第6話 ジロウの受難②
風邪で半死半生のジロウはへたり込みながらも机にしがみついて、さながら自身が机の一部のようになっていた。
その状態でもどうにか二限まで耐えた。だが三限が始まって間もなく。
「……ジロウ!」
グラッとその身体が大きく傾き、椅子から転がり落ちそうになるところを咄嗟に飛び出したネビュラが抱え上げた。いわゆるお姫さま抱っこの体勢だ。
「な……ネビュラ! 下ろせ馬鹿……!」
「ミヤコ。この学校に医者はいるか?」
ジロウの弱々しい抗議をネビュラは無視した。
「お医者さんはいないけど、保健室なら」
「案内してくれ」
ネビュラはジロウを抱えたまま大股で教室を出ていってしまう。仕方なくミヤコは数学の伊東先生に頭を下げて席を立った。二人に向けられていた生温かい視線が自分に集まって、いたたまれなかったこともあった。
「……下ろせ、おい! ネビュラ!」
「黙っていろジロウ。授業中だ」
「……!」
暴れていたジロウはネビュラの一言で大人しくなった。今が授業中で良かった。そうでなければさぞかし好奇の目にさらされただろう。ミヤコはそんなことを考えつつ、それでも保健室に向かう足を速めた。
都合良く在室だった保健師の田中先生に頼んでジロウをベッドに寝かせ、ミヤコは肩の荷が降りた気分で教室に戻った。
三限、四限が終わり、昼休み。ジロウがどうしても気にかかってしまい、ミヤコは再びネビュラと保健室を訪れる。
「……早退、ですか?」
「あれ? アイツ教室寄らなかったのか」
少なくともミヤコは見ていない。ネビュラも軽く首を振った。スポーツバッグも席にあった。ジロウもミヤコと同じ徒歩組で、その気になれば財布もSuicaもなく家には帰れるが、妙に生真面目なジロウがバッグを持たずに帰るとは考えにくい。
「まさかとは思うけど……」
「どうやら同じことを考えているな」
ミヤコとネビュラは教室ではなく、屋上に向かって階段を駆け上がった。
「……バカなんじゃないの!?」
「……」
ミヤコは憤慨して、ネビュラは無言で腕を組み、貯水タンクの裏に置かれた男子の制服を見下ろしていた。几帳面に畳まれた冬服。間違いなくジロウのものだ。
「あんな状態じゃ何もできないでしょうに」
「ミヤコの言う通りだな」
「……ネ……早乙女くん、追いかけて、助けてあげられないの?」
「来るなと言われているからな」
「! ……いいの、それで?」
「ジロウが自分で決めたことだ」
冷たくも思える台詞にミヤコはネビュラの横顔を見上げた。生来のものなのか、動きの少ない表情からその心情を窺うことは困難だった。
「どうした、ミヤコ?」
「……うん。意外に冷静だなって思って」
「俺はジロウの意志を尊重すると決めているからな。ジロウが決めたことに異を唱えるつもりはない。だが……」
「だが?」
「いや」
ネビュラは軽く頭を振って、それ以上何も言わなかった。
放課後になり、クラスの生徒のほぼ全員が下校してもミヤコは席を立てなかった。制服があったということは戻る気があるということだ。事情を知る者として、誰の目にも明らかな重病人のジロウを放って帰れるはずがない。もう一人、変わらずのポーカーフェイスで自分の席に座っている金髪の男子生徒も同じような理由で居残っているのだろう。
表情が読めなくてもジロウを心配していることだけは分かる。一昨日。ミヤコが帰ったあとの公園で二人がどんな話をしたのかミヤコは知らないが、ここまでの言動を見る限りネビュラがジロウに好意を持ったままなのは間違いないように思えていた。
「でも、……あのときの話の通りなら、地球の敵、なんだよね」
「今のところそのつもりはないが」
「えっ!?」
口の中だけの呟きに返事をされてミヤコはひどく狼狽した。
「悪いな。俺の宇宙イヤーは地獄耳なんだ」
「……昭和のアニメみたいなこと言うね」
「それが何かは知らないが。ジロウが俺の求婚を受け入れれば、この星は妻の故郷ということになる。無下にはできまい」
「妻」
わりと一般的な単語が、とんでもないパワーワードのようにミヤコには聴こえた。
「……一応、聞いておくけど。早乙女くん、流石にもう分かってるよね? 桜木が男子だって」
「ジロウからもしつこいくらいに念を押されたが」
「……それでも妻って、BLの人?」
「BL?」
「あ、ごめん。失言だから忘れて」
「BLというのも知らないが、そうだな。この件について、俺は自分の目で見たものしか信じないことに決めている。よって現時点、俺の中ではジロウの正体はあの美しい魔法少女のままだ」
「……なるほどね。そういう感じなんだ」
これはジロウの苦労が偲ばれた。この頑固すぎる宇宙人を納得させるのは、どうにもこうにも一筋縄ではいかないようだ。
「戻ったな」
不意にネビュラが天井に目を向けた。音を立てずに立ち上がり、大股の急ぎ足で教室を出ていく。ミヤコも慌ててあとを追う。すでに廊下にネビュラの姿はなかったが、迷わずに屋上を目指した。
「……桜木!!」
開いたままのドアから屋上に飛び出たミヤコが見たのは、ネビュラの腕に抱かれた小柄な魔法少女。全身、衣装すらもボロボロで、満身創痍と呼ぶのが相応しいか。
「……しくじった。相討ちだクソ……風邪でもなければ、あんな奴……」
「少し黙っていろジロウ。すぐに治療する」
ネビュラが手を翳すと、一昨日の花束同様にジロウの身体も衣装も綺麗に修復されていった。
「……悪いな、助かった、……っ!!」
ジロウが激しく咳き込んだ。宇宙パワーは風邪には効かないらしい。
「ジロウ」
咳が止むまで待ってから、ネビュラが静かに口を開いた。
「……なんだよ」
「俺の宇宙パワーでも、死んだ者は修復できない。せいぜい死体が綺麗な死体に変わるだけだ」
「……分かってる。悪かった……」
「いや、お前は何も分かっていない」
ネビュラはジロウの両肩を掴み、強制的に自分のほうを向かせた。
「俺はジロウの命を脅かす者を決して許さない。それが例えジロウ、お前自身でもだ」
「……!」
「次に同様のことがあれば、何と言われようが俺は俺の意志でお前のもとに駆けつける」
「それは……」
ジロウが分かりやすく困惑した。まだこの金髪の宇宙人を敵か味方か判断しかねているようにもミヤコには見えた。
「……本当はそうなる前に、ジロウの意志で俺を呼んで欲しい。必ず力になる」
ネビュラの金色の瞳と、そこに映り込んだ不安そうに戸惑う魔法少女の姿からジロウは目を逸らした。そして再び咳き込んだところにミヤコが駆けつけてジロウの背中を優しくさすった。
「……とりあえず。変身解いて、病院行ったほうがいいんじゃない、桜木?」
「俺も賛成だ。名残り惜しいが」
「……なに言ってるの?」
「ようやく念願叶って魔法少女姿のジロウと会えたんだぞ。名残り惜しくない訳がないだろう」
「……」
堂々と胸を張ったネビュラにミヤコもジロウも信じられないという顔をした。
ついたった今まで、わりとまともな発言をしていたはずだったが。やはりこの宇宙人はどこかズレていると言うか、飄々としすぎていて掴みどころがない。なのでジロウはネビュラの発言をスルーした。
「……駿河の言う通りだな」
胸のブローチを掴んで、ジロウは変身解除を強く念じた。
「……?」
「どうしたの? 桜木?」
「……いや。あれ。おかしいな。もう一回」
再度ジロウは変身ブローチを握って念じた。三度。四度。熱で上気した顔から、次第に血の気が引いていく。
「……桜木?」
声を掛けたミヤコに、ジロウは絶望と恐怖に染まった顔を向けた。
「…………変身が解けない」
「えっ!?」
「本当か!!」
「……ちょっと待って。いま喜んだ人いたよね」
ミヤコはその人物のことを白い目で思い切り睨んだ。
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