第18話 王子と姫③

 翌日。期末テスト二日目。朝のホームルームが終わって、一限の日本史が始まるまでの短い休憩。

 ガラッとドアが開き、それが姿を現した。

 チェーンソーを引き摺った、太った猫のぬいぐるみ。否、ぬいぐるみゾンビ。

「……またかよ……!!」

 誰かが全員の思いを代弁した。

「……コレだ」

 ミヤコは昨日から胸に残ったままのモヤモヤの正体を知った。どうやらジロウすら失念していたようで、青い顔で頭を抱えていた。

「それにしても……」

 ミヤコは低く呟いた。もともとホラーじみていた見た目が、さらにひどいことになっている。両目の穴からは闇が溶け出たような黒い液体を垂れ流し、口の部分が耳まで裂けて、赤黒い中身(?)が見えている。そして何よりその手に持った凶悪なチェーンソー。

 ぬいぐるみゾンビはホラーを超えて、スプラッタホラーの住人にグレードアップしていた。

 思えば昨日のタコ先生にはまだ愛嬌と言うか、コミカルさのようなものがあったが、ぬいぐるみゾンビにはその要素が微塵もない。不思議なほど教室が静まり返っているのは、声も出ないほどの恐怖に支配されていたからだとすぐに判明する。

 ぬいぐるみゾンビがチェーンソーのロープを引くと、不吉なエンジン音と共に錆色の刃が回転を始める。それが合図となって、クラスのあちこちからやっと悲鳴が上がった。生徒たちは一斉に逃げ出し、教室の隅にひと固まりになった。


「……魔法効かないんだよねアレ、どうするの桜木?」

「ちょっと待て。今考えてる……」

 ミヤコに耳打ちされたジロウはぬいぐるみゾンビを睨みながら指を噛んだ。ジロウの秘密を知った者を始末するだけの存在。何故こんな重大なことを忘れていたのかと悔やんだが、それはあとだ。

「……クラス全員にキスとか?」

「やるわけないだろ」

 ミヤコもジロウも前回どうやって窮地を脱したか憶えていたが、それがこの場で活きるとは思えない。

「……ヤツが動けなくなるまで、完全に壊す。それしかない」

「魔法効かないのに……?」

「だから、その方法を考えてるんだ」

 生徒たちが固唾を飲んで見ている前で、ぬいぐるみゾンビはヨタヨタしながら準備運動のようにチェーンソーを振り回している。反動が大きくバランスが取りにくいのだろうが、生徒たちにはその様子が不吉な死のダンスに見えた。

「……どうする。何か、何か手は……」

 ジロウはかすれた声で呟いた。相手は腐っていても魔法生物。生徒たちを守りながら素手で戦える相手ではない。悩んでいるうちにぬいぐるみゾンビは準備運動を終えて、生徒たちのほうに顔を向ける。大きく裂けたその口がニタリと笑い、運悪くその正面にいた馬場が「ひっ」と声にならない叫びを上げた。

「破壊すればいいんだな?」

 ネビュラの声と宇宙ビームの発射音はほぼ同時に聴こえた。


 光線銃から放たれた一条の閃光が、チェーンソーを握るぬいぐるみゾンビの腕を貫いた。耳障りな声を上げてぬいぐるみゾンビがのたうち回る。そこに追い討ちで二射、三射とネビュラが宇宙ビームを放った。四肢がちぎれ、ぬいぐるみゾンビの手から落ちたチェーンソーが床に転がった。

「やった!」

「スッゲえ、早乙女!」

 歓声が巻き起こるが、ネビュラは止まらない。光線銃を手放し、素手でぬいぐるみゾンビに飛び掛かる。

「ネビュラ……?」

「魔法生物ならどこかにコアのような心臓部分があるはず。それを破壊するべきだ」

 ジロウの声に声だけを返し、ネビュラは躊躇いもなくぬいぐるみゾンビの口に腕を突っ込んだ。ぬいぐるみゾンビもネビュラの腕に噛みついたりと必死の抵抗を見せたが、ネビュラは歯牙にも掛けなかった。

 そのまま体内をまさぐり、目当てのものを探す。

「……どこだ。体内でなければ、頭部のほうか?」

 一度腕を引き抜いて、ネビュラはぬいぐるみゾンビの頭を引きちぎろうと首に手を掛けた。そのとき。

「ネビュラ!!」

 ジロウの叫びは間に合わなかった。床に転がっていたはずのチェーンソーがひとりでに動き、無防備な背中に襲い掛かった。




 悲鳴は上がらなかった。生徒の誰からも。ネビュラ本人からも。

 凍りついたような教室の中で、チェーンソーによる痛恨の一撃によって根元から断ち斬られたネビュラの腕が宙を舞い、そして床に落ちた。肩と腕、二つの切断面から同時に血が噴き出して、瞬く間に床に血溜まりができた。

 あるいは声は上がっていたのかもしれないが、ジロウの耳には入らなかった。

 チェーンソーは勝手に動いたのではなく、ぬいぐるみゾンビがちぎれた手足を魔法で操って動かしていたのだと分かったが、ジロウはそれにも関心を抱かなかった。

「ネビュラ! おい! ネビュラ……!!」

 ただ自分の声だけが鼓膜を叩いていた。

 そこでジロウの記憶は一旦途切れる。


 意識が戻ったとき。目の前には血溜まりの中に倒れ、荒い呼吸を繰り返すネビュラの姿があった。

「しっかりしろ! ネビュラ!!」

「……ジロウ。奴はどうだ? 破壊できたのか?」

 ネビュラに言われて目を向けると、ぬいぐるみゾンビは無数の魔法矢によって黒板に釘刺しになっていたが、そこから抜け出そうとまだもがいていた。ジロウは力なく首を振った。

「そうか。……なら愛のパワーを使え、ジロウ」

「……え?」

「本気の愛のパワーなら魔法を凌駕する。奴に引導を渡せるはずだ」

「なんでお前がそのことを……」

「宇宙百科に載っていた」

「またそれか……じゃなくて! ならネビュラも知ってるだろ。愛のパワーには相手が必要なんだよっ! 一体誰と……いや、まさか、お前」

 ネビュラの意図に気付いたジロウの顔から血の気が引く。ネビュラはごく僅かに頷いた。

「俺となら最大出力の五〇パーセントは約束されている。俺のジロウへの想いは本物だからな」

「……いや、それは、流石に……」

「頼むジロウ。奴にトドメを……っ!」

「ネビュラ!!」

 初めてネビュラが苦痛の表情を見せた。これだけの大怪我で普通に喋っていたほうが異常だったのだ。


「………………」

 短い時間だがジロウは悩みに悩んだ。そして意を決した顔で血溜まりに踏み込み、ネビュラをそっと抱え上げた。

「……ユメユメさんとのとき、呼んだら本当にすぐ来てくれたよな」

「ああ。呼んでもらえて嬉しかった」

「昨日もだ。俺を庇ってくれた。今日も俺の代わりに、……こんなことに」

「俺が自分で選択した行動だ。後悔はない」

「……これまでも何度も怪我を治し……手当てしてもらった」

「当然のことだ」

「だから俺のこれは感謝の気持ちだ。間違っても愛とかそういうのじゃない」

「……何が言いたいのかと思えば。それで構わない。十分だ」

 ネビュラが頬を緩め、ジロウも笑った。そして。

 ゆっくりと、恐る恐る顔を近付け。ジロウはネビュラの唇に自分の唇を重ねた。


 ジロウとネビュラを中心に生まれた光が教室をピンク色に染め上げた。魔力よりも強力な愛の力が大きな奔流となって、ぬいぐるみゾンビに叩きつけられる。かつてコタロウという名だった白猫のぬいぐるみは跡形もなく消え去った。

「……やった、のか………………!!!?」

 顔を上げようとしたジロウの背と頭を、強靭な腕が押さえつけた。口が塞がれていて呼吸ができず、ジロウが亀のように暴れた。解放されたのは窒息死する寸前だった。

「……お前! ……ネビュラ! 腕! 腕はどうなってるんだ!!?」

 四つん這いのまま他の生徒たちのほうまで逃げ去ったジロウが振り向くと、ちゃんと両腕の揃ったネビュラが肩を竦めていた。

「治ったな。これも愛の力か」

「いや嘘だろお前! 自分で! 宇宙パ……いやその、クソっ! クソっ!!!」

 律儀なジロウはそれ以上何も言うことができず、真っ赤な顔で地団駄を踏んだ。


「終わったの……? 助かった?」

「って言うか桜木、そのカッコ……」

 声を掛けてきたソラとナデシコの目線につられてジロウは自分の身体に目を落とした。白いロングドレス。それと肩越しに見える大きな翼。

「うわ、なんだコレ!?」

 声に出してから、ユメミの言っていたアルティメットモードだと気付いた。

「たぶんアルティメットなんとか、だよね」

「えっ!?」

 ソラの口から自分の思い浮かべた単語と同じものが出てきてジロウはひどく驚いた。

「たしかこう。五〇年くらい前に、女王って呼ばれてた伝説の魔法少女だけがなれた、究極の魔法少女? だっけ?」

「なんで斉藤さんがそれを……?」

「ウチのお兄ちゃんがスッゴい魔法少女オタクでねー。何回も聴かされて憶えちゃった」

 何故かソラが胸を張り、ジロウは額を手で押さえた。熱が出てきた気がした。しかも話はここで終わらない。

「えっとね、その魔法少女が、えーと、そうだ、ハルエって人?」

 ジロウの肩がビクッと跳ねた。

「知ってるの、桜木?」

 ミヤコの質問にジロウは観念したように肩を落として項垂れた。

「……俺の婆ちゃんだ、それ」

「えええっ!?」

 話を聴いていた、つまり三組の全員が声を上げた。

「……っていうことは何、桜木、女王さまの孫ってこと?」

 ミヤコも流石に驚きを隠せない。

「……いや、俺もそれ初耳だけど。婆ちゃんの現役時代なんて知らないし」

「じゃあ何、……マジでお姫さまなんだ、桜木」

 ナデシコはむしろ感心していた。

「……そういう話じゃなくないか? 多分あだ名とかで、本当に女王さまとかじゃないだろ。そんな話聞いたこともないし……」

 もう誰もジロウの言い分など聞いていなかった。もちろん先程の濃厚なキスシーンも忘れてはもらえず、三組ではこの日一日中、改めて『王子と姫』というビッグカップルの誕生に沸き続けた。

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