第10話 魔法少女VS宇宙人

 その日は朝から蕭々と雨が降っていて、屋上のドアの前に立つミヤコの肩はしとどに濡れていた。ドアの上の小さな庇では十分に傘の役目を果たせていないためだが、本人はそのことに気付いていない。ミヤコの意識は鮮血の流れる肩を押さえてうずくまる魔法少女と、冷たい金色の瞳でそれを見下ろしている黒タキシードの宇宙人に向いていた。

「……なんなんだ。何がどうしてこうなってる、ネビュラ!」

 女子の声に男子の口調でジロウは叫んだ。

「同じことを二度言わせるな、ジロウ」

 瞳と同じ硬質の声。ネビュラは握った光線銃の銃口をジロウの胸元、ちょうど変身ブローチのある辺りに向けた。

「!!」

 二度目の宇宙ビームは一瞬前までジロウがいた場所を通り抜けて屋上の床を焼いた。

「流石に身が軽いな」

 高く跳んでフェンスに着地したジロウにネビュラは口元を歪めて三たび銃口を向ける。

「……理由を言え! なんで俺とお前が戦ってるんだ!」

「理由? 決まっている。仕事の時間だからだ」

「仕事……?」

「ではもう一度だけ言おう。母星から通信が入った。よって俺は公人としての目的を果たすために、この星の侵略を開始した」

 三度目の宇宙ビームは空中を貫いた。フェンスを蹴ったジロウはそのままの勢いでネビュラに体当たりをした。二人の身体は屋上を転がり、上になったジロウが拳を振り上げる。だがその拳が振り下ろされることはなかった。

「……もうやめろ、ネビュラ。俺はお前を殴りたくない」

「何故だ?」

「! ……それは……俺が、お前を友達だと思ってるからだ」

 頑固な勘違い男でも。わけのわからない言動で何度困らされても。近くにいたのも、怪我の治療も、ネビュラにはジロウとは違う感情とか思惑があったのだろうが、それでも助けられてきたことだけは事実だった。

「甘いな」

 ネビュラはその長い脚でジロウを思い切り蹴飛ばした。小柄な魔法少女の身体は不意を突かれて宙に舞った。

「桜木!」

「動くな」

 思わず庇の下から飛び出そうとしたミヤコに、ネビュラは鋭い眼光を向けた。


 この日、金曜日の朝。普段より随分早く目が覚めたミヤコは、支度を済ませるとすぐ家を出た。今にして思えば虫の知らせというやつだったのだろう。下から屋上に人影が見えた気がして昇ってみれば、そこで魔法少女と宇宙人が対峙していた。そして現在に至る。

「形勢逆転だな」

 受け身も取れずに屋上に落下したジロウに、ネビュラは何度目かの銃口を突きつけた。

「……くっ」

 苦しげに呻いたジロウの口元には血が滲んでいた。落下の拍子に切ったか噛んだかしたようだ。

「悪いがジロウ。俺はお前を友達と思ったことは一度もない」

「……!!」

 ネビュラは光線銃を投げ捨て、ジロウの胸ぐらを変身ブローチごと掴んで無理矢理立ち上がらせた。そのまま締め上げていくとジロウの顔が次第に赤く染まり、空気を求めた口が大きく開いた。

「もうやめて! 早乙女くん!!」

「それはできない相談だ、ミヤコ」

 我慢できずに叫んだミヤコに、ネビュラは声だけを返した。

「目的を果たすまで俺は止まらない。止めるには俺を殺すか、あるいは」

 ネビュラの手の中でバキと何かが割れる音がした。

「ジロウが考えを改めて俺のプロポーズを受けるか。二つに一つだ」

 ふっとネビュラの手が緩み、ジロウの身体が崩れ落ちそうになる。しかし次の瞬間にはネビュラの腕に抱きかかえられていた。

「…………お前……何をした」

 両手でネビュラを突き放したジロウは、自分の胸を見て表情を変えた。紅潮していた顔から血の気が失われていく。ヒビ割れた変身ブローチを急いで握って「変身解除!」と声に出して念じた。

「……駄目だ。また戻れない……」

 絶望に染まった声に、金髪金眼の宇宙人は満足そうに頷いた。

「どうやら目的は果たしたようだ」

「……ネビュラ。お前、まさか」

 ジロウは愕然とした顔で金髪の宇宙人を振り返った。

「今この瞬間からジロウには女性として生きてもらう」

「まさか……早乙女くん、最初からそれが目的で……?」

「男である限り俺と結婚しないと言っていただろう。だからジロウには女になってもらった。祈るのは主義じゃなくてな」

 満足げな笑みを湛えたネビュラを、ジロウは化け物にでも遭遇したかのような目で見た。

「……それにしても、いくらなんでも、やりすぎじゃない!?」

 ミヤコが目を向けた先。ジロウの怪我はいつの間にか治療されていて、そのことだけは安心したが、あくまでそのことだけだ。

「ジロウが本気を出せば俺も無事では済まなかっただろう」

「そういう話じゃないでしょ」

「戻れ! ……頼む、戻ってくれ!」

 いつの間にか雨の上がった屋上に響く悲痛な声。フラフラ歩き回りながら、必死に変身を解こうと何度も悲しい努力を繰り返しているジロウが何とも哀れだった。




「……どうすればいいんだ、これから……」

「安心しろジロウ。ちゃんと制服も用意してある」

 どこからか取り出した女子の夏服をネビュラがジロウに手渡した。

「……」

「ちなみに義母さんにもハルヒコにも話は通してある。今夜はすき焼きで祝うそうだ」

「…………お前」

 ジロウは全てを諦めた顔で、トボトボと貯水タンクのほうへ歩いていった。

「……ねえ早乙女くん。全部嘘だったの? 侵略とか、通信が来たとか」

 自然と責める口調になったのは仕方がない。ミヤコはまだネビュラに腹を立てていた。

「ジロウに変身させる理由が必要だったのは事実だが、嘘ではない。実際に侵略は始めている」

「そうなの!?」

「ああ。手始めに賃貸だった住居を購入した。駅からそこそこ近く、拠点として便利だったからな」

「……それ侵略?」

「母星からの通信も事実だ。毎日、あまりにうるさいので箱に入れてクローゼットに放り込んであるが」

「…………」

 ミヤコは驚きを通り越して完全に呆れていた。思えばネビュラは平然と嘘をつく。一度はそれで助けられたが、悪事に向くとこれほど厄介なのだと、心に留め置くことにした。


「……着替えたぞ」

 おずおずと、だがヤケクソのような顔で着替えを終えたジロウが戻った。

「……うん。似合ってる、桜木。これならどこから見ても女子で通用すると思う」

「……そうかよ」

 ミヤコとしては精一杯のフォローのつもりだったが、ジロウには響かない。

「うむ。思った通りだ。これほど可愛らしい女学生は宇宙にもそうはいないだろう」

「…………」

 ジロウは知る限りの罵詈雑言を頭に思い浮かべたが、一つも口には出さなかった。何を言っても無駄だと分かっていた。

「……で、どうすりゃいいんだよ、俺は」

「ああ。担任の山田にも話は通した。一度職員室に寄ってから教室へ行くようにとのことだ」

「……なんて説明したの?」

 当然すぎる疑問はミヤコが口にした。

「世の中には不思議なこともあると」

「……」

 スラスラと話すネビュラに、ミヤコもジロウ同様、全ての感情を失った顔を見せた。



「えー…………、そういうわけで、桜木くん、さん? が今日から女子になりました。皆さん、改めてよろしく」

 困惑を隠せない山田先生の発言に、当然ながら教室中がどよめいた。

「え……桜木?」

「アレが?」

「てかおい、スゲー可愛いな」

「……」

 穴があったら入りたいというより、入るための穴を今すぐ掘りたいとジロウは願った。色々ひどい目には遭ってきたが、今回のこれは格別だった。

「どうしちゃったの? 桜木??」

「ねえ! スッゴく可愛いんだけど!!」

 ホームルーム後に駆けつけたのはナデシコとミヤコの友達、斉藤ソラ。この二人が意外にも気が合うのだとはこのとき初めて知った。もちろんそれどころではなかったが。

「いや……色々あって」

「色々つってもこうはならないでしょ。何、ビビデがバビデみたいな話?」

「えっ、桜木ちゃんプリンセスだったの?」

「……ちゃん……いやプリンセスって、斉藤さん。そんなんじゃないから」

 ジロウはがっくりと肩を落とした。注目を浴びたことのない人生で、初めて注目されたのがこの状況とか、あまりに辛すぎる。ちなみにネビュラのプロポーズ事件は精神の安定のため本人不在によるノーカンということにしていた。

 一限の予鈴が鳴り、ジロウはあからさまに助かったという顔をしたが。

「……まあいいや。今度詳しく聞かせてね」

 ヒラヒラと手を振りながら立ち去ったナデシコの背中に、多難すぎる前途を思わずにはいられなかった。


 なおこれは余談だが。このときのソラのプリンセスという言葉が派生して、女子たちの間である隠語が生まれる。

「王子と姫」

 見た目だけなら抜群に麗しいネビュラとジロウをそれぞれ指し示すあだ名だが、ジロウがそのことを知るのはもう少し先の話だ。

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