第60話

俺を抱きしめたままの女性は言葉を続ける。

「お前がいてくれなければ、この子は…。改めて礼をいいます」

「そんな!俺なんかに…。ただ、いつも開いていないベランダ側の窓が開いていておかしいと思って」

「ありがとう。ラスティ、…今はもうあのひとが誰なのか分かるわね」

「……はい」

「後で伯爵様にも申し上げなくては。哀しいけれど、あのひとをこのままこの屋敷に置くのはもう無理かもしれない」

そう言って彼女は伏し目がちに息をつく。だが見上げている俺と目があうと、控えていた乳母のラウラに声をかける。

「すまないけれどイグナシオを連れて行って寝かせて頂戴。温めたミルクにほんの少しブランデーを落として飲ませてあげて。よく眠れるわ。まだ昼間だけれど。この子にとっては恐ろしい事が起きたのだから落ち着かせる為にもね」

「承知致しました。マッダレーナ様。さあさ、イグナシオ様、ベッドに参りましょう」

俺を抱き上げてラウラは明るい声を作り笑ってくれる。

「お母さま、ラスティ、おやすみなさい」

「おやすみなさい」

「おやすみなさい、若様」



遠い日の記憶…。

だが。開ければまだ心の傷は血を流したままだ。

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