第9話 桜木ジロウは男子高校生
「このところは怪人もネビュラも大人しくしてくれて助かる」
ジロウの口からそんな呑気な台詞が出た日の昼休み。
「……」
席に座って地蔵のように固まっているジロウを、数人の女子が囲んでいた。織田ナデシコを筆頭とする、派手な外見の女子たちだった。ネビュラがバスケ部の先輩に呼び出されて不在になった間隙を突いての出来事だ。
「で? どうなの?」
「……いや、どうって、織田さん。全然話が見えないんだけど……」
ジロウが水圧に押し潰されたような声を出した。それもそうだろう。ナデシコの第一声から「どうなの最近?」で、ジロウとしては何を聞かれているのかも不明のままだ。
弁当派やパン派の学食を使わないグループの生徒たちは、固唾を飲んでその状況を見守っていた。ちなみに彼らは全員ナデシコの質問の意味を正確に把握している。ミヤコもまたその一人だが、間に入ろうとはこれっぽっちも思っていなかった。巻き込まれたくないというのが隠す気もない本音だった。
「だからー」
痺れを切らしたナデシコがジロウの机を拳でゴンゴン叩いた。来る、とミヤコが身構えた。ついに、このときが来てしまった。
「ネビュラくんとその後どうなのって話!」
「………………?」
鳩が豆鉄砲、いや、特大の豆バズーカを食らったような顔をジロウは見せた。
「……その後?」
「だから! されたんでしょ、プロポーズ!ネビュラくんに!」
「は…………??」
ジロウは呆けた顔のままフリーズした。そして数秒後、器用にグルッと首だけでミヤコを振り返った。その不気味な挙動に寒気を覚えながら、ミヤコは両腕で大きなバツを作った。「私は喋ってない」という意思表示だ。
「な……なんで知ってるんだ、それ? 織田さんが……?」
ギリギリと軋んだ音が出そうな動きでジロウの首が元の位置に戻る。
「キモい。……それはいいとして、だってネビュラくん本人が言ってたんだし。なんなら三組全員知ってるけど?」
「全員…………!!?」
ジロウは立ち上がって教室中を見回したが皆顔を伏せていて誰とも目が合わなかった。
「全員? え? 全員?」
もはやナデシコの質問どころではない。ジロウはそれだけを繰り返す壊れたお喋りロボットのようになってしまい、ナデシコは長い溜め息をついた。
「……今日はいいや、もう。何となく分かったし。詳しくは駿河に聞いて、桜木」
「え? 私?」
いきなり飛んできたボールに、ミヤコは自分の困り顔を指差した。
「……何してくれてんだよ、お前……」
放課後、アーケードの喫茶店。客はジロウとミヤコとネビュラの三人だけ。やむなくミヤコがいつぞやジロウ不在時に起きた事件の顛末を説明し、ジロウは顔面蒼白で頭を抱えていた。
「俺は事実を述べただけだ。恥ずべきことは何もない」
清々しいほど堂々としたネビュラの態度にジロウがガバッと起き上がった。
「いや恥じろよ! 恥じ入ってくれ!」
「声大きい、桜木。……でも今回のは本当にただ巻き込まれただけだもんね。一応断ってるんだし、プロポーズ」
「それは過去の話だ。未来的にジロウが求婚を受け入れる可能性はまだ消滅していないだろう」
「なにそのポジティブ脳」
ミヤコは恐怖を覚えて身震いした。
「……あのな、ネビュラ」
ジロウが深刻そうに息をついてから口を開いた。
「何だ?」
「……お前は男で、俺も男だ。お前がどう思ってるのか知らないけど、理解するまで何度でも言ってやる」
「その件か。問題ない。すでにジロウの元々の性別が男なのは理解した」
「だから、理解してようがなんだろうが……え? は?」
「お前は男なんだろう、ジロウ。それでどうした? 続きを話せ」
間抜けな顔でネビュラを指差し、パクパクと口を開閉しているジロウにミヤコが無言で頷いた。
「じゃ……じゃあ、諦めてくれたのか? その、……俺とその、結婚したいとか言ってた話……?」
まだ半信半疑という顔で、ジロウは恐る恐るネビュラに尋ねた。
「? 何を言っているジロウ。俺はお前の出自など気にしない。将来的に、俺の横にいるときに女であればいい」
「お前こそ何言ってるんだ……?」
「……」
誤解が解けたのに事態は一層混迷を深めたように見えて、ミヤコは首を捻った。
「……話はここまでだ。怪人が出た」
アイスオレを急いで飲み干して、ジロウが席を立った。
「前から思ってたんだけど桜木。なんで怪人って分かるの? 魔法センサーとかそういうの?」
「よく知ってるな、駿河」
ジロウが驚いたが、ただの当てずっぽうだった。どうせそんなところだろうという予測が当たっても特に喜びはない。
「こんな街中で変身するのか、ジロウ?」
「あー……どこかのトイレでも借りる。公園とか」
「分かった。なら制服は俺が回収しよう。落ち合うのは学校の屋上でいいか?」
「……そうしてもらえると助かる。悪いな、ネビュラ」
自分の分の代金を置いてジロウは店を出ていった。
「……一緒に行かなくても分かるの? 早乙女くん。どこの公園のどのトイレとか。それも宇宙センサー?」
「いや。宇宙レーダーはあるが、そこまで精度が高くない。なのでジロウには密かにGPSを付けてある。問題はない」
「GPS……」
問題しかない気がしたが、ミヤコはこの件もそれ以上触れないことにした。火傷しそうな予感があった。
あまり遅くなるようなら帰るつもりで、ミヤコもネビュラに付き合って学校に戻り、屋上ですっかり冷めたたい焼きを食べていた。ネビュラが買ってくれたものだ。
特に話すこともなく、ミヤコはスマホでネットニュースとSNSを交互に眺めていた。タイミングが良いとジロウの情報がリアルタイムで入ることがある。
「あ……終わったみたい。桜木、勝ったって」
この日はSNSが早かった。野次馬の誰かが上げた情報を見て、ミヤコはネビュラに声を掛けた。
その数分後、魔法少女姿のジロウが空から屋上に降りてきた。
「いやー、勝った勝った、快勝だ」
珍しくジロウは上機嫌で、帰りを待っていた二人に軽く手を挙げて「よっこらしょ」とその場に脚を投げて座った。可愛らしい少女という外見のためか、実に行儀悪く見えてミヤコが眉を寄せた。
「オジさんだよ、それじゃ」
「いいんだよ別に。男は誰でもいつかはオジさんになるんだから」
ミヤコの突っ込みにジロウは屁理屈を返した。
「だが今は女性だ、ジロウ。相応の慎みというものをだな」
「……男だからな。慎みなんか知らないんだよ。それより聞いてくれ、二人とも。凄かったんだぞ、俺が……」
「待てジロウ。小さいが顔に傷がある」
「かすり傷だろ? そんなの自然に治るからいいって、それよりもだ」
ネビュラの差し出してきた手をジロウは払い除けた。
「ジロウ!」
鋭い叱咤も、その剣幕も。ネビュラが初めて見せた表情に、ジロウもミヤコも目を大きく見開いた。
「……何だよ、ネビュラ」
「大声を出してすまない。だがジロウ。俺の宇宙パワーでは、自然治癒して残ってしまった傷跡は消せないんだ。だから話より先に治療をさせてくれ」
「……だから」
「女性の顔に傷を残すのは本意じゃない」
ネビュラのこの発言で、ジロウの脳内のスイッチが入った。怒りのスイッチだった。
「……あのな。ネビュラ。さっきも言ったけど、俺は男だ。生まれてからずっと、この先も死ぬまで、いや死んでも男だ。だから二度と俺を女扱いするな」
「……」
ネビュラは無言でジロウの頭の先から靴までを眺めた。その台詞はミヤコが代弁した。
「……桜木。説得力、ない」
ジロウも自分の姿を顧みて顔を真っ赤に染めた。
「うるさいな! これは今だけだ! 日曜にユメユメさんと会ったら辞めるから、それまでの期間限定なんだよっ!」
「ではジロウは断固、女性になるつもりはないということか?」
「ない! 断固ない! 辞めたあとはもう、晴れて一〇〇パーセント、混じりっ気なしの男ライフを謳歌してやるんだ!」
「男ライフ……」
嫌な想像が頭に浮かび、ミヤコが眉間を指で揉んだ。
「……俺が男である限り、俺がお前と結婚することは絶対にない。だからネビュラは他の相手を探してくれ。これはお前のためでもあるからな」
「それがジロウの意志か」
表情に変化はない。だが声だけが僅かに低くなり不穏を帯びたことにジロウもミヤコも感づいた。それでもジロウは引かなかった。
「……そうだ。俺が自分で決めた、俺の意志だ、ネビュラ」
「そうか。理解した」
ネビュラは小さく頷くと一人、先に屋上から立ち去った。
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