第10話 あとがき
子供にとって小さな頃、親と言うのは絶対的な存在だと思う
まず誕生は母親の体内で十月十日プカプカしてからの出発だし、産まれた後は1人では何もできず(立つことはもちろん、寝返りやゲップすら自力ではできないのだ)何から何までしてもらってようやく少しづつ成長していく
そりゃ、親の言う事は絶対、家庭内の世界が自分にとっての世界の全てになるのも頷けるってもんである
それが少しづつ大きくなるにつれて外の世界を知っていく内に
ん?
ウチって他の家に比べて貧乏じゃね?
あれ、お友達は毎日手作り弁当なのにウチは週2くらいじゃね?(しかも彩りや栄養バランスという概念がない、まっ茶弁当ばかり)
と言うことに気が付き始める
皆さんも、ヨソのお宅が良く見えて羨ましくて、ウチは本当にダメだな〜なんてガッカリした経験ありませんか?
私は子供の頃、常にそう感じていて自分自身にがっつり劣等感を植え付けてしまった
どうして親なら子供の事を考えてもっと真っ当な生活環境にしてくれないのだ!
子供が外で恥ずかしい思いをしているのにそこんトコどう思ってる訳!?
などと親を恨んだ時期もあった
ただ今の自分に対しての言い訳にも聞こえるが、自分が親になってつくづく痛感している事がある
子供にとって絶対的な存在の親でも、世間から見たら、もしくはもっとバカでかい視点から見れば、(例えば今までの地球の歴史から見たなら)たかだか数十年人間やってきただけの未熟者に過ぎないのだ
親になったからと言って急に人間レベルMAXとはならないのである
しかも親として生きた年齢で言えば子供と同い年だし、そりゃ大して立派なモンじゃねーわ
と、ある時何だかスッと腑に落ちた
あ、別に親を馬鹿にしているとか下に見ていると言う事じゃないんですよ?
ただ自分がいい年になってきてようやく親と子と言う立場から、イチ人対人として親の事を見られるようになった気がするのである
今は父の幼少期の頃やどんな生き方をしてきたのかの話を聞くのが新鮮で面白い
(こう言う話を母と出来なかったのは後悔するばかりだ)
父なりに私たち姉妹の事を大事に思い、今も穏やかに見守ってくれていることには感謝しているし、何だかんだ言いながらやっぱり私は父の事が好きなんだと思う
毎週のように実家に顔を出すのは正直言ってすごく億劫だ
ただ、あの狭い部屋でちょこんと座っている父の背中が目に浮かぶと、『あ〜面倒臭え!』と思いながら電車に乗って父の元へ向かう私なのであった
《完》
それでも、親は親 うさ田ケリー @shan-naka
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