第22話 桜木ジロウの失踪

「……悪いことしてるみたいだね」

 口調とは裏腹に、ジロウの顔は嬉しそうだった。

「元々俺は二人で来たかったんだ。このくらい甘えてもいいだろう」

 ネビュラが指差した地上には、無事に復活を遂げたらしいミヤコら三人の姿があった。

「……うん。本当は私も、ネビュラくんと二人でお出掛けもしたかったんだけど……」

「また来ればいい。この星の夏休みは長い」

「うん。……だね」

 ジロウはホワイトタイガーの後頭部に顔を埋ずめた。今の顔をネビュラに見られたくなかった。

「……また来ようね。ここだけじゃなくて、水族館とか、映画とか、カラオケとか。あとプール……は、ちょっと恥ずかしいかな」

「今すぐ行こう」

「駄目だって。ジロウくんに怒られちゃう」

 ジロウは笑った。声が震えないように、ぬいぐるみに力を込めながら。


 ゴンドラは上昇を続けている。ジロウには一周目よりもゆっくりに感じられたが、それが気のせいだとも気付いていた。なので、その台詞を口にした。どうしても伝えておきたい言葉を。

「ありがとう、ネビュラくん」

「俺は何もしていないが」

「ううん。……ずっと優しくしてくれてるから。……私のことも」

「どんなジロウでもジロウだ。何も変わらない」

「男の子の身体に戻っちゃっても?」

「知っていたのか? その記憶はないはずだが」

 ネビュラが僅かに眉を上げた。

「コタロウお爺ちゃんが教えてくれたから」

「そうか。……それでも俺の答えは同じだ。いつか俺の隣にいるときに女性でいてくれれば、それでいい」

「ネビュラくんらしいね」

 ジロウは窓の外に向けて目を細めた。緑と青のコントラストが嫌に眩しかった。


「……二パーセント」

「聴き覚えのある数字だな」

 ポツ、とジロウが口から溢した言葉にネビュラは小さく頷いた。

「ジロウくんの中の、ほんの小っちゃなカケラみたいな? 女心とか乙女心とか、……あと恋心、とか。そんなのを集めてできたのが私なんだって」

「ジロウが聞いたら発狂しそうだ」

「ふふっ、ね。……でも、ジロウくんには小っちゃくても、私にとってはこれが全部だから。キラキラしてて、とても可愛くて。幸せで。夢みたいに素敵な時間をくれたジロウくんにも、ありがとうって、……本当は言いたかったけど」

 ジロウは小さなショルダーバッグから変身ブローチを取り出した。

「……まったく、ユメミも気が利かない」

 ネビュラは息を一つついて頭を振った。

「やっぱり気付いてたんだ」

「ミヤコたち、いや俺のこともか。わざとあの凶悪なコースターに連続で乗せて、距離を置こうとしただろう。三人には俺から詫びておくが」

「……スゴい。全部、お見通しだ……」

「ずっとジロウだけを見てきたからな」

「……」

 ジロウは寂しげに微笑むと、抱いていたホワイトタイガーのぬいぐるみを向かいの席に置いた。

「せっかく買ってもらったけど……私、たぶんもう消えて、全部忘れちゃうから。だからこの子は置いてくね」

 ネビュラは手を伸ばしてぬいぐるみを持ち上げた。

「預かっていよう。記念すべき今日という日を、俺は決して忘れることはない」

「記念?」

「ジロウの口から好きだと言ってもらえた。俺にとっては人生最良の日だ」

「……二パーセントなのに?」

「二パーセントでも、俺にはかけがえのないほどの価値がある」

「素敵な返事だね」

 ジロウは花が咲いたように笑った。


 ブローチを両手で包み込むように握り、ジロウは小さく「変身」と呟く。七色の光がゴンドラを包み、それが消えたときには一人の魔法少女がそこにいた。

「……じゃあ、行くね。私。夢丘さんが一人で戦ってるから、急がないと」

「ユメミなら多少危ない目に遭わせてもバチは当たらないと思うが」

「そうもいかないでしょ」

 ジロウは苦笑いでネビュラを叱った。内側からは開かないドアをこじ開けて、ゴンドラの外に身を乗り出す。そして床を蹴る前に一度だけ振り返った。

「ありがとう。最後に一緒にいてくれて。大好きだよ、ネビュラくん」

 ネビュラが返事をする前に、ジロウは青空に向かって飛び立った。

 地上で待ち構えていたミヤコら三人が見たのは、ホワイトタイガーのぬいぐるみを手に一人で観覧車を降りてきたネビュラの姿だった。




 同日夜。サイタマシティ郊外にある巨大物流倉庫の一区画で、翌日のニュースを騒がせることになるほどの大爆発が起きた。

 コードネーム『ハカセ』を首謀者とする犯罪組織『超科学連合』の本拠地が、二人の魔法少女によって壊滅したというのがその内容だった。

 ユメユメと別れたジロウは倉庫街を離れ、人気のない大通りをしばらく歩き。やがてアスファルトを蹴り、殴り、倒れ込み、ゴロゴロ転がってのたうち回った。

「……俺は、何を…………!!!!」

 全て憶えていた。自分の身に起きたこと。自分のしたこと。そして何より、ネビュラにまつわる出来事の一部始終。

「ぅわあああああっっっ……!!!」

 ゴロゴロ転がって転がってさらに転がって壁に激突し、生ける屍のようにゆらりと立ち上がった。

「もう駄目だ。今度こそ駄目だ」

 そのままゾンビの足取りで、ふらふらとどこかに向かって歩き出す。どこかなんて分からない。とにかくここではないどこかへ。

「……消えよう。もう、消えてなくなろう」

 そんなことを呟きながらジロウは夜闇の中に姿を消した。だがすぐ戻ってきた。財布もSuicaも、何も持ち合わせていないことを思い出した。


「ジロウが失踪しただと?」

「……あー……」

 翌日、桜木家。ネビュラとミヤコは二人を呼び出したハルヒコの口からその事実を告げられた。

「夜中に一回帰ってきて、なんか荷物をガサガサやってんのは聞いたんだ。そのあとまた出てって、それきり連絡もつかない」

「探しに行こう」

 立ち上がったネビュラのズボンをミヤコが引っ張った。

「落ち着いて、早乙女くん。……コタロウさん、これってアレ? アレが理由なの?」

「そうじゃな。おそらくジロウの記憶が戻った」

 買ってもらったらしい小さなビーズクッションに埋もれたコタロウが難しい顔をした。

「それが失踪する理由になるのか?」

 立ったままのネビュラが腕を組む。ミヤコは大きく息を吸って全部吐き出した。

「……忘れなかったんだ。やっぱり」

 ミヤコが漏らした呟きにハルヒコが頷いた。

「多分な。……ここ数日、俺も母さんも好き放題やったからなあ。家出したくもなるか」

「……何したの? あ、やっぱりいい。聞きたくない」

 ミヤコはハルヒコに手のひらを向けて首を振った。

「? 悪いが話が見えない。ジロウの記憶と失踪に何の関連性がある?」

「たまにスゴく鈍いよね、早乙女くん……」

「ネビュラよ。ジロウの記憶が戻り、ここ数日の記憶も失わなかった場合。いつものジロウなら何を考えると思う?」

 コタロウの問いにネビュラは思案を巡らせた。

「いつものジロウなら……、消えてなくなりたいとか言いそうだな」

「分かってるじゃない」

「では探しに行ってくる」

「だから落ち着けって」

 ハルヒコが玄関に向かおうとしたネビュラを羽交締めにした。


「……お兄さんも、コタロウさんも、心当たりないんですか? 桜木が行きそうな場所っていうか」

「それだ。ミヤコに言われてGPSを外してしまったからな。宇宙レーダーの圏外に出られると俺では追えない」

「え? ……ちょっと早乙女くん、その言い方だと私が悪いみたいじゃ」

「そうは言っていないが」

「……遊園地、は行ったしなあ。ゲーセンとかカラオケとか? 漫画喫茶もあるな。けど一五歳でも夜に入れたか?」

「こんなときにそんなとこ行く!?」

「もっと身のある答えはないのかハルヒコ」

「そんなん言われても、アイツの行きたい場所なんか……友達もロクにいない奴だし」

 誰も解答を持ち合わせておらず、重い沈黙が流れた。それを待っていたようにコタロウが口を開く。

「ワシが思うに、ジロウはハルエのところに行くのではないか?」

「ハルエ……あっ、京都のお婆さん?」

「あー……そっか。そうだな」

 ミヤコもハルヒコもすぐにその意味を察した。

「何をするにも、ジロウはまず男に戻りたいじゃろ。なら一度ハルエのところに行き、変身ブローチを直してもらう必要がある」

「……なるほどな」

 ネビュラはようやく落ち着きを取り戻し、スマホを操作しながら廊下に出た。そしてすぐ戻った。

「……桜木じゃないよね。誰と喋ったの?」

「ユメミだ。前回の件で奴が国内の監視カメラ全てにハッキング可能と聞いたからな。目的地の予測がつけば経路も掴めるだろう」

「……聞かなかったことにしていい?」

「俺も」

「ワシもそうしよう」

 ゲンナリとしたミヤコにハルヒコとコタロウも渋面で頷いた。

「ユメミからの連絡を待ちすぐ動こう。ひとまず俺は車を回してくる」

「えっ? 早乙女くん車持ってるの!? 免許は?」

 驚いたミヤコにネビュラは得意げに頷く。

「俺には宇宙免許があるからな。何も問題はない」

「……」

「いやお前高一だし、問題しかねーだろ。却下だ却下」

 このあとハルヒコとネビュラで揉めに揉め、結果、ネビュラの車にハルヒコの運転で出発することとなった。

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