものが近いかと言うのを――」
「その前だよ! いや、近いのは後で教えるとして……」
「〝ところで、小森さん。そのオメガマットっていう――〟」
「そこー!!」
僕は演技に違和感を感じ、途中でカットする映画の監督のように勢い良く叫んだ。人差し指を立ててビシッとオメガマットと言う単語に着目する。柚充さんは疑問と困惑とで困っている様子を内側に向いた眉で確認することができた。
「ちょいちょいちょいちょい。話を遮っちゃったのは悪いと思って言うけどさ、多分違うね、オメガマット。それだったら史上最強な敷物みたいな名前になっちゃうよ!活舌が悪いのは反省するけど……」
「――敷物で一番強いものは〝魔法の絨毯〟か〝グ◯メテーブルかけ〟かと思いますが……」
「――んいや、そこじゃないよ!? その話題だとそうかもしれないけどさ!」
「うふふ。小森さんって反応が毎回いいから話していると、 わたしも笑顔になれますよね。ベルガモット、しかと覚えました」
「…………ほんとかなぁ」
両手を胸の前で握ってガッツポーズをする柚充さんに、僕は肩をすくめる。最後のは失礼に当てはまるかもだが、本心ではあるし。なんならその言葉も届いていなさそうだった。奈留莉さんに手招きされ「あ、は~い」と行ってしまう。……今。たった今、噂で聞いていた柚充さんの天然要素に分かりやすく触れたような気がした。
「ねーねーほら、小森くんも~。今日は何のために集合したか分かってるよね? 人の家でクーラー楽しみに来たんじゃないんだよー。はやくすわってぇ~」
「お前が――。いや、ありきたりだからあえて言うのやめるか」
朝陽が脱力して天井を見ながら言った。声が出しにくそうな体制だった。
柚充さんがL字型のソファーの〝L〟の短い辺の方に座るのを見ていると、奈留莉さんが隣の空いているスペースを右手でトントン叩く。弾力のあるクッションが弾むのは、早くここに座れ、という意味なのだろうか。柚充さんとのやり取りで待たせているのは事実だ。アロマに背を向けてソファーへと向かった。
厚みのあるクッションにそっと腰を下ろすと、すぐさま隣の奈留莉さんが袖から伸びた腕に(あの文字Tからは着替えました)自分の腕を巻き付けてこようとする。容疑者の方を向く前に僕は腕を引っ込めた。もしかして、4つくらい歳が離れた兄弟だと思っているのだろうか、奈留莉さんは僕のことを。突拍子もなく距離が近くなるの、勘弁してほしい。何度か繰り返される攻撃をperfectに回避した後、ずっと気になっていた質問をみんなに向けてした。さっき、奈留莉さんが言っていたことだ。
「――で、今日は一体何のために集まったの?」
今思い返せば、割とひどい話でもある。昨日の夜中、日付が変わったあとに決まったので、僕はそのNINEを朝見ることなり、さらには集合場所が僕の家だという決定事項を、僕が話し合いに参加してない状況で決まったということになる。前々から僕の家に遊びに行きたいという話はあったのだが、それが今日だっていうのは今朝知ったことだ。夏休みで生活リズムが反転している影響が最大限に出た結果だ。少数派は僕だけど、正論マンには黙ってていただきたい。
何か用事や飼育員会の仕事で家を空けることになった場合、どうなっていたのだろうかと心配になったが、結果的にはこうして家に上げれているので考えないことにした。でも、何をするのかも分かっていない僕は準備という準備もできず、今に至るという訳だ。
のちに、そのことで皆には説教をするとして……。気になっていたことをやっと教えてもらうようにと頼んだ。奈留莉さんが腕を組んで目を瞑ったまま自信にあふれた顔をする。どや顔というのだろうか。あぁ、ボケる気だなぁ。
「ふっ、ふっ、ふっ。あーまいぜ、小森くん! ハッカ飴、しょうゆ団子、さらには人生みたいだ! そうだろぉ、あんちゃん? Releaseぎョッ!!」
「…………どれも甘くないね。それに共通性は――」
「しゃらっぷ! そんなことは、関係っないっ! 今は私が話しているターンだからね! 正論はバックアップを取らないで削除しちゃってネ」
「――」
(ピキッ)頭に亀裂が走った。
僕はシュンッとワープして奈留莉さんの背中に回り、こめかみにグーをぐりぐりとする。目の前にある赤紫のアホ毛がビクッ! と縦に伸びた。
「――っ!? いたっ! いたい、いたいいたいいたい! ごめんなさいっ、ちょっと! 私をこぶしでグリグリしないでッ! 小森くーん!!」
「――1番甘くないのはその態度だよ」
「うわぁぁんん!! ごめんなさぁ~い!」
暴れる奈留莉さんに僕は容赦なく。涙を浮かべて反省したのを確認して、手を放してあげることにした。僕が手を出しては向かったことが意外だったのか奈留莉さんは頭をさすりながら、ひぃん……と情けない声をあげていた。自業自得、とは言わないであげよう。弱ってる奈留莉さんは……結構レアだ。もう十分に反省しているのだろう。自分がしておいて言うのもなんだけど。
「う、うぅ。痛かった……。ふいうちだったからダメージ結構多かったよ、今度から気を付けよう……。んんっ!! そう、これじゃないよ! もう、ずばっと言っちゃうけど、今日は〝鈴歌祭に向けての作戦会議〟で集まったんだから!」
咳ばらいをしてリセットさせた奈留莉さんは、勢いよく立ち上がって一本の指を突きだし、目つきを勇ましくする。ドバーン! という効果音が付きそうな彼女の様だったが、実際にはしーんとしたシーンとなってしまった。斜め上を指している指の先が指す方向は天井しかないし、座って黙って見ている僕らからしたらあまりにもシュールな光景だ。
朝陽が声を出さずあくびをしている。柚充さんがぽかーんと口を開いている。僕はまばたきを2回する。ふっふっふっ、という声が聞こえてきそうな奈留莉さんの頷きに、音がないこの世界では空と五十嵐が啜る蕎麦の音しか存在しなかった。
僕は、この流れは続けちゃいけない、と悟り頑張る。
「――あ、そうなんだ」
「ソナノ、ソナノ」頷く。指を突き出したまま振る。
「まぁ、鈴歌祭に向けて決めておくのは大事だね」
正直、ふざけた態度で言うから「いやそれはないだろー!」とツッコむのもよくないし、だからと言って今の奈留莉さんに対して真面目なんて言ったら、僕は全身真っ白のズボンとシャツを着てミートソーススパゲティを食べに行くようなものだ。つまりは『イカれてる』。大事は大事で何も変なことではないのに、彼女はこうだから……うーん。反応がしにくい答えだった。
本当のことを言うと、今日は勉強会だとか言って僕の家に集まって結局はお菓子を食べながら映画を見たりゲームをしたりなど、思い返したらものすごくもったいないことをしたな、って夏休み最終日とかで反省するようなことをするのに集まったかと思っていた。まぁ今日は友達と遊べて楽しかったからいっか! とその日の宿題をさぼって眠りにつく、例の日。
でも、違うのだ。いけないいけない、気持ちを入れ替えないと。別に、蕎麦の袋が入っていた隣の棚にお菓子の袋がいっぱいあったなんて思い出したりなんてしていない。
「……ん? じゃあそのテーブルの上に置かれている袋は何なの? ずっと今までスルーしてたけど、ようやく拾おうと思うよ」
さっきまで僕が蕎麦を食べていたテーブル、今は五十嵐と空が蕎麦を食べているテーブルの上にポツンと白いビニール袋が置かれてあった。何ならこの手前の袋の裏に隠れるように同じ大きさの袋が2つ――合計3つ置かれている。それなりに大きい。バスケットボールの大きさで例えるのが一番だろうか。きっちり袋の口が結ばれているのでゴミ袋の山のようにも見えてしまう。
袋の隣に座って、蕎麦をずるずるしている五十嵐が説明してくれる。
「ほえ、もあとああんあーえーうああいぅええ、いいあうああえみああえ――」
「……飲み込んでから話してくれない? ひっとつも分かんないから」
「――ごくん。その袋の中、おふくろが袋叩きにしたフクロウが入ってるぜ」
「ワァ、すごい! 今度は僕が簡単に呑み込めなくなったよ、その話……」
まず、フクロウを袋叩きにしないであげてよ。可愛そうじゃん。
僕は笊の上にある蕎麦が無くなりかけているのを見ながらそう思った。
「――で、実際は?」
「袋の中みたらいいじゃん」
「あれ、いいの?」
「おう、奈留莉が提案した品物だ」
ずるずるずる、背中を向けて五十嵐はまた蕎麦を啜る作業に戻る。結局、なんだったんだこの時間、というのは野暮だから口にはしないでおいた。残り少ない蕎麦を取り合う空と五十嵐の喧嘩はほっといて、僕は手前の袋に触れる。2人が喧嘩をするのはざる……じゃなくて、ざらにあることだ。蕎麦におくと……って、これもまた違う。側だ。側にいるだけでしょーもないもないことで喧嘩をしだす。
さて、肝心の中身だ。一体何が入っているのやら、と固く結ばれた結び目を解いてビニールの袋をカサカサいわせる。万が一、本当の動物のバラバラ〇〇(←深い意味はないよっ!)の可能性がある為、恐る恐る片目を閉じて薄目で見ることにする。だけど、そんな心配は伏字を含め必要なかった。見慣れたものが詰まっている。
「……ぽてち?」
袋から出してみる。じゃがいもみたいなキャラクターにがラベリングされたポテトチップスと言われたら誰しもが想像するだあろう、そのままが入っていた。黄色い袋に大きな文字で〝BIG〟と書かれている。……コンソメ。
「え、どゆこと?」
よくよく見るとその袋にはまだお菓子が入っていた。
~爆散跳躍型元穀物 POPCORN!!~
~てか、止めない悩めない。 ♰架ッ破海老戦♰~
~ちょいと尖ったやつらに要注意!? 突き出しコーン~
「!?」
流れで勢いよくほかの袋も開けてみる。今度はお菓子じゃない。いや、お菓子が入ってるのも可笑しい――ってやかましい。次に出てきたものは700mlペットボトル類だった。そう、類。3,4本くらいもある。ご丁寧に20個入り紙コップも入っていたのがイラっってさせる。1つずつ袋から出していく。
「4ッ矢サイダー、フォンタグレープ、マジデゴールド…………」
一瞬ですべてを理解した。もう1つの袋もお菓子とお菓子と飲み物だ。これ以上にないくらい、いっぱいの。――一瞬ですべてを理解した。
僕はさっき袋から出した炭酸飲料を持ってたら大変なことになるくらい、震えた。体の下からメラメラ何やら大きな感情が沸き上がってくる。それは僕の顔を真っ赤にさせて、耳の間から湯気が出るみたいな感覚だった。もし、僕が感情を失った悲しいモンスターだとしたらこう言うのだろう。
これが――『怒り』…………っ!!
「――君たち、んなぁにが、鈴歌祭の話し合いだよ! 遊ぶ気満々じゃん! 皆が楽しめちゃうようにフレーバーも全部バラバラなの買ってきて張り切っちゃってるじゃん!? 他所で洗い物を出さないように配慮してくれたのか紙コップまで買ってきちゃってさ! えぇ!?」
「えへへぇ~」
「……褒めてないからね!」
考えてたことを当てられて嬉しかったのか、奈留莉さんが頭に手を置きながら照れている。そうだ、言葉の通りだ。褒めてない。きっと皮肉も今は通じないんだろう。さっきみたいに、何か制裁を与えないといけないのだろうか? いや、僕は奈留莉さんの親じゃない。さっきのも、思い返せば距離の近すぎる行為だったと、反省している。女の子に対して、さらには今の時代であんな典型的なお叱りをするのも悪かっただろう。皆に乱暴ですぐ手が出てしまうっていうイメージがついてしまうのもいけない。
そう、だからもう二度としない。学ばない奈留莉さんに対しての気持ちは深呼吸で、吸ってぇ、吐くぅ。吸ってぇ……ふぅ。
僕は、お菓子の袋をまたビニール袋の中に戻して一息ついた。
「もう、真面目だって思ってた数秒前の僕が馬鹿らしく思えるよ。……どうせやっぱり、鈴歌祭に向けて誰もちゃんと考えてないで――」
「それは違うよ!」
僕は、呆れながら出したお菓子を片していたが、急に張った声が背中越しに聞こえた。座っていた奈留莉さんがソファーから立ち上がり、少し下を向きながら唇をかんでいる。両手の拳はグッと力が入っていた。
その奈留莉さんの様子に息を飲み、振り返って正面を向く。なんだか、変だ。頬のあたりがピリピリとサウナの中にいるみたいに痛くなる。さっきまでのほんわかした空気とは打って変わって、緊迫した重たい空気に変わった。
そして、そこでようやく僕は口先で考えずに言った言葉を知った。
…………そうだ、今言ったことは良いことではない。
〝どうせ〟だとか〝やっぱり〟だとか。枕詞に着けた言葉は、あまりにもふざける奈留莉さんに呆れるようにすらりと口から出てしまったが、僕はそんな簡単に口から出てしまうという事実に驚いた。
極めつけは、鈴歌祭に向けて誰も――。
こんなこと僕が言っていいはずない。誰も、だなんて僕はどんな立場から言っているんだろうか。それだけで物事を真剣に考えていないで話していなかったかが分かってしまう。今の僕は、小学生以下の判断力だ。
奈留莉さんの近くに歩み寄る。きっと怒っているであろう奈留莉さんの目元は影になっていて見えなかった。僕は手を奈留莉さんの肩に伸ばそうとするが途中で引っ込めて、左手の腕へと帰ってしまう。言ったことはなかったことにはならない。分かっての上、いたたまれない気持ちのまま何とか口を動かした。
「……いや。その、ごめん。流石に今のは言い過ぎ――――」
頭を下げる。頭の上で元気な声がした。
「――それなら、数秒前の僕がお菓子くの方がいいよ! やっぱりその流れの方がいとをかし(美しい)だからね!!」
「―――――――」
奈留莉さんはサムズアップしていた。僕は頭を上げた後、それを見ていた。
シーンとなっていたのは何も変わっていないが、明らかに空気が変わったのは分かった。伸ばしていた背筋の力が勝手に抜けて曲がるのを実感した。心配していた柚充さんの顔が困惑した顔に変わったのに気づいた。箸の動きを止めていた空と五十嵐の蕎麦を啜る音がまた聞こえてきた。寝ていた朝陽は寝ていた。
奈留莉さんは、上手いことを言った、と自信満々のよう。眉を上下に動かしている。
「うんうん、やっぱりそっちの方がしっくりくるね! すーぐ私の頭はこんな言葉遊び思いついちゃうんだから、参ったねぇ。……はっ! もしかして、このまま続けてたら吹き替え版の声優とかやっちゃったり、できちゃったりするのかな!? 〝――ふっ、これはなかなか固いパスワードだったな――ッ。そう……まるで、豆腐みたいな固さだったぜッ!!〟 なぁ~んて、夢見過ぎかな! あ~ははっはっ、はっはっ――――ひぃうっ!?!?」
僕は、そのまま奈留莉さんの両頬のほっぺを掴んだ。
そう、掴んだ。もうやらないとか言ったし、女の子にこういうことをするのも、っとも言った。すぐ手が出るようなイメージも持たれたくない、あぁそうとも言った。
でも――摘んだ。
「ひ、ひぅっ! な、なぃするぉこぉいくんっ!!」
「……………………何って言われたら……お仕置き?」
僕はいったん離す。
「!? ひ、ひどぃよぉ! 何だってそんなことを――あ、しまった! 『〝そゥイーツ〟はひどぉいよぉ!』って言えば、そっちの方が――――ひぃんっ!?」
僕はまたほっぺを伸ばした。
「い、ぃひゃいぃひゃい!! ち、ちぎぇうよ!! R‐18以上、流血シーンになぅよぉ!! こぉりく~んっ!!」
「――――――――――犯した罪を数えろ。どう取り繕(トリーツ)ってもらおうか――――なぁ???」
「ひぃっ!!」
人格が変わったような低い声で、僕はにこにこ笑顔になる。その表情に奈留莉さんはぶるぶる子供のように震えながら目に涙を浮かべ、逃げ出そうとする。だけど、逃げることはできない。伸びたほっぺは手錠代わりだ。それは格子につながれている。離れようとしたら余計に痛みを増すだろう。そんな判断もできないくらいには奈留莉さんは怯えて、小さくしぼんで、涙を流していた。
「――ごめん、なひゃぃ。ごめんなひゃい! もう、やりまひぇん、わざとそういぅ雰囲気にひて、こぉいくんをからかったぃしましひぇんからぁっ~!! ゆぅして、おねがぃひまひゅ…………」
ほっぺをぐにぐに回しながら、伸ばしたり、上げ下げしたりしたあと、奈留莉さんはほんとに子供のように泣きながらそう言った。さすがの僕も「……あぁ、今回だけだ」と両手を離し、着けていた黒色のサングラスを外して、頭に巻いていた黒色のバンダナも外す。摘みで使った人差し指と親指の両手は、銃を撃った後の煙を息で吹くときみたいに「ふっ……」としてから腰についている架空のホルダーにしまう。
その後、しばらくの間奈留莉さんは、柚充さんの太ももの上でべそをかくように顔を埋めて泣いていた。「……うぅ、お嫁には全然いける…………」と当たり前なことを言いながら、柚充さんに「怖かったですね〜。泣かないですよ~」とゆっくり優しい手つきで慰め撫でててもらっている様子を見ていると
(流石にやりすぎ………?)
と、苦笑いをしながらもみあげ辺りをぽりぽり掻いた。
□ ■ □ ♪ □ ■ □
「よし、じゃあまず楽曲を決めよう」
ノートを広げてシャーペンの先から黒い芯を出す。僕は、言った仕切り直しで両手をぱちんと叩いた後、いい感じにテーブルを囲って座るみんなの方を見た。見開きのノートは奈留莉さんがわざわざ持ってきたものだ。家にもいくつかノートは余っていたのだが、こういうところは用意がいい。ありがたく使わせてもらおう。
さて、ようやく鈴歌祭に向けての話し合いだ。
こういう話し合いの時、僕は聞き専にいつもならまわるのだが、今回はそういう訳にもいかなかったみたいだ。奈留莉さんに直々に頼まれたら仕方ない。……それに、さっきやりすぎちゃったお詫びも兼ねて、今回は僕がすることにした。皆からは割と好評だけど、単に空、五十嵐、朝陽はめんどくさかっただけだと思う。床で胡坐かいている五十嵐をみたら納得するだろう。最初から「ぇ~? オレやる訳ないっスょ?」みたいな姿勢と面をしている。朝陽も――いわずもがな。柚充さんか、意外に空が適任だったかもしれない。もう〝楽曲を決めよう〟なんていかにも始めますよ~っていう空気出しちゃったから、遅いけど。
「はい、ちょっといいですか?」
「ん? はい、柚充さん。何でしょう」
柚充さんが片手を顔の横ぐらいに挙げる。謎の挙手性に、謎の僕の先生面にはノータッチ&スルーでいいだろう。柚充さんは頭に疑問符を浮かべながら聞いた。
「先走った質問かもしれませんが、こういう時って担当楽器から決めないのですか? 楽器を知ったうえでどういった曲を決める方がパートの難易度とかを判断できて良いかな? と思ったんですが……。すみません、進行役をしてくださっているのに」
「おぉ、確かに。流石は柚充さんだ。ナイスアイディア! 僕が気づかないところを気づいて意見をくれる。そこにシビれる――」
「あ、あこがれないでください! 恐縮です…………」
名台詞は残念ながらキャンセルさせられてしまった。小さくなって頭を下げてる柚充さんに笑いながら僕は〝【楽曲】〟というノートに書いたタイトルを消しゴムで消していく。こういうの書かないとやっていけない症なのだ。消された場所に新しく〝【担当楽器】〟と書き直す。
書いたと同時、僕は「ううぅ~ん……」と声をもらした。
「じゃあ、気を取り直して楽器から――って言っても、どう進めて行こう」
腕を組んでノートのタイトルとにらめっこした。皆にやりたい楽器をやってもらうのが一番だけど、そうすると被ってしまう可能性があるし、大体その楽器を買うのに金銭問題は大丈夫なのか、と今思い返せば色々と問題が出てきた。
けど、それは僕1人が悩む必要はなかったみたいだ。
隣に座る奈留莉さんがまたもや自身にあふれたような顔をしている。
「ふ~ん、ふむふむ。お困りのようじゃねぇ? 小森くん」
「……うん、そうだね。謎に始まったおじいちゃんrpg(ロールプレイング)は無視するね……」
『前回までの、奈留莉さん!』このあらすじを見ると、いかに奈留莉さんがどんな人なのかが分かるだろう。だからこそ、僕は今回も心配+呆れから始まる感情だった。
そんな僕の態度が伝わってきたのか、奈留莉さんはちょっと起こり気味に言う。
「もうっ! その顔は〝あぁ、またなんか始まったな〟〝どうせ、ちょぉ~っとボケて下がるんだろ! 大したこと言わないくせにさぁ〟っていう顔でしょ! ひどいよ、私まだ何にも言ってないのに、そうやってナーバスから入るのはさ!」
「お前が前科持ちだからだろ! おれでもそうなるわ」
空が今僕が言いたいことをそのまま言ってくれていたので、僕は深くうなずいた。
「一応ね――」
「スルーすんな」
空がボソッと言う。じゃあ、僕が言っても結果はこうだったんだろう。
「一応ね! 私だって全然考えてない訳じゃないんだよ? 鈴歌祭にみんなを誘ったのは私発だし、何も無責任ってわけじゃないから」
「――というと?」
五十嵐がきっとみんなを代表して尋ねてくれた。奈留莉さんは腕を組んで「それを待ってた!」みたいな顔になる。
「そう、皆が今こうして集まったのは他でもないんだよ。どういう集まりか、皆には分かる?」
急に僕らに問われたので「「「「「う~ん」」」」」と全員が考えて、各々回答した。
「奈留莉さんとつながりがあったお友達?」
「それなら、空くんと五十嵐くんは他人だったよ」
僕ははずれみたいだ。次に五十嵐が身を乗り出す。
「じゃあ、ネッ友だ! オンラインでの繋がり!」
「残念ながら私はMMOはやりませんっ」
五十嵐もはずれだ。テンポ良い。次に空が
「分かった『一緒に鈴歌祭出ませんか? @5』で募集したんだろ!」
「違うっ! じゃあ逆によく集まってくれたね!」
も違うみたいだ。MMOはしないって言ったから、んなわけないか。今度は柚充さんが
「ってことは星占いですね! わたしたち1つ1つの星が集い、そして今現在の繋がりを持つ星座に――」
「どこが〝ってことは〟なの!? それに星占いでどうやって決める!?」
柚充さんが残念そうに肩をおとす。段々と奈留莉さんのツッコミが勢いを見してきたようだった。ってことで、じゃあ、トリは
「――コミコンで聞いたのか」
「んなわけあるかっ! いいかげんにしてよ!!」
朝陽のボソッとに奈留莉さんのエセ関西弁が火を吹いた。こみこん? についてよく分かっていなかったので後で調べておこう。とりあえず、全員分ボケて、全員分ツッコんでもらったので僕は満足している。息を切らし気味の奈留莉さんに「気持ち分かった?」というのは、またいつか。
「……はぁ、もう、ペースをキープするのもそっち側は大変だろうに。――じゃあ、まぁ答えはもう言っちゃうけど。このメンバーは元々楽器を基準に選んだ人たちなの!」
「もともと、がっきを?」
「きじゅんに?」
「ん、そゆこと、そゆこと!」
奈留莉さんの正解発表に僕らは顔を見合わせた。いや、正確には朝陽だけ見合わせてないんだけど、細かいことははぶこう。それより今は、奈留莉さんの考えの上で今まで仲良くなっていたお友達ズにちょっと動揺している。まるで奈留莉さんが策士のようで……。策士の口がまた開かれる。
「って、これだけ言ってもまだ分かんないと思うから、詳しく言うと…………」
奈留莉さんが1人1人指さしながら順に言っていく。
「柚充ちゃん キーボード!
朝陽くん ベース!
空くん ギター!
五十嵐 ドラム!
そして――」
「んなんでオレだけ呼び捨てなんだよッ!」
いきり立つ五十嵐にどうどうと両手で押さえながら奈留莉さんが笑ってる。その様子を見ながら僕は段々と変な汗が体を伝っていた。
1人1人ずつ、楽器名を言われていくたび「あれ、……あれ?」という気持ちになっていく。衝撃の事実だ。
「ちょ、ちょっとまって!」
僕は立ち上がりそうなくらい驚いたまま3人の方を向く。
「柚充さんがキーボードをしているっていう話はしたことがあるから分かるんだけど。空と五十嵐と朝陽は――ええっ!? できるの?」
ギター、ベース、ドラム。どれもバンドでは大切で当たり前にある楽器だ。いつもの学校での感じと性格といい、3人が楽器を持って立っている姿が想像できない。ましてや、そもそも音楽の話をしたことがないから何にも分からない。
空が僕を呆れたように見る。
「おい、それ失礼だって知って言ってるか? はぁ……。ったく、おれは皮肉にも結構前からギターやってたんだよ。コイツがドラムやり始めるって時『じゃ、じゃあお前はギターやれよォ』って言ったのがきっかけで――」
コイツと言いながら指した指の先には五十嵐がいて、ギターやれよォ、といったのも五十嵐だろうか。空の声真似はあまりにも裏声の馬鹿にするような気しか感じられない声色だった。変顔しながらだから、実際に馬鹿にしているんだろう。
「ぉおおいッッ! 誰だ、そいつ! 似てないにもほどがあるだろッ!」
「お前はいつもこんなんだぞ?」
「ッし、言ったなコレェイ!! オレがいなかったらギターしてなかったってことだろ、じゃあよぉ!!」
「てめぇ、沸いてんのか? お前ごときがいなくてもおれは親父のギターちょくちょくやってたんだよ、この単細胞丸頭」
「しゃあ喧嘩じゃゴラァっ!!」
「かかってこいやぁ」
お互いに飛ばしていた火花は段々と火力を増していき、最後にはロボットアニメとか魔法使いの必殺技でよくあるような極太ビームとビームがぶつかり合うようなシーンになってしまう。だけど、遠距離での攻撃法がお互いに限界だったのか、2人はしびれをきらして取っ組み合いになってしまった。
柚充さんがおろおろしだして、朝陽があくびをする。よし、いつも通りだからもういいだろう。何度か戦い合った後、柚充さんが
「やめてくださいっ! もう、お2人だけ動きを制限する必要があるんですか? わたしがスローの魔法を使えたらお2人にかけていましたよ!!」
と怒った後、2人はものすごいゆっくりになった状態で戦いをした。そのシュールさに僕はふっ、と静かに笑う。空のパンチを出す腕と五十嵐のそれを躱す動き。それまでもが全部スローで五十嵐の顔の動きまで遅くて大げさなので、笑えた。
「もういいでしょ柚充さん。その2人多分もうふざけてるし。それより――」
僕は笑っていたのを落ち着かせて一息ついたあと、彼の方を向く。
朝陽は「ん?」と聞こえないくらいの声を出し、瞑っていた両目の片方だけ開く。目を閉じていた状態でも僕の視線に気づいているんだから、やっぱすごい。
そして、やっぱり謎だ。
「……朝陽、ベースやってたんだ」
「まあな。言ってなかったか?」
「うん、だから今驚いてるし……。いつから?」
「あぁ~~~」
朝陽は目線を天井にやって、記憶を遡っていた。
別に、何のことでもないのに。なぜか急に質問がとまらなくなってしまう。それに声も何だか変だ。浮ついているというか……。
「いつから、が思い出せないな」
「なんだ、それ。あんなに考えておいて?」
「そうだ」
「……そう、なんだ」
「えへへぇ~。私のスカウト力すごいでしょ!」
奈留莉さんが自分を指さしながら「ほめて、ほめて」オーラを出している。いや、誉めてと自分で言っているからオーラじゃないか。差し出してくるような頭にちょっと緊張しながらそっと撫でた。くせっ毛のボリューミーな髪が指を通る。甘いシャンプーの香りを漂わせて揺らぐ髪の音と「えへへぇ」と満足そうな声が聞こえた。
と同時「ㇹァァ……!!」と甲高く、消え入りそうな声量の〝鳴き声〟のようなものも耳に入った。急な鳴き声のようなものは柚充さんが赤面しながら顔を隠しているが(願望も含め)柚充さんではないだろう……。そう願いたい。まるで人から出るような声ではなかった。
「まぁ、空のフリを続けてきっかけを言うなら、俺は〝特になんにも〟だ」
「……」
朝陽は僕じゃない。奈留莉さんや柚充さんでもない。どこか天井にある照明の方を見ながらそっちの方に言った。
「――ただ、何か無性にやりたくなったんだよ。何かが俺をそうさせたみたいに」
「……」
どう取るか難しいことをいう朝陽に僕は黙ることしかできず、朝陽をただ見ていた。それは僕だけじゃない、奈留莉さんや柚充さん。喧嘩途中で殴り合いの体制のまま固まるように空たちも朝陽を見ている。
その視線に気が付くと、朝陽は僕らを見て、口角を少し上げてから片目を閉じた。
「まぁ、そのお陰で奈留莉から誘われたから、結果的にオーケーだな」
「そうそう! 頑張って捜索したんだから、ベースやっている人! 大変だったよぉ~」
「へへへ」
笑う朝陽を見て〝ま、いっか〟と思った。本人がこう言うなら別にしつこくなるつもりはない。それに、僕だってたまに無性に何かをしたくなるようなときがある。朝陽に比べたらしょぼいものかもだけど、例で挙げると〝風の指揮棒〟だったり〝スーパー銀河 2〟だったり〝ロボットプラネット〟だったりだ。
ただ、朝陽について知りたくなったのは、結構身近にいてこんなことを知らなかったのが…………ほんのちょっと悔やまれて……。
目の前の机の角を見るのに、朝陽は気が付いたのか
「んお? なんだぁ小森。お前どうせ〝そんなことも知らなかったぼくぅ、さいていぃ〟なんて思ってるんだろ。毎度のことながら」
「え、えぇ?」
「ははは、図星」
朝陽がいつの間にか瞬間移動するみたいに僕の隣に座って、妙な声色で僕の真似をした。のだろう。実際には、僕の声のトーンは朝陽の低めの声の出せる範囲に達していなかったのか、絶妙な結果のモノマネのようになってしまったが、喋り方のニュアンスが僕に似ているように思えた。お陰で、柚充さんが頬にいっぱい空気をためて、必死にこらえていたのに噴き出して笑ってしまっている。朝陽は何かと僕を真似しては、ばかにしてくるような気がする。でも、ほとんどが的を得て居るから僕は僕で困ってしまう。
「ち、違う! そんな子供みたいな――――」
「はむぉお、小森くん、くぁわいいぃ~~♡」
「……………………んんんぅ」
袖から伸びる腕に奈留莉さんが頬をすりすりさせて、滑らかな指つきで僕のほっぺたを触った。猫は飼ったことないけど、うちのうさぎたちがすり寄ってきて甘えてくるようなしぐさに少し似ていて――僕は癖で伸びた手を引っ込める。されるがままに、僕は目を瞑って少しうなだれた。動いたら、逆に自分から奈留莉さんに触れてしまいそうで……手はお膝。小さくなって固まる。早く、そのスリスリと頬をさする手をやめてほしいぃ……。
朝陽がポケットから手を出して、両手をあげる。海外映画の「おてあげだ」みたいな感じの動きだった。
「もう俺のターンは終わりかよ。セリフ少ないって言うのにな。ってか、お前ら仲良しコンビ。あいつはいいのか?」
「――あいつって?」
広げた両手の片方が指だけ動き、指示を出す。向けられた先には柚充さんが姿勢のいいさっきまでの座り方と同じ状態のまま、ただ口からつー、と一筋の血を流して放心状態でいる様だった。そんな一大事にもかかわらず、表情はどこか幸せそうで、時折感情の過剰摂取か小刻みに震えている。
その様子に気がついた奈留莉さんは、もぅ、と軽く息をついて立ち上がり、おもむろに自分の〝コマンド欄〟を見つめた。その後に数々のコマンドから最善の行動を選択をしていく。上からカチッ、カチッと順に黄色の剣のカーソルを動かしていき葉っぱのアイテムの名前の所で決定ボタンを押した。それが終わったらUIたちは消え、奈留莉さんが不意に手を上げると、柚充さんの体が緑の光に包まれ「ぽわ~ん」とSEが鳴る。それが合図の音だったのか、柚充さんはゆっくりと目に光を戻して、吐血も止まった。
「……あ、あれ。わ、わたしは――――」
と、いかにも目覚めにありきたりなセリフを言った後「これでよし!」と奈留莉さんがぱしぱしと自分の手をはたく。あぁ、あ~。折角貴重なアイテムだったというのに……。その貴重さと言ったら、恐らく異せかいじゅうを探しても少ないっていうレベルなのに。でも、そのお陰で柚充さんも助かったのならアイテムとしても、ご満悦か。
ふっかつした柚充さんを見て朝陽はため息と同時にはく。
「あいつ、定期的にやられるから、こっちも気が気じゃないな。――んで、奈留莉」
「んー? なーにかな?」
「小森の件はいいのか? だいぶ茶番が続いてるからもうそろ進めないとだな」
「こもりくんの…………。ああっ!! 忘れてた!!」
はっ、と我に返ると同じ要領で奈留莉さんの背筋がピンと伸びた。椅子から立ち上がった彼女は、僕の頭の上のアホ毛に人差し指をぴょこんと触れ、弾む足取りと鼻歌の2本立てで何やらガサゴソ準備をし始める。ソファーの後ろにしゃがむと僕からは見えなくなってしまった。そこで朝陽の言った引っかかるキーワードに触れる。
「ん? 〝小森の件〟ってなに? 僕は剣とかよりも皆を守れる盾の方が好きなんだけど……」
「んんっ~。かっこいいねぇ」
何やらの作業をしながら奈留莉さんがソファー越しに僕をいじるのが聞こえた。冗談のように聞こえてしまったのが悔やまれる。割と本気だったって言うのに……。
「おいおい、それは〝けん〟違いだって言わせたいのか? 俺は空や五十嵐と違っていちいち突っかからないぞ?」
「ふふっ、確かにね」
眠そうな朝陽の目からさらに目を細める朝陽は相変わらずだった。目線の先はごく普通に馬鹿にされたコンビの方を向いている。スローモーションになって喧嘩していた空と五十嵐は床にふんぞり返りながら、腕を組んでそっぽを向いている。目線をやった僕らは、その相変わらずな2人を確認してまた目線をもとに戻した。ほんと、相変わらずが似合う2人だ。どうせあと2分したら仲良くなっているっていうのに。2人に気を使って「まぁまぁ」となだめながらお茶の入ったカップを渡している柚充さんの気にもなってほしい。
朝陽は持参していたペットボトルの水を口に含む程度飲んでからまた会話に戻る。
「ってな感じで俺らが繋いでいる間に、準備できたみたいだな?」
「準備?」
繋いでいる、という言葉の理解には苦しんだが今は放っておくことにした。今は放っておく、つまり永遠に触れられることはないということだ。この言葉はそういうイミを持っているからね、割とあるあるだと思う。
準備と言いながら首をこうと向けて示す先には、謎にボードを持った奈留莉さんが待ち構えていた。そのボードはどうしたのか、どこから持ってきたのかの疑問は、もはや考えたら負けな気がした。無意味なことを深く考えても仕方ない。キリッとして自慢げな謎の仁王立ちの奈留莉さんが今日も楽しそうにやっているところを見て(……腕白いなぁ、細いなぁ)とかだけ思っておこう。
今から一体何が始まるのか、僕はもう一度朝陽と目を合わすと、その考えが聞かれていたように答えてくれた。たまに見せるご機嫌な時の表し。にやりと口角を上げて、ウィンクというより片目をぱちりと閉じて僕に目線を返した。
「あぁ、小森が何の楽器をするか、のな」
□ ■ □ ♪ □ ■ □
僕の…………楽器……?
あっけにとられて呆然とするのは、この人たちと出会って何回目だろうか。
その言葉に驚くのは驚いていたのだが、内心、ずっと思っていたことではある。
奈留莉さんがみんなを楽器でスカウトしたのなら(多少の友人関係はあると思うけど)、僕から「鈴歌祭に出たい!!」と言ったのはどう思ったのだろうか。
勿論、鈴歌祭に参加すると自分から決意したのだから、僕が持っている音楽の知識をありったけに使い、皆の力になろうとそりゃあ思っている。何ならお茶くみ係にまでもまわろうと思っていたくらいだ。それだけ誰かの力になりたかった。
僕が、できる、やっていた楽器――。
今、そのことを思えば――――。
「……!?」
突如、頭に点々と刺される。
■≪反射光≫ □ ≪金色≫ ■ ≪重い腕≫ □ ≪ひんやり≫ ■ ≪唇≫ □ ≪微かな鉄の味≫ ■
目を覚ますと――皆がいた。
朝陽が横目で見ている。僕は首を数回振った。荒ぶった髪が頬を打つ。
いくつかの景色は瞼の裏側に写真として貼ってあるみたいに……あぁ、一体何なんだ。この瞬間、自分が全く備えていないときに来る『コレ』は僕の頭に靄をかけてるみたいだ。気持ちが悪い。明らかに具合が悪くなったり、めまいがするとかといったものではないけど…………いい気分はしない。
「うん。じゃあ、もう説明しちゃいましょうか! こうやってピッタリ止まって仁王立ちしている私の素材画像みたいなのもやめにして!」
「それ、奈留莉さんのさじ加減じゃないの?」
不意に奈留莉さんの背中がグリーンバックで包まれたように錯覚した。彼女はくすくす笑って腰に置いていた手をぷらーんと外す。ははっ、と空とか五十嵐とかが笑う声が聞こえた。柚充さんむニコリと微笑んでいる。
――そんなやり取りをしていると……さっきまでの心配は、いつの間にか消えてし
まっていた。
説明……というと、やっぱり僕の楽器についてだろうか。〝僕が担当する楽器についての説明〟という文言だけ見ても理解に苦しむが、きっと何か用意しているのだろう(〝用意〟もよく分からない)。
ひとまず、僕は奈留莉さんたちに流れに任せることにした。
指をふるふる、奈留莉さん語り部のように話し出す。
「おほん――。小森くんの担当楽器。それは、小森くんが担当する楽器のことであ~る!」
「……そのままもそのままだね。説明ってそういうことじゃないと思うけど」
「…………おーけー。じゃあTAKE2いこうか!」
「TAKE1よくそれでいけると思ったね!?」
「――すりー。つー。…………アクションっ」
「柚充さんもやらなくていいよ……」
記録係の柚充さんが中腰になって「カチン!!」と勢いよくカチンコを鳴らす。黒いボードには白文字で〝TAKE2〟と記載されていた。目の前にはカメラ係の五十嵐と、録音係の空、椅子に足を組みながらいつの間にかサングラスを付け、ガムを噛んでいる監督の朝陽。
……それ等のどれにも、僕はツッコミをいれないことにした。
「小森くんの担当楽器。それは、事前に話を合わせておいた私たちが〝小森くんに最適な楽器を持たせた人が優勝~〟というお題を基準にして――――。ん~? あぁ、なんかもう難しいなぁ、ちゃんと説明するの! いいや、それでは早速スタート♪」
「頑張ってたんだから投げないでー!」
わざわざ2TAKE目も撮ったというのに……。奈留莉さんは、手を銃のようにしてから開始の合図を取る。襟足の髪がゆらゆらしているのを見ながら僕は肩を毎度のことながら下した。勝手に僕を主軸とした企画的なことを作っているのなら最後まできちんと説明をしてほしい。何が始まるのか、僕は何をされているのか分かってないのが気が気でない。
なんてことを言おうかと思っていた時、ベランダへ出る方の窓(今日、頑張って磨きに磨き上げたあの窓)を背に。空と五十嵐がころころキャスターのタイヤを転がしながら大きなホワイトボードを運んでくる。あぁ、この人等がトップバッターなのね……。
五十嵐はみんなの目線が集まり、静かになったと感じたら「ウぉほんっ!」と大げさに咳ばらいをし、懐から長い指示棒と白い口髭を出す。謎の白い口髭を装着してから、そっとしゃがれた声で話し始めた。気が付けば空も同じ口ひげをしている。
「え~ぇぇ。それではぁぁ~。オレとそらぁ、が考えた楽器はぁ~。こちらになりぃ~まぁす~~~ぅ」
「じゃかじゃん!」
セルフの効果音とともに、表裏が回転式になっているホワイトボードが回転して裏側があらわになった。あぁ、こういう感じね。
そこにあったのは、雑コラのようにわかりやすくネットから画像を切り取り、プリントアウトしたのを貼り付けている1枚の写真。左側の切り取りが甘かったのか、薄灰色な色がチラ見している。こういうところに、2人の性格がよく出ているような気がするが、わざわざプリントアウトしているという丁寧さの良点を汲み取り、ここは黙っておこう。
さて、プリントされていた楽器だが、この楽器は有名でよく見かけるものだ。
金色のまばゆい輝きは奏者の意欲をかっそくさせる。うねるフォルムはまるでモデル級で超大傑作。あまりのかっこよさに色んな曲でソロを任されるのがおやくそく。そう、それこそが――
「「テナーサックスです!!」」
空と五十嵐の名を呼ぶ声に、奈留莉さんと柚充さんが黄色い声援を上げながら拍手するので、僕も遅れてクラップをする。そうテナーサックスだ。やっぱり、ジャズなんかでイメージする人の方が多いのだろうか? 吹奏楽とジャズでの楽器のイメージが変わるであろう楽器だ。
「おう、おう、こぉいつは、すごい楽器じゃあ。空さんよぉ、解説たのんだ」
「テナーサックス。ほかのサックスと比べて音が渋く、力強い音を出すことができる楽器。えぇーソロ演奏もよく多く、バンドでもオーケストラでも、その魅力を発揮するには場所を問わないもの。あとは、お2方のいつもの調子で元気よくを心掛けたらきっと大丈夫ですっ、頑張ってくだ――――」
「っ!! そ、空さん! そこまで読んだらメモの意味が――っ」
「あ、ぇ? そうなんか、んん?」
空がカンペを手に持ち〝極・超アルティメットスーパー棒読み++〟で説明をしてくれたが、段々と様子がおかしくなっていた。事を理解していない空が手を頭の後ろへ持っていく。慌てて柚充さんが身を乗り出し、切り止めようとするが……そういうことか。僕は立ち上がり、空に向かって厳しい目線を向けた。
「ちょっと! こういうのくらい柚充さんに頼まないで自分で考えなよ! 柚充さんも困るでしょ?」
「い、いえ……そんなことは」
「いや、いい。ダメだよ柚充さん」
かばおうとした柚充さんを僕は手で制す。柚充さんは「あ、ぅ……」と小さく呟いてから小さくなってしまった。空は手にしていたカンペをポケットにしまい、お手上げの意味で両手を広げた。口をとがらせている。
「だ~ってサックスいっぱいあってわかんねーんだもん! 曲がってるやつだけかと思ったら細くて長ぇのもあるしぃ?」
「ソプラノ系統のね。だからって言って柚充さんに頼むのは――」
「だああぁぁ!! もう、2人やめだ、やめだ! オレが1人で老人やってるのも謎になってくるだろ、こんな空気になったら!!」
「それは、コイツらとなんも繋がんねぇけどな」
朝陽が頬杖をつきながら呟くように言った。
「黙れ、朝陽ぃ! ってか、お前久々に喋ったな!」
「セリフは少ない方がいいぜ」
「何の話だ! じゃあ、黙ってろ!!」
五十嵐は一旦朝陽を処理してから、大きく息を吐いた。荒々しく、声のでかい五十嵐だが、そんなことはお構いなしに、朝陽はまた頬杖をついた状態のまま眠りに落ちる。朝陽を処理し終えた五十嵐は腕を組み、付けていた口ひげを勝手が悪そうに外すと、いつもの口調に戻った。きっと彼はあの口ひげで人格が変わるのだろう。ていうか、そんな簡単に外すの……?
「ったく、今は楽器の説明させろっての。シャアっ! じゃあ、まずはこの絵を見てくれ!!」
五十嵐がずっと持ってたけど今までずっと使わなかった棒を振り、空がホワイトボードをまたくるんと回転させた。そこにはさっきまでは無かった絵や矢印のようなもの、なにやら、いろいろと書かれている。順番がある図的なものだろう。長い棒で五十嵐がパチンと指した。
「これは書いてある文字通り『サックスがない状態のオレらを表すテンションのグラフ』だ。見てわかる通り、無い状態は限りなく0に近くて、サックスがある場合はこのボードを突破してしまっている」
「うわ、字汚っ! ミミズの通った跡みたいな……」
「おい、奈留莉ッ! 関係ないよな!!」
「ないでーす。ドーゾー」
五十嵐は地団太を踏んで分かりやすくキレた。流石に、ミミズの通った跡というのは言い過ぎじゃないか……って思ったけど、うん……擁護はできないかも。長い棒が矢印の向いた隣の方へと向けられる。次は何やらステージのような場所だった。その隣に何かいる。
「じゃあ、次だ。このサックスがいない状態からこもゆうがこの楽器を選んで華麗に吹くことができたらを表す画だ。見てわかる通り、地球温暖化が脅かす脅威は年々減少して、電車内の暖房、冷房の問題はいい塩梅に改善され、海のウミガメたちは安心して砂浜を歩くことができる! そして、鈴歌祭での観客たちも――」
「ぇ、待ってコレ僕ぅっ!?!?」
「おぉ、この絵か。おう! なかなかの出来栄えだぞ!」
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
思わず立ち上がり、ずんずん近寄ってその何かの絵を至近距離で確認する。黄緑色の線のぐちゃぐちゃは何とか顔と言える(かなぁ?)丸と、目と口は何とか確認できる。胸の前にある黄色の線は……サックスだろうか、これをサックスだとは言いたくないし、そもそもこの黄緑色のぐにゅぐにゅを僕だとも認めたくない。
開いた口が塞がらないというのはこういった状況を指すのだろうか。ねじが外れてしまった状態で固定できなくなった僕の顎は、寄ってくれた奈留莉さんが両手で「んしょ」と支えて持ち上げてくれて何とか収まった。錆びついた音がした。
――その絵は、あまりにもの出来で、言葉では言い表せないものだった。
まずそもそも上手いとは言えない、レベルじゃない。幼稚園児がクレヨンで描いたあの独特な絵を想像できるだろうか。あれと物凄く似ているタッチだ。……もしかしたらそれよりもホラーかもしれない。しかも何だかずっと見ていると、心が不安になっていく。そんな絵だ。これには僕以外の皆も口々に
「何……? 誰……?」
「なんで小森の顔よりアホ毛の方がでかいんだ?」
「そもそもどうして一頭身なのでしょうか……」
「ひょっとして五十嵐は僕が普段からこんな風に見えてる……って事!?」
わいわい、ごちゃごちゃ――。口々に続ける僕らに対して
「ぬあぁぁ!! いい加減にしろお前らッ!! 座れ、座れ!」
五十嵐は持っていた棒を膝でぱきっと、いともたやすく折ってそれをブンブン振るう。背中側からそれは真っ赤な炎を上げて感情を爆発させていた。僕らはメラメラ目に炎を浮かべる五十嵐をチラチラ見ながら、それでもなお、あの絵について話していた。渋々ソファーへと戻る。……あの絵は、アレを描けるのは逆にすごいという結果になった。ほんと、数年に1枚くらいしか見ない奇妙で、おぞましく、何も言えなくなるような絵だった……。夢に出ないでください…………。
「というかな! こもゆう、そんな態度オレに取ってるけど、今からオレに感謝することになるんだぞ?」
「感謝?」
「おれら、だ。忘れな」
五十嵐が僕をにらみ、そんなことを言う。言っている最中に、空が五十嵐にもたれながら腕を組んでカッコつけていた。ゲームやらアニメやらで悪役だけどぽんこつで最終的に主人公たちの手助けをしてしまう、そんなキャラクター味を感じるなぁ。と、急になぜか2人の立ち姿を見ていると思ってしまった。
感謝ってどういうこと? と僕から話題を切り出す前に2人が、コロコロすぐに変わる感情の〝笑顔〟へと変化した後、有名作品のあの独特で癖になるような立ち方をして教えてくれた。残念ながら、僕はその作品を見ていないのでどのキャラの立ち方かはわからなかったが、例のポーズだっていうことは分かる。アニメを見るなら、話数がものすごく多いので徐々に見ていきたい。
「――あぁ、なんとな? オレの広い広い、こもゆうのでこよりも広い人脈を辿って――」
「悪かったね、普段からおでこだしてて!」
僕は前髪の間のおでこを手で少し触った。おでこ広いのかなぁ……じゃなくて。
少しムッとした表情をしたあと、2人は「サプライズ~!!」と誕生日の人を祝うくらいの声量で同時に叫んだ。
「「――なんと、サックスをレンタルしたんだ!!」」
「「「「…………」」」」
まさかのカミングアウトに僕らは一言もしゃべらない。誰か整理をできている人が話してくれたらとても助かるのに……それこそ柚充さんとか、奈留莉さんのいつものボケとかでもいい。朝陽のよく分からない呟きでも大いに感謝だ。
……でも、きっと今抱いてる感情がみんな一緒だから誰も話せていないのだろう。
「れん、たる…………?」
言葉を失ったモンスターの覚えたての単語のようになってしまったが、まぁいいだろう。正直、そんなことまで気にしている暇はなかった。まるで地球の表裏みたいに差が激しい感情の状態。五十嵐がニコニコ優しい笑みを浮かべながら僕の言葉に返す。
「あぁ、そうだぜ! なかなか自前のサックスを持っている人なんて全然いなかったから。――あぁ、あの時の苦労は今でも忘れない。夜な夜な1人1人電話をかけていって――。中学ん時の先輩に深夜に電話して〝てめぇのせいで目ぇ覚めちまっただろゴルレェイ゛イ゛!!〟って怒鳴られたのは――――」
五十嵐は胸に手をやり、目を瞑りながら美しく涙を流す。
「仕方なくレンタル代で2人で五千円ずつ出し合ってな! なけなしのおれの財布から出して……。〝これで、おれら含めあいつらが鈴歌祭でのパフォーマンスが上がるなら大したもんじゃねぇな!〟ってお互いに手を取り合ってよォ。お陰で今週最終回を飾る大好きな漫画買えずにクラスメイトにネタバレされたけど――んなことどうだっていいよなぁ!! はっははは!」
「……ぇ…………ぁ、んん」
2人は順に苦悩と乗り越えた難を語ってくれて、僕の両肩にお互い片方ずつ肘を置いてニヤリと男前な笑みを浮かべて見せる。……僕はそのエピソード段々と、聞いているうちにやるせない気持ちになっていき、2人の笑顔に歯切れの悪い相槌をうって目線を逸らす。
(こんな2人と目なんて合わせれない!! この2人がお互いに手を取り合う!? うそでしょ!?)
それくらい、力を入れて考えてくれたという訳だ。それを理解してる上で、僕は2人に言わないといけないことがある。
息を吸うのも申し訳ないけど、それでも何とか言いだすことにした。
「あの、さ…………」
「「おう、なんだ?」」
満面の笑みで首を傾げる2人にまた僕は苦い顔をして言う。
「……スーーぅ。あの、えーっと。いわゆるそのサックスのことなんだけどさ?」
「おうおう」
「いうてみ、いうてみー」
パチンと両手で思いっきり顔を叩きたくなったが、我慢して続けた。
「――僕、吹けないよ?」
「……………………はぇ?」
「……ふけ、ない?」
上がっていた口角が段々と下へ下へ下がって、最終的には目が点になるような表情へと変わってしまう。それが、1人ならまだしも(全然まだしもくないが)同じ動きを同じタイミングで2人はやっているので単純計算で2倍だ。僕が感じる重りも2倍。自信に溢れていた空と五十嵐は、次第におどおどし始めて、空なんかは今まで見なかった困り顔をしている。五十嵐はなんか小刻みに震え始めた。
「ぇ……。お、おい、どうしてだよ小森。サックスいかしてるだろ?」
「も、もちろんもちろんかっこいいって思ってるよ!」
「楽器か? 楽器ならある――」
「金ならある! の死亡フラグのテンションで言われても……」
身を乗り上げ僕に語る2人は、段々目の奥が暗黒の黒で染まってきているようで……単純に怖くなってしまった。ゾクゾク、恐怖の文字が全身を蝕み、不安が無理やり口をこじ開けて体内へと侵入する。体験したことない圧の恐怖に、僕は思わあず目がウルウルと泣き出してしまいそうになる。――隣にいた奈留莉さんがそれに気が付いて、僕を引き寄せてそっと抱きしめた。頭をゆっくりさすってくれる。
「――わァ…………ぁ……」
「泣いちゃった!!」
姿形、その構図はまるであやされる母と幼児のようだったかもだけど、 段々と安らぐ心と雪解けのように消え始める怖さには感謝でしかない。
「は~い。怖くない~怖くない~♪ よ~し、よしゃよしゃよしゃ」
「……(ぐすん)」
奈留莉さんが僕の髪の毛を大型動物と接するときみたいに掻き撫でる。ぼさぼさになる髪も、今では気にも留めなかった。鼻を啜る。細い指先が髪と髪を通りぬけ、少しくすぐったく身を震わせた。でも、それが今は安心を与える。
「――な、なぜだ? オレらの作戦は完璧だったはず――――!?」
五十嵐は口元に手を当てただ地面の一点を見ている。目を見開いているので瞳孔が小さくなっていた。その五十嵐に奈留莉さんが僕を抱えた状態のまま顔を伸ばし、少し怒ったような口調で言った。
「あのさ、どの悪役マッドサイエンティストなのか知らないけど。色々考えて用意してくれたのは素晴らしいことだと思うよ! でもせめて、お金も加わって実際に借りたりするんだったら本人に聞けばよかったんじゃない?」
「だ、だが……こもゆうには内緒というテーマで――」
五十嵐の言葉に朝陽が横入りした。相変わらず腕を組んで卑下した目をしている。
「だからやりすぎってことだな」
「そうですね。――――あそこのお2人のように(……うへェへェえ゛♡)」
「――(ズズっ)。それにサックスは今からステージでちゃんと吹けるくらいになるの半年以上かかるし……」
「「――――――」」
2人は、膝から崩れ落ちた。
崩れ落ちた状態から何も動かない。窓の外から鳥がチュンチュン鳴いているのが聞こえる。まるで最愛の友人を失ったみたいな絶望顔だ。誰にも目を合わさず、もはや脳が機能していないんじゃないのか、というくらいだ。揺さぶったら中でカラカラと音が鳴りそうである。
その2人の方へ珍しく朝陽が「はぁ」とため息と同時に腰を上げ、ポケットの中から両手を出し、崩れ落ちた状態で固まっている2人の肩それぞれに手をぽんと置いた。
すると、2人は頭のてっぺんからつま先まで、線対称で折りたたまれるように体が消滅していき、最終的には光を散らせてやられてしまう。『ピュ~ぅ~ぅ~ぅ ポワ ポワ♪』と折りたたまれると同時になるサウンドは耳馴染みのあるもののように思えた。そういえば関係ないけど、2人は食事のときによく食べ物を食べる男だった。
GAMEがOVERする様子を見届けることなく朝陽はまた「はぁ」とため息をついて元の椅子へ戻った。ほかの皆も全然気に留めていない様子である。柚充さんが腕にしていた時計に目を送り、僕らへ尋ねる。
「わたしたちの楽器発表どうします? 時間的にも話し合いが必要なもの沢山ありますよ?」
「うぅぅ~ん……。そしたら、折角考えたけど、私たちのはまたこんどにしよっか。今は2人がコンティニューズするのを待っておこうか。あぁ~小森くんに鈴歌祭のステージで両手にマラカス持って振ってもらおうって思ってたのにーぃ。ガソリンスタンドの掛け声もやりたかったのにーぃ」
「鈴歌祭のステージでやれないよ、しかも1人!?」
僕は奈留莉さんの太ももから飛び降りる。頭の中に黒い口髭を付け、メキシカンな帽子をかぶり、両手にマラカスを持ってから左右にひたすら揺れる、縮小された僕の絵が奈留莉さんの頭から「ほわわ~ん」と浮かび上がった。その謎でしかない作品に僕はきょとんとしながらも、鈴歌祭でこれをやらせるつもりだったのか、とハッとなり、急いで浮かび上がったイメージ図を手でバタバタ払った。皮肉にも頭の中ではリズミカルなbgmが流れ続けている。
「ほんと残念です。わたしも小森さんと奈留莉ちゃんに着てもらうようの衣装を色々と――はっ!!」
柚充さんは口を滑らせた、みたいな顔になり慌てて両手で塞ぐが全然間に合っていない。奈留莉さんへ向けた声量と勢いそのまま、柚充さんにも続ける。
「なんで衣装を軸にしてるの!? 楽器だっていう話でしょ!! いや、それもよく分かんないけどさ!?」
「え待って、なんで私も!?」
さっきは僕に言われる側だったのに、今度は柚充さんに向けて僕と全く同じテンションで言う。柚充さんに言っていることは勿論わかることなのだが、さっきまでそっち側だったということを思えば、奈留莉さんは今どんな気持ちなのだろうか。いや、それを考えてないから今のツッコミができたのかな。
――どちらにせよ、僕らはこうして空と五十嵐のことなんてあっという間に頭から抜け落ちてしまっていた。
□ ■ □ ♪ □ ■ □
僕はキッチンでトレイの上にのった人数分のグラスにジュースを注ぐ。
中の氷が炭酸の流れでカランと動き、氷の冷たさと神秘さを感じる心地よい音が鳴った。普段、僕らが何気なく生活している中には、こういう唐突に奏でられる音がある。例にも、こんな効果音かと勘違いするくらいにキレイに聞こえるなんて。たまにあるそんな機会に出くわすと、何だか嬉しく感じてしまう。
「あぁ、おれもそう思うぜ!」
僕は最後のグラスに注ぎ終え、トレイを持ってキッチンから出る。空の大きな声はまるで僕の考え方へ返答したようにタイミングが重なったが、実際のところはなーんにも関係ない。空が僕の脳の中を観察できる地球外生命体じゃなければの話だけど。
そもそも空には、僕の考えなんか読んでる場合じゃないように見える。
そう、彼。彼女らはそんな暇がないくらいに熱くなっているからだ。
「あぁー! ちょっと誰!? ボックスの前に置いたひとー! 今出てくるなら許してあげるよ!」
奈留莉さんが操作する背中の甲羅が刺々しい大魔王が乗っていたマシンごとスピンして目を回していた。いわゆる被弾、ミスだ。タイムロスになってしまう。
「へっへっへっ、カモが一匹引っかかったぜ!」
「ちょっと五十嵐くん!!」
奈留莉さんが抗議の声をあげているが、今は五十嵐に制裁を与えるどころか、五十嵐の方を向くことさえできないようだ。画面のカーブと同時に体を一生懸命曲げている。どうやら、奈留莉さんは体も動いてしまうタイプのようだった。分かれるね、こういうのは人それぞれ。まぁ、少しイメージ通りではある。
「んしょ、ここをこうして……。いたっ! ど、どうして赤を後ろに投げたんですか!? 空さんっ!」
奈留莉さんがダメージを受けたすぐに、また柚充さんも被弾したみたいだ。ダメージと同じタイミングで柚充さんの体もきゅっと伸びる。画面内では赤と白の斑点の頭をした小柄の可愛らしいキャラが悲しそうな声をあげていた。前には空が操作するゴリラのキャラが嬉しそうに手を叩いていた。
空が投げた赤色のアイテムは、今現在自分の一つ前の順位の人を追尾して攻撃できる優秀なアイテムなのだが、さっきから一位を安定してキープしている空にとっては必要のないものみたいだ。後ろに投げたら柚充さんがそこにいて、運悪く当たってしまったという訳だろうか。――いや、違うみたいだ。空は柚充さんがここを通ると予測して投げたみたいだった。時折、空はレースゲームなのに後ろを走る人を確認しながら走っている。……やりこんでるなぁ。
「よし、UMT。……金ちゃんと取って、手前で解放してから、捻じって――」
「あの、聞いてます!?」
「1位割りから、よっしゃ、ダブル防御!」
「空さんにとってわたしは敵として見られることもないのでしょうか……」
柚充さんはコントローラーを胸の前で握りながら肩をおとした。可哀想な柚充さんだが、今回は相手が悪かった、という言葉を使って諦めるしかないだろう。空はどうやら結構やりこみ勢のようだ。使ってる言葉もきっと異文化のものだろう。この場にいる人、もしかしたら五十嵐以外の人には分からない用語だ。
オタク、ガチ勢、上級者ってきめー。って思うかもしれないけど、僕も音ゲーするとき結構こんなんだから、あまり強くは言えないなぁ……。
僕は、ソファーとテレビの間でリアル〝ゲツリー〟(←アイテムで、画面に墨を吐いてプレイヤーの視界を狭めるイカのお邪魔キャラ)をしないように気を付け、目の前のテーブルに飲み物の乗ったトレイを置いた。きっと、適当に取って飲んだりするだろう。床のクッションに座って、自分で持ってきた炭酸飲料にちょびっと口を付け、デットヒート中のレースを見送る。炭酸なんか久々だったけど、氷が冷たく、口の中で炭酸のぱちぱちした泡が舌に残って美味しかった。
甘いジュースの味と、立ちっぱなしで人数分の飲み物を用意していたキッチンから帰って、ようやく座ることができたので僕は我に返ってこの状況を見直した。
(――なんでみんな〝マリヨカート〟しているんだろう???)
マリヨカート。言わずと知れた有名なレースゲーム。
これまた言わずと知れた有名なキャラクターたちが、たくさんの種類あるカートやバイクやバギーなんかに乗って、たくさんの種類あるコースで、たくさんの種類あるアイテムを使ったりして1位を目指す、わいわい楽しみながら戦略性のある奥深いゲームだ。僕はお金も払っているので、通常のソフトから『コース追加パス』でさらに48コース遊べる。
……そんな最高のゲームを、いつの間にかやっている。
みんな、みんな、と言ってはいるものの、このゲームは1つのテレビでプレイするとき、最大4人で画面を4分割して行うため、今日話し合いをするため僕の家に来た人数(僕含め)6人だと必然的に2人余ってしまう。なのでその余りが僕と朝陽という訳だ。
話し合いが一区切り(空と五十嵐が使い物にならなくなったあと)何だか本当にいつの間にか始まってしまっていて、気が付けば各々がコントローラーを握っていた。……なんでMyコントローラー(さらに、みんな純正。みんなスティック部分のゴムが剥げている……)を持っているのかは、尋ねないことにしておいた。
朝陽はどうやら、このゲームを1度もプレイしたことがない人らしく、時折、誰かのプレイヤーが被弾したら「おー」とか、奈留莉さんが大きいカーブの時に体を傾けるのに合わせて勝手にも動くのか、朝陽も同時に体を傾けたりとか、さっきみたいな空と五十嵐のイラッとくる言動やプレイに「うわー」と言ったりだとか、本人は実際にプレイしていなくても楽しそうな雰囲気だった。こういう朝陽はどこか新鮮で、あぐらをかきながら体を傾ける姿は、どこか無表情なのが相まって可愛くも見えてくる。ギャップ、というものなんだろうか。
僕は、どこかこの氷の入ったジュースのように冷めたテンションで飲み物をちびちび飲みながら、ゲームの勝敗とプレイに一生懸命なみんなを交互に見ていた。さっきからそうだが、本当に歯を食いしばるくらい熱中していて、盛り上がっている。
『パッパラー、パーパッパラー♪』
ラストスパートのSEが流れた。つまりこのレースも終盤ということだ。流れていたBGMのテンポが上がり、勝負が盛り上がってくる。
奈留莉さんが相変わらず顔の前くらいまでに持ち上げているコントローラーを必死に曲げながら、強気な顔で言った。奈留莉さんが操作する大魔王の手には青色をした見るからに危なっかしいアイテムが持たれていた。このアイテムは1位を走るプレイヤーにとても大きな爆発を与えて大きくタイムロスさせる強アイテムだ。いわずもがな1位を走る相手と言えば――
「ぉお~♪ いいねぇ、いいねぇ~。そっらっくーん! なんか私に買うとしたら、何を買ってくれる~?」
うわ、結構ひどい脅しだ。青いアイテムをちらつかせながらそれを武器に、奈留莉さんは強欲になる。空がプレイには出さないが、明らかに焦っている様子を見せる。
「んんんんんんー。なんだろうなー、そうだなあ――――。あっ橙色の色鉛筆買ってやるよ」
「橙色1本!? 用途が簡単に思いつかないよ。……もぅ。あーぁ、折角のチャンスだったのにねぇ――えいっ!」
「ああっ、こいつ!」
奈留莉さんは容赦なく青いアイテムを前に投げた。1位の空だけをひたすらに追い求め、全速力で向かうその脅威はぐんぐんと空が操作するゴリラのキャラへと距離を縮めていく。
「私もどんどんあげてくよ~っ!」
投げた青の強アイテムに続いて、奈留莉さんはもう一つ所持していた星形のアイテムを使った。瞬間に全身が虹色に輝きだし、スピードを増して前のライバルたちをぐんぐんと抜いていく。このアイテムも強アイテムとして名高い、一定時間無敵になって速い速度で滑走できる有名なアイテムだ。もはやこのBGMを知らない人なんかいないんじゃないか、というくらい知名度の高い。例にも、奈留莉さんはどんどん順位を上げて空や五十嵐へと迫っていく。
「っちくしょう。これ大丈夫か?」
「ヒャッハーッ! あばよぉ~空ぁ~!!」
警告音がなった後、奈留莉さんが投げた例の青が空に命中し、空は防ぎようのないまま大きな爆発をもろに食らってしまい、その場でくるくるスピンしてしまった。絶好調だった空を、後ろで何とかチャンスをうかがっていた五十嵐が追い抜く。五十嵐が操作する高身長で超絶細身の紫色をしたキャラクターが悪そうな表情で喜んでいた。五十嵐曰く、このキャラクターが主役のゲームが出ておらず、可哀想だから「せめてオレが好きでいないと!」という独特な愛情をもとに、このキャラクターを長年愛しているようだ。……だからと言ってどうという訳でもないのですが。
「っへっへっ! ったくよぉ、お前らじゃ相手にならないようだったなァ!」
「何をぉ、テメェ」
五十嵐は水を得た魚のように元気に。1位になった瞬間、饒舌でリアルの人へ攻撃を開始する。悪そうな笑い方と心底イラッとくる表情が物語っているだろう。空も五十嵐も、結局は似た者同士のようだった。
「……う、うぅ。このままじゃ、五十嵐くんに――」
奈留莉さんは、無敵でスピードが上がっているとは言ったものの、3位まで上り詰めてからまだ結構五十嵐と差が開いてしまっている。さらには2位に空もいるが、単純にプレイスキルが上手く、なかなか追いつくことができない。ファイナルラップでもはやゴールは目の前という状況。
これは、悔しいけどムカつく男2人に勝つことは厳しいか……。
と思っていたその時、2人の雲行きが怪しくなっていった。
「まだ、です」
柚充さんが呟く。目元が髪で隠れて見えていない。
「柚充ちゃん……?」
奈留莉さんは、一瞬だけ柚充さんの方を見て、その姿に目を開く。
柚充さんの画面、割ったアイテムのルーレットが止まって、1つの光が見えた。
そう、それは雷《いかずち》のアイテム。自分以外に雷を落として、姿を小さくさせ、一定時間スピードを大きく下げるこのゲームで1位か2位を争うくらい最強なアイテムだ。
「奈留莉さん。後を託します。貴方だけが、あの凶悪な2人組煽り運転常習犯に勝つことができます。なので、どうか――」
「誰が煽り運転常習犯だ!」
「2人組にしないでくれ」
抗議の声をあげる煽り運転常習犯の2人組。でもヒーローロールプレイ中の2人には耳に入っていないみたいだ。
「――分かった。私が、絶対2人を!」
「……はい、それでこそ奈留莉さんです。では――いきますっ!!」
柚充さんはそう言って女神のような微笑みを浮かべると、神々しい光のオーラをまとい、手から段々とエネルギーがあふれる。そして、両手で溜まったエネルギーを地面へと振り下ろす!(実際には座って、コントローラーのボタンをカチッと押しただけ)
「〝P-ギガデイ・ンダガ-K〟」
ゴロゴロゴロ……ピカッッ!!
「「うわああぁぁ!?!?」」
「いまですっ、奈留莉さん!」
「おー」
「いっっっけええぇぇ!!」
虹色で無敵の状態。柚充さんの雷のアイテムを奈留莉さんは見事に防ぎ、いや、無敵だからこそ柚充さんが雷を使ったというのが正しいか。小さくなった空と五十嵐を踏んずけてからゴールラインを突破した。奈留莉さんの画面の左下に輝く金色の数字は――『1位』!!
そして、奈留莉さんが小さくなった状態のまま2人を踏んずけて通ったため、加速アイテムを存分に使って追い上げた柚充さんも『2位』という順位でゴールすることができた。
奈留莉さんの画面の大魔王のキャラが豪快な笑い方をしている。恐ろしいくて凶悪な見た目だけど、実のところは愛嬌があって、かつ、部下思いで可愛い。そこが、奈留莉さんが気に入っている点らしい。
ゲーム内でのキャラが喜んでるのにリンクし、プレイヤー側も喜ぶ。
「勝った! 勝った! 柚充ちゃん、今夜はドンカツだ~!!」
「ト、トンカツ? ……やりました! はい、勝ちました!!」
「「いえぇ~い♪」」
思わず立ち上がるくらいの喜び。小躍りする奈留莉さんに、両腕を上にあげてちゃんと喜ぶ柚充さん。2人は満面の笑みでハイタッチを交わした。パチンっ♪ となんの違和感もない綺麗なクラップ音は敗者たちをさらに追い込める恐ろしい音に感じるだろう。
実際に僕が空や五十嵐の立場だったら立ち直れる気がしない。
……そう、あんな両手を床について、地面とキスするくらいに落ち込んでる2人みたいになってしまう自信がある。膝を地に着けて、肘を地に着けて、まるで土下座のようにも見えなくない。心なしか、彼らの周辺には澱んだ空気が充満していて、家の床のフローリングをクリーム色から濃度の濃い黒、紫色へと偏食させている。
このゲームは、人の家の床を勝手に変えてしまうくらいの脅威があると思うと……何だか段々恐ろしく感じてしまった。
例の無残な人たち。何とか自分の聴力を最大限にまで上げ、よーく耳を澄ませてみると、虫の息より小さな声で何やらぼそぼそ言っているのが聞こえた。
「…………これで、よかったんだ……」
五十嵐が、瀕死の重傷を負ったなか、何とか顔を上げて空の方を向いている。――ような演技をしている。同じように、空も顔を上げた。
「………………小洒落たカフェにでも、行くか……?」
「……あぁ。甘いコーヒーと、ポテトでも頼むか……」
「………………最高だな。それ」
空と五十嵐は、そう最後に言い残して力尽きた。腕が伸びて、地に倒れたように永眠する。いつの間にか、側に来ていた朝陽がしゃがみ込み、五十嵐がさっき折った指示棒で2つの死体をツンツン突くが……息はしていない。返事がない、タダの屍だ。
動かないと分かった瞬間、朝陽はにやりと笑みを浮かべ、それぞれのポケットから財布を抜き取ろうとする。財布がポケットから外へ出た途端、2人は今までの演技と謎シチュエーションをすべて無駄にして、朝陽から財布を奪い返すのに奮闘した。頑なに財布を離さない朝陽に対して、窃盗の被害を受けた2人は綱引きの要領で対抗する。2人とも顔がガチだ。あぁ、財布破れそー。
そして、またもう1個。僕はちょうど反対側を向く。彼女のメニュー画面のBGMに合わせていた鼻歌から、会話文に変わったからだ。
「どーしよっかなぁ~? 私DLCコースあんまり走ったことないんだよねぇ」
「そうなんですね。さっきのレースはランダムだったからあんまりDLCのコース出てなかったですね。今度は選んでやります? 奈留莉ちゃん」
「そうだね、選んじゃおう! じゃあ柚充ちゃんから~」
「いいんです? う~ん、じゃあ、めいぷ――」
「あ、ごめん、ちょっとまって柚充ちゃん」
奈留莉さんは、柚充さんを手で制すと2人のやり取りを見ていた僕を見た。体をぐいーと傾けている。いつも通り笑顔の表情は、奈留莉さんのデフォルトだ。いつも、こんなに楽しそうでニヤニヤしている。
「小森く~ん♪ 敗者さんたちのなんちゃって演技、クライマックス見届けたー?」
「うん、幕閉じたよ。いま舞台袖で殴り殴られ乱闘中」
僕は視界の端に入れる程度でそっちを見た。
「「「ぎゃーぎゃーぎゃーぐわぁ」」」
……ノーコメントで。
奈留莉さんは、肩を少し上げるとまた僕の方を見てニヤリと笑みを浮かべる。笑みを浮かべたと思ったら、その状態のまま軽くステップを踏んで、ずんずん僕の方へと近寄る。左手にコントローラーを持ったまま、手をぐるぐる回し、左頬の隣にある三つ編みを左右にゆらゆらさせながら……僕の方へと近寄る。
「こっもっりっくぅ~ん?」
「あ、はい。小森です」
「――私はぁ、小森くんともぉ、やりたいなぁ?」
奈留莉さんは、そう言うと胸の前で両手を握りながら目をうるうるさせる。目線の下からのぞき込むように見てくる奈留莉さんに対し、たまに思うことがある。
…………演技派だなぁ。
仕方なく、ため息と同時に尋ねる。
「何を?」
「もぉう、言わせないでよ~。――最高に熱狂して最終的には発狂するレースさ!」
「…………キメ顔で言われても」
「小森くんがあんな風に絶望する姿見たぁいぃ~。何かとある界隈にはいるじゃん〝大好きなキャラほど曇らせ隊〟みたいなさぁ?」
「……歪んだ愛ですね」
「じゃーさ! パーティでもいいよ! それか、誰の鉄道が一番発展するか競い合う? あっ! 爆弾で殺し合いしてもいいよ! 角とかに間違って置いちゃってさぁ~」
「開始早々自滅しちゃって、外からみんなを邪魔するやつね――じゃないよ!! ちょっと、みんないい!?」
僕は、立ち上がった。にじり寄ってくる奈留莉さんに、一旦ステイ、と手で制すると、彼女は言われた通り正座をする。こういうところは素直で言うことを聞いてくれるのに……。彼女は僕が急に上げた声に驚いたのか、きょとん顔でいる。それだけじゃなく、乱闘で互いにダメージを蓄積し合っていた人たちも、僕の方を向いた。柚充さんはさっきから僕と奈留莉さんを、どす黒いピンクのハートを瞳に浮かべながら見ていたのだが、僕が興奮して声をあげたと同時に『スンっ』とそのハートは消えさった。まるで顔が2つあるみたいだった。
――僕は、みんなが自分を見ていることを認識してから言う。
「――え。話し合いはぁ!?!?」
中腰になり、昔流行った日本の予備校講師&タレントさんの言葉を言うときみたいな手の形をとる。森も、林も、草も生えない。笑えない。
ずっと言うべきだったが、言うなら今のタイミングか。いや、もっと早く言えただろう。ゲーム中に言うのは流石に無理だとして……って、今は最適だったタイミングを振り返って探している場合じゃなかった。
「……はな、しあい?」
「ほら、みんな見て。記憶を1度抹消された人もいるのっ」
空が舌足らずな声、ほんっとうに何も考えてなさそうな顔でそう言った。僕は指さしてみんなの方を向く。なんてこった、じゃああなたはなんで今ここにいるの? と問いかけたらどうなるんだろう、と考えてしまう。でも、そうじゃない。
僕は腰に両手を置いて、説教に近しいテンションで続けた。
「君たちは、昨日の夜にグループNINEで言ってたよね。今日僕の家に集まろうって。最初はゲームとか勉強会とか、夏休みらしいことをするのかな、って思ったよ。まぁ、それも魅力的だね、楽しみだなぁって思ったのが今日の朝」
「小森の就寝時間早いよな」
「なー。寝る子はよく育つって――」
「朝陽、五十嵐。びーくわいえっと」
「「うっす」」
僕が手首から特殊素材の蜘蛛糸を発射出来ていたら、2人の口封じ目的で射出していただろう。
「でもね、僕は感動したんだよ、君らに。まさか、今日集まった目的は他でもなく、話し合いのためだったなんて! 胸がじーんとして、今朝の浮かれていた僕が途端に恥ずかしく感じたよ。あんな思いはもう勘弁したいね、一生の反省点として小森’sノートに記載したんだから」
「今朝の小森の格好おもろかったな」
「私ね~早速待ち受けにしちゃった!」
「――――(荒々しい呼吸音)」
「空、奈留莉さん、柚充さん。お口チャック」
「「「あ、はい」」」
「それと奈留莉さんは後で個別で用があるから」
「え、なんで私だ……け……」
「 」
「……すぅーっ。――ごめんなさい」
奈留莉さんを、見る。
正座をする奈留莉さんの姿勢が一段と悪く猫背になり、謝る声がか細くなった。
僕は、顔をしかめる。もはや今日でため息をつきすぎて、簡単にため息が出なかった。ガス欠に近い状況なのだろうか。
「――でもさ、見て。自分に問いてみて? 君たちは、今何をやってる? 話し合いを1時間くらいしてみんなの楽器なんかを知れたのはいいと思うよ。僕も知らなかったし、みんなの意外な一面もしれた点で。――でも、その後の休憩が話し合いの時間をオーバーしてるってどういうことなの!?」
「それは――」
奈留莉さんの声は耳に入らなかった。
「……いや分かるよ、今の僕がとてもめんどくさい役回りだっていうのは。授業が始まっても先生が来てないときにわざわざ呼びに行く優等生と似てる立場の人間なのは分かってるよ! でもさ、それを自覚して僕、今喋ってるからね!? 誰か、止めてほしいよ! いやだよ、僕がこんな外れくじ引いた人みたいなムーブするのも! でも、進行係になっちゃったし、僕ってそんなめんどくさい性格だからぁ! どうも不安感が募っちゃって、皆が楽しんでいるのに水を差しちゃったりしたりする人間だからぁ! どうせ、A型だからぁ! 血液型あるあるとかのサイトで〝A型は冗談が通らない〟とか書かれちゃうような人だからぁ!! そんな人間だからぁ!!」
……ぜぇぜぇぜぇ。
そこまで言うと僕は肩で息をして、荒れた呼吸をもとに戻そうと頑張る。
けど、何だか僕だけこんなに必死になっていて、皆が僕を不思議な表情で見るから……あぁ、もうなんだか分かんないよ。
自分はみんなに怒ったり、説教じみたことを言えるような人でもないくせに。それを自覚しておきながら、僕は偉そうな口で言ってしまう。何度、1人で熱くなればいいんだろう。何度1人で盛り上がって、反省するのを繰り返せばいいんだろう。
謝りたかった。まだ、全然謝れるのに……。でも、僕の口は強度を忘れる。胸から上へと熱い何かがこみ上げて目元が端の方から段々と歪んでいく。
自分でも、驚くほどだった。
こんなので泣くなんて。弱くてちっぽけで、意志の弱い――。
涙を隠そうと歯と歯を噛みしめながら、詰まりがひどくなってきた鼻を啜ろうとしたとき、奈留莉さんがいつもの調子でどこかドラマにいる金髪のキザな登場人物のように、目元に掛かった前髪を手の甲で『さら~ん』と払いながら言った。両手を広げている。
「わかった。小森くんの言い分は全部汲み取ったよ。ほらっ、そんな悲しい顔するなよ? 可愛いお顔が台無しだぁ。仕方ない、私の胸に飛び込んで――――」
「ううぅぅわわああああぁぁんんっっ!!」
僕は、何とかせき止めていた涙腺というダムの最終門を開く。言葉の通り、ダムに溜まっていた水が勢いよく放出され、まるで消火活動時のホースからの水くらい勢い的には近かった。今までの涙を隠そうとしていた様子は、この様ではもう微塵も感じられない。
「――――っん!?!?」
ヘッドスライディングかの如く僕は、奈留莉さんの胸に飛びこんだ。
素っ頓狂な声が僕の頭の上で聞こえる。しがみつく僕の勢いが凄まじかったのか、奈留莉さんは腕で僕を包むどころか、背中側に両手を着いてなんとか耐えていた様子だった。
「嫌だった! こんな役回り! 僕だって頑張ったぁ!!」
うわぁぁん、子供のようにむせび泣く。奈留莉さんは目に渦を巻いた。
「――っん!? こっ、ここ、小森くん!? きゅ、急にそんな……抱き着いたら――ッ//」
コアラが木の幹にがっしりと捕まる形と瓜二つ。細い腰に腕を通し、着ていた服が皺を作る。テンポが上がった奈留莉さんの心音が聞き取れるくらいに顔を埋めて、柔らかい感触が僕の鼻と目の間に密着した。
目の前は何も見えないし、ヒクヒクする喉が落ち着くにはまだ時間がかかりそうだけど、僕の肺の中は安心する香りで埋め尽くされる。花のような、甘くて安心する香り。体の中に存在する空間が暖かさで染まっていき、足の先から脱力されていく。
奈留莉さんはそんな僕を剥がすも、どかすも不可。ただ両腕を床に付き、顔を赤くして上を向くことしかできなかった。時折、体が小刻みに震えて「うぅっ」「あっぅ」だとかの小さな声が吐息と一緒に漏れる。目元は赤く染まった頬と前髪が生む陰で見えないようだった。
そんな2人のえぐい状況から少し離れたところ。3人の人間が固まっている様子が見える。例の3人だ。空五十嵐朝陽は時折声を漏らす奈留莉と、うわぁんと子供のように泣く小森に背を向けながら、どことなく黄昏るような目をしてヒソヒソ話している。
「なぁ……。あれ、オレらは見ちゃいけないやつだよな……?」
「あぁ、そうだな」
「お前も分かるだろ?〝きゃーっ、なんで見てるのよっ! えっち!〟っつって、別におれらが何してるわけでもないのに平手打ちだとか、近くにある桶とか投げられたりするお約束」
「あー。分かりやすいわ、その例え。アニメのあるある」
「後に詰められてセクハラだとか、変態だとか言われるのはどうせおれたちだからな。これが、最適解」
「今回はお手柄だぜ、空。凸凹コンビにこんなこと言うのは癪だが、今は手を組もうな。これが最善だからな」
「「うぃー」」
そう深く頷き3人は拳を軽く前に出して、後ろを向くを続けた。神経を別のことに集中させているのだろう。3人からは「あぁ、なんにも考えてないっす」としか言えない表情で遠くのかなたを見ている。「っん!? だ、だめっ! そこ、はッ//」とその奈留莉の声も耳に届いていないようだった。もしくは、耳に入っていたとしても、頭の中で必死に流すロックンロールによって消されているか、どっちかだ。
彼らの背中と生き様。何よりもかっこよく見える3人には、勲章を贈りたいくらいだった。
「
柚充さんが心配そうにのぞき込みながら、飲み物を手渡してくれる。その目と表情には人を思いやる優しい気持ちしか映っておらず、微塵も下心や内なる思いなどは含まれていなかった。
「うん、だいぶ。恥ずかしいところ見せちゃったよ」
僕は迷惑と気遣いをかけてしまったことに反省しながらその飲み物を受け取って飲み干した。一息をつくと同時に、氷が作った冷気を吐く。中のジュースは氷が解けたからだろうか、僕が熱くなったからだろうか、少し水っぽくなっていた。
「………………ぅん。……ほんとにね//」
奈留莉さんは、さっきからソファーの際っ際に体育座りをしていて、ずっと目を合わせてくれない。たまに、何かを思い出したかのようにぶるっと体を震わしては、膝と胸の間に作った空間に頭を埋めていた。髪から覗く耳は先端が赤い。
きっと、顔を合わせたら動けなくなるオバケの逆バージョンの練習中なのだろう。ということにしておいて、心配だったけど探るのは中止だ。そっとして、ほっとくのも1つの優しさというもの。偉そうなことを言う僕に頭で(ウンウン、ソウダョ!)と手のひらサイズの僕が答える。
それに奈留莉さんがああな理由を朝陽や空に聞いても「さぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………………?」としか言わないし。柚充さんに至っては「小森さん。そういうところほんとにえぐいです」と言われた。それをジト目で言われた後「そこに日々大変助かってます」と謎のお礼も追加でくれた。きょとんとしながら僕は一礼を返す。感謝の理由も、えぐい、も何の話だろうか。気になるけど、踏み込もうとしていた足は引っ込めておくことにした。
「んにしてもよぉ……」
空はそう言いながら目の前に置かれていたノートを拾い上げ、ページを1枚、めくっては戻し、を何セットかする。例の話し合い時に決定したことをまとめておく用のノートだ。拾い上げられたせいで、ころころとノートから滑り落ちるシャーペンの先端はまだまだ角が尖っている。ノートに書かれた僕の字を読む度、空は怪訝な顔をした。
「驚くほどなんにも決まってないな。いいのかぁ? こんなんで鈴歌祭出るなんて、おれらだけステージでマリヨカートする羽目になるぞ?」
「~~!」
「そこ〝あぁ、それも楽しソ~〟みたいな顔しない。というか、それ空がよく言えたよね…………」
睨む方角がいっぱいあって大変でしかない。奈留莉さんが鈴歌祭で演奏するメンバーを集めたのに当の本人が流されてどうする。その時の感情任せで簡単に目的が変わってしまいそうで不安だ。行動力とそれに便乗する人が多いから冗談とも言えがたい。一体僕らは鈴歌祭で音楽パフォーマンスをすることができるのでしょうか……?
「実際、そこのノートに書かれてる今日決まったことは?」
五十嵐が胡坐をかきながら尋ねる。空が数少ない筆記だったのでノートを見るまでもなく答えた。
「小森以外の楽器――は、そもそも奈留莉がそれで集めたらしいしな。あと楽曲、未定。サックス、バツ印……う"ッ。それと、曲お披露目の時間配分を小森が書いてるな。1曲目 3~4分、2とラス曲の間にトークゾーン(仮)1,2分」
「メモ程度にね。トークは今までの鈴歌祭でいろんな人たちがやってるのを動画で見たから、それをソースに。時間とかも曲によって変わるだろうし、適当だよ?」
「あとは、奈留莉が描いた〝小森みたいな絵を描いたつもりで五十嵐が描いた小森の絵〟だな。ほーぉ、結構似てる」
「それ消してって言ったじゃん!」
机に再び置いたノートをみんながのぞき込む。ページの右下に、さっきホワイトボードで見たアイツと瓜二つな絵がまだ残っていた。落書きみたいな顔に今度は正方形の体と鳥の足みたいな細くて小さい手足が奈留莉オリジナルでつけ足されていた。やっぱり、なんで一頭身!?
「あぁ、もう!」と消しゴムで消そうとする僕を「いや、もったいねぇって」と空が腕を掴み「てか、こもゆうだって!」と抗議する五十嵐に、隣で奈留莉さんが満面の笑みでダブルピースをしている。柚充さんはこの絵が気に入ったらしく、ツボに入ったような笑い方をしていた。
わかった。
――こういうことをしているから話し合いが進まない。
「――――はぁ、お前ら。もう茶番劇も飽きる頃合いだぞ? てか、もう早々に飽きてる奴もいるんじゃないか? なぁ」
朝陽が頭の後ろを手で触りながら僕らを睨んだ。生気のない目からは、普段から思うように視線の先が読みにくい。たまに僕らを見ているのか、僕の遥か後ろのどこかを見ているのか分からなくなってしまうときがある。それでも、今回の朝陽は珍しく、声量が大き目でノートの前でおふざけている僕らに向けて言っているのだとすぐに気づけた。
珍しい、とこの場の全員が思っていたのか、呆気にとられて沈黙が続いてしまいそうな全員だったが、それを読んだのか朝陽は瞳の中で眼球をぐるーと回し、再びこちらを向く。目からも全身からも『めんどくさぁ』という態度が手に取るように感じ取れた。
「仕方ない。ここは進行担当になってやる」
「…………進行?」
朝陽は指を1本立てた。立てた指の関節を伸ばしたり曲げたりした。
「first。俺らじゃ今後も話が道草食いにいっちまう」
second。人に頼るのも一つの手だ
third。音楽の話だから、音楽やってる奴とか心強いよな
よし、おーわり」
朝陽はヒントの本数分指を立て終えると、また首をカクンと遠くから狙撃されたみたいに曲げて眠りに入る。本当に、助言だけをくれる役回りだ。立てる指の3本目は
外国の映画などで見かける親指を立てる3つ目の数え方だった。薬指を使わないで親指なだけなのに、なんでちょっと洒落ているんだろ。朝陽がやると違和感がない。というか、親指の次はどっち? 小指? 薬指? って、後で考えよう!
奈留莉さんがこめかみに指をトントンと当てながら考える仕草をしている。
「――サラダ食べれる場所は…………」
「……もしかしてだけど、道草の話してる?」
「え、ヒントじゃないの?」
「…………サラダは道の草じゃない気がするなぁ。馬が道の草を食べて目的地に着くのが遅くなるっていうのが由来だから」
「てか、サラダな訳ねぇだろ」空が鼻で笑う。
「小森くぅ~ん、物知りぃ~(スリスリ)」
「――あぁドーモ」
僕に身を擦る奈留莉さんをRPGで押して運ぶ岩や木箱みたいにズリズリ押して離し、また朝陽の言うヒントを考えた。押して運んだ先で、奈留莉さんはにじり寄ってきた体制のまま固まっているのに、クスリと笑ってしまった。よくそんなシュールな動きできるなぁ。いや、動いてはないか。
「英語なのに関係あるか? 朝陽が野球部だからか?」
「ハッ! もしやfirst、second、thirdを、こう、なんか凄い良い感じにアナグラムしたら違うワードが生まれるんじゃないか!?」
「お前、最近アナグラムの意味知ったもんな。な訳ねぇだろってツッコまねぇから好きなだけアルファベットスープで遊んどけ」
空と五十嵐も必死に考えているみたいだ。見てよ、あのハッ! って言ったときの五十嵐の顔。探偵ものだったら『ピキーンッ』と鋭い音と雷のような亀裂が黒い背景で映るはずなのに……。言っちゃ悪いがどうもアホっぽく見えるのは五十嵐の人を寄せつけやすい人柄だろう。メリットとして見ていい。
「う~ん。このままだと朝陽さんの言う通り、埒が明かくなってしまいそうですね。……今直面して感じました。もう少しヒントはないのですか? 朝陽さん」
柚充さんは困り眉で首を傾げる。朝陽は片目だけ開けた。
「ヒントか? これ以上セリフを要求するなら+1,000円で『ヒントα』になるぜ? 利用規約は読んだか? 郵便番号にハイフンはいらないぜ? 写真の中から横断歩道を選ぶんだな」
「や、やっぱりヒントは大丈夫です! それにわたしはロボットでもありません! ……ふぅ、危うく〝メールアドレスとパスワードが間違っています、忘れた方はこちら――〟の永久ループにとらわれるところでした」
追加のヒントももらえないみたいだ。柚充さんは胸に手を置いて、心の底から安心したように息を吐いている。独特な朝陽のムーブに、柚充さんは馴れ慣れていないのか、結構焦っていた。確かに、この2人が2人のみでしているやり取りをあまり見たことがない気がする。主軸人気キャラ等のレア会話シーン、みたいなアニメでよくあるかもしれない。それか、二次創作でめっちゃ人気になる謎の組み合わせとか。……こんなことを言ってると独特なムーブを持っているのは朝陽だけじゃない認定されるかもしれない。
「「「「「う~ん……」」」」」
悩み、絞り、迷い。部屋には段々と話し合う会話よりも、各々の唸り声が響くようになってきた。真剣ムードが宙を漂うなか、朝陽の静かともうるさすぎるとも言い難い寝息が聞こえる。助言を言うくらいだから朝陽は何かの案が出ているのだろうか? 聞いても言わないというのなら、これは朝陽からの試練と無理やり解釈して立ち向かわないといけない。
集中力が切れてきたのか、体を伸ばす猫のように前に両腕を伸ばしながら、奈留莉さんがふと呟くように言った。
「――誰か音楽をしている人の連絡先でも知ってたらねぇ」
奈留莉さんは「んゃ」と伸ばしていた腕をぱっと離す。力んでいた腕がぶらんと大げさに重力に従って、また姿勢をもとに戻した。僕の視線に気が付いたのか、いつもみたいに『にへら』と奈留莉スマイルを返してくれる。
僕は、夢中になっていた。
断じて、奈留莉さんの可愛い笑顔に対してじゃない。言い切れる…………ウン。
音楽の経験者。そもそも僕のスマホには連絡先が少なすぎる。人脈で言えば奈留莉さんや空たちの方が多いだろうし、そもそもここにいるメンバーたちを除くと高頻度で連絡を取る人なんて安藤先生くらいしか……。
え? あれ…………?
僕は、もはや懐かしいとも言えるくらい昔にした安藤先生のセリフを、その時の情景と同時に思い出そうとする。まるでアニメの回想パートだ。記憶の映像が白黒で、喋っている人の声はエコーがかかっているだろう。
(「こんな考え方は他力本願って言うんだけどね。まぁ、具体的なことでも教えることはできるからさ! 全然聞いてきてよ」
「――ありがとうございます。……ってあれ? 先生って音楽やってるんですか?」
「うん……。やってた、だけどね。あれ? 言ったことなかったっけ?」)
――音楽をやっている知り合いの経験者!!
いるじゃないか! それもとても身近で接点の多い!!
「奈留莉さん、それだよ!!」
「んへ? それってな――――ふあぁあぁっ!?」
思わず立ち上がり、奈留莉さんが何か言い切る前に抱き着いた。抱き着く2人の少し側で柚充さんが「!?!?」と目を見開き、声もなく立ち上がる音だけが背中越しに聞こえた、気がする。奈留莉さんは「……ぁ……きゅぅ……」と声にもならない弱った声をあげている。
事の重大さに気が付いた僕は「はっ……!」と何だか恥ずかしくなってしまって、がっちり固定していた腕の力を抜いて奈留莉さんから離れた。思わず、の考えでこんな行動をしてしまった自分が何だか普段の自分じゃない気がして……。言い訳を見ている人等にしようと思ったけど、その気にもなれない。もみあげ付近の髪を指でいじいじしながら少し下を向くだけ。僕は、なんてことをしてしまったんだろう……。例の奈留莉さんも小刻みに震えながら固まっちゃったし。
五十嵐がそんな僕と奈留莉さんを面白く思ったのか、にやりと悪い表情をして、パチンと指を鳴らしてからそれをこっちに向ける。
「Fooo!! 本日2回目~!!」
悪ノリに空も続く。
「よっ! 無垢なベイベェー共っ!!」
「やっ、やめて! 2回目って何!?」
相変わらずムカつく2人だけど、今回はなんだか気持ちののらないキレの悪いツッコミだった。気持ちが変に緊張しているせいだろうか……? 奈留莉さんからも何か言ってほしかったけど
「くぁwせdrftgyふじこlp」
とだけしか言わない。もはや、言っていると言って良いのかな……。
なんだか、空と五十嵐と、謎に直立不動で天に召されかけている柚充さん。今のシーンを彼彼女らに見られていると思い返すと、羞恥がこみ上げてきた。それと、感触も。
手と手を掴まれるいつもの奈留莉さんの力強さとはかけ離れた、柔らかくて、体温を異様なほどに感じる人肌。向こうから抱き寄せてくる時に勝手に鼻へと入る甘い香りも、何だか余計にいい香りに感じる。自分の胸に奈留莉さんのシャツが当たって、奈留莉さんの胸の音が僕の胸の位置と重なって、体の中に心音がこだまするような……。
(ドクっ、ドクっ、ドクっ、ドクっ、ドクっ、ドクっ、ドクっ、ドクっ)
明確に思い返そうとするたび、僕の胸の音と体温が次第に増して、薄い胸から心臓が飛び出してしまいそうに思えた。もはや体の中に誰か人がいて、体をドア代わりに勢いよくノックされているような気持ちだ。……苦しくなりそうで、思わず両手で服を掴んだ。
(――この、騒がしい……。終始ドキドキする…………。うぅ……ん?)
熱くなった頬を両手を抑えるように、僕は目を強く閉じた。
いつか何かのテレビで見た『ハグにはドーパミンが――』とかの知識を思い出しそうになった時、朝陽が頬杖をつきながら
「で小森。それって言うのはなんだ?」
「…………あ、ぁあうん。そう、れね……」
はっ、と我に返るpart2。でもさっきみたいな勢いはなかった。みだらな気持ちと高ぶった体温を冷ますかの如く、首をぶんぶんと振って浅めの呼吸をした。…………でも、ハグの件には……ちょっと調べておこう。
僕は頑張っていつもの自分をイメージしながら説明する。
「いや、そうだよ。僕には頼もしい先生がついてるんだ。信頼できる、さらには優秀で頼れるのおまけ付きのね」
胸を張って言える。何も大げさじゃない。……大人っぽいは入れてないけど。でも、言い方を変えればフランクで近寄りやすいって意味だ。
「先生? 先生って言ったか?」
「だから俺は最初からそう言ってたんだがな」
朝陽が不満げに言うが、まぁ気にしなくていいか。答えが出たわけだし、何よりそのヒントにもあっている人だろう。……もしかして、朝陽は安藤先生のことを指してた?
「……………………ぷはぁッ!! ……はぁ、ぜぇぜぇ」
「お、戻った」
奈留莉さんが呼吸ゲージがギリギリで何とか水面に間に合ったみたいな声をあげる。さっきの僕と同じみたいに、頭を振って赤く染まった頬を両手で抑えている。膝が崩れそうなくらいに笑っていることは、指摘してあげた方がいいのだろうか。
「……破壊力ヤバすぎ、今日の小森くん――ん゛ん゛っ!! それで、え~っと? 話は聞いてたよ? 先生? 小森くん、学園都市のソシャゲでもやってる?」
「違う、違う、ゲームの話じゃなくて、本当に先生。安藤先生って言うんだ」
「……あんどう?」
「……せんせい?」
「そうそう」
得意になってスマホを取り出し『NINE』の安藤先生のアイコンをタップする。ほとんどゲームの話ばかりなメッセージに目を通す間もなく、今の状況で力になってくれないか、とタイプをしようとしたが
「……」
僕は、みんなのきょとんとした顔に気が付く。
そうだ、そりゃあ僕にとっては親に近しい存在だけど、皆からしたら知らない大人の人だ。その人に対して急に相談をしてもらうと言っても……。僕だったら、絶対不安だし、緊張してしまう。
一度、スマホを懐にしまった。
「あ、あぁ~~ぁ…………。ごめん、安藤先生についてもっと詳しく説明するね?」
「あぁ、そうだ小森。そっちの方がいいな。俺からも知ってる部分でフォローするから、安心しろ。その方が、こいつらにも先生にもお前にも良い。だろ?」
朝陽が、そこまで言うと首を傾げて、歯を見せた。
僕は、朝陽の頼れるまなざしに頷きを返し、安藤先生について分かりやすく説明した。
「つまり…………。昔に小森がお世話になったことがある医者で、引き籠ってた時に勉強を教わったり、アワクラをしたり――」
「日々あったことを話すくらいこもゆうと仲良しで、アルコールへの耐性が低くて――」
「コントローラーは絶対純正品で、どのゲームも毎回SMGを持って、目玉焼きには塩をかける――」
「少し抜けてるところがある、腐女子が好きそうな片目隠れ眼鏡高身長成人男性?」
「………………うん、そう」
間違ってはいない。僕と朝陽2人で言える範囲のことすべて出し尽くしたつもりだ。偏った情報があるのは……言った通り、言える範囲のことをすべて出し尽くしたから。
こう改めて振り返りをされると、頼れる大人という存在とは正反対のように聞こえてしまうかもしれない。なんだか、申し訳ない気持ちが体へ蓄積されてく。……安藤先生、ごめんなさい。
訝しむ表情をとるみんなだが、さらに魅力と疑いのない良点を次々とあげて、なんとか先生への連絡の許可をもらった。これも僕の説明力、語彙力がないせいだ。悪乗りしだす朝陽も悪い。腐女子が好きそうな――とか僕言ってない!
でも、先生は先生だ。いつもみたいに僕を安心させて前を向かせてくれるような言葉をくれる人。きっと、力になってくれる。それがみんなに繋がってくれるならどんなに嬉しいことか。先生に頼っている身なのに、僕が嬉しく思えてくる。
僕はようやくスマホをポケットから取り出し、NINEで安藤先生のアイコンをタップする。送ろうとしていたメッセージが変な変換をした状態で途切れていた。文字を消して、文体を考える。スマホを両手に握り、トトト……と小さなタップ音を鳴らして入力しては削除。書いては削除を何ターンか繰り広げたあと、ある程度整ったメッセージが出来上がった。僕が入力している間、皆はヒソヒソと謎小声で安藤先生のことを話しているようだったけど……良いことだったら嬉しいな。
何行かにわたって書かれたメッセージを最終確認する。
小森▶『安藤先生 こんにちは
実は、例の鈴歌祭の件で先生に相談したいことがありまして
都合がつくようでしたら直接お話しできると嬉しいです。
唐突なお願いで申し訳ありません(>_<。)
よろしくお願いします。』
「…………いいかな」
送信。送ってからも、また吹き出しに入った文字文字を複雑な小説をじっくり読んでるみたいに目で追っていた。誤字脱字は、していない。改行が変なところでされて読みにくくも、ない。顔文字は……古いって言われても仕方ないけど。
『ピコン♪』
「うわっ!!」
まじまじとスマホに目をくっつけるくらいの勢いでチェックをしていたのだが、異様に大きく聞こえた通知音と、通知を知らせるバイブで思わず上空にスマホを放り投げる。昔の漫画の典型的な驚き方のようになってしまった。降ってきたスマホをすかさずキャッチして、届いたメッセージを確認する。あまりにも僕が突拍子のない動きをするもんだから、みんながぞろぞろと集まってきた。画面をのぞき込んでいる。そのせいで、スマホの持ち主が画面が見にくくなってしまう。もう、まったく。
予想はしていたものの、案の定メッセージは先生から。拡張パックが開封できるようになった時間の通知ではなかった。
「早っ……」
安藤▶『要件は分かったけど、まずこのメッセージからね
いや、文体が固すぎるよ!? ボクでもそこまで固くしたことないから!』
送られたメッセージは音声入力を使っているのか、と疑うほどのツッコミだった。脳内で先生の声がそのままこの文章を読み上げている。
「うわ、ほんとだ~。小森くん、それ本気~?」
「不穏なスパムメールかと見間違えそうですね。即、ミュート欄へ連行です。わたしなら……」
「NINEで句読点使う奴いるかぁ?」
狭いスマホの画面に口々に言ってから「こことか~」「いやもっと~」とか言いながら指を指し、腕を伸ばしてくる。折角頑張って考えた文を散々に言われたのと、密になったせいで段々と暑くなってきたので「うっるさいなぁ!」と一大声で一掃してから、僕はスマホを胸に寄せて画面を隠し、皆に背を向けた。もう、別にどんな形でメッセージを書こうがよくない!? ちゃんとした方がいいと思ったの! ……と、口に出すとまた長くなりそうだったのでやめておいた。
そうこうしてるうちにまたメッセージが届く。
安藤▶『さて、鈴歌祭のことは分かったし、力にはなりたいんだけどね
あいにく、今はちょっと外にいてね……』
そう、だったんだ……。先生は今忙しいのか。
小森▶『すみません。外出中なのにわざわざ返してくださって……』
では、また別の機会にでも――と続けて書こうとしたとき、先生の素早い入力スキルが発動し、新しいメッセージが横入りしてきた。
安藤▶『あ、いや全然大したことじゃないんだ
そうだ! 今いる場所は小森くんの家からも近場だったっけ?
それじゃあ――≪とある建物の写真≫
ココ! 知ってるかな、知らなかったらボクから出歩くよ』
「え――っ。ここ…………」
ひときわ声が大きかったのだろうか。僕はまたもやみんなの会話を区切る羽目になる。でも、どうだっていいだろう。『今すぐに向かいます』というメッセージをすぐにうてず、目の前の写真と先生の繋がりに唖然としていた。
手から離せずに、でも、全く力の入っていない手からスマホが零れ落ちそうになる。手にしている画面には先生が送った建物の写真が全画面表示になって大きく映る。僕の様子を五十嵐が伺いながら恐る恐るスマホを抜き取ってみんなと共有していた。ようやく僕は手にスマホがないことに気が付く。ちょっと、勝手に取らないで?と言おうか悩んだけど、スリープ状態になってる僕が悪い。定期的にMyワールドに入る癖、やめたいなぁ……。
みんながさっきと同じ要領で小さな画面を塊のようにくっついて覗いていた。
「レトロな建物だな」
「そうですね、古着屋さんでしょうか?」
「ん~レコード屋さん!」
中が角度的に見えないから考察班は割と的確な予想を立てている。でも、全部はずれだ。
「…………」
ただ、1人。いやいつも沈黙を貫いている朝陽を除いて、もう1人。
奈留莉さんは、ただ無表情でその建物を見ていた。少し眉が上がっているようにも見える。
僕は、その横顔を見ていた。
いつも感情任せで、テンションが手に取るように分かる彼女だったけど、今の表情は何を思っているのか、何を考えているのか、何1つ分からない。
ただ、僕は予想が1つある。(もしかしたら……)と。
もしかしたら、奈留莉さんは思い出しているのかもしれない。
「よし――行こう!」
ただ、スマホを見ながら奈留莉さんはそれだけ言った。
「んえ?」とか何とか空等が言っている。奈留莉さんは顔を上げた。僕を見る。何を考えてるのか分からなかった表情はとっくに消えており、いつもの健気な笑顔に、目つきが少し鋭い気合いの入ったような表情だった。いよいよ始まる何らかのスポーツの最終試合に向けて、のようにも見える。
「小森くん。安藤先生に私たちが今から向かうことと、先生たちの話はさせてもらったあッ! って連絡しておいて! ほら、私たちは準備、準備!」
「は、はいっ!」
急かすように奈留莉さんは手を2回叩き、自分の鞄を手に取ってMyコントローラーを中にしまう。柚充さんもせこせこ動き始めた。
「しゃーねぇ。あっつい、炎天下をまた歩くかぁ」
「こもゆう、ほら」
「ぁ、へっ――」
例のコンビも片付けと準備に取り掛かる。五十嵐がゆっくりとスローインした僕のスマホを身で受け止めるように何とかキャッチすることができた。画面は消えて、ロック画面に時刻が表示されている。再度顔を上げると、すでに支度を済ませたみんなが僕を見ていた。コンパクトで荷物の量は少ない。
でも僕の肩の荷は簡単に下りない。準備は僕だけ済んでいない。
胸の前のシャツの皺にスマホをくっつけた。両手で手のひらには大きいスマホを握る。
「――み、みんな……。ほんとにいいの?」
なんだか、事がトントン拍子に進んでしまった気がしてならない。それも、その主軸が僕の案で。今ここの繋がりができている第1理由である鈴歌祭という大行事の進行が、今までまともに案を出してきたことがないぺーぺーの人間からでた案で進んでいるということに対して、不安になるのは間違ったことなのだろうか……。
結局は、自分が1番楽な道を無意識のうちに選んでるような気がして――。
「あのなぁ、それさっきも聞いたろ? じゃあこんなにテキパキ動かねぇっての! 平日で寝坊したくらいだわ、この準備速度」
空が前髪をうざったしくかき上げて雑な口調で言う。
「小森さん。わたし、小森さんの一生懸命なところ。黙っていましたが、目標にしてるんです。誰も外れものにしないのを考えてくださってるから、真剣になれる。それってもっと誇っていいと思いますよ?」
柚充さんはまっすぐ優しい視線を届ける。雪解けのように優しく微笑む。
「それに、安藤先生すげー気になるし! こもゆうたちから聞いた条件だと、なんの心配もいらねぇしな! 一番やったゲーム聞こ~っと」
五十嵐は頭に両手を置きながらへへっと笑う。何1つ変わらない、それが気持ちで伝わる。
「――ほぅら、みんなの言う通り。もっとさ、気楽にいこーよ! 私も、私たちも、大丈夫だから。今の小森くん、なんだか頭から湯気出そうな勢いだよ? はーい、深呼吸~。吸って――吐く――。みんなもご一緒に?」
寄ってきた奈留莉さんが僕の肩を掴んで、ぐるぐる回して柔らかくした。ヨガの先生のようにお手本をしてくれている。腰から体のラインを両手でなぞるように下から上へ、同時に肺いっぱいに空気を入れる。肩まで上げた手を少しキープして下すと同時に息をすべて吐く。その動きを見よう見まねで僕もやってみた。気が付けば言われた通り、隣にいる柚充さんたちもやっていた。
息を吸い、吐く。単純で、当たり前の動きなのに、行いながら目を瞑った後と前では視界の開け具合が何だか違うように思えた。
「――んね? 何だかすっきりするでしょ?」
「ぅん。うん――」
おもりが外れた後の肩に奈留莉さんが両手を置いて、左肩から顔を伸ばす。耳に直接囁くような近距離だったけど、何だか心臓の動機は落ち着いているように思えた。少なくとも、さっきまでのザワザワ感はない。今あるのは、別の気持ち、だろう。
安心を纏う。空気の吸い方と吐き方と、それとまた、まっすぐな彼女らしい言葉に。
「私たちは、そう簡単に疑ったり否定から入ったりしないよ。そもそもお友達だし、鈴歌祭で演奏する最高なホモサピエンスの集いなんだから! プレッシャーとか
責任とか、みんなで分割しちゃえばいいんだよ。それには、誰も仲間はずれにはさせない。みんなで1ステップずつ進もう?」
奈留莉さんが、手を差し伸べる。後ろにはみんながいる。
大げさのように思えるかもしれない。誰かが見たら、過度な身内の戯言に思うかもしれない。鈴歌祭でのグループなんて一時的なものにすぎない。そう思うのかもしれない。
でも、僕は咄嗟にその考えには至らない。
――きっと、これからも。と、断言できる。
手を取ると、その手を奈留莉さんはもう一つの手のひらで覆った。
握り返した手を見る。手をくれた伸びた腕を伝う。細い首から上へと向かう。顔を傾けて、にっ、と笑う奈留莉さんは何ともなかったように自然な笑顔でいる。「ふへへ」と腑抜けた笑い声が小さく届いた。
その気持ちが、その強いハートが、限りなく長くはるか先まで続いて――。
目を閉じ、にこやかスマイルだった奈留莉さんは、さっきまでの勇ましい眉に変わる。キッ! と力強い、星が輝く瞳が勢いよく開いた。あまりの転換ぶりに、僕は思わずたじろぐ――暇もなく…………。
「いよっーし! じゃあ小森くんも準備okらしいってことで! 安藤先生から送られた例の建物にぃ~! Here we go~!! イヤッフゥー!!」
「――――んぇ? ちょ、ちょっと、まだ、連絡が――ぁぁぁあぁあぁあぁ!?!?」
奈留莉さんは、聞き馴染みのある(そこそこ似てる)裏声の高めの声で軽くジャンプをした後、僕の手を掴んだまま玄関の方へダッシュをした。まるでアニメーションのように、全力で走る足はものすごい勢い過ぎてコマ送りのように見える。あまりにもの急ダッシュだったからか、磨いたフローリングの床と走る足とで『ピロロロロロ――♪』と高音が鳴り続けていた。奈留莉さんの体から鳴ってる? 気がしなくもない。……尻尾とか生えていたら天井を突き破って空を飛べていたのだろうか。
さっきとのムードとは打って変わって。勢いよく開いた扉に、勢いよく扉が閉まる。あっという間に外に出た奈留莉さんと、手を掴まれ走る力で宙になびく僕。それは、まるで正月に見る凧あげと同じ要領だった。ヒラヒラの薄生地になった僕は、今の自分の立場と展開にどういった感情になればいいのか、放心した顔をしている。
こうなってはもう奈留莉さんを止めることはできない。風になびく洗濯物はこんな気分なのだろう。すごーい、あっという間に景色が進んでくー。
さっき言ってた1ステップとは……。もう、50ステップ一気に進んでる勢いだ。
「さーて。おれらも行きますか」
空が腕を上にあげて伸びをする。
「そうですね。この家の鍵は――あ、靴箱の上にありますね。これでしょうか?」
柚充は靴を履き、靴箱の上にあるボードに掛かっていた小森の家の鍵を手に取った。沢山あるフックには他にもいくつかの鍵が掛かっている。自転車の鍵。車のキー。どこのか分からない鍵に、貝のキーホルダーがカニのハサミ型のフックに掛かっており、(ややこしいけど、嫌いじゃありませんね)柚充はそう思った。
五十嵐が冷房や部屋の電気を消す。掃除をした成果が輝きから見て取れる窓の戸締りやトイレの電気の確認、キッチンの水道がちゃんとしまっているかの確認もし終えた後、リビングと廊下のドアを閉めた。
主がいない家。煙を上げ、ひらひら舞う小森を旗代わりに爆速で出てった2人を置いても、この3人はしっかりと確認をした。異質で、異常な事態ではあるのだが、慣れ(?)だろうか。3人は妙に落ち着いている。
何の心配もなくなった後、五十嵐を最後に玄関の扉を出た。カチャッ、と戸締りをし終えた音がする。家の鍵は3つあり、柚充の所持する鍵が1つ目のようだ。主が1つ目じゃない事実は……いかれてる。
「ぅーわ、やっぱあちぃーな」
「そうですね……クーラーのありがたみをひしひしと感じます」
「なぁ、さっきのこもゆう〝ペーパー小森〟って呼んだ方がいいのか? 紙みたいに薄くて軽かったよな!」
「知らん」
3人は例の建物まで行く道のりが分かっていないはずなのに、淡々と話しながら歩 みを続けた。
……分かってないはずなのに、というのはどうやら間違いみたいだったみたいだ。
地面にF1カーが走った後のようなタイヤ痕、いやダッシュ痕がついている。
3人は妙なくらいに落ち着いて、歩みを続けた。
静まり返った室内。灯りの1つもない室内。ついさっき冷房を切ったのにもう暑さが集まりつつある室内。
1人の男が鼻ちょうちんを作りながら、寝息も立てず、頭を微塵も動かさず。まるで置物のように眠っていた。
「――ZZZzzz…………」
どうやら誰にも気づかれていないみたいだ。いや、朝陽こそ何も気づいていない。欲のバランスが統一ではないのだろう。暇があれば眠りにふけるこの男は、何1つ変わらない。それが素なのだろう。
だがそろそろ起きてもらわないと困る。起きることは――
「――――ZZZzzz………………んぁ?」
パチンッ!!
――あったみたいだ。
鼻ちょうちんが典型的な割れ方をした。半目ないつもの目からさらに半分の細い瞳が開く。髪で隠れる分、ほとんど視界は役に立っていないだろう。誰に見せたことがあるか、隠さず大きなあくびをした。いわずもがな、頭の重さを支えきれず横に倒したままの姿は気だるげを付近に漂わせて、纏っている。
小睡眠からの目覚めは、まるで朝目覚めたような雰囲気をしている。頭に血が回っていないのか、目を開けることもなく上を見上げ、頃合いやタイミングもないのだろう。数分したあと、頭をカクンとおろしてようやく目を開く。
「………………ぉ?」
首の裏を手で支えながら伸ばし、視界の景色が違うことに気が付く。
あたりを見回してはいる。ただ、何も感じていないのか、表情は変わることも、変わりそうな気配もない。普通だったら、小森等がいないことに疑問を持って不安になったり、自分が置いて行かれて焦ったりするのが普通だと思うのだが。
それに何が1番凄いのかって、これまであって、この今の状態を視認して、まだ一向に座っている椅子から立とうという気配を感じないのが凄い。もはや朝陽はここから立てないんじゃないか、と疑うレベルだ。常識の範疇を超えている。
だが、何かを感じ取ったのか朝陽は腕を組んだ。正面を向く。
「――そうか。俺を置いて、あいつらは行ったんだな、先生んとこ――」
目を瞑る。眉をひそめる。それだけ言うと口をきゅっと結ぶ。
「…………寝すぎだと思うか? へへ、たまに自分でも思うぜ。でも、しょうがない。スイッチが入ったみたいに眠くなるんだ、俺は。勘弁してほしいよ。……まさか、たまーに見るアイテムで相手を眠らせたり、呪文で眠らせたりするやつ等って、こんな感覚なのか? よく分かんないぜ。てか、これ以上必要か?」
流石に、置いて行かれたことに腹を立てたのだろうか。その後、1言も声がなかった。相変わらず感情は読めなかったが、誰もいないこの場で珍しく朝陽は独り言を漏らしていた。背中が痒かったのか、背中をぽりぽり掻く。
表情から読むことが不可能な思考のようだったが、腕組みで分かる。朝陽が今から何をしようとしているのか。
ただ、ずっと。
ずっと。
ずっと。
ずっと、目を閉じながら険しい表情で腕を組んでいる。
そして――――。
独り言とは別の音が、また静寂という言葉を打ち破った。
「――――ZZZzzz……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます