第19話 桜木ジロウの消失
「おめでとう」
「やめてくれ」
「おめでとう桜木」
「いや本当に」
「おめでとーっ!」
「やめろって言ってるだろ!!」
「え」
「あ」
運悪く怒鳴り返されたソラがミヤコに泣きつき、ジロウはこっぴどく叱られた。
「……いや俺が悪いか……?」
「怒鳴ることないでしょ。一応みんな善意でお祝いしてるんだから」
「善意とは……」
何かと言えば、全て昨日の話だ。不可抗力とはいえクラス全員の前で濃い味のラブシーンを演じることとなり、ネビュラとジロウ、通称『王子と姫』はすっかり公認カップルになってしまった。
「休学したい」
そんなことをボヤきながらジロウは帰って行ったが、三日目の期末テストを休める性格ではなかった。そして登校してみれば案の定朝からこの扱いだ。
「もう嫌だ。何もかも忘れて、一から人生をやり直したい」
「滅多なことを言うなジロウ。義母さんが悲しむぞ」
「誰のせいだ。って言うかお前のせいだからな、全部。あと義母さん呼びもやめろ」
「別にいいだろう。名実とも恋人同士になったんだ」
「名も実も赤の他人だ!」
ジロウは思い切りネビュラの尻を蹴飛ばしたが、上機嫌でむず痒そうにされるだけで余計に腹が立った。
一年三組の誰もが「無事に期末が受けられますように」という世にも珍しい願いごとをしたこの日。願いが天に届いたのか、何事もなくテストが始まり、何事もなく終わったのだが。
「……帰る」
「ちょい待って桜木」
ジロウは終業のチャイムと同時に暗い顔で立ち上がった。それを呼び止めたのはナデシコだ。
「このあとどっか、お昼行かない? ちょっと喋りたいし」
「……あ。いや。……実は出動するんだ。またその、……怪人が出たみたいでさ」
ジロウは少しだけ躊躇ったが、もう三組では魔法少女の話を秘密にする必要はない。それでも声が抑えめになったのは習慣というか当然ではあるだろう。少なくとも大声でする話でもない。
「……そっか。じゃあ気をつけて。無理しないでさ」
「ああ。……ありがとう」
ナデシコをに温かく見送られ、ジロウはなんとも複雑という顔で出ていった。
その三〇分ほどあと。ナデシコはミヤコとネビュラを連れて駅前のバーガーキングダムを訪れた。昼過ぎの時間帯で混雑していたが、少し待てば窓側のテーブルが空いて三人で座れた。
「……王子さまさあ。もうちょい桜木に寄り添ってあげれない?」
開口一番、ナデシコのそれは苦言だった。
「王子が桜木を大好きなのは分かってるけどさ。ほら、桜木もともと男子じゃん? 急に女子になってただでも苦労してるんだよね。ツブれちゃうよ? このままじゃ桜木」
「……ふむ。ナデシコにはそう見えるか」
「……」
ミヤコはハンバーガーにかぶりつきながら隣のナデシコを横目で見た。そのギャル風の見た目から、これまで人種が違うと思って避けてきたが。いざ腹を割ってみると誰より常識があって、思慮も思いやりも持ち合わせている。ネビュラが素直に話を聞くのもその辺りが理由かもしれない。
「だからさ。押せ押せじゃなくて、もうちょっと? 桜木の気持ちを尊重して、長い目で見てあげて欲しいって言うかね」
「全くもってその通り」
完全に同意してミヤコも頷いた。ネビュラはほんの少しだけ考えてからコーヒーで喉を湿らせた。
「俺は常にジロウの意志を最優先としているが」
「そうかもだけどさ」
「まあ聞けナデシコ。……だが一方で俺自身が少々、性急で強引な手法を採っていることも自覚している」
「少々……?」
出会った日からここまで、徹頭徹尾、ネビュラが強引でなかった記憶がなく、その心情がついミヤコの口から漏れ出した。
「先に言った通り、俺はジロウの意志を尊重する。だが俺の望む決断をジロウが選択するよう、可能な限りの手は尽くす。それが俺のやり方だ」
「間違ってはない……のかな?」
ミヤコは言い包められそうになったがナデシコは違った。
「にしてもやりすぎ。手段を選ばないって言ってるようなもんだし、実際選んでなさそうだし。昨日のあの大怪我からキスまで持ってった精神力は単純にスゴいけど」
「痛みへの耐性は訓練したからな」
「訓練でどうにかなるレベル?」
思わずミヤコは突っ込んだ。
「……桜木がしんどそうなの、見てられないからさ」
「それについても同感」
今度は挙手をつけて、ミヤコはナデシコに賛同の意を表明した。
「口で言ってるほど桜木、早乙女くんのこと嫌いじゃないと思うけど、やっぱり追い詰めすぎじゃないかな。何もかも忘れて人生やり直したいとか、かなり限界だよね」
「ふむ……」
ネビュラはミヤコに返事だけして黙り、しばらく無言での食事の時間となった。
「俺は、見極めたいんだ」
三人ともに食べ終えた頃、ネビュラがポツリと呟いた。
「見極め?」
ミヤコとナデシコが同時に聞き返す。ネビュラは「ああ」と軽く頭を振って、冷めたコーヒーを飲み干した。
「ジロウが俺の求婚を受け入れる可能性についてだ。男である限り俺と結婚しないとジロウは言った。それは理解できる。だが女性であればどうなんだ? やはり無理なのか? それとも僅かでも可能性は残っているのか?俺はそれが知りたい」
「早乙女くん……」
「本当に可能性がゼロなら俺も考えを改める必要がある。決してジロウを不幸にしたいわけじゃないからな」
「……」
ナデシコはどうか分からない。だがミヤコはこのネビュラの台詞に少なからず驚いた。この宇宙人の口から、弱音とも取れる発言が出たのを初めて聞いたからだ。
なのでミヤコはこれまでになく真剣に言葉を探した。二人の関係を一番近くで見てきた自覚と、それなりの責任感があった。
「……ずっと男子として生きてきたわけだからね、桜木。記憶とか経験値とか? 女子になってもそれはなくならないから、やっぱりちょっとやそっとじゃ……」
「ちょっとゴメン、駿河」
ミヤコを遮ったのはネビュラではなくナデシコだった。
「あれ、桜木?」
窓の外。ナデシコが指を伸ばした先に、ネビュラとミヤコも目を向けた。
ふわふわと夢遊病者のような足取りで歩くピンク色のフリルドレスに身を包んだ少女が、雑踏に飲み込まれて消える瞬間だった。
「ジロウ!」
「桜木!?」
急いで店を出た三人が呼び止めると、ジロウは驚いた顔で振り返った。
「あ……ネビュラくん。それに駿河さんと織田さんも。……どうしたの? そんなに慌てて」
「どうしたの、って」
ナデシコは続く言葉を探し、ミヤコは小声で「駿河さん?」と首を捻った。
「無事かジロウ? 怪人はどうなった?」
ネビュラが肩に手を置くと、ジロウは頬を赤く染めて恥ずかしそうに俯いた。
「ネビュラくん……近い」
「ネビュラくん?」
「……どうしたの桜木?」
ミヤコだけでなくナデシコも異変に気付いた。何かが決定的におかしい。
「別にどうも……あっ、怪人は頑張ってやっつけたよ!」
褒めて、と言わんばかりの顔。
「?」
「?」
「そうか。偉いなジロウ」
ミヤコとナデシコは顔を見合わせ、ネビュラはジロウの頭を優しく撫でた。
「えへへ……」
頬を染めたまま嬉し恥ずかしそうにはにかむジロウに、ミヤコは首を捻りすぎて筋を違えた。
「痛たた……」
「……何してんの駿河?」
「いやだって、織田さん。絶対におかしいでしょ、この桜木。本当どうしちゃったの? 早乙女くんも、どう思うコレ?」
「どうもこうも。俺にはジロウはジロウにしか見えないが」
「駄目だこの人。……ねえ桜木、私のこと分かる? 何があったか、ちゃんと説明して」
ミヤコが詰め寄るとジロウはネビュラの陰に隠れて腕をギュッと掴んだ。
「駿河さん……ちょっと怖い」
「ミヤコは一体どうしたんだ?」
「いや私じゃなくて。あー……もう!」
ミヤコはネビュラの頬を引っ叩いてやりたい衝動に駆られたがギリギリで堪えた。
「……もしかして桜木、記憶喪失?」
「え!?」
腕を組んだナデシコの言葉に、ミヤコは再度ジロウの顔をまじまじと眺めた。どこか自信のなさそうなのは普段通り。だがいつものやさぐれた、どこか世捨て人のようなそれではなく、強いて言えば小型の愛玩動物のような表情。
「……怪人に何かされた? 桜木?」
ジロウはミヤコの質問にプルプルと首を振った。
「じゃあ……それ以外で、何か変わったことあった?」
今度はナデシコが尋ねた。ジロウは顎に指を当てて上を向いたり下を向いたり、忙しく首を動かしてから「あ」と声を漏らした。
「お爺さん……」
「お爺さん?」
ミヤコが眉を寄せるとジロウはピュッとネビュラを盾に身を隠す。その動きがいちいち可愛らしいのが腹立たしかった。
「……腰が痛くて動けないお爺さんがいて。助けてあげたところから、なんかずっと頭がふわふわしてて……」
「それだ」
ナデシコが指を鳴らし、ミヤコはネビュラの顔を見上げた。
「……どう思う? 早乙女くん」
「ふむ」
ネビュラはジロウを振り返る。ちょうど上を向いていたジロウは慌てて俯き、恥ずかしそうに身を縮めた。
「良く動く首が小鳥のようで愛らしいな」
「おい」
おそらくはこの場にいない本来のジロウに代わって、ミヤコは全力でネビュラに突っ込んだ。
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