十四話
僕の報告により、一瞬にして交通規制が行われ部分的なロックダウンが完成した。
内部にいるのはクラート所属の人間か、特殊武装警官や自衛隊などの攻防手段がある人間のみ。
また下水道へ向かう通路は即座に封じられ、同時に主要下水路につながる三つのマンホールだけが封印されずに残っていた。
そして、僕は古見路さんに拘束されている。
「逸らないでください、本当に相手が吸血鬼ならば下将でようやく対等な相手。貴方が生還した時点で、もはや大金星です」
「けど、伊勢さんが!! 助けに行かないと!!」
「ならば余計、幸いにも第三支部には小鳥遊上官というエースが存在しています」
ソレがどうした、そう叫ぶ僕に彼女は呆れ車から出ていく。
中には僕が一人、拘束されているだけ。
僕は無力だ、弱くて幼くて愚かなロバだ。
無力で、愚かで、何もできない。
何も、出来やしない。
そう、何もできやしないんだ。
「にゃん、ばっかだにゃー。ニャハハハ、にゃは?」
「……、猫山さん?」
だから、扉が開いて聞こえた声に僕は驚いた。
猫山さんだ、猫山さんが車の扉を開けて入ってくる。
彼女は僕を見て、滑稽だと笑っていた。
その姿は、僕を上から見下し嘲笑っているかのようだ。
いや、確かに彼女は僕を嘲笑っていた。
「僕の、僕のロープを解いて」
「にゃんで? にゃんで私はソレをしなきゃならないの?」
「ソレは……、ソレは僕が伊勢さんを助けにっ!!」
「はぁ? それで誰が助かるの?」
その顔からは、巫山戯た笑いが消えていた。
笑いがない、純粋な疑問が宿った顔だ。
ソレは僕を侮蔑する顔ではない、ただただ理解できない愚かな存在を見るような目だった。
僕は、言葉が出なくなる。
恐怖? いいや。
恐ろしいだけならば、僕がこんな思いを抱くわけがない。
恐ろしいんじゃない、話しが通じていない。
同じ言語を操っているだけで、同じ言葉を話していない。
彼女はより本能的な部分で、僕らの人間性と異なる性質がある。
例えるならば、それは獣性か。
「誰が助かるの? にゃ? ねぇ、そんな戯言吐く暇あるにゃら地面に頭を擦り付けて『降らない妄言吐いて御免なさい』じゃないのにゃ? 古見路に迷惑がかかってるにゃよ? 自分の愚かさを自覚した方がいいんじゃにゃいのにゃ?」
目が、爛々と光っている。
もしくは、目の前に蠢くネズミを見るように愉快に言葉を言い放っている。
チクリ、と。
痛みが走る、そのまま僕の太腿に血が垂れた。
何故? 猫山さんが、僕の足を引っ掻いたのだ。
垂れる血液を見て、笑いながら猫山さんは僕の傷跡を舐める。
僕は拘束されたまま、怯えるしかない。
「にゃにができるの? 新人の分際で、弱い癖に? 愚かな癖に。まともにも戦えない、特別な能力があるわけでもにゃい。馬鹿で愚図でノロマな君は、にゃにができるの? ねぇ? にゃにができるか答えてみてにゃ」
腹部を蹴られた、楽しそうに蹴られた。
理由なく殴られた、口の中が切れる。
成す術なく刺された、血溜まりができて。
痛い、痛くて仕方ない。
爛々と光る目が、爛々と動く腕が。
僕を虐めるために、僕に対して動いてくる。
「にゃんで逃げれたと思う? ソレは君が選択しなかったからにゃん。君は何も選択しにゃかった、君は何も選ばなかったにゃ」
「何、を……?」
「君は、愚かだにゃぁ? 伊勢を捧げて逃げただけの愚か者にゃ」
「何を、言いたいんだよ!! 何をさせたいんだよ!!」
僕の叫びに、笑うように彼女は返す。
いいや、笑いながら返す。
自然界で生きる獣に、遊びはない。
加虐という遊びは存在し得ない、何故ならば生きるために遊べば死ぬから。
だが、人の社会で生きる獣は違う。
生存を約束されているから、その獣は加虐を許される。
「にゃ、理由も意味もないにゃよ」
「じゃぁ、辞めてくれよ!! 痛い、痛いんだ!!」
「じゃぁ逃げにゃよ、十秒は待ってあげるにゃ」
「逃げれないじゃないか!! 僕は拘束されてるんだぞ!!?」
僕の言葉を無視し、十秒を数えて僕を殴る。
理由も意味もない暴行だ、唯々僕を殴る事を目的とした行動だ。
ソレは痛い、酷く痛い。
痛くて痛くて仕方がない、十秒か二十秒か。
ソレとも一分か、十分か。
もしくは、1時間か。
ずっとずっと続くその時間が痛い、痛くて痛くて涙が出てくる。
そうすれば彼女は笑い、余計に殴った。
殴るだけではない、殴るだけではなく爪で切り裂いて。
僕は全身が血だらけになった、そうなってようやく彼女は手を止めた。
「ねぇ、痛い? 痛いでしょ?」
答える力が湧かない、答える気力が湧かない。
ただ、彼女の声が耳に木霊する。
彼女の言葉が、僕の鼓膜を貫く。
「みぃんな、痛いんだよ? みんな痛い思いをして戦ってるんだよ? 君みたいに、無傷で生還するなんてあり得ないんだよ?」
言葉は、優し気で。
同時に、何処迄も愚かな子供に言い聞かせるような。
そんな、恐ろしいほどに優しい言葉だった。
「痛くて痛くて、辛くて辛くて仕方ないんだよ? 心臓の鼓動が次の瞬間には止まりそうで。だけど、生きたいって体が叫んでてさ? 怖いんだよ? 戦うってことは。なのに君は無傷で生還した、君は無傷で生き残った」
痛い、痛い。
言葉よりも、撫でられる傷が痛い。
彼女が僕の傷を抉るように触り、ソレが痛くてどう仕様もない。
痛くて、僕は気が狂いそうだ。
「許せる? 許せないよね? じゃぁ、どうする? 決まってるよね? ね、そうでしょ?」
「何が……?」
「君も、私と同じ目に合わせてあげる」
その笑みは、僕の心臓を抉るように。
僕の心を抉るように、闇を孕んだその顔は。
何処迄も、何処迄も。
狂気に染まった、そんな顔は。
泣きそうな彼女の、その顔こそは。
まるで、誰かに救いを求めているようだった。
時間が経過した、どうやら僕は気絶していたらしい。
目が覚める、僕を拘束していた全ては破壊されており猫山さんは既にいなかった。
如何するべきか、熱にうなされたような頭で考える。
真っ先に思い至ったのは、彼女を助けなければという思考だ。
彼女を救わなければならない、彼女を助けなければならない。
そのために、僕は何をするべきか。
ピーーーー、ポポポ……
電子音が聞こえた、その方向を見る。
車に搭載されていたテレビだ、そこから一つのニュースが流れていた。
そこに見えるのは、あの吸血鬼が伊勢さんを拘束しクラートへと宣戦布告している様子だ。
『期限は、日本時間午前八時まで。救い出せなければ彼女を殺し、地上へ侵攻します』
テレビから聞こえる音、リポーターの見解。
外の喧騒、夕暮れの音色。
鳥たちの囁き、心臓の鼓動。
ソレら全てを置いて、その言葉が焼き付く。
鼓膜に、脳裏に、何より魂に。
許せない、許されることではない。
人が死ぬのはダメだ、何より知っている人間が死ぬのは。
映像の中の吸血鬼が笑った気がする、映像の中の吸血鬼が笑いかけた気がする。
僕は、銃を掴んで立ち上がる。
古見路さんも、猫山さんもスキルヴィングを回収しなかったらしい。
だから、僕はあの吸血鬼に挑める。
僕はまだ、戦うことが許される。
「僕が、彼女を救うんだ」
その宣言は、虚空に消えて。
一つ明確なのは、車の中から僕が飛び出たことだけだった。
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