第21話 デイドリーマー②
夏休み初日の空は青く高く晴れ渡り、太陽が上機嫌な日差しを燦々と降らせていた。
「遊園地日和だね! ね、姫ちゃん!」
「うん! 風が気持ちいいね」
大喜びのソラと、こちらも珍しくテンション高めのジロウが意気揚々と先頭を歩き、保護者顔のネビュラが付き従った。
少し離れて最後尾。
「……まだ朝なのに駿河、なんか疲れきってない? 大丈夫?」
ただ一人、頭上に黒雲を乗せたような顔をしたミヤコに、ナデシコが気遣いと怪訝さが半々の目を向けた。
「……ちょっと色々あってね。でも大丈夫だから。ごめんね織田さん」
ミヤコは虚勢を総動員して笑顔を作った。
本当に色々、ありすぎるほど色々あった。
二日間のテスト返却日と終業式。合計三日の登校日を、ジロウは記憶がないままの状態で過ごしたのだが。
「なんか桜木、また可愛くなってないか?」
元々の美少女の外見に内面の女らしさが加わって、ジロウはもはや三組を越えて学校中で無双状態となってしまった。
魔性と呼んでも過言ではないほどの魅力に心を撃ち抜かれた、主に上級生男子たちからの告白合戦。これは押し寄せる男子たちをネビュラが蹴散らし、ちぎっては投げてどうにか終息に至ったが。
「桜木ちゃんは私たちで守るから!」
「たち?」
「もちろんミヤコもでしょ?」
「ええ……」
ソラが謎の漢気を発揮して、巻き込まれたミヤコも三日間付きっきりでジロウのボディガードをする羽目になった。しかし。
「でもほんと、急に可愛くなったよねーっ」
「姫ちゃんて呼んでいい?」
「ええ……ちょっとソラ……?」
蓋を開ければソラが大ハシャギのやりたい放題で、結果としてミヤコは単純に二倍の気苦労を一人で背負い込むことになった。
「次大掃除だから、一緒に着替えよ」
色々あった中でも、決定打はこれだ。ついにソラがジロウを禁断の女子更衣室にまで招き入れてしまうという事案が発生した。
他の女子たちが歓待したのが不幸中の幸いだが、それがジロウにとって本当に幸いだったのかは、未だにミヤコの中で答えが出ていない。
ジロウはジロウで何も分かっていないのか特に疑問を抱くふうでもなく、ずっとソラの言いなり、いいオモチャになっていた。
「……記憶が戻ったらどうなるの、これ? 桜木……」
「おそらくは記憶が戻ればこの数日のことは忘れるじゃろ。苦労をかけて悪いがミヤコ、何とぞそれまでジロウを頼む。今は同性のお主が頼りじゃ」
「……そう言われると」
相談したコタロウにも頭を下げられ。ミヤコは今日の遊園地の日を迎えるまで、この世の不幸を一身に引き受けるような生活を送らざるを得なくなった。それが疲労の正体だった。
「……なんか、桜木の苦労がちょっとだけ分かった気がする……」
ミヤコの笑顔が自虐を帯び、ナデシコが苦笑いをしてポンポン肩を叩いた。
「まあまあ。でも、本当に可愛いよね。今日の桜木なんか特に」
「まあ……ねえ」
ミヤコは眩しげに顔を上げた。いつものハーフツインを編み込んでいて、服装は白地に白の花柄の入ったふわふわのティアードワンピース。軽くメイクもしていて、初夏の妖精か、あるいはそれこそ、どこぞのお忍びのお姫さまかと思えるほどの仕上がりだった。間違いなく母親の手による魔改造だろう。
「ナデシコは一つ間違えている」
ネビュラが立ち止まって、二人が追いつくのを待ち構えていた。宇宙イヤーで話を聞いていたようだ。
「? なんか間違ったっけ?」
「今日のジロウじゃない。今日『も』ジロウは可愛い、だ」
「…………」
「……早く行って、早乙女くん。後ろつかえちゃうから」
ミヤコは目障りな宇宙人の背中をバッグでグイグイ押した。何かが感染りそうで、直接触れたくなかった。
複合型レジャー施設、イーストサイタマ・アニマルパーク。その名の通り敷地の半分が動物園になっていて、五人はそちら側の門から施設に入った。ジロウたっての希望だった。
「あ、レッサーパンダ!」
「コツメカワウソ! 泳いでる!!」
「ミナミコアリクイ……♡」
「やっぱり好きなんじゃない」
ソラの手を掴んで小学生のように走り回るジロウに、ミヤコは遠くから冷静に突っ込んだ。どれもいつかの着ぐるみパジャマの動物だった。
ジロウのハイペースに牽引されて動物園は一時間強で回り終えた。その次は休憩と昼食を兼ねてレストランへ。
「ほら! ホワイトタイガーの赤ちゃん!」
「私も撮った。下手だけど」
「私も。結構レアらしいから。いいタイミングで来れてよかったよね」
ソラとミヤコとナデシコは互いのスマホを見せ合い、ジロウはネビュラが買い与えたホワイトタイガーのぬいぐるみを抱いてホクホクしていた。ネビュラのほうは湯呑みを片手にジロウを幸せそうに眺めており、その様子をミヤコが見咎めた。
「彼氏とか婚約者とかって言うより……」
「うん、お爺ちゃんだよねアレ」
「んんっ……!!」
ミヤコの台詞をナデシコが拾い、ツボだったらしいソラが両手で口を押さえて真っ赤になった。食べていた何かがどこかに入ったようだ。
「……それにしても」
嬉しそうにぬいぐるみを抱えたジロウは事情通のミヤコ目線でも可愛すぎるほど可愛らしい。だがそれをもし本来のジロウが見れば地獄のような光景としか思えないだろう。
ジロウの記憶が戻ればここ数日のことは忘れるとコタロウは言ったが。
「……もしも、万一。忘れなかったら? 今度こそ桜木、人生詰むんじゃ……?」
どうしても嫌な想像がミヤコの頭から消えない。
不意にジロウがぬいぐるみから顔を上げた。しかしネビュラの視線に気付いてすぐまた顔を伏せる。恥ずかしがり屋のミーアキャットのようで実に可愛らしい。可愛らしいのだが。
「……大丈夫。桜木はこのこと見てないし、ちゃんと忘れる。忘れるから」
ミヤコはブンブン頭を振って、恐ろしい想像が消えるように努力した。
午後になり遊園地ゾーンに移動すると、ソラがミヤコたちのほうに来てフォーメーションが変わった。ジロウとネビュラが前を歩き女子三人が見守る形だ。どうやらナデシコとソラで示し合わせていたらしい。
「王子と姫で乗り物決めていいから」
ナデシコが悪い顔で手を振り、ネビュラは「だそうだ」と乗っかった。
「織田さん……もうっ」
ジロウも照れながらも嬉しそうで、ナデシコとソラは計画の成功を喜んだ。この瞬間までは。
「……いやさ、決めていいとは言ったけど」
「……ねえミヤコ……地球ってこんなに回ってたっけ……?」
「知らない。……って言うか、次から事前に相談してよ、織田さんもソラも……」
二時間後。埼玉最恐と名高い最新型水上コースターに立て続けで五回乗らされた三人は平衡感覚を失い、屋外の休憩スペースのベンチにアザラシのごとくに転がっていた。
「……なんで姫ちゃんは平気なんだろ……」
ソラがミヤコに向けて呻き声を出した。ただ一人平然としていたジロウはネビュラが別の乗り物に連れて行った。
「恐怖心とか麻痺してるんでしょ……魔法少女なんてやってるから」
「あー、なる……。でも王子も凄いね、まだ余力ありそうだし……うっ」
ナデシコが口を押さえた。喋りすぎると危険な何かが込み上げそうだった。
「真っ青だったよ、早乙女くんも。ヤセ我慢じゃない? 根性だけはあるから……」
ミヤコは二人が消えた方向に血色のない顔を向けた。宇宙人でも乗り物酔いをするとは新発見だが、何かの役に立つとも思えない知識だった。
「……三人とも、大丈夫かな」
昇っていくゴンドラの中からジロウは休憩スペースの屋根を見下ろした。
「ミヤコもナデシコもしっかりしている。少しすれば回復して追いついてくるだろう」
「ネビュラくんも大丈夫?」
「問題ない。ジロウの隣にいるためなら、この程度のことは苦労でもない」
「……」
ジロウは頬を染めて目を伏せた。
観覧車に乗りたいと言ったのはジロウだが、向かい合わせでなく隣に座られてかなり緊張していた。
「楽しめてるか、ジロウ?」
「……うん。友達みんなと来れたし、動物園も見れたし。可愛かった……!」
「安倍川と馬場は残念だったな」
今回不在の二人は泊まりのリゾートバイトを入れていたことを心から悔やんでいた。
「あ……うん。でも今度三人で遊ぼうって言ってくれたから」
「そうか。なら良かった」
頷いたネビュラからジロウは視線を外し、ホワイトタイガーのぬいぐるみを抱く腕に力を込めた。
ゴンドラは頂上に到達し、下りに入る前に一度ガタンと大きく揺れた。少しずつ、少しずつ地上が近付いてくる。
「あのね……っ」
焦りを感じたジロウが、これまでにあったことを立て続けに喋った。今日のこと。学校でのこと。家でのこと。楽しかったことばかりを、息継ぎも忘れてネビュラに伝えた。それをネビュラは黙って聴いていた。
「……あ」
ガタン、ともう一度ゴンドラが揺れた。乗降補助のスタッフが見える。ジロウがキョロキョロと慌てだした。
「こうするんだ、ジロウ」
「えっ?」
突然、ネビュラがジロウの身体を抱き締めた。笑顔のスタッフがゴンドラのドアを開け、笑顔のままドアを閉めた。再びゴンドラは地上を離れ、良く晴れた空に向かって上昇を始めた。
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