第2章 色彩


「出たらいいんじゃない?」

「――え?」

 イヤホン越しに先生の声が聞こえる。小さなカチャ、カチャとパソコンの操作音が聞こえてくる理由は、毎度のごとくアワクラをやっているからだ。安藤先生がサラリと言ったセリフに、僕――『小森裕こもりゆう』は思わずと聞き返してしまう。

 結局、あのテイクアウト事件からは約2日……だろうか。それくらいの日数があっという間に過ぎた。あれから何度も奈留莉さんの声が脳内で再生される。


(「鈴歌祭りんかさいでのメンバーになってくれないかな!?」)


 そう言われて、僕は1度返答する機会を持ち帰った。言い換えたら『逃げた』そうも言えるだろう。何かが変わって、普通じゃないものが始まってしまうのが怖い。……きっと、そうとも言える。

(――あの時の、奈留莉さんの顔……)

 そのセリフと一緒に、もうずっと瞼の裏にこびりついている。

 ニコニコしていたけど、一瞬だけ冷えたような、悲しい表情のような……。 

 でも、あの日に交換したNINEのやりとりでも、学校であった時でさえ、奈留莉さんは1度も鈴歌祭についての話はしてこなかった。いや、しないでくれた。が正解かもしれない。

 パソコンの横にあるスマホを起動して、NINEを開き『なるり♪』のアイコンをおしてみる。しゅるしゅると指でスワイプして、読み返したのはお誘いを貰ったその日のメッセージ。


『鈴歌祭、本当に無理してお願いしているわけじゃないからね! 全部、私が勝手に言っていることだからぁ~とか思ってていいよ! 今日は久々に会えて、いっぱい話して嬉しかった! あ、そういえば小森くん今暇~?』

『こちらこそありがとう。全然暇だよ?』

『ほんと! じゃあちょっとコンビーフの話をしようじゃないか――』


 と言って、僕と奈留莉さんは長時間コンビーフについてメッセージでやり取りをしていた。今思えば、本当に謎でしかない。なぜ、急にコンビーフをトークテーマにしたのか。いやなんでコンビーフ? とならなかった僕もやばい。……というか、コンビーフ食べたことないし。

 これがナックの日、家に帰って寝る前にしたNINEだ。奈留莉さんの『いい夢見てね!』のメッセージで終わっている。その次の日、学校では何事もなく愉快なメンバーで過ごし、月日は流れる。

 正直、鈴歌祭の返答はずっと、ここ最近ずっと悩んでいた。お風呂を入っているときも、ご飯を食べているときも、ストレッチでバランスボールを使って体を伸ばし、バランスを崩して壁にゴンっ! とぶつかった後でも、床に仰向けに倒れながら天井意を眺めたが、鈴歌祭のことが頭から離れなかった。

 にへらにへら笑う巨大な奈留莉さんが僕を捕まえようと、それから全速力で逃げる夢まで見たほどだった。夢の中の僕は、奈留莉さんに捕まって、ぬるぬる動くその指先で脇下を――いや、これはが辿った終わり方か。現実でもやってきそうなのが笑えない。

 さすがに、学校の授業中では授業の方に意識が向いていたけど、時々、ノートに書く文字が勝手に鈴歌祭についてになっていた。僕の隣人さんは相変わらず腕を枕にしてすーすーと寝ている。奈留莉さんはよく授業で居眠りをする。

 授業中にこんなこと思うのはいけないことだけど、その寝顔はとても――可愛かった。

 むにゃむにゃという言葉が合いそうな表情で、あまりにも気持ち様さそうに寝ているから起こそうにもためらってしまう。

(「……ふ、ふへぇ~へぇ。ちがうよぉ~小森くん……ガパオライスだよぉ……。プルタブはこっちぃ~」)

 ――今考えても僕は、その時に言った奈留莉さんの寝言が理解出来なかった。僕は、ガパオライスをどうして、何とプルタブを勘違いしたんだろう。

 だが、そっちの悩みも解決することなく時間は進み――僕は、今、パソコンの前に座っている。

 決意を固めることができなかった僕は、日曜日の夜、つまり今日。最近はとなった安藤先生とのアワクラ会で相談することにしたのだ。

 相談とは言っても、始業式の日にあった出来事、奈留莉さんや空や五十嵐のこと。そして、本題のナックであったことも。まるで、最近起こった出来事を親に報告するかのように話していた。僕も、気分が乗ってしまっておしゃべりになる。

 もちろん、ここ最近のことは、どれもが自分の中でかけがえのない大切な思い出という認識だし、どの話も今思い返せば色が濃く、僕も自分で言っておきながら安藤先生と一緒に笑っていた。

「いや~、流石だね――っはは」

「もう、いつまで笑っているんですか!」

 安藤先生の笑い声に、僕は照れながら指摘する。そう、今話しているのはちょうどナックであったことだ。

 初めの方は、しっかり相槌を挟みながらとても聞き上手な頼りになる大人だったのに……。僕が隠さず『テイクアウト』のくだりを言ってしまったが故、先生はツボに入ってしまった。

「い、いやぁ~だって――ははっ!」

 また先生が噴き出す。頬が赤くなるのを感じた。

「……もうっ。あれ、家に帰ってから思い返してみると、とても恥ずかしいなって気が付いたんですよ! ううっ、取り消したいぃ、無かったことにしたいぃ……」

「はぁー笑った、笑った。いや~だって、〝話を持ち帰る〟と、ナックだけに〝テイクアウト〟でしょ? よっ、お上手ー!」

「せっ、説明しなくていいですから!」

 僕は、耳をふさいで何度も頭を振った。この世の中。してはいけないことが沢山あるが、中でも1つ。これだけは言っておこう。人生をうまく生き延びていくのに大切なお言葉だ。

 ――『何があっても、人がやった単発のネタ。及び、芸を解説するんじゃない』。

 1発芸に近しいことをやった人に対しては、そのときから触れていいものじゃなくなるんだ。炎色反応を起こした青い炎のように、触れるとこちらまでえげつないやけどをする。みなさん、気を付けましょう。できるだけ、灰になったその残骸の中から残った骨を拾ってあげるのです。

 みたいなことを、どっかの何かで聞いたことがあった。まさに、この言葉の通りだ。恥じらいが生む熱で灰になってしまいそうになる……。

 安藤先生がはぁーと息を伸ばした音が聞こえた。笑いすぎておかしくなったのを1度リセットしたのだろうか。最後にこぼれ笑みが聞こえた気もするが、おそらくツボが終わったのだろう。……もうこの話しない。

「ん? ナックにはさ、朝陽くんも行っていたの?」

「あ、はい。朝陽いましたよ」

「うわぁ~懐かしいね! 元気にしている? いや、あの子のことだからあんまり変わんないか」

「そうですね、変わってないな……」

 久々に会った時でから、朝陽は何も変わっていなかった。容姿が変わってないって言ったのは朝陽の方だったけど、朝陽は背こそ伸びたが、性格や口調も何の変化も感じない。でも、そこがいい。

 朝陽と安藤先生は、僕が中学生の頃に1度だけ会ったことがある。2人が、実際に話しているのも見たことがある。だから、実は知らない人という訳でもない。まぁ、高校生になってからは、安藤先生は朝陽を見たことがないと思うし、逆も同様、朝陽は安藤先生を見てないと思う。

「また、よろしくって言っておいてよ」

「はい! 必ず――」

 安藤先生の言葉に何か温かくなってしまった。明日、必ず絶対に100%十中八九make sure伝えよう。忘れないように、と明日の僕に強く願っておく。

 いつか、顔を合わせて2人が会える日がくるといいな。好きな人と、好きな人が仲良くしているのはとても嬉しくて、気分がいい。

 画面の中の安藤先生が――正確には、アワクラ内の先生のアバターが建築用のブロックを僕の前に投げた。どうやら、この藍色のブロックがかなり集まったみたいだ。

「って言うか、小森くん! 鈴歌祭の話だよ!」

「あっ! そうだったそうだった……」 

 危ない、危ない。先生のその言葉ではっと我に返る。この『最近の進捗~! 小森の学校生活ー!』わーぱちぱち! というラジオの1コーナーみたいなもののせいで、忘れてしまうところだった……。このラジオパーソナリティはスーパーぽんこつのようです。でもまぁコーナーの話が長くなり、本題に入らずラジオ終了なんてよくある……か。

 キーボードとマウスをカチャカチャと動かし、藍色のブロックを箱の中に収納した。そして、先生と一緒に拠点の敷地内から外に出る。

 昔に作った採掘場に2人で向かい、目の前の黒色のブロックを掘っていく。地下深くに潜って、2マス置いてただひたすらに採掘を始める。この作業を何度も何度もやっていたため、この広い通路には凸凹と、同じ通路がいっぱいできていた。

 だが、そこでいったんキーボードとマウスから手を放して、鈴歌祭の話に集中した。腕を組んで安いマイクに向かって話す。安藤先生は、止まっている僕とは逆に1列のブロックを掘り進めた。

「さっきも言いましたけど、瑛凛高校に通っている全生徒にとって、この鈴歌祭っていうイベントはとても思いが強いはずなんですよ」

「うん」

 帰ってきたのは、先生の短い返事だった。

「だから、そんな大切なイベントで失敗したらって考えるとネガティブな気持ちになるのは、どうしても……」

「うん」

「それに、もし自分がステージの上に立ったとして、女子からの人気がすごい朝陽に、誰にも愛想がよくて人付き合いもうまい奈留莉さん。これに並ぶ自分って――」

「うん?」

 そこから僕は多弁になった。前が見えなくなって、びくびく状態になる。うっすらと顔色が悪くなって不安になった。

「不安定のまま鈴歌祭当日になって、楽しみにしていた人も飽き始めちゃって、どんどん人が減って、鈴歌祭自体ももう消え去ってしまって瑛凛校の都市伝説的なイベントになっちゃって――」

「……小森くん?」

「奈留莉さんや朝陽も、失敗して何もかもがダメな自分をもう――」

「小森くん!」

「!?」

 イヤホンから安藤先生の声が、耳の中へ穿刺のように届く。

 先生は、ブロックを掘っていたと思っていたが気が付くと僕の前に来ていた。一体僕はどれぐらいの間舌が回っていたのだろうか。さっきまでの言葉は、パッと枯れたように止まる。

「それは違うと思うよ。ペース、早いね?」

「ごめんなさい……」

 安藤先生は急に早口ネガティブになってしまう僕に対して、愛想笑いのような声色で言った。いたたまれない気持ちでいっぱいになる。小学生の時に先生に怒られたときと同じような気分だ。むず痒くて、恥ずかしい……的な。

 不思議なことだけど、そのセリフを言った時の先生はカクカクしたアバターが一瞬だけ先生の容姿になったように見えた。後ろ髪がサラリと揺れたように見える。

「とりあえず、街に戻ろう? ブロックは十分集まったし」

「……はい」

 先生はそう言うが、対してあまり掘っていない黒いブロックを持ち帰り、またさっきとは別の箱に入れる。

 先生はその作業を見送ると、この広い街で中心に値する一番大きなビルを上った。製作時間は約7時間。僕がいないときでも先生が作って、先生がいないときにも僕が作った。2人でずっと頑張ったこの街で、一番好きなところだ。

 走って階段を上る先生を追って、急いでついて行く。上りきった先の大きな扉を開いてみると、このビルの屋上が見えた。屋上から見えるこの夜景はカクカクとしたゲームの夜景だが、安藤先生も、そして僕自身も、この屋上にいるような感覚だった。

「綺麗だね」

 安藤先生は、目の前に広がった夜景を見たまま呟く。

 ここの屋上は、僕らが作った街の全体が見渡せる場所だ。

「ほんと、きれいだ……」

「この景色、僕ら2人で作ったんだよ。信じられないよね」

 僕は、こくりと頷いた。

「ここから見える家々、ビルや街灯。僕と小森くんの意見を混ぜ合わせた街」

 その言葉に(「こうするのはどうですか?」)(「いや、周りの景色と――」)(「安藤先生これは?」)(「いいね、それでいこう!」)といった過去にかわしたやり取りが脳裏に浮ぶ。

 先生はちらりと僕を見たような気がした。大きな身長差、僕が先生を見上げたときにはまだ景色を眺めている。先生は話した。

「この僕らが頑張った街にさ、鈴歌祭の観客を連れて来たらどうなるかな?」

 そう言い、僕を見る。視線を合わせるため、再度先生の方を見上げたが、その質問の意味は少し難題で即座に返すことはできない。頭を悩ませ、真剣に考える。観客の皆を連れてくる……全員がアワクラを起動させて、ここに来てもらう。

 どんな人たちかよく分かんないけど、人には沢山異なる性格や感性の持ち主がいて……。僕の考え方では、到底思いつかない例だろう。先生の考え方は難しすぎる。あまりにも深く捉えている僕を察してくれたのか、ちょっとかみ砕いた言い方をしてくれた。

「じゃあ、もし、顔も知らない名前も知らない人たちに、いっぱいのブロックを渡して〝はい建築してー〟って言ったらどうなるかな? しかもこの街で!」

「――――――めちゃくちゃ、になる?」

「そう、きっとめちゃくちゃになる。相手のことなんて考えないで自由気ままに土地を使う人もいると思うし、作った建物を壊して違うものを作る人もいるかもしれない」

「……」

「けど、それが人間。それは一種の間違いじゃないし、雑な説明だったらきっとそうするだろうね。憶測だけど」

「……」

 僕は、結局先生が何が言いたいのか分からずに黙ったまま、立ち尽くす。景色を見る先生の横顔を眺めたままだ。言っていることは理解ができるけど、いまだ分からない。でも、そんな心配はいらなかった。

「けどさ――」

 遥か遠くの山々から朝日が顔を出した。まるで朝と夜の半々みたいなこのデジタルの天井は、ビルと夜景にある星々の点々上った太陽とは逆の方に流れ、安藤先生の眼鏡のレンズを撫でるように白くしていた。きれいな多色の光はゲーム中でしか見れない特殊な景色に息を飲む。その下にいる先生はどこかかに見えた。

「この街にさ、朝陽くんや奈留莉ちゃん、空くんや五十嵐くん。いつも話してくれる君のお友達を呼んでみたらどうなるかな? どうなると思う?」

 その言い方は、あえて表裏を付けているように聞こえた。さっきのテンションとは正反対、いや、いつも話すテンションに近いまま僕に聞いた。

 喉のすぐそこまで出かけている言葉は、なかなかするりと顔を出してくれずに「うぅ」とか「あっ……」とか声にもならない音が噛みしめた歯や唇の隙間からこぼれる。一度息を吸って、話した。

「……いや、どうなるかな。楽しいのは分かるんですけど」

 自身がなさそうな言い方になってしまったと思う。絶対に楽しいことは確定しているんだけど、そんな考え方は……。


 ――いいのかな。


「そうそう、じゃあそれでいいじゃん。十分わかってるよ小森くんは」

 安藤先生は眼鏡越しのまっすぐな瞳で僕を見てきた。

「でもね。きっと僕は、それにプラスでこうなると思うな?」

 

「小森くんのことを大切に思って、一緒に街作りに参加してくれる。みんな、小森くんのことを思って力になってくれるよ」


 先生は、にこりと笑った。それを見ている。

「これは鈴歌祭とかでも変わんないんじゃないかな? 小森くんの話を聞いている限り、きっとそんな子たちだらけだと思うよ。君のことを大切に思っていて、小森くんも大切に思っているよね?」

 みんなのことを大切に思っている。勿論そうだ。

 あたりはさらに光の強さを増し、見え隠れしていた月が完全にはるか遠くの地平線へと沈んだ。その同時に朝日は全身を映し出す。僕の背中側が白い光で照らされた。先生側からはきっと眩しいだろう。

「きっと、失敗しても、例え悲惨な結果になったとしても。さっき言っためちゃくちゃな街のことはさ、考えなくて目の前の仲間たちのことだけ見てれば――」

 安藤先生の温かい声が、ネガティブな思考を雪解けのように溶かしてくれた。


「きっと怖いものも、不安になるものも、君のお友達が笑い話に変えてくれるさ」


「……安藤先生」

 この先生が言う気持ちを楽にさせる言葉で、何度温められたか。何回、安心になったのか。押しつぶされそうな孤独感から「それでも僕は――」にさせてくれる。

 また、この人の言葉から自信を貰う。

 ぱちっと瞬きをしたら、目の前にいた先生は消えた。もうビルの上にもいない。綺麗すぎる夜景もないし、1色に染まりかけた明け方もない。僕は、パソコンの前の画面を見ていた。

 いや、正確にはずっと画面の前にはいたけど、どうもこっちの方に違和感を感じてしまう。あのようなゲームに入り込むというか、こんなことはありえない……。さっきまで直接話していた声もイヤホン越しに聞こえる。

 でも、もうなるのはない気がしていた。

「こんな考え方は他力本願って言うんだけどね。まぁ、具体的なことでも教えることはできるからさ! 全然聞いてきてよ」

「――ありがとうございます。……ってあれ? 先生って音楽やってるんですか?」

「うん……。やってた、だけどね。あれ? 言ったことなかったっけ?」

「でも、先生医者じゃないですか? 初めて会ったときは白衣を包んでて――」

 忘れもしない。眼鏡をして、長い髪の愛想いい医者を。文字通り命の恩人。

「うん、えーっと……」

 安藤先生は、おそらくパソコンの前で指を1本1本折りながら、今までやってきた活動について教えてくれた。

「まず、高校と大学でバンドしてて、学校後に外科医になってー。その外科医のお偉いさんから『お前は今日からここに着けー!』って言われて……」

「と、飛び級!? 医学で!?」

「そういうのかな。まぁ、そんな想像通りのやつじゃないと思うよ? でー、医学の道をやめて、そのあとに大学のお友達が呼んでくれた仕事に就いて、なんかてきとーに生きて――今ここだね!」

「………………もう、超人だ」

 もしかしたらこの人、とんでもない人なのかもしれない。色々凄すぎて、ちょっと鳥肌がたってしまった。なんだか少し怖いレベルだ。何がすごいって、こんな人とアワクラやっているのに、すごい人感がないのが1番すごい。勿論、いい意味で。

「まぁでも。そんな優柔不断な人生を歩んできたからこそ、彼女とは別れちゃったし、友達との連絡も今は全然ないんだけどね……ははは」

 最後の笑い方には、闇と後悔が入り混じったような笑い方だった。声でしか分かんないから想像だけど、目のハイライトが無くなった真っ黒に染まっているような目だと思う。大人には……いっぱいあるんだろう。これ以上聞くのはやめておこう。あまりの声の落差に下半身がぞわっとして急にトイレに行きたくなった。

「でも、今は仕事って言ったら仕事みたいなのはやっているんだけどね。家で」

「何をしているんですか?」

「それはね――。まだ、秘密かな!」

「えぇー!? 気になる、すごい気になるー!」

「はははっ! いつか教えてあげるよ」

 そんな話をしながら、僕はまた安藤先生と街を作る。自分の心にある『悩み』のブロックも先生がもつピッケルによって壊され、気持ちがだいぶ軽くなった気がした。

 その日。少ししてから先生との通話も終わり、僕は心地いいベットで眠る。いつもよりベットがふかふかしているように思えた。その中、心のウキウキがとまらないまま、僕は頭の中で創作をしていた。


 鈴歌祭に僕も参加したい。それを告白するための台本を――。



□ ■ □ ♪ □ ■ □



「あぁ、安藤先生か……。また、懐かしい名前が出てきたな」

 今日も変わらず、朝陽と高校へ向かう。

 最近となっては、2人一緒に登校するのが当たり前のようになってきて、その道中に挟まる雑談が1つの楽しみになっていた。僕は鞄のショルダーストラップを両手で握り、朝陽は変わらずポケットに手を入れて隣を歩く。代り映えの無いこのコンクリートにの道も、ガードレールも、今なら少し前を向ける気がする。

 歩くのが遅い僕のペースに合わせてくれている朝陽は、僕の方を見らずに、どこか焦点の定まっていない目のまま〝思い付き〟を言った。

「ってか、むかーしから思ってたんだが、小森とあの先生って少し似てるよな」

「僕と、安藤先生が?」

 その発言に僕は目を大きくした。驚いている僕に、朝陽は微塵も気づいていないようだ。そのくらい今自分が言った言葉に違和感を感じていないのだろう。

 僕と先生が? うーんと唸って自分なりに共通点らしきものを探してみたけど……結局「ないない!」と笑って手を振るだけとなってしまった。そんなの冷蔵庫のプリンがおいしくないっていう人がいるのと同じくらいだ。

 つまり、『ありえないっ』と、いうこと!

 朝陽はようやく僕を、ちらりと見てまた視線を元に戻した。

「いや、お前が思っているよりあると思うけどな、共通点。だから、あれ以降も一緒にいる期間が長かったんだろ? ――あくまでネット上だが」

「まぁ、そう言われると確かにって言えるけど……」

「しいて違うなら、身長と髪くらいか? 身長なんか、爪楊枝とスカイツリーの差だもんな」

 僕は脳裏に、墨田区にあるあの有名なスカイツリーと、その足元で頑張って背を伸ばしている小さな爪楊枝を想像した。……自分でもよく分からないその状況に顔をしかめる。なんで、爪楊枝がこんなとこに? いや、ありえなくはないかも。って、爪楊枝が1本独自で立ってるのって凄くない!? ――じゃない!

「ないない、そんなに差ないから! 安藤先生確か183cmくらいって言ってたから! 勝手に634mに変換しないで!? って言うか僕小さすぎっ!! 爪楊枝結構傷つくんだけど!」

 僕は、腕を下に振り下ろして怒って見せた。朝陽は、また〝上の空を見る〟みたいに目線を変な方へ持っていく。……もう、この朝陽という朝陽は。

 まぁ、本当のことを言うと、僕の伸長は奈留莉さんの同等かそれ以下くらいで、具体的な数値は自分も把握していないけれど確か、15に――いや、この話は誰も幸せにならないからやめておこう。朝陽と並ぶといつも「頭に手が置きやすい位置だ」と言われるので、決してお世辞にも高い方だとは言えないんだろう。ごまかそうも、ごまかせない、だから否定もしない。

 それにそこまで気にもしていないからどうってことない。強がりじゃないから、本当に。ホントにねっ!?

「おはよー」「あぁ、ねみぃー」「ねぇねぇ、隣のクラスのさー」「ねぇ聞いてよ、昨日ガチャで――」

 気が付けばもう、瑛凛高校の校門前に来ていた。辺りには今日も今日とて、現役高校生の声が広がる。あ、僕も高校生か……。

 色んな人が、色んな話をしている。色んな表情を取って、色んな感情を抱く。

 この『色んな』の言葉にはいつも引っかかることがあった。まるで、体に巻き付いたロープのように引き離せない。しつこく、粘る、そんな考えの1つ。


 どうして『色んな』の言葉には『色』という言葉をつけたんだろうか、と。

 

 けど答えは、教科書の最後の方をめくって探すより、早く見つかった。そして単純だった。あくまで自己解釈にすぎないものではあるが。

 この『色』は1人1人の個性を表しているんだ。

 みんな別々の色を持っていて、きれいな色だったり、どす黒い色だったり、その人という性格を表しているんじゃないかと、そう感じた。

 けど、色は色も、その人から見える世界の配色は〝ばらばら〟だと思うし、人によっては綺麗に見える色も汚色で、周りから言われているその『汚い色』も、誰かにとっては『この世で1番好きな色』なのかもしれない。

 寒色が冷たさを感じるのは、それは相互を意味する暖色のせいで冷たく感じるだけであって(逆も然り)その1色だけで見る色はとても魅かれる――。

 ……って一体僕が何が言いたいのかっていうと


「みんな、カラフルなんだなぁ……」


 考え事が強くなりすぎたのか、自然と口からこぼれてしまった。他の人から気づかれる前にと慌てて口を抑えたが、よかった~心配はいらないみたいだ。……すごい間抜けっぽい発言だったから。

 だが、安心したのも束の間。隣で、スマホのカメラ機能が持っているビデオ録画。その録画終了の〝ぽこっ〟という音が聞こえてきた。

 音の鳴る方へ視線を移してみる、発音源はかなり近くというか、ほぼとなりというか、紛れもなく朝陽だった。朝陽はこっちを横にしたスマホ越しに見る。にやにやと何やら面白いものを見た、という表情だろうか。自分自身のイメージカラーである藍色のシンプルなスマホケースにうっすらと僕が映っている。

「な、なにしてるの?」

「いや、別に? いつもの小森のお約束の回想に入ったなーと思ったら――」

 朝陽はささっと頭を振って髪型を変形させる。まるでパラパラ漫画の1ページの移行くらいにその変形までにかかる時間は短い。瞬きよりも一瞬で、かつ髪型の完成度は高かった。

 藍色の髪は、割とストレートで真ん中で分け目がある。ひょこりと垂れた奈留莉さんと同じアホ毛。点々と見当たる跳ねた毛先――つまり僕と瓜二つの髪型にした。僕の髪型、朝陽版みたいな感じだ。表情までは変わっていない。

 朝陽は半分馬鹿にしたような表情で、斜め上を向いて、そして――

「っスーッ。……みんなッ、カラフルなんだな……」

「なっ!?」

「わはっ、ははっ」

「わっ、笑わないで!!」

 朝陽はお腹を抱えた。元通り朝陽の髪型になり、その目に掛った前髪の奥でうっすらと涙が浮かんでいるように見えた。肩が上下に揺れる朝陽を見て、僕は下から順に赤く染まっていく。

 というか、ここまで笑った朝陽を初めて見たような気がする。そもそも笑っているところでさえ、新鮮だというのに……。ううっ、どうせならこんな恥ずかしい出来事なんかより、一緒にコントを見たとき~とか、お出かけ途中であったハプニング~とかで見たかった。……ちくしょうぅぅ。

 笑いの熱が冷めてきたのか、朝陽はツボから抜け出したようだ。それでもまだ、顔はにやけている。

「うぅーはぁ……ははっ、久々に笑ったわこんなん。あとで、みんなにも見せるか」

「っ!? だめ、だめ、だめだから! 削除削除!」

 今の独り言をみんなにも見せる!? そんなのもう、公開処刑と同じじゃないか。人類の前で死体を晒上げるなんてたまったもんじゃない。

 というか、みんなカラフルってなんなんだ。今思い返すと、本当に意味が分からない。こんな言葉が僕の口からひょんと出てきたのも信じられない。……多分、この後少ししたら絶対朝陽にもツッコまれる。

 僕と朝陽は、靴箱へ向かう。校門をくぐった少し先でこんなをしているのも〝異常〟だ。

「ってか『みんなカラフル』ってなんだよ。絵の具の雨でも降ったのか?」

「ホントにツッコむんかいっ!」

 ほぉーら、やっぱり。ドンピシャだドンピシャ! 思ったより早めではあったけど。

「――い、いやぁ、その、みんな個性がばらばらだから、絵の具みたいだよね~っていうか……。人って十人十色だからこそ良いとこがあるよね……っていうか」

 手をバタバタさせながら説明しようと頑張ってみるが、それこそ〝ばらばら〟なだけに支離滅裂な発言だった。自分でも言っていることがいまいち理解できず、恥ずかしくなって段々と言葉も失速してしまい……断念した。

「…………勘弁してください」

 僕は、いつも喋っている声のトーンから1段と下げて謝った。頭を深々と下げる。深々と下げすぎて、それは謝罪というより体育である馬飛びの馬の人みたいなポーズになってしまっていた。まあ、やったことはないけど。

 校門をくぐった少し後だったからか、周りからの視線がちょくちょく刺さる。2人の女子生徒が「何アレ~?」「さぁ?」といった感じの会話も耳に入ってきた。

「まぁ、そこまで嫌なら別にいいんだけどな。やっぱ、小森の考えることは、到底追い付けないぜ」

「それって、どっちの意味?」

「誉め言葉で捉えてくれ」

 とは言ったものの、皮肉交じりの言葉だとしか思えない。でも、とりあえず解決!  このまま何か話しているとまた朝陽に問い詰められてしまいそうで、不安になってしまう。何かミーム的なものと同じ匂いがしてさっきから気が気でない! 一生擦られたりしたらどうしよう……。

僕は、頭をあげた。重力に従う髪がサラリと動く。

「へへへ」と今もなお笑う朝陽に僕は苦虫を噛み潰したような顔をした。でも、その複雑な感情も靴箱横置かれているゴミ箱にポイッしちゃって、自分のシューズに履き替えた。切り替え、切り替え――は、大事だけども……。

 もう、最近となってはこの行動すらも馴染みのあるように感じてしまう自分がいる。それは紛れもなく良いことだし、この1の4に向かう廊下も、すれ違ったり、追い抜かれたりする生徒たちも、そして変わらず隣にいる僕の親友も。

(数か月前までこの時間も、家にいたのになぁ……)

 なんて、思いながら朝陽と同時に教室へ入った。あの、奈留莉さんと指揮棒での1件があってから、周りの視線が何か別のものを見るようになってしまったり、軽蔑されたりするんじゃないかと思っていたが

「あっ、うぃっす~小森!」「おはよう、小森君!」「また、朝陽と一緒かよぉ?」「君たちホント仲いいんだねー」

 教室に入ってすぐに、一番近い席で話しているグループの皆から口々とあいさつしてくれる。最初に僕に気づいたのがサッカー部の桐谷きりたに君。その後が女子バレーの今村いまむらさん。斎藤さいとう君に常田つねださん。ちゃんと面識があって名前も憶えている。まぁ、クラスメイトだから当然のことかもしれないけど、そこにはちゃんと理由があっていくつかの山を乗り越えた。

 僕は、あの事件が何かのスイッチになったみたいで、毎日いろんな人に積極的に話しかけてみた。コミュニケーションをとり、困っていることを手助けしたりと、僕なりに頑張ってみた結果、信頼と友情を勝ち取ることができたのだ!

 そもそもだけど、僕は割と人と話すのが嫌いという訳でもなく、苦手という訳でもない。でも、気負いすぎると疲れちゃうし、ただ極度な心配性が邪魔をするんだ。

 でも、その心配性を軽減するのに手助けしてくれたのはだった。

 友達と会話をするのに、例えば桐谷君だったらスポーツとソシャゲ、今村さんだったらポップスとスイーツと『みんなと話すときにそれぞれのデッキを作って挑んだら大丈夫、私は割とそうしているよ。それで掴みがよかったらその後は楽に話せるんじゃないかな』と、アドバイスをもらった。デッキについては奈留莉さんから色々と教えてもらったし、紛れもなくあの人のお陰だ。

 ほんと、助かっている。――ずっと。

 僕は、挨拶をくれた皆と軽く話してから自分の席に向かった。

「でさ~、小森くんには……」

 僕の席に向かうと、僕の席を借りて和気あいあいと話しているグループがある。奈留莉さんを中心にだろうか、空と五十嵐、それとさっきまで一緒に歩いていたはずなのに、もう準備を済ませている朝陽――――――そして柚充ゆあさんがいた。

 彼女『石橋 柚充(いしばし ゆあ)』さんは、白くて少しピンクかかっている背中辺りまでのロングな髪が特徴的なクラスメイト。綺麗な青い瞳はまっすぐで、雰囲気や気品といったところから真面目な性格がよく伝わる。今腰かけている椅子にも背中を着けずに姿勢よく座っていた。

 以外にも高い身長に、これは本人の前で言ったらいけないけど。同級生なのにどこか〝お姉さん〟味を感じてしまうような人だった。

 実際、何回か話した時も、人付き合いがとてもよく、物静かなタイプかな? なんて思っていたけど、よく笑うし、とても話していて楽しい人だ。僕には到底マネできる気がしない。笑顔がいつも微笑むような柔らかい感じで、口の前に拳のぐーを作って、くすくす笑うと言ったら想像しやすいだろうか。その人物像が。

 僕は、その例を奈留莉さんにされ、とてもとても納得した。

 そんな柚充さんとボーイズメンバーに、奈留莉さんは提案? だろうか、何やら懸命に話をしている。その話に僕の名前が出てきたので、気になってしまった。

「おはよ。僕の悪口でも言ってる?」

 机に鞄を置き、そんなことを冗談交じりに言ってみた。奈留莉さんがその声に振り向いて、ぱあーっと笑顔になる。こっちは柚充さんと対照的で『にへらぁ』と笑う。……いつでも、その笑顔は僕を変にした。

「あ! 小森くんおはよ~! そんなこと言う訳ないじゃーん、安心して~」

 そう言いながら、がばっと抱き着こうとしてくる奈留莉さんをサッと避けて鞄から筆箱やノート等を取り出す。床に抱きつくことになってしまった奈留莉さんは「へべちッ」と変な声を出していた。前言撤回、あのというのはなんでもない。

「よぉ、小森!」

「こうゆう、おはよっ」

「おはようございます小森さん」

 空、五十嵐、柚充さんの3人が口々に挨拶してくれた。僕の方を見た3人の顔はニコニコしていて、僕までも頬が柔らかくなってしまう。もらい笑顔だ。挨拶って、いいよね!

「うん、みんなおはよ。で、結局何の話だったの?」

「実はね――」

 抱きつこうとしてくる奈留莉さんを交わした先、奈留莉さんは床にとなっていたのだが、がばぁつと元気よく立ち上がり、ニヤニヤにやけた顔で僕の手を掴んだ。柔らかい、そして強さを感じるその手に一瞬、ドキッとしたが奈留莉さんはその掴んだ手を顔の近くに寄せて、僕との距離を縮めた。尺度の意味で。

 本当に、感情豊かな人だ。こう何か全身から嬉しいことがあったのだろう、そうオーラ的なものを感じる、気がしなくもない。

 そんな風にぽけーと考えていたが、その後の言葉は僕には予想できなかった――


「五十嵐くんと空くん、柚充ちゃんがね! 鈴歌祭に出てくれることになったんだ!」


 なったんだ、なったんだ、たんだ、たんだ……。

 ――言葉に、僕は唖然とした。ゲームのポーズボタンでも押されたみたいに固まってしまう。脳内には奈留莉さんの今のセリフがエコー付きのまま何度も繰り返された。

 空、五十嵐、柚充さん、空、五十嵐――と順場に顔を見ながら怪訝な顔をして、嬉しそうに横揺れをしている奈留莉さんの方を見る。

「…………ホント?」

「ほんと、ほんと! ね! 柚充ちゃ〜ん」

 奈留莉さんは柚充さんの手を取って自分の手と絡めている。この2人が仲良しなのは割と有名だ。有名って言っても、それは僕がクラスの中でよく喋っているっていうのをみるだけだけど。それでも、奈留莉さんは誰とでも仲良くできそうだし、柚充さんも誰とでも仲良くできそうだ。

 でも、実際親しい友だちなのだろう。

「うん、わたしも実は鈴歌祭のことが気になっていたんです。ありがとうです、奈留莉ちゃん」

 柚充さんは僕を含め、クラスではあまり見せない女の子っぽい笑顔で笑ってみせた。女の子っぽいっていうのは、柚充さんが女の子じゃないって意味じゃなく、う〜んと……あ、奈留莉さんみたいなって意味だ。緩んだような、にかっって笑うような。

 上品で微笑むような笑い方とは打って変わり、端々に外れた敬語もどこか"レア"感を感じてしまう。こんな一面もあるとは、今のをクラスメイトの男子たちが見たら……あぁ、ほら。アニオタの五十嵐が鼻の下を伸ばしてるし、空はくすくす笑っている。朝陽はというと――いつも通り腕組んで無表情だった。なんか上見てる。

 そして僕は、本格的にについて考え出す。


(このあとに「じゃあ僕も鈴歌祭出ます!」って言うの???)

 

 昨日の安藤先生との相談で僕の決意は固まり、何なら今日の朝は鈴歌祭に出たいという気持ちを奈留莉さんに言うのが楽しみなくらいの自信を持っていた。なんて小心者なんだときっと思うだろう。悩んでるくらいならぱーっと言えばいいのに、そうも思うだろう。

 けど、今となったこの場。どうしても『流れ』というものが生まれてしまった。

 どうも、気が気で置けなかった。この空間で取り残されているような気がして、今現状、変わらない事実といえばということだ。 

 柚充さんたちが勿論悪いわけじゃないけど、状況と時間と偶然がどうしてもそのステージを作り上げてしまった。だから、僕はもっと早く意思を固めればよかったんだ。それに、ちゃんと説明したら信じてくれるんだろうけど、柚充さんたちを見て「じゃあ僕も――」となったって思われたくない。

 だけど――。

(安藤先生には相談までのってくれたのに、奈留莉さんに限っては久々に会う僕なんかを囲いに入れてくれようとした、けど――。そもそも、朝陽みたいにその場で返事を返せる強い決断力がなかったから。でもそれは、みんなが悪いんじゃない。足りない僕が悪いだけ……)

 空と五十嵐の2人のコンビが話している偏見みたいなものに、奈留莉さんと柚充さんが若干指摘気味に割って入る。その話は簡単なもので、いい意味で高校生らしくはなかったけど、理不尽に五十嵐だけ空から責められて怒り、柚充さんは口の前に拳をおいてくすくす笑った。奈留莉さんはどこかドヤ顔気味で説明している。

 自分の席なのに、その『輪っか』の中には、紛れもなくいるはずなのに……。


 僕の気持ちは、その輪から2、3歩下がったような感覚だった。


 俯瞰して見るその集い。僕にはとても華やかなものに感じて、「あぁ、いいなぁ」と心から思えた。遠くにいる僕は、足元が暗い。霧に包まれたこの地面の中で、彼彼女たちを眺めるだけしかできなかった。

 本当は、奈留莉さんに誘われたときから『出たい!』って言いたかった。

 こんな自分にもスポットライトを当ててくれたような声が、嬉しかった。

 でも、今となっては……。

 僕は――片足を一歩ひこうとした。

(大丈夫、きっとうまくいく。……作り笑いを作って、それっぽいセリフを言うだけ――)

 あぁ、こんな自分が。本当に嫌だ。 

 …………泣き出してしまいそうな自分の無力さに、唇を噛み締めた。


「あー。悪い、ちょっといいか?」

 

 そのいつだって、どんな状況でさえ、変わらないその声のトーン。僕は集いに引き寄せられたような気がした。

 僕の斜め後ろからした朝陽の声に、みんなの話し声がピタリと止んだ。みんなが朝陽を見ている。僕も、俯いていた顔を上げた。

 朝陽は自分で呼んだ割にも、面倒くさそうに後ろ髪をわしゃわしゃ掻きながら言った。

「あぁ――、そうだな。何かなー。引っかかってんだよ」

「え、何が?」

 空が問う。

「いや、な。これで〝鈴歌祭のグループ結成〜〟って言って終わるのは違和感があんだよなぁって。主流メンバーはホントにこの人数でいいのか、って。お前らはそう思わないか?」

 そう聞くが、朝陽の言葉はどれも難解であまり理解できず、みんな揃って首を傾げてしまった。僕もいまいちわからない。その様子に「はぁー」と長い溜息をついたあと、朝陽は呆れた表情で言った。

「つまりだ。俺らにはまだ足りないピースがあるよなぁ? ってことだ」

 わざとらしく、朝陽は空と五十嵐にアイコンタクトをとっている素振りをした。アイコンタクトというのは、本来言葉を使えない状況で秘密に行う行動なのだが、そのバレないように、という役割は全くもって意味がない。あからさま過ぎ、もあからさまだからみんなが気が付いていた。……実際に、そのサインを送られた空と五十嵐は目をキラッキラ輝かせてから、下手な白々しい演技をする。

「い、いやぁ〜そうだよな朝陽、おれも思ってたんだよー!」

「お、おぉ、奇遇だな2人とも! 実はオレも気づいてんだなぁ、これが! 何か足りないって。周年で復刻するキャラに使う石並に足んねぇって!」

「例えが絶妙に下手くそ!」

 朝陽のセリフに続き、空と五十嵐も続ける。変な方を向いて口笛を吹く空だったけど、五十嵐に対するツッコミのときはいつもどおりにキレッキレだ。

 そして、この男3人組の次、僕は奈留莉さんから急に腕を回された。うなじに奈留莉さんのシャツが当たって、突然の至近距離に「ひぃ」と声を上げる。だけど、近距離でも奈留莉さんが言うことは空たちと同じなようだった。

「うんうん、そうだよね〜。誰かこの流れに続いて鈴歌祭に一緒に来てくれる人いたら、私すっごく助かるんだけどなぁ〜。『心優しい、可愛い子@1募!』」

「ですねぇー。困ったものです……」

 気がつくと、僕をゆらゆら揺らしている奈留莉さん以外のみんなが、じわじわと僕の方に寄ってきている。空、五十嵐がちらちら見てくる。朝陽はじっと何も読み取れない死んだ魚のような、虚ろな目をして僕を見ていた。ちょっと、いやかなり怖い。

 けど、こんな風にネタっぽくしてくれているけど……。そんなに僕は鈍感じゃない。

(朝陽が作ってくれた、皆が軽くしてくれた。このチャンス――)

 片足ひこうとした。けど、その瞬間。霧が晴れて皆が笑って僕の方に手を差し出している。

 僕は、そのロープに向かってがむしゃらに体を伸ばした。

(この導き、手放したくないっ!)

「あの!」

 ずいずい近づいてくる皆はそこで止まった。思ったより大きな言葉で、奈留莉さんは僕から離れて、顔が見える位置へと移動した。 

 前は見えない。少しだけ掛かる黄緑の前髪の隙間からズボンとスカートが見えた。僕は、くしゃとズボンを掴んでしまう。

 1度は言えなかったけど、それでも許してくれるなら――。



「僕も、鈴歌祭に――出たいですっっ!!」



 自信なさげな声の出始めだったけど、それでも震える顔を上げて、ぼやける視界でも皆の顔を見て、僕の顔を見せて。

 絞った声で、自分の気持ちを伝えた。

「「「「「…………」」」」」

 皆何も言わない。嬉しくなるのを期待はしていた。けど、それは自分の頭の中で行った1人旅だ。けど、何も言わないままかと思ったが、もう一度よく見てみると皆はぐぐぐと下に下がっていて――――。


「「「「――やったぁ!」」」」

「……へ? わ、わわ! な、何!!」

 全員がパーティのように喜び、僕を囲んで頭を叩いた。群がった僕の周りは髪をクシャクシャにして、奈留莉さんがぎゅーってしようとしてくるのを避けようとしたが、隣に空がいて避けれない。わ、わわっ!? 奈留莉さんが……、髪の毛が鼻先をかすめてくすぐったいっ!

「おい、やっと言ったなぁ、このこの〜!」

「い、痛い、痛いよ!」

 空が嬉しそうに拳で頭をグリグリしてきた。奈留莉さんは僕の胸の前辺りで離れないし、五十嵐は「ったく〜、よかったな!」とハイタッチしてこようとするし、でもそのハイタッチは奈留莉さんのせいで腕を上げれないし、空は続けて頭にグリグリするし……。みんなに「落ち着いて……」と埋もれかけの顔を何とか出して言うが、聞く耳は持たない。というか、もう耳がない。

 元気っ子たちに包まれる中、僕の不安定な視界に映った人。

 完全に外野という訳ではないが、この竜巻のような人たちから一歩離れたところに、柚充さんが手を合わせて笑顔になりながら僕らを見守る。まるでやんちゃな幼児たちが公園で遊ぶのを見守る保護者のようだったが、その隣。

 柚充さんより数センチ背が低い、ポケットに手を入れながら珍しくにやけている男。僕の、大切な友達の1人。親友。

 僕は、もう胴上げでもされちゃうんじゃないかってくらいの体制になったまま、朝陽に対して歯を見せて笑った。

 感謝だ。感謝してもしきれないとはこのことだろう。

 なによりも……嬉しい。

 僕のことを知っていて、いつもだからやりやすいようにパスをくれる。

 結構一緒にいたから。それが通じているようで――。ピンチで、毎回助けてくれるヒーローのような、存在――。

 朝陽は、まるで、どうしようもない奴だ。なんて言っているみたいに僕へ視線を返してくれた。

 ――――いつも、今までも、今も。ずっと感謝している。

(――僕の、初めてできた……。大切な友達だ)

 

「えへへ〜、小森くんなら絶対来てくれると思ってたよ〜! ありがとー」

「い、いやそれはこっちもありがとうなんだけど――。って、ちょちょっと!? く、くすぐったい!!」

 奈留莉さんはだんだんと抱きついていた腕の力を強くして、背中側にある手の指1本1本をとても滑らかに動かした。その指が僕の首周りに触れて――。

「へっ!? ま、まって! ほんとに、何するつもり!?」

 焦る僕の声、奈留莉さんは少し悪い顔をして答えた。

「ふっ、ふふっ! いや〜! 今日の朝、まぁさっきのことなんだけど。私のモーニングルーティンを避けてくれちゃったし、そ・れ・に! 何だか小森くんちょっと重く考えすぎっていうかー! もっと柔い考え方にしようか、っと思って――」

「僕に飛びつこうとするのをモーニングルーティーンって言うのやめてー!」

「えいっ! くらえ〜」

「――ひぃあっ!」

 変な声が出てしまった。無理もない、奈留莉さんが細い指で僕のうなじをさすったのだ。体がぶるっと震える。

「ちょ、ちょっと! 待って、待って! ほんとに、ストップ! 警察呼びますよ!」

「いや私、そう言い方されるとホントに犯罪しているみたいじゃん…………」

「でも、実際悪い顔してるでしょ!!」

「ふへへぇえ。もっとひどいことするなら誰もいない路地でやるから――」

「悪化してどうする!? 空! 五十嵐! 助けて!」

 僕は手を伸ばして、いつの間にか離れていた空と五十嵐へhelpを送った。む、無理だ。振りほどこうとしたけど、僕の力じゃびくともしない! 拘束は僕だけじゃ――。

「んー、助けてもいいけど見返りがないとなぁ。おれはそんな暇じゃないんだ」

 空はそう言って、耳にかかった髪をイジイジした。

「うわ、最低だ! 現金なやつ! じゃあ五十嵐! 五十嵐なら――」

「でもさ、こもゆう別にいいんじゃないか? 奈留莉だぞ、べったりして。満更でもない顔じゃないか?」

「し、してない! やめてよ、こんな状況でそんな事言うの!」

 僕は真っ赤にした顔のまま否定した。仮にそうだとしても、こんな感じはいやだ! 仮にの話だけどね! 仮ね!

 助けを求めたのは僕だけど、だめだ、2人は使い物にならない。ならば!

 僕は、後方でお姉さんみたいに見守っていた柚充さんと、変わらずポッケに手を入れてる朝陽に半ば涙目で、助けを求めた。

「柚充さん、柚充さん! どうか奈留莉さんを引き離して――」

 と言おうとしたが、僕は改めてしっかり柚充さんの方を見たとき、言葉は続かなかった。

 柚充さんは、目を閉じたまま、口を手で覆い、涙を流していた。感動したものをみたとき、何か幸せでいっぱいになったとき。そんな感じの表情と涙の流し方で僕は絶句する。……室内、どこからか天界から光が差し込んでいた。

「――――尊み。――てぇてぇ」

「なんてぇ!? 聞こえない、聞こえないけど、多分助けてもらえる感じじゃないよねー! オッケーイ!」

 小声で言った柚充さんの声はホントに聞こえなかった。……何か、柚充さんって僕が思っているより結構ヤバい人なのかもしれない。かもしれない、だからね! 

 でも、状況は変わらない。多種多様な断れ方をしたが、その望みも最後。

「あさ――――」

 朝陽の方を向いて、救助を要求する。だけど、朝陽は少し鋭い目をして、ポケットから手を出し腕を組んでいた。彼の名前を呼び終わる前に朝陽の言葉に消されてしまう。

「でも、硬い考え方っていうのは合ってるんじゃないか? お前は確かによく1人の世界に入るし、こういう展開は今後も結構あるだろ? その度俺等が助けるのは何も悪いことじゃないが、レベルアップしないのはお前だぞ? 奈留莉はお前を柔くしてやるって言ってんだ。いいんじゃないか?」

 僕は珍しく饒舌な朝陽に「――おっ」と呆気にとられていた。その知的な言葉にすぐ言葉も返せない。"・・・"と固まったあと、レスポンスをした。

「……急に正論! はいっ! 反省はしています、今回のことは確かに気負いすぎました。――でも、柔くっていうのは物理的にだよ!? あ、朝陽――?」

 朝陽は、寝た。嘘じゃない。ホントに寝た。カクンと首が垂れて、頭の上から『Zzz』を浮かす。……ネタ、じゃない、寝た。ウソでしょ!?

「あーもう、我慢はおしまーい。タイムアーップ! しかし、だれもこなかった。だねー」

「そこでそれ言うのホント狂気だよ! ま、まって。な、奈留莉さん……ほ、ホントに――」

 目をキランと輝かせた。その前の恐ろしいものには、何も抗う手段がなかった。


「ま、まってぇぇ〜〜〜〜!!」


 それから結構なあと、開放された僕は、床にへなぁと座り込んで肩で息をしていた。運が良かったのか、どう言えばいいかわからないが、気の利いたみんなが僕と奈留莉さんをまるで規制するみたいに壁となって囲んでくれる。空と五十嵐が、寄ってくるギャラリーに対して「ほら、帰れー」「見せもんじゃねぇぞー。ってこのセリフ言う日がくるなんて思ってなかったな……」と呟くように払ってくれていた。感謝は、感謝だけど普通にお礼を言っていいかわからなかった。

……くすぐりは、思ったよりも効いた。こんなにも耐性がなかったなんて。

――トイレに行ってたあとで本当に良かった、と心の底から思った。



□ ■ □ ♪ □ ■ □



 あの後、1、2、3、4時間と授業があっという間に過ぎ、今に至る。昼食の時間だ。学校はやっぱり楽しいし、奇想天外なことが起こるけど、その分体力を使って疲れてしまう。だから、最近はお昼にお腹が空く。いつもは取らないという選択肢もあるというのに、僕の生活バランスが整ってきているのを体で実感していた。

 お昼時間、僕の席の周りにいるのは今日の朝、話していた全く変わり映えの無いメンツだった。合わせた机の上には、自販機で買ったミネラルウォーターのペットボトルの水が半分より少し少ない量のまま置かれている。確か、奈留莉さんのだ。

 で、そのペットボトルを奈留莉さんが手にして――。

「えー。ただいまより〝第1回 鈴歌祭メンバーによる自己紹介!〟を開催しますッッ! わーい、ぱちぱち~!」

 おそらく、奈留莉さんのお母さんが作ってくれたであろう綺麗に並んだお弁当は食べ終わったのだろう。彼女はこういう活発な性格に反して、お弁当の量はあまり多くはない。小食なのだろうか、僕も人のことは言えないが。

 ってな話はもうこの際、深堀している暇もないだろう。……なんですって? じこ、しょうかい――? また何やらひどい目に合うんじゃないか、と冷や汗が背筋をつー……。

 ノリノリの司会者はペットボトルをマイクのようにし、タイトルコールに満足がいったのか、どや顔で腕を組んでいる。食べるのが遅い、というか1口1口が小さい僕と柚充さんは、残っていた菓子パンを口の中に放り込んだ。お陰で2人並んだ状態でほっぺたが膨らみ、リスのようになってしまう。もつ、もつと顎を動かしながら立ち上がったその奈留莉さんを見上げていた。

「――――ごくん。自己紹介って……。僕ら初対面っていう訳でもないでしょ? 割と、結構話してると思うよ?」

 僕が言うのに、横で柚充さんが首を縦に振った。

 朝陽とは、言わずもがな高校に行くときに連絡するくらいだし。奈留莉さんも、朝陽と同じ時ぐらいに知り合って高校以前の人だ。それなら、空と五十嵐もそうなる。

柚充さんは確かにと言えるが、よくよく考えたら高校生になって初めてできた友達は柚充さんだったし、今となっては全然フランクに話すことができる。

 このクラスになった時も自己紹介はみんなやった筈だし、今ここで集まっている人以外のこともある程度は記憶しているつもりだ。

 それと、人の性格だったり、お互いの好きな話や盛り上がるような話し方は奈留莉さんが1番知っているじゃないか。……と、いうのは口に出さないでおこうと思った。

 僕の言葉に奈留莉さんは返した。

「まぁそうなんだけどさ、折角鈴歌祭のチームが決まったことだし、お互いのもっと深いところも知れたら面白いんじゃないかなぁ~って! 居心地のいい、アットホームなバンドをめざしております」

「う~ん、確かにそうか……」

「ホワイト企業小ボケはスルーするんだ……。ま、いいけど! 最初にクラスでやった自己紹介は1文パッと言うので終わっちゃったでしょ? それも兼ねて、もっと濃いのにしたいなーって! 誰かと仲良くするためには自分から向かうのも大事だけど、たまには他力本願で、向かってくれるのを待つのも大事でしょ?」

 奈留莉さんは、首を傾げてニコッと笑った。

「そのためにはこっち側から取っ付きやすい種をまかなくちゃ。それで人付き合いって始まるんじゃないかな!」

 ……珍しい。失礼なのは重々承知してるけど、奈留莉さんがこんなにまじめなことを言うなんて。も、もしかして、いつも授業中に寝ているとき、実は起きててこんな深いことでも考えているのだろうか、そうすればこういう風にすらりと言葉が出てくることにも辻褄があう。

 いつも僕で遊んだり、急に抱き着いてくるような女の子だけど、もしかしてものすごくまじm――。

「それと……私ッ。――小森くんのこと、もっと知り――」

「はーい、OKー、そういうのいいからはじめよー」

「もう、冷たーい。そしてはやーい」

 肩を落とす奈留莉さんを見て、僕は顔をしかめた。

 ……うん。やっぱり奈留莉さんは奈留莉さんだ。さっきした少量の期待とか関心とか、混じったその心に利子をつけて返品してほしい。心だから割れ物注意のステッカーはちゃんと張ってさ。

 目を細め、恨むように僕を見てきた奈留莉さんは、はぁと軽くため息をついたのち、なにかスイッチが入ったみたいに顔を上げて、マイク代わりのペットボトルを両手で顔の前に持っていった。

「えーコホン……。それでは気を取り直して――。

エントリーNo.1 どうもー、源 奈留莉でーすっ!!」

 自分で言うナレーションと、まるでライブの始まりにアーティストが自分の名前やバンドの名前を観客に向かって叫ぶ、みたいな声を出した。僕ら、たった5人の観客はとりあえず拍手をした。空がセルフで効果音を付け、柚充さんが黄色い歓声をノリノリで上げる。……これは自己紹介って言うのかな、とは口に出さないで置こうと思った。

「うーん、趣味はゲームとアニメと――ヲタク類全般だね! あ。あと、ナゲットにはマスタード。目覚まし時計は5回スヌーズがならないと起きれない。あ! アニメだとね~、割と王道なヒロインって感じの子が好きだよ! よろしくぅ〜!!」

「「「「よろしくー!」」」」

「ありがとー。源 奈留莉でした〜」

「え、え、え???」

 ぱちぱちぱちぱち……。

 奈留莉さんの自己紹介のターンはどうやら終わったみたいだ。変わらずペットボトルをマイクのように見立てている奈留莉さんはそれを僕らの方に向ける。僕以外の観客はノリがわかっているのだろうか、揃ってよろしくを返した。その様子は意味の分からないライブのノリを知らずに呆然としている――何か昔に見た芸人さんのコントのようだった。

「な、奈留莉さん……」

「ふー、いい汗かいたー」

 と、言いながら席に座るものの首筋に汗水1つも見当たらない。

「え、あれで終わりなの!」

「うん? うん、そうだよ! 言ったじゃん、源なる――」

「大丈夫、大丈夫。2回目は大丈夫」

「……小森くんが聞いたじゃん」

 半目になる奈留莉さん。それは、そうなんだけど、と目を外らして。

「でもさ〜! 完璧な自己紹介だったでしょ?」

 そう、僕の腕を取りながら聞いてきたが、僕はその手をそっと離して――。

「いや、どこが!? 内容が偏りすぎてるよ!! 自己紹介っていうから身構えちゃった僕がバカみたいだよ!」

 僕は迫真と、その言葉が当てはまるくらいに立ち上がって言葉をぶつけた。奈留莉さんがおー、と軽く漏らしながら僕を見ている。

 でも、実際にそうでしょ? 皆もなんで着いていけるかわからない。え、僕がおかしい方? そんなわけ……。

「だいたい、なんでちょっと出だしは真剣っぽい感じだすの! スタートダッシュは良かったのに、だんだん失速していったよ!」

「うーん、でもジェット機も長い航路がないと最高速度は出せないでしょ? それとおんなじだよ! 今回は尺の問題で短かったけど、今後の将来性は感じない? ね!!」

 と言って、奈留莉さんはウィンクする。パチっときれいなウィンクに、わかりやすい例え、それに少しのドヤ顔。

 僕は、ぷるぷると体を震わせ――。

「――いや、感じないよ!!!!」

「よーし、小森。いいだろう、おっけーだ。お前は頑張った!」

 赤面に息をきらして、天に向かって叫んだ僕を空が脇の下に腕を通して抑え込む。五十嵐も合わせて、僕の前に立ち「ステイ、ステーイ」と止めのサインをした。まるで凶暴な動物をなだめるかのように。それか、僕のことを考えて、これ以上負荷がかからないようにしている方かも知れない。

 ……どっちにしろ、あのまま続いていたら僕は泣いていたかも知れない。

 それくらい、奈留莉さんはおかしな人だ。


□ ■ □ ♪ □ ■ □


「じゃあ、次はおれの番だな」

 空はそう言って席を立ち上がる。なんとか気分が落ち着いた僕は、奈留莉さんが買ってくれた100%リンゴジュースをストローでちうー、と啜る。少し不機嫌に見えたかも知れない僕の顔を見て、奈留莉さんは隣で笑いながら「ごめんって〜、小森くーん」と頭を撫でた。大事じゃないけど、何だかこういうおふざけも、気を曲げて不機嫌になることも、1種の友達と言えることなんじゃないか、とその時に思いついたにはちょっとずれているようなことを思ってしまった。

 僕は立ち上がった空を見る。次は、というのは紛れもなく自己紹介のことだと思うが……。奈留莉さんとは違う真剣な自己紹介になるといいな――。

 空は、パチンと指パッチンをした。

 うわ、いいな~。あれ僕出来ないんだよなぁ、なんて考えてたら一体全体これはどういう訳だろうか。シャッ、シャッとまるでこの教室の背景が張りぼてだったかのようにどこかへ持っていかれてしまい、今度はまたもやどういう訳か、ステージのような背景と入れ替わった。いや、どっちかって言うとライブハウス? ……ラップバトルでもやってそうな場所と似ていた。

 あたりを椅子に座ったまま見渡す。……この時点で僕はもう思考を働かすのはやめておいた。唖然としたまま、空の方に視点を向けてみると格好が今さっき入れ替わった教室と同じよう、変化している。……もう、1つ1つツッコめないから最後にやるね。

 空は、さっきまで着ていた瑛凛高校のトレードマークである制服から、無地でシンプルな黒のTシャツに変わっていて、青いジーンズを履いていた。でも、1番目立つのは服装じゃないだろう。

 そう、あの黒いサングラスは何なんだろうか。光に反射してレンズの白い部分が目立つ。いつの間にか変わった教室、服装、サングラス、そして極めつけは、空の持っている1本のマイクフォンだ。

 指パッチンをまたし始める。パチ、パチ、一定のリズムを響かせるなか、奈留莉さんも手拍子を始めたり、いつの間にか教室にいたクラスメイトが空のことで釘付けになっていた。辺りが暗く、スポットライトを上から浴びるその男子高校生。

 そして、ダムダム、ダムダム♪ ダムダム、音楽がどこからともなくなり始める。

 同じリズムの音楽。いや、〝バース〟と言った方がいいだろうか。それならば、音楽という言い方も違うか。

 きっと〝ビート〟といった方がいい。

 空はマイクに小声で「わん、つー……」と吐き捨てるように言い、DJでターンテーブル上のレコードをスワップしたような音がしたのち――。

「Yo 沼に放り込んでく 皆1つ 

   オールナイトで 歌詞考える また二度寝する

   刹那 夜中 イヤモニで聞いた

   大人になれない 今だ15歳 響いたラップ

   今度は俺の番 どうぞ土産に タトゥーにでもしようか 灰になる前に

   たりないのはまだ多い だがそれでいい!

   二番煎じそれでもいい 休日は家で ゲームに感染

   打点は他人任せ 鈴歌祭に広がる 観客の歓声!!」

 ぱちぱちぱちぱちぱち。集まった全員が拍手を繰り返す。柚充さんも、あの仲がいいのか悪いのか曖昧な朝陽でさえも手を叩いていた。これに関しては普通にカッコいいし、空がやっているのが様になっていて僕も目を輝かせて称賛する。だけど、ハッ! と我に返り、1つどうしても言わなくちゃいけないことを思い出した。


「いや、でもこれ自己紹介じゃない!?」

 

 ガタッと椅子から大きな音を出させて立ち上がった。このツッコミが何かの合図だったのだろうか。流れていた音楽は急に止まり、催眠でも解除されたみたいに周りのクラスメイトは無表情で立ち去る。さらには、開始時よりもスピーディに背景がいつもの教室に戻った。うわっ、急にまぶしっ! 教室の窓からさす日光が僕にまでかけていた催眠を消してくれたみたいだ。

 白目で天井に向かって言った僕を、当の問題児である空は知らぬ顔で自分が座っていた席に着いた。何1つ話すことなく、座ってからも遠くのただ1点を見つめるかのようで――。

「いや二重人格か!」

 空はそう言っても何も言わない。あえてこうしてるかも分からない。

 ただ、ただ1点を見つめてぼーっとしている。じっと、じぃっと。

 少しした後、空は立ち上がって見ている僕に向かって『キランっ☆』とさわやかな表情になり、ほんのりムカつく香りが鼻をかすめる表情で――

「あら~ご機嫌よう、こもりさ――」

「いやだから、多重人格!!」

 裏声できらりんスマイルをする空に僕は、さっきと同じテンション感でそう言う。

 何1つ変わんないその現状に僕はまた胃が重くなったような気がした。さっきの奈留莉さんといい……いや奈留莉さんよりも自己紹介として成立していないのでは?

 何かまた気づきたくないことを気づいてしまいそうになった僕に、五十嵐が後ろから肩に手を置いた。

「いや、こもゆうも。それどっちも同じ意味だからな……」

 そう言って五十嵐は手の甲で僕の肩を軽くコツいた。


□ ■ □ ♪ □ ■ □


 それから癖の強い自己紹介約2名(自己紹介と言えるかは不明)のあと、柚充さんの――。


「こんにちは。柚充です。趣味はヨウチューブではぃ――んんっ! 動画を見たり、キーボードを弾いたりすることです。これからよろしくお願いします」

「うーん、もーちょっとじゃあ~クール系にできる?」

「え、何その無茶ぶり!」

「ク、クール系ですか? う、うーん……。ぇ、えぇ――ド、ドウモ、柚充です。最近はぁー夜に星を眺めるのが好き……だ――?」

「中二病っぽく!」

「ちゅ、中二病?? わ、童の名は柚充と言う……? えー、私は……ずっと見守ってきました。さあ我からこの剣を。きっとなにかのやくにたつから――??」

「アイドルみたいに!」

「あ、アイドル!? え、えぇ……う、うっ――。みぃ、みんなぁ~! あ、あ、あなたの瞳に笑顔をお届け! ゆ、柚充でーす~! きょ、きょうはぁ――――」

「はーいすとぉぉーっぷ!! 柚充さんも、やらなくていいから!!」

「おーい、小森! じゃまぃ!」

「こもゆう!!」

「なんかそれっぽかったのにー! 小森くん止めないでよ!」

「はーい、ドルオタは帰ってー。サイン会は中止ですぅ~。あ、そこ! 写真はご遠慮くださーい」

「…………もう少し早めに止めてくださったら――」

 と、無茶ぶりに反抗もできず、赤面した柚充さんの自己紹介も終わり。

 五十嵐の――。


「よっしゃ、じゃあオレだ! 五十嵐智康、下の名前で呼ぶ奴はいまだ一人も見たことないぜ! えーっと趣味はアニメで、今期見たやつだと『端っこのメロンパンに転生したら』ってやつが一番面白かったぜ!」

「……タイトルから全然予想できないね、そのアニメ」

「あー! 私見てるよ! 面白いよね!」

「おー! マジか奈留莉! やっぱ分かってんなぁ~!」

「ところで〝しらたき〟くんはさ――」

「いやおぅい待てぇ!! さらっと平然にごく普通の三連コンボで言ってんじゃねぞ! 奈留莉!」

「まぁまぁ、そう怒んなって。〝ひやかし〟にそんなキレてちゃ――」

「ぬぉい、そらぁ!! 誰が冷やかしだ!?」

「誰がとは言ってないんだが?」

「馬鹿らし」

「おい朝陽聞こえてんぞぉ!! ぼそっと言うな、ぼそっと!!」

「やめなってみんな! そんなに言うと五十嵐がここにいる全員を〝ちだまり〟に――」

「おい、こもゆう! 無理やりで頑張るんだったら諦めてもいいんだぞ! 割と頑張って絞り出しただろそれ!」

「えへへ」

「まぁまぁ、その辺にしてあげましょう。五十嵐さんも、このくらいで許してあげましょう。ね? ほら、これでも舐めてください、気分が楽になりますよ?」

 優しい声色で柚充さんは五十嵐に飴玉の包み紙を渡した。

「はぁー。ったくよぉ。信用できるのは柚充だけだぁ。ったく、空に限ってはどんだけ前からこのネタ擦って――――ってなにこれ!? すっぱっ!!」

 愚痴を言いながら飴を口の中に放り入れ、コロコロと口の中で転がした後、五十嵐は急に顔をしかめた。くしゃっとした顔に、眉が歪んでいる。

 五十嵐はさっき飴が入っていた赤い袋をポケットから取り出し、黒く、和風っぽいフォントででかでかと書かれていた文字をよく見ると――。

「っ!? 畜生!〝梅味〟じゃねぇか! 芸が徹底してんなぁ!! くそぉ!!」

 五十嵐がぶんと投げた飴玉の袋は、きれいな弧を描き、教室の隅にあるゴミ箱の名家へと着地した。そのぜぇぜぇと息を切らす五十嵐の後ろ、朝陽がぼそっと

「うめあじ、だと合ってる母音は2つだけだけどな。気づかないアイツはまだ〝見習い〟だな」

 そうにやっと言った朝陽に僕ら全員は五十嵐にバレないよう笑い声をかみ殺した。


 大変で世話が焼けると思ったこともあったけど、なんだかんだ言って僕も楽しんでしまっているわけだ。五十嵐の下りは余計に僕らの距離感が縮まった気もしないこともない。柚充さんも、意外にノリがいいっていう一面も知れたし。あの飴は朝陽からこっそり渡されたみたいだったけど、流石は朝陽というべきか。

(ありがとう、っていうリズムの良い母音)

 内心、そう感謝しておきながら、僕はこれまでの4人が自己紹介を終えた立ち位置に移動するため、そっと椅子から立ち上がった。今思うとなんでこんな形にしたのか分からなくなってくる。まるで面接練習みたいだ。それか、楽器のオーディションのようだ。これに四つ足くんの長机があったら完璧だ。

 実際に、その場所に立ってみると、目の前には椅子に座ってこちらを見ている5人が扇形で僕を見ている。正面から見ると、この5人の頭が綺麗に並んでいて、それぞれの頭髪の色がどれもその人の性格を表しているみたいで、少し面白かった。さっきの自己紹介なんかわかりやすい性格表明みたいなものだ。……いや性格表明ってなんだ? まぁいいっか。

 緊張こそしていない、軽く息をついてから平然とした口調のままに特に台本なんか考えていないフリースタイルな僕の自己紹介を始める。

「小森裕です。……うーんと、趣味は……音ゲーをよくやります。最近の自己トレンドは東野圭吾さんの小説を読むことです。……これからよろしくお願いしまーす」

 僕は、軽く頭を下げてお辞儀をした。

 うん、いや分かるよ? 明らかに前の人等と比べたときに、内容が薄いのは。薄いでしょ、1㎝だよ、これじゃあ……。ネタとかも僕は言えるたちじゃないし、大体、自己紹介ってこういうのでいいはずだから!

 目を瞑り、頭を下げたまま、今みたいな反省会をしていたけど「確かに物足りないけど、これでいいよね!」と整理させてからみんなと目を合わせた。

 前者と同じように、違いの無い拍手を浴びて何とか幕を閉じたが、拍手が次第に止み始めたころ空が一言、言った。

「うん――――ふつうー」

「……………………ですよね……」

 空が言う「ふつうー」に僕以外の観客さんが揃って首を縦に振る。その様子は、ゲームだったらコントローラーが全員同じだと言っても信じるくらいには揃っていた。 

 確かに、自分でも何の面白みもないただの独り言とニュアンスが似ている、とは理解していたし、実際言っている途中でもみんなの目線は少し冷めているようにも感じた……。

 けど、けど! 分かっていたけれども! 誰かにいざ言われるってなると、ほんのちょっと、ハートに+3のダメージを負った。……まぁ自業自得か。

 空が思い切って(いやそこまでためらいはなさそうか)言ったのをきっかけに、五十嵐も立ち上がって思ったことを口にしだす。

「だってさ、考えてみろよ~こもゆう。柚充ちゃんとかがそういう真面目に型のはまったスピーチとかなら納得がいくだろ? 文芸部のやつが休日にやっていることは読書だ、と同じー」

「……柚充さんも普通で終わらなかったけど」

「はぅっ――」

 僕の隣で、柚充さんが胸を抑えながら軽く呻き声をあげた。

「――まぁ、そうかもだけどさぁ。「お前はボケないとぉ……」」

 最後のボケないとぉ、は五十嵐と空が同じタイミングで言いながら僕の両肩にそれぞれ1つずつ手を置いた。いつもお互いに牙を向けて、毛先が上を向いて憤怒している犬のようなのに、こういうときだけに限って息ぴったりになる。それほど、思考が似ていてお互いのことを知っているんだろうけど……ウザい、という感想が第一に飛び出てきた。

「私もさ! 思ったんだよ!」

「な、奈留莉さんも!?」

 奈留莉さんは片手をあげながら元気よく椅子から立ち上がった。つかつかとさっきまで微塵もしなかった靴音が異様に聞こえてくる。僕の前にいた空と五十嵐は奈留莉さんが僕へ接近するのが分かった途端に、バトラーのように動きをカクカクさせ、またバトラーのように綺麗なお辞儀と左手を僕の方へと伸ばし、横スライドして道を開いた。……一体全体、あれはどうやっているんだろう。奈留莉さんまでノリにのってランウェイを歩く人みたいな歩き方するし……。

 ビシッ、と勢いよく出された細い腕とすべすべする手に僕の顎を取られてしまう。じたばたする体は逆の手で押さえられた。半分しか開いていないジト目のような瞳に、顔が赤い焦った僕が映っている。まじまじと見つめる顔が顔に近い……。

「小森くんさ、自分の紹介始める前にちょっと口角上がっていたでしょ? てっきり私は、何か細かすぎる面白いモノマネとか、天下一品の爆笑面白エピソードとかでも考えてるのかなぁ~って思ってたんだけど……?」

 しまったぁっ!! あのとき、僕が正面からみんなをみたときに「癖が強いなぁ、髪色と一緒だぁ」なんてのんきに考えていたから……。まさか顔に出てしまっていたなんて。

 どう説明しようかと考える時間を与えてくれる訳がなく、ジト目で何一つ表情を変えない奈留莉さんはどんどん僕の方へと迫ってくる。一歩踏み出すたび、僕が一歩下がり、また奈留莉さんが一歩踏み出す――を繰り返しているうちに僕は椅子にぶつかってしりもちをついた。

 ずりずり床をお尻と擦らせながら後ずさり、でもとうとう背中と壁がご挨拶する。

 絶体絶命のピーンチ! もう逃げることができない!

「さぁ、もう楽になっちゃいなよ~。こ、も、り、くーん?」

 手の指をパクパクさせて、不敵な笑みを浮かべながらそんな悪役みたいなセリフを放つ。

「それは……そのぉ~」とはぐらかしながら〝言い訳を考えているやつが言うセリフ第1位〟のセリフを言うがその言葉でさえも口先からふにゃふにゃと消えてしまう。追い詰められて、その正面にはにへらと笑う悪い顔の奈留莉さん。

 僕は足を閉じ、両手を胸の前に発作のぐるぐる目が出てしまうが、またもや顔に手が触れてしまいしそうなギリギリのタイミング、僕は正直に打ち明けた。

「いや、みんなが並んで座ってるのを見て、髪色がカラフルで面白いなーって思っただけ! ほんと、ホントそれだけです! やめて……さっきみたいなのはぁ……」

 手がとまった。涙目の僕はまだ正面を見れず、目を閉じたままだ。

「……ほんとにそれだけ?」

 僕は奈留莉さんに責め立てられ、腰に両手を置きつめられてしまったが、僕はこれでもかと首を縦に振って見せた。お陰で首の後ろがズキズキ痛い。急に動かしたので目の前がくらりともした。

 奈留莉さんは、その後も疑いの目でじーっと見つめてきたが、信じてくれたのか、はたまた、しょうもないことだったので呆れてしまったのか。はぁ、と軽くため息をついて僕の前に手を伸ばす。座り込んでいる僕に掬いの手をくれたのだろう。……こういった結果にしたのは奈留莉さんだけど、とは口にしないでおこう。怖い。

「うーん、まぁそういう感じだよね。もしかしたら、あ~んなことや、こ~んなことかもしれないって、考えてみたんだけど――」

「あんなことってなに!?」

「はぁ……」

 奈留莉さんは残念そうな声を漏らす。悲しそうな表情は……一体なんでだろう。

 内心、リアクションが大きい僕をからかって楽しんでいるんだろう。いや、内心とかじゃないな。ばりばり表に出して楽しんでるじゃん。僕、といったコンテンツを今日だけでどんなに使用したんだろう。これから――と考えたら、もう……。

 僕の自己紹介はこんな感じでいいだろう。みんなもこれくらいの尺だった。癖が強いのか結局はよく分かんないけど、まぁいいか。

 さて次は朝陽の番だ、とそちらの方を見てみたが、当の本人は怪訝けげんそうな顔をしていて、僕をじーっと見つめていた。謎に包まれたような朝陽だけど、その凝視の意味はやっぱり謎だ。

 そんな朝陽は、ぽつりと単語を吐いた。


「……?」


 疑問形のようなアクセントで吐いたその言葉。誰もがパッとは理解するのに苦しみ、さらにはみんなが黙った時だったので、朝陽のその言葉は誰もが耳に入る。けれども、耳に入ったとしても全員の頭の上には疑問符がひょこりと浮いていた。

「どうした、朝陽。カラフルがなんだ?」

「無敵状態にでもなるのか?」

 空が代表でみんなが知りたいことを聞く。五十嵐の方は自分で言っておきながらも笑っていた。というか、会話途中の間に、糸を縫うみたいに短くぼそっと呟く朝陽が急に喋りだしたということもあったので、意味を気になるみんなは朝陽へと視線が釘付けになる。朝陽はみんなが見ていることに気づいて全員の顔をのぼーっと眺めたが、ぎゅっと目を細めた。

「……」

 でも、それだけで特に何も話さない。特に喋ることもなく、みんなが朝陽を見ている。……一体この状況は何なのだろうか。

 おや、やっと動き出したかと思ったら、朝陽はスマホを取り出して眺めている。本当に朝陽は変な人だ。みんなは僕を少し馬鹿にしたり、からかったりしているけど、なんだかんだ朝陽もそういった目にあった方がいい。じゃないとこんな風に言葉をしゃべらないまま生きてしまう。意味不明な行動に空が肩をがくっと落とした。折角、みんなが何かしらの期待をしていたのに。朝陽ならワンチャン本当に無敵になるかもって期待していたのに……。

 だが、朝陽は適当にカラフルと呟いたわけじゃなかったみたいだ。意味なく触っていると思っていたスマホはフォルダの中を選択していたみたいで、1つの動画を流し始める。朝陽は、スマホを奈留莉さんに手渡し僕らみんなはそれをのぞき込んだ。仕事を終えたような朝陽は「ふわぁぁ」とあくびをしている。

 朝陽のイメージカラーである藍色スマホカバーのスマホ枠の中に、画面では黄緑色した髪の背が低い人間が何かを話している。斜め上を眺めるように見ているその子は、何か話しているようだったけどスマホの音量が出ていないので、何を言っているのか聞き取れない。

 ――というか、これって……。

「えー! なにこれ!」

 うっすらと嫌な予感を感じた僕はそれを口にする手前、奈留莉さんが意味深な動画に喰いついた。や、やばい! これ早く止めないと奈留莉さん以外のみんなに見られたら――。

 僕は、スマホの方へと手を伸ばしたが、横入りしたみんなのせいで手を引っ込める形になってしまう。横入りは違反だ! ルール無視、最っ低っ!

「あれ? そこの壁の色……。ここって瑛凛校の校門前ですよね?」

「ってか、はは! これ、こもゆうじゃねぇか! 何してんだぁ」

「みんなカラフルって……どういうイミだよ」


 ……あぁ。おわったぁ。


 この動画はおそらく、今朝、朝陽と登校しているときに起こったの動画だ。あのとき、お願いだから見せないでって頼んだのに! でも、もうその願いも叶うことなくどっか遠くへ行ってしまったのだから、もう止める力はない。

 それでも、えぇ。足掻きましょう。

「ちょっと待って! それほんとにダメなやつだからぁ!」

 僕は、必死になって手を伸ばした。頬を赤く染めながらも動画を停止、なんなら削除までしようとしたが、興味津々な塊の中には割って入る隙間もない。一度下がって、クラウチングスタートで助走を付けてから挑んでみたが、それでもポーンと外に弾かれてしまう始末。

 この必死な僕の声は聞こえていないのに、動画の中の僕の声は誰もが聞いている。という、複雑な現状に複雑な感情を抱きながら、僕は止めるのも半場諦めて椅子に腰を下ろした。

 結局、今のこの時間で動画は6回ループされ、各々のNINEに動画ファイルを転送され、空は「この動画をもとに何かミーム的なのを作るか」と。奈留莉さんは「じゃあ、私は音MAD作るー!」と、創作意欲までも転送させてしまった。さらにはなんと、この一件であった出来事と、この動画について。僕を除きみんなの中では『カラフル事件』と名前までもらってしまう。どうか、デジタルタトゥーではないが僕の体へ入れられる入れ墨はこれ以上ないと嬉しい。

 僕は、椅子に力なく猫背になって座り、カラフル事件の名前に似合わないほど真っ白に燃え尽きて、窓の外の青い空を眺めていた。どういう理屈かは分からないが、背 中に白いバックライトを浴びて。

 もういやだ、最悪だよ。どうせ、今のこの1盛り上がりが終わっても、きっと〝明日のジョーク〟になっているだろう。いや、ジョークじゃない。実際にあっていることなのだから、もはやジョークであった方がよかった。

 ――いつか、みんなの頭からこの事件の記憶が抜け落ちるといいな……。



□ ■ □ ♪ □ ■ □



 帰宅するために校門の方へ歩いていく生徒同士の会話を背に、人気のない方へと進んでいく。ここの通路はいつも少し暗くて、ちょっぴり怖い。第一印象はそうだったけど、今となってはそう思うのも減った。あくまでだけど。

 スティック状にカットされた何本かは、籠の中でガタゴトと揺れる音を出す。両手で抱えて持つが、見た目以上に重量を感じてしまった。小さな青色の籠に、鮮やかなオレンジをした人参はとても鮮度がよさそうだった。実際に食べて確かめようとも考えたけど……僕はウサギではないので。 

 非力だとは思われたくないなぁ、と心の内から独り言が漏れてしまいそうなのを我慢して、校舎と体育館の間にある通路を移動した。

 結局、あの自己紹介は僕の〝カラフル事件〟の途中にチャイムが鳴ってしまい、それぞれ担当である掃除場所へ向かう時間になってしまった。なんとも僕にとってオチが面白くなく、不服でしかない。事件の発端となったネタを提出した『容疑者 岡本朝陽』は、思い返してみると今朝に言ったお願いをまるで何も聞いていなかったみたいだ。さらには、人の恥ずかしいとこだけ出して自分の自己紹介は延期という……なんか、もうっ。

 朝陽は運がいいのか、僕の運が朝陽に吸われてしまっているのか。5限目の国語の時間に考えてしまいそうになったのは、内緒にしておこう。授業には集中しないといけない。……隣の席の人のようになってはいけないと毎度のことながら思っている。

 どういう訳かというと……まぁ、奈留莉さんのことであって。悪口を言いたいとかそんなんじゃない。ただ、奈留莉さんは今日の5限目の国語の授業、昼休みのやり取りがよっぽど楽しかったのか、もはや定期となった授業中の居眠りはいつもより口角が上がっていて、にやにやしながら寝ていた、という訳だ。その時、心底子供っぽいと思った。机で突っ伏して寝ていたら首が悪くなるとどこかで聞いたことがあるのだが、彼女からそんな様子は微塵も感じない。ただ、幸せそうに。笑って。たまに腕の位置を変えて。――こんなに気持ちよさそうなら起こそうにもためらいが生まれてしまう。

 って、今日も思ってはいたけど心配はいらなかった。まぁ、いつも通り、国語の教師が教卓に身を乗り上げ「源《みなもと》ぉ!!」と、金切り声でぴしゃりと怒鳴り「ひゃぁい!」と驚きながらピシっと起き上がっていた。なんなら椅子から立ち上がってもいた。

 その様にクラスの皆は、またかよぉと笑いが生まれる。罰で教科書の朗読をさせられ、何小節、否、ページ数も分からなくあたふたしている奈留莉さんは、可愛いと思ってしまった。助け舟で僕が教科書のページ数を指でトントンと教える。その一連があらかた収束した五分後には、またスヤスヤ眠っていたけど……。


「奈留莉さん、評価大丈夫かな……」

 思い返してみると段々と心配になり、1人で呟く。でも、なんだかんだ先生には愛されているんだろう。この間も英語の先生が運んでた荷物を職員室までキャリーしていたのを見かけた。成績の方も……今度いい感じの機会があったら勉強を教えてあげよう! 本人は嫌がるだろうけど、テストも割と近いし!

 心の中でそう意気込んで、校舎の角を曲がってみると小さな飼育小屋が顔を出す。

ここの辺鄙な場所に僕は来る意味を持っている。あまりにも狭くて3年生の先輩でも知らない人は多いんじゃないか、と思ってしまうが本当にありえそうで不安だ。横幅なんか大股で5歩歩いたらもう学校と外の世界の境界線〝鋼鉄の枠組み《フェンス》〟。背が高いフェンスと木々の陰によってここは薄暗いのかもしれない。所々空いている隙間から、向かいの青信号が点滅しているのが見えた。

 青い籠をとりあえず地に置き、僕はざわざわ揺れる木々を見る。きっと、籠に入った人参スティックと飼育小屋で感の良い人は気づくのだろう。

 そう、僕は飼育委員会に入ったのだ。

 飼育委員会とは――言わずもがな名前の通り、そのまま。生き物を飼育する委員会である。ほかの学校では動物委員会や愛護委員会とかの別名はあるかもしれないけど、少なくともうちでは飼育委員会と呼ばれている。

 この委員会は、委員会決めの学級の話し合いがあった時に、放課後に時間を使うだの、基本毎日仕事をしなくてはいけないだの、地味で魅力がないと散々な言われようで人気のない弱小委員会だった。クラスからの必要委員数が1人だっていうのもネガティブイメージの後押しだったかもしれない。

 そんな飼育委員会。とりわけ、放課後に用事もないし、部活もやっていないし、1人でいるのに何の抵抗もない、型にピッタリとハマった僕が挙手をした。

 まぁ、時間がなくて忙しい人が無理やりに入って生き物の飼育が疎かになってしまうのは嫌だ、という気持ちもある。命の責任はなによりも重い。

 それに、実はあんまりマイナスなイメージを僕は持っていないのだ。

 ――何せ、動物たちが可愛くて仕方ない。

 大きな動物や、昆虫・虫類は苦手で断固拒否なのだが、うさぎやネコといった小動物は大好き。毎度動画の先で元気よく跳ねまわったり、逆に自由気ままで気だるげな様、それにハプニングや面白集などといったものは――もーう、たまらない。ペットを一度も飼ったことがなかったから知らないうちに憧れていたのかもしれない。だから飼育委員に立候補したのだろうか。何にしろこの仕事にやりがいを持てている。

 この場所から分かる通り、人が来ることは滅多にないが、それでもしっかりと飼育小屋には鍵がしてある。実際、人が来ないから鍵は意味を全くなしていないし、第一、飼育小屋に侵入して何目的に何をするのか想像が出来ないのだが、それでも念には念をというやつだ。もしかしたら飢えに苦しむ学生が鍋や火を持ち寄って――これ以上はやめとこう。

 職員室から取ってきた鍵を使ってカチャりと錆びついた南京錠を開けた。古めの木製のドアがぎしぎし不安になる音を奏でる。いい意味で年季の入った扉だ。いや、建物の老朽化にいい意味も何もないな……。

 ドアが閉じたのを確認する。すると早速、足元に生命の温かさをいくつか感じた。下方へ目線をやると、そこには雪玉のような大きさで丸っこく愛くるしい物体がくるぶし辺りを自分の頬ですりすりしている。相変わらず、動きが特徴的なうさぎたちだった。

「あはは、今日も元気だねぇ。ほらっ、おいでー。お腹空いてるでしょ?」

 僕は万が一うさぎたちを踏んでしまわないよう、慎重に足を置く場所を選んで芝の方へと進む。間取りは玄関のようで、うさぎたちが頬をすりすりさせてきたところは靴を脱ぐようなところで段が下がっている。聞こえだけ聞きけば広そうに思えるかもしれないが、芝になっているところも合わせて5m×3mの大きさしかない。人が2人入ったら窮屈に感じるだろう。

 両手を伸ばしてしゃがみ込む。するとすぐに4匹のうさぎたちは寄ってきた。コイツら、僕が来たら餌をくれるだろうって軽く僕を見ているんだ。やろうぅ。まぁ、何の間違いでもないんだけどさぁ。人参スティックを出してみると、何とも言えない表情でポリポリ食べ始める。何も言葉としての感情は〝言えない〟けど、〝癒える〟。

「無償で飯だけ食べやがって。誕生がこの世代でよかったな」

 冗談で低い声にして、卑下するような悪い目つきをしてみる。何を思ったのか、一瞬だけ今人参を食べてるうさぎがぴたりと止まった。この、遠くを見つめてそうで何かを考えてそうだけど、実際特に何も思ってなさそうなのぼーっとした表情。たまらなく好きだ。分かる人には分かるだろう。

 人参スティックを指にウル〇ァリンのようにはめてから餌やりをする。余談と言っては、余談なのではあるのだが、飼育員会は去年と一昨年には存在していなかったらしい。理由は人がいないからだとかそういうもので、曖昧な感じだと飼育委員担当だった先生に言われた。

 本当は今年もやるつもりではなかったようなのだが、どうやら福田先生が口を滑らせてしまったらしい。なので本来消去予定だった委員会に挙手した僕の存在は割と先生たちの中で大変だったみたいだが、先生たちは僕のせいじゃないと口をそろえて言ってくれた。福田先生は、ちょっとお偉い人たちから呼び出しを受けたみたいだけど……。

 この4匹の名前。元々の名は飼育委員会の先生は知っているようだったが、僕はその先生に頼み、教えてもらわないことにした。3年前は同じ学生の誰かから愛された存在。その人が男の子か女の子かは分からないけど、それでも愛でられてお世話されていたはずだ。

 ぽっかり空いた空白期間、先生からは餌を貰っていたんだろうけど、ここに最初きたときには言葉を失った。

 伸びきって生い茂った草に、小屋の外にも中にも積み重なった落ち葉。隅にいたうさぎたちは、見ていると何か悲しくなってしまった。

 ――誰かをずっと待っているようで、でも永遠に再会することはない。

 4匹の内、1匹は変なうさぎだと思った。3匹は、グレーやブルーの瞳だったけど、その1匹はの目の色をしている。

 赤い瞳のうさぎは見たことあるし、網膜の反射がどうだかと聞いたことがあるのだが、そのうさぎは赤紫だったのだ。ピンクに近いと言っても過言じゃない。

 だから、この子を見たとき、何かシンパシーのようなものを感じた気がして……。

 さみしく、ただぽつんと。ずっと瑛凛高校の先生方になんとなくで飼育されていて――。そんな感じなこの子たちがどこか〝今まで〟みたいで。

 何のためにうさぎを飼うのかとか、動物を飼って子供たちにこんな思いを身に着けてほしいとか、僕はそのときに「どれもこじ付けだ」と思った。

 ――ただ、何かほっとけない。そう思った。

 かわいそう。だから助ける。それまでだった。

 なので、僕は先生から命名権を貰うことにした。先生は喜んでOKをする。折角、ペット、までにはいかないけど、似たような大切な存在。愛着のある可愛い名前にしたい! そう意気込み何度も何度もいい感じの名前を考えて、探して、悩み続け、そのたび奈留莉さんや朝陽たちのお馴染みのメンバーに相談したが、みんな微妙な反応をする。アイコンタクトを取って苦笑いで僕を見たのだ。

 その結果、改変した名前で『ヌコ』『ヌイ』『トニィ』そして『アレックス』だ。僕が考えた元の名は『ねこ』『イヌ』『とり』『きつね』だったのに……。みんなからは僕は「ネーミングセンスに癖あり」とレッテルまで貼られてしまう。まるで履歴書に書く人柄を表す1文みたいだ。一体何がおかしいんだろう。最後のアレックスなんか悪ノリにしか思えない。

「それにしても、よく食べるなぁ……」

 ポリポリポリポリ――。

 籠いっぱいに入った人参スティックは、まるでわんこ蕎麦のように無くなってしまう。よっぽど、お腹が空いていたのだろう。昨日もあげたはずなんだけどなぁ。でも、たくさん食べて大きくなってほしいという気持ちは、どこか母の気持ちを味わえる気がする。

 ……そう、ここまで大きくなるために、ずっと支えてくれて――。

「――」

 下唇を少し噛んだ。無くなった人参スティックはもううさぎたちの腹の中だが、僕は今だ動けない。ただ、どこかを見ているとかじゃなく。持ち物が無くなった指の先っぽを、ふわふわした白い毛玉がそっと撫でた。ぺろぺろくすぐったい温かさで濡れた。

 目の前にいたうさぎは、きょとんとした顔でじっと見ているようだった。

「……よしっ。――次の仕事だ!」

 落ち込んでいる暇はないっ、でも慰めてもらったような気がした僕は、ぱしっぱしっと頬を両手で叩いて、胸の前で拳を握る。目の前の白い物体たちよ、感謝だ。あまりにも愛くるしく、さらにはメンタルケアまでやってくれるは、頭の上に乗せて行動してみようかと悩んだが、やめた。なんだか、急にコーヒーが飲みたくなってしまった。喫茶店でも帰りに寄ろうかな。

 餌やりを終えた僕は、軽く跳ねるように立ち上がり、次に小屋の外一帯を掃除する。掃除と言っても掃き掃除だ。箒を武器にせこせこ動く。

 一般的な感想だとは思うが、飼育小屋という場所は動物の毛やフンなどで少し汚いというイメージがあるだろう。だけど、安心してください! しっかり掃いてますよ! だから、解釈違いというものだ。ここはそう思わないはず。

 最初の方は……まぁ汚くないと言ったら嘘になるけど。それでも、僕は委員会の時間をどうにか作って、なんなら結構速い時間に学校に来てみたりとか? スケジュールぱんぱんに時間を埋め込んで、日に日に掃除や動物の世話の時間を増やして活動してみた。

 だから、飼育小屋の中には小枝の1つも見当たらない。雑草なんてもってのほかだ。さらには、僕が無様に働くさまに多少気遣ってくれたのか、白いうさぎたちはダメもとで作っていた排泄スペースでなんと用を足してくれたのだ。

 ――まさか、ほんとに猫や犬のようになるなんて。

 さすがに、その様子を目の当たりにした日は……涙が出たよね。

 実際にそのようなうさぎがいるのかは知らない。もしかしたら、世間ではあまり見慣れないすごいことなのかもしれないが、どこかのアニマルチャンネルにあげる訳でもないし、そういう芸でもない訳だ。でも、ちょっと家に帰ったら調べてみよう。

 そんなことを考えながら箒で小屋の周りを掃くこと20分。有名なレースゲームの秋がモチーフなおっきな木のコースであったように、落ち葉の山が出来上がる。そんなことを思い出したから思いっきり突っ込んでみようか、と考えてしまったが、そんなことをしたら何もかもが無に還るだろう。この落ち葉たちのように朽ち果て、下へ下へと落っこちたくはない。なので、塵取り。中から出てくるものがキノコ以外だったら猶更意味がない。

 カサカサ。葉と葉が擦れ合う音は誰もいない静かなこの場所に唯一目立つような音で、どこか僕も黙って聞いてしまう。秋のような肌寒い季節だったらもっと雰囲気が出るんじゃないだろうか。春も過ごしやすい気候だからあまり文句はないけど――あ、いや嘘。花粉野郎たちだけは末代まで呪ってやる。

 音を聞いて、黙ってるとか言ってるけど、僕の頭の中はどこでもいつでもうるっせぇ。脳内のという住人たちを含め、遮断するように落ち葉を入れた大きく膨れたゴミ袋の口を結んだ。思った以上に大きくなったその袋は、まるでサンタクロースが手にしているプレゼント袋を連想させるくらいだった。それなりの踏ん張りを使って、よいしょぉと持ち上げる。

 腰が曲がり、まるで老人のような背格好だが、特に周囲からの視線は見当たらないので気にせずにゴミ捨て場へとえっちらおっちら1歩1歩進んでく。前髪がチラチラ揺れて、時々目元に当たって痒くなるのを手がふさがっていて触れないのは、一種の拷問だと思った。美容院にもいかないとなぁ、帰ってカレンダーに記述しておくのを今決定した。覚えている自信は微塵もないが。

 角を曲がり、視界が開けた。校舎横にあるタイル道に出る。位置的には、校舎とグラウンドの間にある所で、ここは黄色い砂利のグラウンドより少し芝の坂のようなもので高さがある。一望できる、というのは拡大解釈かもしれないが、割と視界が広く見えるこの場所は僕のお気に入りだ。さっきまで暗かったから、ここが余計に明るく見えてプラスイメージをプラスしているのかもしれない。

 グラウンドが、飼育小屋あたりの細い道にいた後だととても広く感じる。陸上部の何人かがハードルを飛び越え、懸命に練習している風景を横目に、ごみごみしているゴミ捨て場に大きなお荷物を放り投げるように捨てた。ざざっ、とビニール袋の底がアスファルトの地面と擦れ合って少し心配になったが、前例は1つもないので大丈夫だろう!

「よーし、お仕事おーわりー!」

 ロクに汚れもついていない手をぱしぱし払う仕草をして、背筋をぐぐーっと上に伸ばした。体にガタが来ているという訳ではないのだが、そう思ってみれば何かが終わった時に僕はよくこの一動作をするかもしれない。癖――といっては癖になるのだろうか。

 と、いうか。そんなどうでもいいことよりももっと着目するべきところがあった。いや、発見したという言い方が正しいだろう。

 ――そう。額にかすかに汗の湿った感覚があるんだ。

 なるほど、と合点しながら同時に驚いてしまう。だから最近太陽の日差しが強いと感じる機会があったのか。数週間前までは今日みたいなちょっとした行動で、汗なんか微塵も感じなかったのに。僕は、前髪の下に手を忍ばせ手の甲で押し付けるみたいにしてみた。ごしごしとはしない、ただ置いているだけ。冷え性で、体温がかなり平均以下の僕の手背はひんやりしていて心地よかった。

 仕事も終わって帰ろうかと考えていたが、やっぱり気が変わる。目の前にある茶色いタイルをした階段にそっと腰かけてみた。膝に頬をついてそっと空の雲を眺めてみる。白くて楕円形の気体はまるで目的地があるみたいに悠々と空を歩いていた。そんな雲には届くはずがない声量で僕は呟いた。

「夏が、近いんだ…………」

 キンッ!!

 まるでテレビの消音モードだったみたいにあたりの音が聞こえなかったのに、急に金属音が耳の中へ侵入する。はっと我に返る。流れる雲を見ていたら意識まで流されかけていたという訳だ。……ギリ笑えない。疲れてるのかなぁ。

 音の鳴る方へ体を向けてみる。音源は意外と遠い場所だった割に、僕を目覚めさせた音はここまではっきり届いた。ゴミ捨て場とは対極の向き、目の前のグラウンドを走る陸上部よりもさらに奥の方。野球部のグラウンドがある。どうやらそこみたいだった。遠すぎず、かつ近すぎずの位置、黒砂の上で白いズボンを履いた野球部員が腰を低く、グローブにボールを収めた姿が見えた。

 キンッ、の音の前に「さーこい!」と大勢の掛け声が重なって聞こえる。その掛け声のあとにバッターボックスでバットを握る監督が純白なボールを打ち出しているようだった。長時間練習で使って白が砂の色で限りなく茶色に近づいても、地面の黒い砂は負けじと白さを証明していた。だから、遠めでもどこにボールがあるのかすぐ分かる。ほら、ちょうど今ファーストに送球している。この練習のことを確かノックと言うんじゃなかったっけ? 分からない。疑問符に対して正解を言う人がいないから、分からない。確かノックか、インターホンかだろう。

 またカキンッ! と耳を刺激するような高い音が響いた。ボールが転がる先、あれは、確かショートだ。ショートというゲーム中だったら一番打球が飛んでくるといわれてるポジションへ、地を這う銃弾のような速度の玉がバウンドして飛んでいく。さっき白いボールはわかりやすいって言ったけど、それは速度を除き大体の位置が把握できているという意味だ。この今の打球は全く見えない。まるでコマ送りのコマが途切れ途切れで進んでいるみたいに急に消える。

 消えたと思っていたら、ボールはもうショートの野球部(恐らく3年生の先輩)のグローブの中におさめられていて、ボールを取った低い姿勢のまま腕を上から下にぐんっと振り下ろす。蹴り上げ、踏み出した足が黒砂の煙を巻き上げた。これまた打球に匹敵するくらいの速度だ。地面と水平にファーストへとめがけて飛んでいく。僕は、目で追うのが精いっぱいだった。

 運動は苦手だし、難しいものだと思っているけど、誰かが汗水流して必死に取り組んでいる姿はどうしても応援したくなってしまう。そんな姿、形、シルエットが好きだ。かっこよくて、様になっている。僕は、どうしても情けない姿として終わってしまうから、そんな人たちがどうしても輝いて見える。

(憧れちゃうなぁ……)

 青かった空はだんだんとオレンジに染まりつつ、白かった雲に縁取りの黒が強調され始めた。さっきの楕円形の雲とは別だろう、野球部の練習を手前に遥か遠くなのに近く見える小さな入道雲。これまた夏が出発前の準備運動をしているように合図をくれた。

 青とオレンジの上下に分かれた配色、黒いシルエットが物語る鉄塔にそこから伸びる電線路。ひょこりと野球部の練習をのぞき込んでいるかのような入道雲。ここからその全体として見える『』は、どこか東京の都会感すら忘れてしまいそうな風情のある雰囲気だった。なかなかに映えるというやつだろうか。

 昔、河川敷で見たときと同じような風景――。

「よっしゃぁ、ナイスキャッチ!」「さすがだなぁ朝陽!」

 野球部員決して綺麗な声とは言えない、でもそこが魅力で熱い男の象徴である大きな声の中に、知っている名前が聞こえた。

 セカンド。細かな仕事を周りを見ててきぱきとこなす必要があるといった感じのポジションだろうか。(※野球知識の全くない、運動音痴の僕がお送りしています)その守備位置で先輩から褒められている朝陽がそこにはいた。どうやら、あの胸元の練習着の汚れ具合と言い、守備範囲ギリギリ、もしくはそれ以上の位置へ飛んだ打球をヘッドスライディングで飛び込んでキャッチしたようだった。服についた砂を朝陽は叩きながら払っている。その積極的なプレイに、監督のスマホが鳴り一旦離れて話しているタイミングで先輩からお褒めの言葉を貰っているという訳だろう。

 監督が結構早めに帰ってきたので、朝陽のことを褒めて近づいていた守備位置〝ファースト〟の先輩が定位置へと戻る。朝陽は、きっと先輩たちから愛されているのだろう。いいなぁ、と心から思ってしまった。部活に入ってるから得られる特権だ。僕にはそれがない。委員会も含め。

 羨ましい気持ちに少し目を閉じたあと、再び朝陽の方に視線を向けてみると、その視線が朝陽の視線ともぶつかった。……まさか、僕に気づいてる? 僕は、ごくりと息を飲んだ。

 朝陽はそれからニヤッといつものように口角だけ上げて、の笑い方をした。眉が八の字を向いている。嘘だ、ものすごく距離があるというのに……。それに、僕はすることがなく、朝陽が練習をしているというのも知ってて眺めているというのに、さっきまで練習に集中しててポツンと座っている僕に気づいている? 索敵能力でも持っているのだろうか、僕の友達は。

 練習が再開してしまったため、朝陽は監督の方を向いてしまった。僕は少しの間動かずに、常人離れした察知力に不器用な笑みを浮かべていた。

「いつか、ゾンビで溢れかった世界でも、朝陽は生きていけるんだろうなぁ」

 動きが遅い、けど近距離で攻撃を食らったら一発アウト。ならば、何より先に敵の位置を把握しておく必要がある。……僕は、もしそんな世界が訪れるのなら、絶対に朝陽についていくことを誓った。

 さて、そろそろ帰ろうか。ゾンビが出てきそうなほど日は沈んでないが、かなり空の色が枯れ始めている。秋に見る楓のようだ。飼育小屋の戸締りをしないといけないので、一度来た道をまた引き返すことにした。

 さっき見た積乱雲は、夏の風物詩であり、俳句での夏を表せる季語として使えるだろう。中学の時に授業で作った俳句に積乱雲を入れた覚えがある。夏という季節に対し、備えは物品も、体力も、意識でさえ完了していないが、それでも季節のサイクルは世界の一人を待ってくれない。僕は物語の主人公でも、そもそもこの世界は創作物ではないのだから。もし、物語何かだったら、季節や時間を簡単に変更することができるのだろうか。止まったり、あるいは1季節飛ばされたり……なんて。そんな二次元の世界がどうも羨ましく思ってしまう。夏の暑さは、苦手だ。

 むしむしと、さっきよりもどこか空気が重い暗がりの道を、ちょっぴりうんざりしながら雑草を踏みしめ歩む。さっきまで実際に眺めていた野球部の練習、ノックで金属バットが固いボールを打つ『カキンッ!!』というその一音が、今回はさっきよりもはっきりと聞こえてしまった。

 僕は、主人公ではない。そう言ったのに、今の打球音はこれから始まる長い夏のスタート合図のように聞こえた。静けさが定在する周りに響き渡る。積乱雲を背景に友達を集めてジャンプでもしたらいい感じになるのだろうか。


 ――僕らしくない、そんな考え方が浮かんでしまったのだ。



□ ■ □ ♪ □ ■ □


 

 うさぎ小屋に着くと、さっきまであんなにむしゃむしゃと餌に夢中だったのに、白い雪玉たちは集まってスヤスヤ寝ていた。ふわふわの毛並みは、みんな差がないくらいに白い。まるでが1つの物体のようだ。こんな感じのアイスを見たことがある。2つ入りで、餅と雪を題材にした「1つだけちょ~だい~」っていう奴には心の底からイラっってくるあれだ。あれみたいだった。

 あまりにもその一体感がほほえましく感じて、クスッと微笑んでからスマホを取り出し、一枚だけ写真を撮る。マナーモードにはしているが、シャッター音は多少聞こえる。それでも全くこの雪玉隊は起きる兆しも見えない。フェンス越しに手で触れることはできないが、それでも気持ち去り際に愛を添える。明日も世話をしにここへ来るんだろうけど、それでも毎日『もし、明日会えなくなったら……』なんてありきたりなことを考えてしまう。

 〝もし〟の話だけど、それで後悔はしたくない。

 僕は、そっと扉の鍵を閉めた。南京錠の回すダイヤルはかなり錆が付いていて思った通り回しにくい。どうしても番号と番号の間でつっかえてしまったりしてしまう。新しいのを買おうか考えておこう。

 白モフリたちが長い夢の世界にいられるように、そーっと、そーっと1歩1歩足音を殺して……。よし、角を曲がって完全に飼育小屋が見えなくなった。これで僕の仕事は完全におーわりっ!

 靴箱のちょっと先にあるベンチの横あたりに置いておいた自分の鞄を手に取り、そのまま職員室へと鍵を返してしまう。ほとんどの先生が事務的な仕事を終え、部活動に顔を出している時間なので職員室内は先生が少なかったが、正直関係ない。校舎内からではなく、外からガラスの窓が付いた白いドアをノックして、いつもの眼鏡をした名前の知らない先生へ鍵を預けた。今日はコーヒーの入ったマグカップを手に登場だ。昨日は歯ブラシを手にしたまま出てきてた。

 さて、帰ろう。

 と、別に意気込むことも、特に何か思うこともなく、ただ動作的に歩いて校門の方へと向かった。空がもう完全に橙に染まった今の時刻には、文化部の帰宅が速い人等がちらちらと見えた。きっと運動部はもう少し遅い時間だろう、といった感じの絶妙で曖昧な時間。遅くはあるけど、そこまで暗くはない。

 僕はこの時間帯が、なんとなく好きだった。

 自転車が僕の前を横切る。話している女子高生2人を追い抜く。横に広い校門までの道のりは、見ようとしていないのになぜかいろんな人等が目に入ってしまう。この瑛凛高校の校舎と校門までは、正面から茶色いタイルの道がただ直線に靴箱まで伸びていて、その両サイドに腰辺りまでの木々の低木と、ちょっとした草地がある。ベンチがあったり、街灯があったり、まるでマンションの敷地にある極小スペースの公園のようだった。……流石にこっちにはブランコや滑り台はないけど。

 木々に低木。そしてその横には花壇がある。毎回、季節に合った花々が植えられていて、時々見かける女子にも大人気(らしい)の、若い男性の用務員さんが水やりをしているのを見かける。さわやかそうな人で、笑顔も柔らかい人だ。こういった人が飼育委員会の担当になってほしいものだが……。僕の委員会の担当はいまだ未定だ。なんせ、委員も僕1人しかいないからね!

 その花壇は今日もピンクな小さい花を生き生きと咲かせていた。ガーデニングがしっかりしているんだろう。……確か、いや断言して言い切れる自信はないんだけど――多分マーガレット。それと、こっちは全く名前が分からないが、もこもことした小さなニーハイの草丈で、鮮やかな赤紫色をした花がある。どの花も美しい。今日は人には個性があってみんな違った良さ悪さがあるという話を、なんだか一日中している気がしなくもないけど、それは僕が花をよく見ているからかもしれない。

 花って、面白い。単純な話でいうと色鮮やかできれいだし、フローラルな甘い香りで心が落ち着くし。少し中二っぽい複雑な思考の僕の時は、色褪せて死んだような毎日の視界に無理やりにも入ってくる〝色〟で見とれてしまうし……。 

 まるで、花という存在は。あの雨の日に見た、救いの色と似ていて――。

「――ん? なんだ、あれ…………」

 ふと過去の情景と、今の花々を重ねてしまう。記憶から我に返るみたいに、植えられた花からそっと目を別のところへ、ゆっくり上へ視線をあげてみると――そこには見慣れない光景があった。木々の位置や、眩しい夕日の光ではっきりとは見えず、ひらりと舞ったように見えた布だけが視界に入った。何か、人だかりができている? ……一体何をやっているのだろうか。気になってしまった僕は来た道を少しだけ戻って、グラウンドの方へと伸びるタイルの道を歩いた。

 近づくたびに、さっきまで聞こえなかった音楽が耳へと入る。アップテンポでリズミカルな音楽、何か海外アイドルの曲だろうか。言語が日本語じゃないから歌詞の内容は分からない。それでも、何か今の時代に流行ってそうだなぁと思える曲だった。その曲がベンチの上に置かれた緑色のスピーカーから流れている。Bluetoothスピーカーだ。

 わいわいガヤガヤ。歩いてくる途中、聴覚で分かるのはその曲だけだったが、いざ目的地へと向かってみると、やっぱり人が多い。男女問わず、少し女子が多かったけどそれでも夕方の時間帯にあってないくらいの生徒がいる。

 僕は何週間か前、クラス表示の看板が前の人と身長のせいで見えなかった時みたいに、つま先で立てるんじゃないかというぐらいまで背伸びをした。前はおとなしく順番を待ってようやくクラス割振りが見えたけど、今回は何とか背伸びのお陰で頭と頭の隙間から確認することができた。

 そこには、瑛凛校の女子生徒1,2,3年生の何人かがチアガールの練習をしている様子だった。チアリーディング。チアという単語通りに、元気づける、応援するといった感じの可愛らしい踊りだった。それをチアダンスというのかは僕にはよく分かっていない。確か何か複雑な判断と基準があったんじゃなかったけ? まぁ、分かんない。から、もういいや。

 もはや、本場のチア服を見るより、ネットなどの影響でコスプレとして出会うことが多いあの服。フリフリと揺れるリボンやスカートは非日常的な衣装で見とれてしまう。その同じ服を着た人たちが音楽に合わせて同じ振付をしたり、組体操のように協力して1人を持ち上げたり、ボンボンをシャカシャカしてポーズを取ったりしている。

 誰もが笑顔で楽しそうで、その風景は女子高生にしか出せない魅力のようにキラキラしているように思えた。集団で取り組むダンスにみんなビシッと動きを統一させるものだから、思わず見とれてしまう。これは、周りの人が集まってくるのも、終始、おー! とか歓声をあげたくなるのも納得だ。

 そう、すごい。みんな凄いパフォーマンスと演出だと思うんだけど……。


「――――何やってるんだ、あの人」


 僕は、正直ここに来てから一人しか目で追っていなかった。

 前の方でよく踊っている恐らく2年生とかの先輩方だろう。そのバック、頭の後ろなどで周囲の子たちと同じく飛んだり、ボンボンでポーズを取ったりしている人。

 黄緑した瞳の中で星をいっぱいに作って、ゆらゆら感動しているみたいに揺らし、いつもの赤紫髪はほんのり汗をかいているのか毛先が細くなっているように見える。短めのスカートからは黒いスパッツから伸びた白い細い足が器用にステップを踏んでいるようだった。

 僕は、ジト目で彼女を見ていた。対する彼女は、いつもの満面の笑みで左右に、跳ねている。最後にきららジャンプのようなものをして、曲がぴったり止まった。肩で息をしている。やり切った感を醸し出した、多少のどや顔っぽい顔で両手をあげたポーズのままそこに

 もう一度。もう一度、あの人は何やってるんだ。

「……ふぅ。じゃあ、みんなもういいかー! 今日はおしまーい!」

 おそらく、この団体のリーダ的な存在の先輩女子高生が、肩にかけたタオルで滴る汗水を拭きとりながら合図をする。ベンチに置いてあったスマホを操作して、スピーカーからの音楽を消した。練習が終わったほかのメンバーは「ありがとうございましたー」と口々に、メンバー同士で対談したり、待っている生徒たちと合流して下校したりと散る。チア部なんてものは聞いたことがないから、おそらくは個人で作ったサークルのようなもののような気がするけど、それでもこの自由さとレベルは部活にしてもおかしくはないと思う。というか、こんなところで練習していただなんて今まで気にもしなかった。

 練習が終わると同時、集まっていた人等は段々と少なくなっていく。さて、僕もそろそろ帰らないと、と、座っている場合は腰を上げるという言葉が合うが、今は座っていない。なんだろう、足を回す? まぁ、いいか。帰ろう、そろそろ。(なんだ、足を回すって……。カートゥーンじゃあるまいし……)

「お疲れ~! すっごーい、奈留莉ちゃん運動神経いいんだね!」

「さすがだな、奈留莉。これだったら本番でもなんとかなりそうだ!」

「奈留莉ちゃぁん~頼むって! 今度バドミントンの方にも助っ人で出てよぉ」

 くだらない言い回しを考えながら足を出そうとしたとき、割と大き目な興奮した声で称賛を送る声が聞こえた。またまた、人だかりだ。今度は草むらの真ん中あたり、ちょうど奈留莉さんが踊っていた場所から変わらないところ。奈留莉さんを中心にして、先輩や同学年の女子たちから褒められたり、手を取られたりしている。まるで有名な芸能人を囲むかのような形が見えた。当のご本人も、いやな気分でもないらしく、デレデレと表情が崩れて手を頭の後ろに置き、照れている。

 きっと、気分がとてもいいのだろう。なんだか、いつもの笑みのぽあぽあ度が増しているように感じる。朝に僕と会った時のように、にへらと笑う笑い方で飛びつくように抱き着いてくる表情とは少し違くて……。あ、やめよう。あんまり思い返したくはないかも。これのせいで僕の朝は気が気じゃない。

 ――というか、もし今の状況で見つかってしまったら、僕はあの集いに水を差すことになってしまうんじゃないか?


(「――それでね……。あ、小森くん!? やっほー小森くんだー!」)

(ぶんぶんと大きく手を振る奈留莉さん)

(「――え、だれあの子?」)

(「さぁ、知らなーい」)

(「一体、奈留莉さんとどういう関係? わざわざここで待っているってことは……」)

(すっ、と囲いの女子高生1人が懐から大き目なクナイを取り出す)

(「天下の奈留莉に近づく蛆虫は駆除せなければ。わたくしにお任せください」)

(口元を隠すその女子生徒が投げたクナイが僕の腹部に直撃)

(「うわぁぁぁぁ!!」)

(『キァーンッ』と撃墜のSE。一撃を受ける僕に集中線が向き、一瞬止まる)

(小森、画面外へ。〝GAME SET NARURI's WIN!!〟)


「きっとこうなる!!」

 僕は、手癖でなぜか拍手をしながら回想から抜け出した。ぶんぶんと首を振って、なぜかの拍手もやめる。あの人気者で人望も厚い奈留莉さんのことだ。高校生を演じた本性忍びのファンだっているかもしれない。

 だとするならば、僕はまだクナイで1発K.O.されたくないんだ。まだ死にたくない。1度死んだとしても、まだ2ストックぐらいは残しておきたい。クリアしていないインディーゲームだってあるんだから!

 そろーり、そろーり。僕はほふく前進でその場を抜け出す。草木がいい感じのブッシュとなってくれていて、目を凝らさないと見えないくらいだろう。話に夢中な彼女たちは気づくわけがない。ほら、黄緑の髪がいい塩梅に同化しているはずだ。

 今日のチアを少し見学した感想は後でNINEにでも送ればいいだろう。本当は、少しだけ一緒にかえ――。


「あっ! 低い草木の上を動くアホ毛! ということは、必然的に――。小森くんってことだ! お~い、なにやってるのー?」


 いつものトーンで、聞き馴染みのある名前を呼ぶ声が聞こえた。望んでもない最悪な予想がなんと的中してしまい、僕の体はドキッと、指摘されたアホ毛もぴんっと真っすぐ立つ。草木から動くアホ毛? いや、他の人の可能性かがある、アホ毛は確かにあるけどそれは奈留莉さんもだし……なんて考えながら恐る恐る上を見上げると、ちょうど頭部のてっぺんに生えている黄緑色のアホ毛は草木の陰より上にいた。まるでカブだ。成長した株の葉っぱが土からにょきって生えてるみたいに奈留莉さんからは見えているのだろう。

 あー最悪だぁ……。家に帰ったらちょん切ってやろうかな。

 僕は断念してほふく前進から恐る恐る人型へと戻る。立ち上がると同時に両手をあげて、敵対意識がないことを表明した。あぁ、今度は葉の生える植物らしく、土の中にでも潜って立ち去ることにしよう。

 奈留莉さんに手招きされた僕は、変わらず両手をあげたまま、草木をまたいで集いの方へと向かうことになってしまった。

 奈留莉さんを含め、奈留莉さんを囲っている周りにいた人たちは、みんな僕を見ている。そのうちの何人かがくすくすと僕の方を見て笑っていた。あぁ、きっと馬鹿にされているんだ。……腹部にアーマーは装備していません。遺書もきちんとかけていません。やりたいことリストもまだ1ページしか書けていません。

 こうなったら、ダウンロード版の方が安いからって買ったインディーゲーム。ケチらないでパッケージ版で買えばよかったな……。

 心の中でしくしく涙を流しながら、芝生を踏みしめて行く。これ以上に重たい足取りがあっただろうか。巨人が通った後みたいな足跡が草の上にできているんじゃないだろうか? もしくは、月面に初めて着陸した宇宙飛行士の一歩目でもいい。

「――――そう、小森くん。私の大切なお友達なんだ~! 面白い人だよー」

 僕が近づくのを奈留莉さんをは横目で見てから、同じチア服を着た人たちに紹介している。死にそうな顔をしてその場に来た僕は、両肩に手を置かれる。僕の頭からひょこりと顔を出すようにニコニコしている。僕はため息をこらえた。

 ……奈留莉さん。最悪な前振りだよ、それは。

 僕は、奈留莉さんを囲っていたお友達の方を向いてぺこりと頭を下げてから――

「どうも、小森ゆぅ↑です――」

「――」

 頭を下げたままの状態で、かーっと赤く顔が染まってしまう。裕の『う』の部分で声が裏返ってしまった。静寂が続く。怖さと恥じらいで頭を上げないでいると、お友達の内の1人が「あはッ!」と噴き出した。それをきっかけにみんなが笑いだす。僕はまた一段階頬が赤くなった気がした。奈留莉さんがツボに入って、お腹を抑えながらケラケラ笑いだしたタイミングで体を起こす。それでも、僕はこの空間がむず痒かった。みんなが僕のミスを見て笑っている……。なんだか、悔しい……。

「あははっ、ははっ! ――はぁ~。まったく、小森くんは期待を裏切らないね~」

「……裏切りたかったけどね。そこまで笑わなくてもよくない?」

「んー? ほら、私たちはチアをもこなす団結力だよ? みんなで寄ってたかって笑うにきまってるじゃん! あははっ!!」

「過度な繋がり!! それ言ってること結構ひどいからね!? ねぇ、聞いてる、奈留莉さん? 奈留莉さん――!?」

 それから彼女はまた笑いだした。僕がどんなに声をあげても変化はない。いつもと言ってはいつもなのかもしれないが、僕と奈留莉さんのやり取りに周りの人等もくすくすしだす。

 ……これは、のちに聞いた話なのだが、今日の一件で僕のことを知った奈留莉さんのお友達は、僕のことを〝あがり症の小森〟と呼んでいるらしい。イントネーションの上がりとかけているとでも言いたいのだろうか。地味に上手いのが納得はいっていないのだけれど、それでもこの肩書みたいなものが多くの人に出回らないようにと願う。

 カラフル事件だったりと、今日は内容の濃い日だった……。



□ ■ □ ♪ □ ■ □


 

「まったく……。奈留莉さんは人付き合いがよすぎるんだから……」

 隣で一緒に並んで歩いている奈留莉さんに対して、僕は純粋に誉め言葉としても、皮肉としても、どちらでもとらえられる言葉を言った。えへへ、と照れている声がする。どうやら、誉め言葉として捉えたらしい……。

 あの最悪な空気になった空間は、意外にもすぐに解散して、僕はそそくさと逃げるように帰ろうとした。あの空間から一秒たりとも逃げ出したかった僕は、それはそれはいい初速で優雅に逃げることができそうだったのだが、なんと迅速(体感では)の小森は袖を掴まれてしまう。まだ何か最悪な目に遭うことに!? と目を見開いて振り向いたのだが、そこにはただ奈留莉さんがいただけだった。

 奈留莉さんは「ちょっと待ってて、一緒に帰ろうよ」とそれだけを言うと、小走りで木の陰に置いていた鞄を取って横につく。何だそういうことか、と安心した僕はようやく学校の外へ出たのであった。

 そして、今に至る。

 僕と奈留莉さんは、登校路であり下校路でもある道を2人でゆっくり歩きながらいつも通り話をする。いつも通りと言ったが、毎日ではない。たまに会った日や、飼育委員会の仕事が早く終わった日、そして奈留莉さんのチアがない日だ。週に2日くらい? 乱数の曜日でこうして一緒に帰ることがある。

 さっきのことに関して、奈留莉さんは手を合わせながら謝罪をする。それに僕は結構根に持っている演技をする。すると奈留莉さんが割としっかり目に焦り始めて、その様子に僕は笑ってしまう。

 何のイミもない、ただ馬鹿みたいにふざけている日々の会話が、こうして続くだけで僕は心の底から暖かくなれる。その瞬間にイミもないものじゃないな、って気づくから。

 僕はほっと息をついて安心している奈留莉さんを見てから、思い出したかのように言う。

「そういえば、あんなとこでチアの練習していたなんて知らなかったよ。今までやっていなかったよね?」

「うん、今まではねー。練習は体育館の中でしていたから。でも、バレー部が試合前で追い出されちゃった……。あの部顧問めぇ、絶対勝ってもらわないと許さないから!」

 奈留莉さんはそう言って胸の前で拳を前に突き出す。シャドウボクシングしてぷんぷんと怒る奈留莉さんは相変わらずだ。この人から受ける一撃は恐らくだけど、やばいんだろう。僕からもバレー部に勝ってほしいと願った。

「それはお気の毒だね。それでも練習を続けるのはすごいよ、流石だ」

「いやぁ、だってさー!」

 信号に止まって、奈留莉さんはすたすたと僕の正面に立ってくるりと回った。テンションが上がって嬉しそうに話す奈留莉さんはふわふわとした口調で嬉しそうだった。

「あの、チア服どうしても一回着てみたかったの~! 瑛凛高校のオープンキャンパスからずっとかわいいっ! って思ってて――。どう? 似合ってるかなぁ?」

 どや顔でふざけて、アイドルがしてそうなポーズをとる。僕はそう言われ今一度全体像を見返してみた。

 基本紺色で統一されたチア服は、所々に入っているピンクのラインが目立ち、奈留莉さんの白い肌と赤紫の髪色によく合っている。スカートの丈が短く、ひらひらしているのもチア服特有の可愛さなのだが、黒いスパッツで安心だ。帰り道に変な人と出会ってしまったら、ときれいな顔立ちの奈留莉さんだから心配になるけど、大丈夫だろう。運動した後に冷えてはいけないのと、露出を控えるために上に着ている白いパーカーも含め、魅力的。コスプレといった感じがなく、本来のチアガールであるべきいいファッションだと思う。

「うん、似合ってるよ。とてもかわいい」

 僕は微笑みながら言った。僕にはファッションセンス、そもそもの素材がよろしくない、という問題点が山済みなのでちょっぴり羨ましくも思ってしまう。それに、人の服を褒めるという経験がないため、上手い褒め言葉を知らない。なので本心のまま、思ったことをそのまま伝えることにした。それが、何だかんだ一番だよね!

「…………へっ!? あ、あーそうなんだぁね……。小森くん、上手だね――」

「ん? なにが?」

 僕は首を傾げて疑問のまなざしを向けたが、奈留莉さんは顔を合わせてくれない。くるくる揺れるように動いていた動きは止まってしまい、そっぽを向きながら黙っている。まるで予想もしていなかったことを唐突に言われたみたいな変な声を出してもみあげ当たりの横の髪を触っていた。心なしか、耳が赤いような?

 ――何か、変なことでも言って怒らせてしまっただろうか。うぅ、だめだ。さっきから頭がちゃんと働いていないように感じる。平然でいることで精いっぱいなのに、会話もいちいち考えていたら……。この帰り道、奈留莉さんが隣って言うだけで僕は毎回……何だか、こう、変な靄が――。

 ん? 待てよ……。今はもう夏が近づいている時期。さっきの野球部や陸上部もそれなりに汗をかいていたし、チアの練習も木陰だとはいえ結構な時間はしていたはずだ。そして、顔が少しほてっているような様子……。

 も、もしかして――!?

「な、奈留莉さん! 奈留莉さん!?」

 肩をトントンとしながらこっちを向かせる。思わず名を呼ぶ声が大きくなってしまうが、気にしている暇はなかった。こっちを向いてはくれたが、それでも反応が少し遅い。さらに、なんだかくらくらしているようにも見える。

「……あ、どうしたの、小森く――――へぅ、ううええっっ!?」

 僕は、奈留莉さんのさらさらしている前髪をそっと上にあげて、目を閉じてからおでこをくっつけた。暑さは――ない。奈留莉さんは、急に奇声をあげて僕からがばっと距離を置いた。なななっ、なな――!! と言いながら目の中にぐるぐると円を巻き始める。

「なななっ、何やってるの!? 小森くんっ!?」

「何って、急に様子が変になるから! 大丈夫? おでこ辺りの頭痛は感じない? 無性に喉が渇いたり、めまいがしたりしない?」

「大丈夫、大丈夫、大丈夫だから!! もう……それは熱中症じゃなくて心配性だよ……。イレギュラーで予想できないのは――ホントにっ――」

 奈留莉さんは、鼓動を安定させるみたいに胸の前に手を置いて肩で息をした。少し鋭い目つきで僕を見ている。……よかった、熱中症とかじゃないなら安心だけど、じゃあ何だったのだろう? 疑問は蓄積されるが、とりあえずホッと一息。

 僕は首を傾げた。ぜぇぜぇと息を切らす奈留莉さんに、困惑しながらも色々と頭の中で言動に振り返ってみる。そんな僕の様子に呆れたのか「はぁ」と軽くため息をついてから、珍しいナーバスな表情を見せる。でもすぐにニコッと微笑んで信号が青になった。動かす足がまた動き出す。

 過ぎる時間は、夢の内容みたいだ。具体的に覚えていない。

 ただ、儚い。

 夕日が差し込める交差点に、自転車が結構通るこの道。遥か彼方の空で飛行機が通り、帰る途中の何軒かの家の前で夕飯のにおいが鼻をかすめる。ただ、くだらない話でお互いに笑い合って、時々挟む雑学に何度も驚いて、視界を盗んでたまに見る横顔に、勝手に鼓動が早くなってしまったり……。

 僕は、いつの間にかこの時間が『好きだ』という言葉では完結させたくないほどになっていた。

 それは唐突なもののように感じるけど、今思えば初めて会ったときからそうだったんじゃないか? 感情って変だ。色んなときに、色んな気持ちになってしまう。やけに素直になってみたり、誰にも張り合って負けたくないって思ったり、自分なんてやっぱりダメだって思ったり。

 いっぱいの項目で、パラメーターの割り振りはみんな違うけど、どうしても誰かに突き動かされたときなんかは……。大きく変わってしまう。

 僕は、その大きく動いた変化の時に、誰かにそれを伝えたくなる。

 悲しくても、嬉しくても、何でもなくても。

 誰かに、自分ってこうなんだよ! こう思ってるんだけど!

 って、無性に叫びたくなってしまう。

「――早いなぁ、この間まで桜が綺麗だったのに。季節はすぐに追いてっちゃうよ」

 少し前を歩く彼女をただ見ることだけしかできなかった。後ろ髪がゆらゆらと、舞い散る花びらのように揺らめき、髪の隙間から暮れた日の光がカーテンからの西日のように差し込める。

 こういう時に、目線に困ってしまう。何を見ていいのか分からない。経験がないから、思考だけが先走って頭の中でうにゃうにゃと絡まったイヤホンのようになってしまう。

 ただ、ホント気持ち悪い思考なのは分かっている。けど、ただ――。

 

 …………どうして、手をつなぎたくなってしまうんだろう。


「あ、もう着いちゃったよ。なんだかあっという間だねー」

 指先だけ伸びた手はズボンを掴んだ。振り返る奈留莉さんと目が合って、僕はようやく気付く。僕らは奈留莉さん家の玄関前にいた。

 ここ等一体と同じようような建築法をした一軒家で、何の変哲もないごく普通の家だ。とても広いわけでもないし、ただ窮屈でもない。姿形は、僕の家と少し似ている気がしなくもないが流石にこっちの方が居心地のよさそうな暮らしができる気がする。僕の家はあまりにも広い。広すぎる。ただでさえ広い家で、住人が僕だけというのなら、どこだってそうだろう。

「うん、そうだね」

 とく、とくとくとくとく。

 今日はいつにも増して、鼓動が騒がしい。

 車が道路を通る音がやけに大きく聞こえる。カラスの鳴き声がこんなにも耳に入ってくる。変だってわかっていることが、改善しようもうまくできない。息は苦しくならないし、体調が悪くもならない。

 ただ、なんとなくような気がして……。

 世間知らずの僕は、勘違いをしてしまう。

 

(僕は、奈留莉さんのことが――――)


「あ! そうだ、そうだ、そうだったぁ~。今日話したやつ絶対に見てよ? コメディーだから絶対に見やすいと思うし、いいお話だから!」

「……うん? あ、あぁーあれね! 分かってるよ」

「ホントにぃ~? 絶対忘れてたじゃん」

「忘れてないよ、頭から消えかけてただけ」

「それ、忘れるよりヒドいから!」

 僕らは、笑い合う。何よりもそれが、一番あたたかい。 

 さっきまで、大きく動いた変化を誰かに打ち明けたい、とか何だか、僕は偉そうでその場思い付きの言葉を言った。ほーんと。ただの一般人が何言ってんだ、ばかやろうって話なんだけど、それでもそういう風に思ったことは変わらない。

 けど、もういいや。撤回。

 

 打ち明けるなんて、そう甘い気持ちでしちゃいけないんだ。

 

 いつだって、この変わり続ける時間の中の幸せを堪能しておきたい。長く長く、ずっと味のするガムみたいに楽しみたい。そういう概念のものだと今日ここで気が付けたから、これ以上は噛み続けることができるのだ。

 変化なんて、すぐに必要なわけでもないし、その変化が絶対にいい方向へと変わる根拠なんて何もない。

「(だから、僕は、このままでいいや)」


 電柱と家々の隙間に、大きなの球体がちらりと見えた。沈みかけている夕日は役目を終え、タイムカードをきったのだろう。夜勤のお月様と変わる。ただ、それまでの時間がここからは長い。

 なかなか沈んでくれない夕日が、僕らにとっては好都合だ。日常の景色の一つに、水の中へ落としたインクの一滴のように段々と溶け込んで、広がっていく。何もしないのに、それだけで視線を奪ってしまう、脅威。奈留莉さんと僕は「わぁ――」と声を漏らしながら、ただ並んで眺めていた。

 二人の作る影は、明日へ伸びる。

 夕日を見たまま、奈留莉さんは小さめの声で言った。

「綺麗なオレンジだね」

「そうだね」 

 僕が言えたのはこの程度。それでもいい気がした。

「フィルムに映ったどんな画像よりも、綺麗な気がするよ」

 僕は、その言葉で奈留莉さんを見た。薄い肌にはただ一色だけが、染まっている。笑顔で、笑いながら見ている顔は確かに写真で撮る顔よりも頭に残った気がした。

 僕は思ったことをふと言ってみる。

「奈留莉さんってさ、たまにとても詩的な言い回しをするよね? 僕、それ好きだなぁ」

「うへっ!? きゅ、急にどうしたの! そんなこと言われると……何だか恥ずかしいじゃん」

 まるで背中に氷を入れられたみたいな声だ。夕日からの視線がすぐにこちらへとなる。微笑むような笑顔は歪んだ笑みのようになっていた。僕はその同様具合が面白くて笑ってしまう。

「あはは! ごめんごめん」

 奈留莉さん両腕でガードするみたいな変なポーズをとって、頬が赤くなってしまう。確かに、僕もそんなことを唐突に言われたら驚いてしまうかもしれない。しかも本人は思ってもいないことなのに。これは、反省だ。

 僕は夕日を見た。ただ、見ていた。さっきの奈留莉さんが少し面白くて、にやけながら見ていた。このまま日が完全に暮れるまで一緒にいたい、という訳にはいかないだろうけど、いつかは叶えてみたいなぁと考えてしまう。奈留莉さんが相手だと、時々緊張してどうしようもなくなってしまうときがあるけど、それでもこんな風にみんなといるときの延長のようなエピソードが僕は好きで――。

 とか、思っていたら袖を引っ張られた。控えめに引かれたその感覚は、奈留莉さんらしくない力量だった。まるで引き留めるみたいな……。

 僕はその方を向く。そこには、どこか今までとは違った表情のようで、ドキリとした。

 赤くなっている顔に、遠くをぼんやり見るような目の形。眉が内側を向いている。

 赤紫の前髪がゆらりと揺れた後、その隙間から除く綺麗な目が下から上へとみるように僕を見た後、奈留莉さんは正面を向いて息を吸った。

 「……小森くんが言ったような詩的な言葉は、結局こういう時になにも思い浮かばないけど。……それでも、私は伝えておきたいから――――」 

 奈留莉さんが僕の手を取った。お互いの胸の前で握る両手は、何か今までとは違う奈留莉さんのを感じたような気がした。

 緊張をしているのが、手に取るようにわかる。いつも天真爛漫で元気が取り柄みたいな彼女が、やけに落ち着いていて、かつ真剣であることに、僕の胃もだんだんと小さく、閉まっていくような感覚になってしまう。からりと乾いた喉で、生唾がうまく飲めない。開いた目の中で、瞳孔を何度も動かしながら僕は奈留莉さんの話を聞いていた。

「君が――小森くんが、一緒に鈴歌祭に出てくれるって言ったとき。私は本当にうれしかった……」

 夕日の眩しい横日は容赦なく僕らを照らし続ける。さっきまで並んで見ていた光は、いつの間にか僕らを引き立てる役割と変わってしまい、幻想的で神秘的な周辺はさらに緊張感を高めてしまう。それが自分に対する感謝の言葉であることだから、なんて返せばいいか分からなくなってしまう。褒められるのが、どうしても慣れていない。 

 内心おどおどしながらも奈留莉さんの瞳を見ていた。彼女は、次に目を少しだけ気まずそうにずらし、決意の強そうな視線で返してきた。

「――小森くんは、その……、正直心配だったんだ。君と出会ったとき、それはあまりにも…………衝撃的だったから……」

 ぐっと息を止めた。苦しくなったのは一瞬だけだけど、何か変な感じがで……。



■≪≫ □ ≪≫ ■ ≪≫ □ ≪≫ ■ ≪≫ □

 


 どこか遠くに見えた、点々とした。

 まるで1秒間の中に何枚もの写真をスクロールしているみたいな。そんなが――。

 奈留莉さんの声で全部忘れてしまう。それが何よりもうれしい。

 そう勝手と思った。

「久しぶりに見た小森くんは、まるで生まれ変わったんじゃないかって思うくらい――新鮮で。私の自分勝手な発想にものすごく考えてくれて……」

「自分勝手って、そんな……」

 こっちだって感謝している。

 仲間に入れてくれて、いいんだって思った。

 誘ってくれたことが、信じられないほど嬉しかった。

 もし、って考えたその予想の中の世界が、楽しくて楽しみで仕方なかった。

 その言葉をそのまま伝えようとしたとき。僕の手が解かれて、そっと頬へと持っていかれる。奈留莉さんの両手は僕の顔を包んだ。冷たくて、くすぐったい感触が顔のふちをそっとかすめて、赤くなる。顔との距離が近くて、まるでおでこを合わせているみたい。引っ張られる僕の頭には、強い力を感じる。

 でも、対し、その両手の平は。海の水を掬うかのように、優しい力量だった。

「私は、その思いが。ほんとに嬉しかったんだ――」

 震える声は、手のひらと同じように揺れている。怯えているような、怖がっているような、そんな手の痙攣と声の上下じゃない、ってすぐにわかる。潤んだ目を見ると、何故だか僕まで感情が揺さぶられるようだった。

 日の光は、僕らの顔の半分を照らす。僕の左頬は光を浴びる。

 奈留莉さんの顔の右側は、日の光に照らされ、逆側は影だ。闇だ。


 

 ――それは、刹那という言葉よりも早い一瞬。

 ――それは、絵に描いたような美しい情景。

 誰かにとって、『幸せ』を体現したような、一輪の花。

 だけど、その花はまだ咲かない。

 

 ――――ただ、咲き誇る前のつぼみは、つぼみのままで。

 ――美しいと言える。


 僕は、胸の内から上へとこみ上げてくるものを必死にこらえた。泣いているその姿に僕の中の器官が揺さぶられ、少し力を抜いたら崩壊したダムのようにあふれ出てしまう気がしたから。そんなことをしたら、僕らはもっと泣いてしまう。

 手をそっと放す。自分が泣いていることに気づいた奈留莉さんは、急いでパーカーの袖で涙を拭い、僕の方を見てにこっと笑った。

 涙が少し残っている。瞳というガラスの窓には、拭きとれない霧がはっている。

 その笑い方は、満面の花畑の中央で特に目立つ一輪の花のように、輝いていた。花びらの上にいくつか残る水滴が、日光と自分が持つ自分だけの色彩に映って――。

 それは、無限の色を放ち始める。

 家の前。長く居てしまったこの場所。奈留莉さんは、一歩家の方へと踏み出し、背中を見せる。それから、1息深めに息を吸って、いつもみたいにくるりと元気よく振り返り、何かをリセットしたみたいに――

「これからも、私が。いや、私たちで! 楽しいことをいっぱいしよう! どんなに辛いことがあっても、私たちがいれば全部喜劇にだってできるんだからっ! アイデア1つで、未来なんて何でも自由にできるんだよ? ほら、約束しよう!」

 小指をえいっという調子で突き出してくる。その顔と、言っている声のトーンがいつも通りの奈留莉さんに戻ったような気がして、僕はくすりと笑ってしまった。「もう、なんで笑うの! 私結構いいこと言った自信あるよ?」と怒られてしまう。その調子にまた僕は笑った。

 小指を突きだし、絡める。どんな結び目よりももう解けない。固くて、がっちりとした契約。それと選択。

 夕日を背景に、僕らはそれを誓った。

 

 スキップをして、楽しそうに。奈留莉さんは自宅の茶色いドアの方へと歩いていく。あんなに長く夕日と一緒にいたのに、その球はいつの間にかもう沈みかけていた。どんなに、ここで止まっていたんだろうか。段々と家々の明かりがあたりの暗さによって強調しだす前に、僕も帰ることにした。帰りが遅い自分の娘を心配して玄関の外に出てくる奈留莉家のご両親にばったり出くわしてしまったら、それはそれは気まずい。

 僕らは「また明日」「うん、じゃあね」と言って別れる。ぎこちない動きで手を振って、家の中に「ただいまぁ」と言う奈留莉さんを見送ってからいつも帰っている。前に、このやり取りを見られるのが何だか恥ずかしいんだけど、と言われたが、今日はもう忘れているみたいだ。僕も、何だか色々あって疲れているように感じた。今日くらいは早く寝よう。

 そう思いながら、奈留莉さんは玄関の前の少しだけ段差になっているところに上って扉の取っ手を握った。少しだけ開かれた家の中にはピンク色のサンダルが見えただけだった。さて、僕も帰ろうかと思っていたとき

 奈留莉さんは、体を傾けて、そして何一つ変わらない調子で。そして――

「小森くん、今日はありがとう! いつか絶対に小森くんの好きな人になってみせるから期待して待っててね!! ――それじゃあ……またね!」

 ガチャ。

 

「――――――ん???」

 

 僕は笑みのまま手を振って閉まった茶色い扉を見ている。帰りに何か述べた当のご本人はもう姿は見えない。ただ、ぱたんと止まった扉が唖然と笑みのままでいる僕を見返しているだけ。 

 振っていた手を下した。ピタッとは止まらなかった。ふりこの要領で何度かブランブランして止まった後に歩き出す。とりあえず、帰りましょ。表情は何だか崩れなかった。想像しやすいニコニコマーク((^_^))のまま、僕の道へと歩いていく。そこまでは遠くはない道のりだけど、結構この時間帯には車通りの多い道を横断する必要がある。会社帰りの会社員とすれ違う。赤信号を待ち、車が風を切りながら前を横切る。ご近所さん家の駐車場にその家族の父親の車が駐車している。

 僕は、そんな風に断面的にしか帰り道を憶えていなかった。アニメとかだったら、数秒ごとにシーンが移り変わって変な感じになっているだろう。でも、どのシーンでも僕は((^_^))の顔をしていた。

 約15分くらいだろうか。あまりにも体が微動だにせず徒歩を続けたせいか、数匹の猫ちゃんたちが体によじ登り『キャッツズアーマー』を発生させた僕は家につく。頭の上によじ登る一匹の猫の足のせいで視界は左目分しか見えていないが、それは紛れもなく家だ。マイホーム。決して、この猫ちゃんたちの帰る場所ではない。ていうか、ほとんど首輪ついてるし。

 プログラムで動いている僕の体は、ロボットダンスなどの大会だと優勝できただろうか。機械的の動きのまま家の鍵を開けて、大きな玄関のドアを開く。そのドアの開閉によって『キャッツズアーマー』は武装解除した。自由気ままにまとわりついた数匹の生き物たちは去り際のタイミングも自由だった。ただドアの動きと音に驚いただけかもしれない。今となってはそれも分からず仕舞いだ。キャッツ、にゃー。

「――――――」

 カチャリ。  

 鍵を閉める。戸締りの重要度は両手で数える指の本数に入るくらいだ。人生生きていく上で、何かに鍵を付けることは大切なキーとなっている。

 うまくないダジャレとともに、僕は目を閉じる。家の中は変わらず真っ暗で人はいない。変わらず、僕は一言もしゃべらない。急いで一人分の夕飯を作らないといけないのだが、それどころじゃない。

 少し俯く。段になっている玄関ではまだ靴を脱いでいない。靴底が結構暖かくなっているように感じる。自分のサンダル、お出かけ用の靴。その二足だけがぽつんと置かれている。下を向いていたら、いつの間にか目のところに影ができているように思えた。

 真っ暗の玄関。ひとまず電気をつけようとも思わない僕は、そのまま――。


 ばたん!! こてっ――。


 大きな音とともに正面から転倒した。

 転倒したのち、数秒フリーズして…………。

(バタバタバタバタバタバタバタバタバタバタ――!!)

 腕や足や腰。ともかく全てを動かして、それはそれは暴れた。ゼンマイを巻いたら動き出すおもちゃみたいだ。ごとごとと床が体の動きに合わせて音を出す。それでも僕はくたくたになるまで動き続けた。

 あのときの。ついさっき起こった出来事の、情景が……。

 それは走馬灯のように頭に映像として流れてくる。夕暮れに侵食されてしまいそうな橙色の視界に、淡い、揺れた髪の動きに似合う笑顔の形。

 でも、その中でも1つ。ずっと脳裏に焼き付いているセリフが1つある。今でも耳から離れてなくて、何度も聞こえてしまう。

「……小森くんの好きな人に…………。なるから……。――ッッッ!?」

(うううわわわあああああああぁぁぁぁ!!!!)

 うつ伏せになって、顔を両手で押さえてから足をばたばたさせる。玄関に置かれていたサンダルと靴を蹴り上げてしまったが、そのこと自体気にしている暇はなかった。冷たい床は僕の顔を冷やすのに、到底足りていない。

 腕の中で埋めた顔を少しだけあらわにして、気づいたことを口にした。

「……奈留莉さん――。かお、赤かった…………」

 あの時のセリフ「好きな人になるから――」。

 今でもその言葉の意図と意味がわかっていなくて、呑み込めていなくて、疑問符と星が頭の上をぐーるぐーる回り続けている。唐突なその言葉はあまりにも僕を困惑させてしまって、悩んで、考えさせて…………。

 でも。もし、文字通りの言葉の意味だとしたら。奈留莉さんは僕のことが――。

 ――。

 ――はっ!?

「いいぃぃやああぁぁ!! なに言ってんだ、僕ぅっ!? 消し去れ! 都合の良い解釈ぅー消え去れぇー! そのまま消えてしまえぇぇ!!」

 ゴンっゴンっゴンっゴンっ…………。

 また僕は床から音を震わさせる。両手を床について、考えに陥ってしまったこの脳みそを何度もたたきつけた。お陰で、さっきの暴れより結構な鈍い音を発しているわけだが、仕方ない。

 かつて、これ以上のロックファンは見たことがないだろう。これはヘドバンを越している。実際に、頭をぶつけているわけだからね。〝ヘッド・ばぁぁんっ!!〟だ。いい子はマネしないように、ってつけ足しておいた方がいいね。

 ゴンっ、ゴンっ――。正月の鐘の音のように聞こえてきたこの勢いは、段々と遅くなり、目の前の視界は次第に小さくなっていく。体が、限界のようだ。

「好きな人に、って――。とっくの前から、好きなんですけどー!!」

 ごんっ!!

 最後に自分自身と向き合うかのように大きな声で天井に叫んだあと、その体制のまま横へ、力尽きるように倒れた。

 このあまりにも阿呆で、異常で、幼稚である生き物が目を覚まし、氷嚢で頭を(2つの意味で)冷やすのは、結構先であった。



□ ■ □ ♪ □ ■ □


 

 時刻は、大体小森悠が家についた時刻と同じくらい。

 場所は、ごく普通の一軒家、その二階の小部屋。

 見るからに女の子っぽい部屋のカーテンやベッドに、趣味が一目で伝わってきそうな物々。ジャンル問わず様々な本で埋め尽くされた本棚。両脇のスピーカーとかっこいいゲーミングPC。ゲームやアニメのぬいぐるみ、フィギュアが並ぶ棚。そして綺麗に並べて飾られている、とあるミュージシャンのCDやエッセイ本。

 楽しそうで、個性の強い部屋にがいた。

 それは、ベットの上で枕に顔を埋め尽くしている彼女。

 足をぱたぱたさせ、「うぁぁぁぁ……っ!!」と籠った声が枕の隙間からモンスターの鳴き声ように聞こえてくる。

 こちらも、あちらと同様。手足や腰をぐねぐねさせ、暴れ。顔を覆っていた枕を勢い任せに投げ飛ばし、服類が入っていたタンスにぶつかり、枕が爆発した。

 中の綿や羽が部屋を充満する。かわらず羽の雨が降る中、奈留莉は自分の考え方を否定するような口調で

「ううぅぅぁぁぁぁああ!! 私、口走っちゃったあぁぁ!? 思わずっ! もっと、ちゃんと言うつもりだったのにいぃぃ~!! やめて、恥ずかしいっ! あんな去り際にかっこつけたみたいな形になっちゃったの、恥ずかしいぃぃ~!!」

 両手を顔に置いて、ベッドの上を横回転で何度も転げる。何十周かしたあと、急にぴたりと止まったかと思いきや、「うぐっ……」と小さく呻き声を漏らし、奈留莉の口から何やら透明のものが出てきた。

 それは、半透明の球体のようなもので、奈留莉の形をしている。奈留莉がそのままミニキャラサイズになって幽霊化したもののようだ。『魂』とでも言った方がいいだろうか。

 体外へと進出し、頭の上に小さな輪っかを付けたその魂は、ゆらゆら遥か上空へと昇っていき、やがて家の天井をすり抜けてどこかへ飛び立ってしまった。

 

 このあまりにも阿呆で、異常で、幼稚である生き物が目を覚まし、意識が(2つの意味で)正常に戻るのは、結構先であった。

 








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