9①


 Xファイルを見たんだろうな――と、環兄ちゃんは笑った。



 別荘から帰ってきたのは、ほんの一時間ほど前。



 戻ってすぐに環兄ちゃんに連絡して、会う段取りを取り付けた。



 仕事終わりの環兄ちゃんと「居酒屋まるはち」で待ち合わせをして、会うなりここ数日にあった悲劇とも言える出来事を矢継ぎ早に話した。



 直後の環兄ちゃんの第一声が、Xなんとかを見たんだろって言葉だった。



「エックス……何?」


 眉を顰めて聞き返したら、「Xファイルだ」と環兄ちゃんは繰り返す。



 でも繰り返されたところで何ら意味は分かんねえから、眉は元に戻らなかった。



「Xファイル。知らないか?」


「知らねえよ。何のファイルだよ」


「アメリカのテレビドラマのタイトルだ。古いが有名だぞ? 確か映画にもなってる」


「はあ?」


  更に眉を顰めた俺とは対照的に環兄ちゃんは笑ったまま。



 可笑しいっていうよりも喜んでるって感じで笑ってるから、余計に意味が分かんねえ。



「じゃあ何? ルカはそのXファイルってのを見て感化されて、俺を拉致って山ん中連れてったっての?」


「多分な」


「多分って何で? 何でそう思うんだよ?」


「『特別捜査官』って言ってたんだろ? それならXファイルの可能性が大きい」


「はああ!?」


「俺もちゃんと見た訳じゃないから詳しい事は知らないが、XファイルってのはFBIの捜査官がUFOだとか地球外生物だとかに関しての捜査をするドラマでな。FBI捜査官の事を『特別捜査官』って呼ぶんだよ」


「ああ!?」


「瑠花さんは昔からXファイルをよく見てたし、久しぶりに見たんだろうなあ」


 呆れるくらい悠長に考えを述べた環兄ちゃんは、ひと口ビールを飲んでから煙草に火を点ける。



 自分がどれほどすっ呆けた事を言ってるのか分かってない感じだ。



 その説明で「ああ、そうですか」なんて言える訳ねえのに。



「待ってくれよ! 百歩譲ってそのXファイルっつーのを見たって事にしたってよ!? それで何でUFO探しに行こうって気になるんだよ!? バカだからか!? バカだから現実とドラマの区別つかねえのか!? ドラマの中の出来事がマジだと思ってるくらいバカって事か!? その所為で俺がどんだけ酷い目に遭った事か!」



――マジで酷い目に遭った。



 全体的に酷かったけど、最後が一番酷かった。



 山の斜面で眠りやがったルカと、あのあと結局陽が明け始めるまであの場所にいる羽目になった。



 陽が明け始めてようやく酔っ払いのバカ者どもが帰っていって、さあ別荘に戻ろうとルカを起こしたけど無理だった。



 体をいくら揺さぶっても、頬を強めに抓ってみても、ブタ鼻っ子は全く起きずにブーブー言うだけ。



 どうしようもねえから背負って別荘まで戻る羽目になった。



 別荘に戻ったら戻ったで大変だった。



 全員起きててルカがいない事に気付いてて、大騒ぎになってた。



 地元警察の奴らまで何人か来てたんだから笑えねえ。



 しこたま説教を食らう羽目になったのは言うまでもない。



 何をどうしてこうなったのか説明しても、俺が悪いって雰囲気は満載だった。



 こういう時こそルカが何か言ってくれりゃ片付くだろうに、ルカは俺の背中でブタ鼻っ子のままだった。



 ルカが寝室に運ばれたあとも何度も事情を説明させられた。



 何度言っても同じなのに何度も聞いてくるからムカつく。



 こっちはまともに寝てないし、疲労困憊してるっていうのに、二時間くらい事情説明に時間を費やされた。



 その後ようやく眠って、昼過ぎに目を覚ますと、すぐに帰る準備をさせられた。



 そして三十分後には帰路に着く車に乗ってた。



 もう深夜の騒動について誰かに何かを言われる事はなかった。



 みんながみんないつも通りに戻ってて、ルカもまたいつも通りに戻ってた。



 俺を「ハチ公」と呼び、訳の分かんねえ話をしてくる。



 それに対して適当に返事をすると、忌々しげに俺を見る。



 忌々しいと思ってるのは間違いなく俺の方なのに。



 そんな風に大変な目にしか遭ってねえのに、その原因がテレビドラマに感化されたって、どういうつもりだって思う。



 今時、幼稚園児でさえテレビドラマと現実とは違うって事くらい分かってるっていうのに、十六歳にもなる奴がその区別もつかないなんてどういう了見だ。



 どんな風に育ったってそこの区別くらい出来るだろう。



 いくら「普通」と掛け離れてても、それは出来て当然だろう。



 なのにあの野郎は――。



「瑠花さんは、テレビドラマと現実を混合してる訳じゃない」


 俺の思考を遮る環兄ちゃんの声は、ちょっと真剣だった。



「むしろそれが作られた世界だと俺たちよりもよく分かってる」


 その真剣さは俺の脳内を強制的にリセットさせた。



「そして誰より現実であればいいと思ってる」


 お陰で環兄ちゃんの言葉がすんなりと頭の中に入ってくる。



「現実であればいいってどういう事だよ?」


「そのままの意味だ。テレビドラマの出来事が現実にあればいいと思ってるから、宇宙人を探しに行ったんだ。もし宇宙人がいたら、テレビドラマは現実になる」


「はあ?」


「いると思って行った訳じゃない。いたらいいと思って行ったんだ。因みに俺も何度か行った事がある」


「え? マジ?」


「ああ。深夜に抜け出したりはしなかったけどな」


「って事は、あれってデフォルトの出来事って事かよ? あいつ普通に何回も宇宙人探しに行ってんのかよ?」


「そういうドラマとか映画を見た時にな。何を見たかによって行動は変わる。でも行動の根本は一貫してる。それが現実ならいいという考えだ」


「意味分かんねえし」


「そのうち分かる」


「あっ、じゃあもしかして、あいつが言う意味不明な事ってドラマとか映画の話なのか? 二日に一回くらいのペースで会うなり意味不明な事言われんだけど」


「ああ、そうだ。瑠花さんがするのは大抵ドラマや映画の話だ」


「前にルカに『アル何とかは本当にいると思うか?』って聞かれたんだけど、それも?」


「俺はその『アル何とか』っていうのは知らないけど、質問の仕方からしてほぼ間違いないだろうな」


「マジかよ、冗談じゃねえよ。そんな戯言に付き合ってらんねえっての。そもそも知らねえ話にどう答えろっつーんだよ」


「慣れの問題だ。慣れれば何て事ない」


「慣れたくねえよ。ってか、どんな根本があろうと、俺を巻き込むなっての。宇宙人だかUFOだか知らねえけど、探したいならひとりで行け」


「そこは諦めろ。犬だから仕方ない」


「それだよ、それ!」


「どれ?」


「環兄ちゃん何で俺にこんな訳分かんねえ仕事させたんだよ? いくら俺の将来の事考えてくれたっつっても、仕事内容がおかしすぎるだろ。サツキにはこの仕事俺に合ってるって言われたけど、どう考えたって合ってるようには思えねえし」


「サツキ?」


 不貞腐れた感じで文句を言ったら、環兄ちゃんは目を見開いてちょっと驚いた感じで聞き返してきた。



 意外な反応にびっくりしたけど、意外だと思ったのは環兄ちゃんもだったらしい。



「お前まだサツキと会ってんのか?」


 環兄ちゃんは驚いたような感心したような、何とも言えない声を出す。



「まだって何で? 普通に会ってるけど会ってちゃおかしい?」


「いや、長いなと思ってな」


「そうかなあ?」


「サツキ元気か?」


「おう。元気。上司の鼻毛で矢鱈と怒ってるけど」


「何だ、そりゃ」


 そう笑った環兄ちゃんは、「キレイになっただろうな」と懐かしむように呟いた。



 でもそれは、サツキの事だけを懐かしんでる感じじゃない。



 サツキに付属する人の事も懐かしんでる。



 むしろそっちの方を懐かしんでる感が強い。



――環兄ちゃんとサツキの兄貴は親友だった。



 俺自身はサツキの兄貴の事をあんまり知らない。



 同じ地元ではあったけど、ご近所でもない年上の相手とは話す事が殆どなかった。



 環兄ちゃんと一緒にいる時に偶々会ったら挨拶するって程度。



 だから顔は何となく覚えてるけど、声は思い出せない。



 今となっては、俺にはあの人の声を知る術はない。



――サツキの兄貴がこの世を去ってから随分と経つ。



 サツキの兄貴も環兄ちゃん同様「いい男」だった。



 ふたりが並んでたら迫力があった。



 男からも女からも好かれてたし、尊敬もされてた。



 そんなふたりの間には、偶にサツキの姿があった。



 サツキの兄貴はサツキの事を凄く可愛がってたんだと、環兄ちゃんから聞いた事がある。



 自然と、サツキの兄貴と一緒にいる環兄ちゃんも、サツキの事を可愛がるようになったと聞いた事もある。



 ふたりの「いい男」から可愛がられるサツキは、寵愛されるに相応しい外見をしてると、当時から俺は思ってた。



 そういう関係だったから、サツキは環兄ちゃんより年下なのに当たり前に「環」と呼び捨てにする。



 俺の知る限り、年下で環兄ちゃんを呼び捨てにするのはサツキくらい。



 ルカも呼び捨てにしてるけど、あいつは人間枠に入らねえから数には入れないとして。



 兎にも角にも、環兄ちゃんとサツキは親しい間柄だった。



 でもふたりは、サツキの兄貴がこの世を去ってから会わなくなった。



 必然って言えば必然なんだと思う。



 兄貴がいなくなったら、環兄ちゃんとサツキが会う理由も機会もない。



 それに環兄ちゃんは、つい最近まで「犬の仕事」で忙しかった訳だし。



 それでもサツキは未だに環兄ちゃんの話をする時、まるで今でもよく会ってるような話し方をする。



 環兄ちゃんのように懐かしいって感じを出したりしない。



 それがいい事なのか悪い事なのか俺には分からない。



「サツキは他に何て言ってた?」


 サツキと違って懐かしさを含んだ声で聞いてきた環兄ちゃんは、ツマミの枝豆を口に放り込んだ。



 細められた目にも懐かしさが混じってた。



「俺は面倒見がいいから、この仕事合ってるってさ。環兄ちゃんもそれを分かってて俺に仕事させたんだろうって」


「流石サツキだな。よく分かってる」


「俺には全然分かんねえんだけど。この仕事合ってるようには思えねえし。つーか、苦行にしか思えねえし」


「お前にぴったりの仕事だ。俺の知ってる人間の中じゃ、お前以外に適任はいない」


「犬が?」


「瑠花さんの犬が」


 環兄ちゃんは自信満々に言い切って、ジョッキに残ってたビールを飲み干す。



 どういう訳だかその態度が、これ以上サツキの話をするなって言ってるように感じた。



 気の所為だとは思うけど、そう思ってしまったから、



「そう言や、あのルカって奴変な事言ってたんだけど」


 少しだけ話題を変える事にした。



「まあ、変って言うなら、言ってる事全部変なんだけどさ。理論がおかしいっつーか、破たんしてるっつーか、辻褄が合わねえ事言うっていうか……」


「うん?」


「あいつ、人の名前覚えねえじゃん?」


「ああ」


「その理由って知ってる?」


「知ってる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る