第5話

まだ矢吹は仕事をしていたので先に玄関の前で待つことにした。



今は12月。


白い息が見える。


マフラーに顔を埋めてコートのポケットに手を入れる。



「悪い」



自動ドアが開くと「待ったか?」と矢吹が出てきた。


「いえ。私もさっき来たばかりなので…それより仕事はもういいんですか?」


「あぁ」


「もしかしてわざわざ途中で切り上げてくれたんじゃ…」


「することなんて腐るほどあるから今日はただ息抜きしたかっただけだ」



矢吹が課長に昇進してからというもの、こうして会うことが当初に比べて大分減った。


忙しい矢吹は、表には出さないけどきっと全身疲れきってるはずだ。



「てゆーか寒いな」


手を擦りながら言った。


矢吹は私の手をポケットから引っ張り出して「冷えたよな」と続けた。


そして矢吹は「これ付けてろ」と手袋を差し出した。



「え、でも矢吹さんは?」


「俺はいー」


「ダメですって!矢吹さんが冷えちゃいますよ!」


私は矢吹の手を押し返した。


しかし矢吹は「いーから付けてろ。ただでさえ梨華は風邪引きやすいだろうが」とグイッと手袋を押し付けた。




いつも思う。


仕事のときは「冨永」なのに、それ以外のときは「梨華」って呼ぶ。


そのON/OFFの切り替わりに未だ慣れない。


「じゃぁ…お借りします」


「どうぞ」


ペコッと頭を下げると矢吹は微笑み返した。

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