9②
「そっか。なら話が早いんだけど、まあルカの言う理論は何となく分かるんだよ。筋が通ってるかどうかは別として、何が言いたいのかは分かる。個人として扱ってもらえねえって事に関しては、可哀想とすら思う。けどさ? 何であいつ、いつも傍にいる奴の名前を覚えねえの?」
「傍にいるって誰の事だ?」
「執事みたいなおっさん。家庭教師の名前は覚えてんのに、世話してくれてるおっさんの名前覚えてねえんだけど」
「ああ」
「あのおっさんの名前覚えてねえってのは、理論破たんしてね? おっさんは損得なしに傍にいるだろ? 仕事だからって理由なら、そりゃ家庭教師も一緒じゃん」
「いや、違う」
「違うって何が?」
「家庭教師と『執事のようなおっさん』は一緒じゃない」
「は?」
「瑠花さんの傍にいる理由が仕事かどうかは、名前を覚える事とは関係ない。要は相手が瑠花さんをどう思ってるかによる」
「相手って、家庭教師とかおっさんがって事?」
「ああ。相手が瑠花さんに真摯に向き合えば、瑠花さんもそうしてくれるし、名前も覚えてくれる。俺が知ってる限り、家庭教師の平野さんは、瑠花さんを大切に思ってるし、可愛がってる」
「じゃあ、あのおっさんは?」
「それこそ、仕事だから身の回りの世話をしてるだけだ。相手が瑠花さんじゃなくても同じようにするし、気に入った相手にはもっと親身になって接する。でもまあ何より瑠花さんは、あの人を嫌ってるからなあ」
「え? ルカってあのおっさんの事嫌ってんの?」
「酷く嫌ってる」
その環兄ちゃんの口調は、まるで「俺も」と言ってるようだった。
でもその真意を確かめるよりも、驚きが優先された。
ルカが「あのおじさん」って言った時点で好んでないのは分かってたけど、だからって「酷く嫌ってる」ようには見えない。
環兄ちゃんがそんな事で嘘を吐く訳がないのは分かってるけど、信じ難い事だった。
嫌ってるのが本当だとしたら、ルカは俺より何倍も精神的に「オトナ」だって事になる。
滅茶苦茶嫌いな奴に毎日身の回りの世話をされるなんて、考えただけで虫唾が走る。
好きじゃないとか鬱陶しいって程度なら苛めてやろうくらいは思うかもしれないけど、心底嫌いなら顔も見たくないと思うのは当然だと思う。
「そんなに嫌いなら辞めさせりゃいいんじゃね?」
率直な気持ちを言うと、環兄ちゃんはほんの少し笑った。
嘲笑にも思える笑みを浮かべて、
「世の中そう簡単じゃない」
小さな声で言った。
言わんとする事は分かる。
あの温厚そうな男を雇ったの、仙人爺様かルカの父親で、ルカがどうこう口出し出来る問題じゃないんだろう。
けど、ルカなら出来そうなのにと思う。
家族に寵愛されてるなら簡単だろうにと思う。
一言「嫌いだから辞めさせて」って言えば、あの温厚そうな男は即日解雇になるような気がする。
それが「言えない」のか、それを「言わない」のか、俺には分からないけど。
「……なあ、環兄ちゃん。ルカの事でもうひとつ聞きたい事あんだけど」
俺の言葉に「うん?」と答えた環兄ちゃんは、もう口許に嘲笑っぽい笑みを浮かべてなかった。
代わりに微笑みのような笑みをつくったから、「やっぱ格好いいな」と改めて思った。
「あいつ、何で学校行ってねえの?」
問いに環兄ちゃんは何も言わなかった。
「小学校も中学校も行ってねえって聞いたんだけど」
続けてした問いに、環兄ちゃんはちょっとだけ目を開いた。
その表情の意味はすぐに分かった。
「瑠花さん、そこまでお前に話したのか」
環兄ちゃんは、意外だと思ったらしい。
「話したっつーか、話の流れでそうなったって感じ。でもその話途中で終わったから理由は聞いてない。知ってんのは義務教育を家で受けたって事だけ」
「そうか」
「何であいつ学校行かねえの? 体が弱そうには見えねえけど、もしかしてガキの頃は弱かったとか?」
「いや。瑠花さんは至って健康だ」
「んじゃ、何で?」
「うん」
曖昧な返事をされたから、聞いちゃいけない事だったのかと思った。
それを裏付けるように、環兄ちゃんが俺から目を逸らしたから、聞いちゃいけない事だったのかと確信した。
けど。
「お前がどう思うか分かないけど」
環兄ちゃんはそんな前置きをして話を始める。
答えてくれるって事は聞いちゃいけない事でもなかったらしい。
ただ、逸らされた視線は俺の後方にある、壁に向けられてる。
「瑠花さんは私立の幼稚園に行ってたらしいんだが、そこでイジメられたらしくてな」
「イジメ? あいつが?」
「瑠花さんだからだろう。甘やかされて育った子供は多少なり我儘になるもんだろ? でも成宮の家で育った瑠花さんは甘やかされ方も半端じゃない。溺愛、寵愛、言葉は何でも構わないが家族のみんなに愛されて育った代償は、他の子供にとって気分のいいものじゃなかったんだろうな」
「つまり、我儘だからイジメられたってのか?」
「実際どうだったのかは知らない。俺も人から聞いた話だ。今はもういないが、成宮の屋敷に長く働いてる使用人がいて、その人から聞いた」
「でもイジメられるのか? 『成宮』なのに?」
「子供には関係ないからな。成宮だからイジメるなっていうのは通じない。親が注意したって小さい子供には理解出来ない。とにかく自分がどう思ってるかだけで行動するもんだろ」
「じゃあ、そのイジメが原因で学校に行かなくなったのか?」
「原因を何だと思うかは或斗次第だ。俺は人から聞いた話をしてるだけだ」
「へ? それってどういう――」
「まあ、最後まで聞け。聞いて自分で考えろ」
そう言った環兄ちゃんは、溜息交じりに話を続けた。
幼稚園でイジメられたルカは、当然幼稚園に行きたくないと言い出したらしい。
まあそれは、家が金持ちって事は関係ないし、家族に寵愛されてるからって事も関係ない。
子供なら誰だってそうなる。
行きたくないと言わないまでも、行きたくないと思うだろう。
ただそれを言い出したのがルカだった事が世間様との違いを生んだ。
ルカを寵愛してる家族は、全員一致で幼稚園に行かせない事にしたらしい。
誰ひとり反対しないって有り得ねえって思ったけど、環兄ちゃん曰く「母親がいなかったからだろう」って事らしい。
その頃はもうルカの母親はいなかった。
家族が男ばかりだから、そんな結論になった。
甘やかせ方が男と女とじゃ違うって事らしい。
もちろん『成宮』だからって事も大いに関係してるんだろうけど。
ルカを幼稚園に行かせないと決めた時、別の幼稚園に変わるって案もあったらしいけど、ルカがもうどこにも行きたくないと言ったから、その案は一瞬で消えたんだとか。
そして、その延長で小学校にも中学校にも行かせなかったんだとか。
ルカが行きたがらないなら行かなくていいじゃないか――と、バカみたいな理論が『成宮』の家で展開された。
簡単に言えば「登校拒否」になった訳だけど、それが絶対的なものになったのは、七歳だか八歳の時に起こった出来事が原因らしい。
その出来事は、『成宮』だから起きた出来事だと思う。
ルカの家族がルカの為にと「お友達」を連れてきた。
最初聞いた時、意味が分からなかったけど、要するに近所のガキと遊ばせようとしたって事らしい。
可愛い孫であり、可愛い娘であり、可愛い妹であるルカに「お友達」を作ってあげようという、家族の歪んだ愛が招いた事だった。
近所のガキを家に呼んで、ルカと遊ばせさせたんだとか。
近所のガキの親に頼んで、家に来るように仕向けたんだとか。
そりゃ親は断わりはしない。『成宮』の頼みなら喜んで聞く。
でもやっぱガキは所詮ガキでしかなく、残酷でもあった。
遊びに来た近所のガキは、やっぱりルカをイジメた。
マセガキ達はルカを「おかしな子」と認識したらしい。
間違ってはいない。
確かにルカは「おかしな子」だ。
ルカが『成宮』の人間じゃなかったら、表面上のものだろうと、好かれる事は滅多にないだろうと思う。
ルカの突飛な言動は、『成宮』だから通用してる部分が大いにある。
だけどガキには「『成宮』だから」は通じない。
ガキはそんな事が通用する世界に生きていない。
結局そこでもイジメられた事が決定打になって、ルカは小学校も中学校もいかなかった。
家族も二度と「お友達」を作らせようとしなかった。
何もかもが常識から少しずつズレてるような気がした。
話し終わったあと、環兄ちゃんは「どう思う?」と聞いてきた。
何も答えなかったら、「俺は瑠花さんが可哀想だと思う」と言った。
イジメられた事に対しての意見なのかと思ったら、そうじゃなかった。
「瑠花さんを可愛がる家族の対応が間違ってたと俺は思ってる。友達もいない可哀想な子供にしてしまったのは、家族の責任だ」
環兄ちゃんはそう言って、壁からテーブルに視線を落とした。
俺も同じ意見だった。
原因は家族にあると思う。
ルカがあんな人間になってしまったのは、家族の愛が齎した。
愛し方がもう少し違ってたら、ルカはもうちょっとマトモな人間になってたんじゃないかと思う。
――可哀想。
確かにその言葉がぴったりかもしれない。
自由気ままで我儘でどうしようもねえ奴だと思ってたルカは、内情を知れば知るほど可哀想に思えてくる。
金持ちだから幸せだって事ではないらしい。
金持ち故に不幸になる事もあるらしい。
そう思って考えたら、俺って結構幸せだなと思ったりした。
「俺、もうちょっとこの仕事続けてみる」
同情か憐憫かよく分からない感情が込み上げてきて、思わずそう言った俺に環兄ちゃんは「ああ」と笑った。
その顔を見ながらふと思った。
ルカが俺を「ハチ公」と呼ぶのは、俺の事をどう思ってるからなのか――と。
第二話 完
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