第20話 デイドリーマー①
本当に記憶喪失かは分からないが、ジロウの様子が尋常ではないことだけは確かだったので、ミヤコはネビュラと共にジロウを家まで送り届けることにした。ナデシコも心配していたが、アルバイトがあるということで仕方なく駅で別れた。
「間違いないのう。ジロウは何者かに記憶を奪われとる。しかも魔法ではなく、機械か薬か、何かしら科学的な方法でじゃ」
「……」
ジロウの家のリビングルーム。
ソファに座ったミヤコは、隣に並んだジロウでも、ラグマットの上で胡座をかくネビュラでも、ビーズクッションに腰掛けたジロウの兄のハルヒコでもなく。
「ちょっと待って。なにコレ?」
テーブルの上に立っている、小太りの白猫のぬいぐるみをずっと見ていた。さらに付け加えれば、妙に年寄りくさい口調で喋るぬいぐるみだ。
「元に戻す方法は分かるか、コタロウ?」
「犯人を探し出して記憶を戻させるのが最善じゃろう。なんせ原因が分からん。迂闊に治療を試みれば精神が壊れる恐れすらある」
「……そうか」
ネビュラは目を伏せて思案に入った。「はい」と手を挙げたのはミヤコだ。
「……コタロウ、さん? だっけ?」
「いかにもワシがコタロウじゃ」
ぬいぐるみが頷き、ミヤコは渋面になる。目の前のぬいぐるみに瓜二つのぬいぐるみゾンビにクラスが襲撃されたのは昨日。忘れるほうが無理な話だ。ナデシコが帰っていて本当に良かったとミヤコは考えた。
「……なんで普通にいるの? 消えたよね?って言うか、そもそも死んでたよね? なんかゾンビになって散々暴れてたよね!?」
矢継ぎ早なミヤコの質問に、コタロウはキョトンとボタンのようなつぶらな目でミヤコを見返した。ちゃんと両目の揃った本来の顔は、思っていたほど可愛くはなかった。
「そっちの話もせにゃならんが、今はジロウの話を」
「……自分の説明が先だろコタロウ爺さん。どう考えても」
概ね状況を理解したハルヒコが苦笑いで間に入った。ジロウは何も分かっていない顔でミヤコとコタロウに視線を往復させていた。
「……確かにワシは死んでおった。じゃがジロウとそっちの若者、ネビュラと言ったか。二人の愛のパワーで浄化され、こうして無事に蘇った。ざっくり言えばそんな話じゃ」
「……ざっくりすぎ」
ミヤコは不満を顕にしたが、隣のジロウが耳まで赤くして俯いたのでそれ以上言えなくなった。どうやら「愛のパワー」という単語に反応したらしい。
「ハルエからジロウを守るようにと命令されていたのじゃが、うっかりポックリ死んでもうての。それでもワシなりに使命を果たそうとしたんじゃが、かえって迷惑を掛けたようじゃ。本当に済まんかった」
ぬいぐるみに深々と頭を下げられて、ミヤコはますます何も言えない。ただ。
「あ、でも。私と桜木のときは浄化とかしなかったよね? 何が違ったの?」
ふと思い出した疑問を口に出すと、コタロウは満足そうに頷いた。
「良い質問じゃ。それは出力の違いじゃな。あんな子供の遊びのような愛のパワーと、今回のを一緒にしちゃならん」
「子供の遊び……」
「前回の出力は約三パーセントじゃ」
「三パーセント?」
「ちなみに理論上なら公園で寝ているノラ猫同士でも同じくらいの出力が出る」
「その例え必要?」
腑に落ちない言い回しだが、そんなものだろうともミヤコは思った。あのときのミヤコとジロウは互いに顔と名前が一致する程度の認識だった。
「でもって今回のが約六七パーセント。内訳はネビュラの愛情が五〇パーセント、ジロウのが一七パーセント」
「ほう! 一七パーセントもか」
喜色を浮かべたネビュラにコタロウが腕を伸ばして肉球を向けた。
「勘違いしちゃいかん。友情や感謝、親愛の情で一五パーセント。恋心の類いは、心の中に散らばったカケラを拾い集めて、せいぜい二パーセントといったところか」
「どうなのそれ?」
「ゼロでなければ十分だ。そうか。ジロウはそんなに俺のことを」
「二パーセントだよ? ……まあ本人がいいならいいのかな」
グッと拳を握ったネビュラからジロウに視線を移すと、身の置きどころがなさそうに縮こまっていた。自分の愛情の分析を聞かされるのは確かに恥ずかしいだろうとミヤコは少しだけ同情した。
「……というわけで話を戻すが、ジロウの記憶を奪った犯人を探す必要がある。雲を掴むような話じゃが……」
「俺に考えがある」
ネビュラが立ち上がり、スマホを持って廊下に出た。誰かに電話をかけるようだった。
「……本当に、記憶ないの?」
ミヤコが尋ねるとジロウは顎に指を当ててしばらく考え、「分からないの」と消えそうな声で呟いた。その姿は完全に女子だった。
「……駿河さんも気付いたと思うが、おそらく男としての記憶が抜け落ちてる。えらく器用な話だがな」
「……ですよね、やっぱり」
ミヤコは渋々ハルヒコに頷いた。駅前で捕まえてからここまで、ジロウは一度も男子らしい素振りを見せていなかった。
「本人の中で消したい記憶でもあったのかのう」
「あー……」
コタロウの台詞にミヤコは心当たりがあった。だがハルヒコの前でする話でもないと、口に出すのは控えた。
「俺はこのままでもいいんだが」
「ちょっと」
ミヤコが窘めるとハルヒコはバツが悪そうに手を振った。
「まあ、そういう話でもないわな。……そうだな。俺の知識で他に考えられる手段としては、やっぱアレかな。ジロウ。何かやりたいこととか、行きたい場所はないか?」
「……それって?」
「記憶を取り戻すきっかけ作りだ。心因性の記憶喪失ならこういうのが効くこともある」
「なるほど? ……何かある、桜木?」
ミヤコとハルヒコが見守る中で、ジロウはウンウン唸りながら考え込んだ。やがて。
「あっ」
「何か思い出した!?」
「あ、ううん。そうじゃなくて……」
ジロウはモジモジと身体をくねらせる。
「やっぱ可愛いな、俺の妹」
「……弟でしょ、一応」
満足そうな顔のハルヒコの脛をミヤコは爪先で蹴った。大分遠慮がなくなっていた。
「あのね、駿河さん。私、……遊園地行きたい」
「遊園地ぃ……? こんなときに……?」
「あ、だよね!! ……ごめんなさい……」
ミヤコが苦々しく聞き返すと、ジロウは申し訳なさそうに顔を伏せた。
「遊園地か。悪くないな」
そこにネビュラが戻ってきて、さも満足というふうに頷いた。
「誰と電話してたの?」
「ユメミだ。こういう調査が得意そうだからな。二つ返事で快諾してくれた」
「……大丈夫なの? なんか高くつきそうって言うか」
ユメミと会った日の夜の出来事をミヤコは見ていないが、かなり問題のある人物だったとはジロウから聞いていた。
「もちろん報酬の話になったが、そこは気にしなくていい」
「……スゴく気になるけど」
気になりはするが、聞かないほうがいいというふうにも思った。地雷が埋まっていそうな予感があった。
「それでジロウ、遊園地は俺とでいいか?」
ネビュラが聞くと、ジロウは顔を真っ赤に染めて首をブンブン横に振った。
「……駿河さんと斉藤さん。織田さんと、できれば安倍川さんに馬場さんも。……もちろんネビュラくんも。仲がいいみんなで行きたいなって」
「そうか。二人きりではないのは残念だが、ジロウが望むならそれでいい」
「効果は分からんが、まあジロウにはいい息抜きになるじゃろ」
コタロウも賛同し、ミヤコもそうせざるを得なくなった。
「……じゃあ私がみんなに聞いてみる。もうすぐ夏休みだから、その辺かな……」
「うんっ! 嬉しい! ……ありがとう駿河さん!」
「……なんだかなあ」
思えば夏休みになったら祖母のところに行って男に戻るのだと、元々のジロウは宣言していた。それがこんな形で遊園地に。複雑と言うにも複雑すぎる心境だった。
ミヤコの心境はともかく、話はそんな具合にまとまったが。
「え? 俺は?」
ハルヒコが間抜け顔で自分を指差した。こういうところはジロウと良く似ていた。
「え? 行くつもりだったんですか?」
「そりゃそうだろ、可愛い妹の一大事だ!」
「だから弟だって」
ミヤコはハルヒコに白い目を向けた。呆れ果てていた。
「駄目! お兄ちゃんは留守番!」
そんなハルヒコにジロウが一喝。その威力はミヤコの想像を遥かに超えていた。
「……分かった。その台詞が聞けただけで俺は満足だ」
「羨ましいぞハルヒコ。俺もお兄ちゃんと呼ばれてみたい」
「駄目だ。いくらネビュラくんでも絶対に許さん。これは兄の俺だけの特権だからな」
「この二人……」
ハルヒコとネビュラが特別に馬鹿なのか、それとも男とはこういう生き物なのか。ミヤコには判断がつかなかった。
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