第5話 ジロウの受難①

「……どういう事?」

「俺が知るかよ……」

 一限までの短い休憩。駆け寄ってきたミヤコに、ジロウは脱力したまま不機嫌極まりない声を出した。金髪の転入生は遠く離れた席で早くも目敏い女子たちに囲まれている。

「イケメンだねー」

「日本語上手だけど、もしかしてハーフ?」

 嫌でも聴こえてくる黄色い声をジロウもミヤコも努めて無視した。しかし。

「失礼」

 やおら立ち上がったネビュラがカツカツと靴音を立てて二人のもとへとやってきた。

「そういう訳だ、ジロウ。それにミヤコだったか。これからはクラスメイトとしてよろしく頼む」

「……あ、うん。よろしく……」

 返事をしたのはミヤコだけで、ジロウはただただ怠そうにネビュラを一瞥して再び机に伏せった。

「早乙女って言うんだね、苗字」

「もちろん偽名だが。日本で暮らすのに必要なようだったからな」

「偽名って」

 ミヤコは周囲に視線を走らせたが、トーンを落としたネビュラの声は二人以外には聴こえていないようだった。その程度の配慮は宇宙人でも可能らしい。

 挨拶だけをしてネビュラは席に戻った。そのまま一限が始まるまで女子の輪に囲まれていたが、時折その輪からの視線が、流れ弾のように自分たちに飛んできていることにミヤコは気付いていた。


 この日の四限は体育で、ネットで半分ずつに仕切られた体育館の男子側がバスケ、女子側は見学、ではなく卓球だったが。誰もピンポン球を目で追わず、隣の男子のほうを見ていたので事実上の見学だった。

 ネビュラが何かをする度に女子たちが沸き立つ。

「まあアレはモテるよね」

 ミヤコですらそう思わざるを得ない。その程度に金髪の転入生は外見も運動能力もズバ抜けていた。ダンクシュートを決められる一年生などそうはいないだろう。

 こちらは正々堂々、風邪による見学のジロウも苦虫を噛みながらその様子を眺めていた。

「インチキだろ」

 宇宙人と地球人の規格の違いを知っているからこその発言だが、誰かの耳に入ればやっかみと思われかねない。なので黙って苦虫を味わうことにした。

「関わり合いになりたくないな……」

 ジロウもミヤコも似たようなことを考えていた。ジロウはネビュラと。ミヤコはネビュラとその想い人(?)のジロウとも。

 これまで無難に送ってきた高校生活を死守したい。そのためにも。

「よし、関わらないようにしよう」

 ミヤコは固く心に誓った。


「……誓ったんだけど。ついさっき」

「何の話だ? それでミヤコ、まずQR決済についての話だが」

 体育が終わって昼休みになるや否や、スマホを手にしたネビュラが席までやってきた。コンビニの複雑怪奇な支払い方法について知りたいらしいのだが。

「桜木に聞いてくれない? できれば」

「気付いていないのか? ジロウなら今しがた出動したぞ」

「え?」

 席に目を向けるとジロウの姿も、横に掛けていたスポーツバッグもない。

「……風邪引いてるのに」

「俺も止めたが聞かなかった。ジロウなりの通すべき筋があるんだろう」

 ネビュラが宇宙人らしからぬ発言をした。

「……でもいいの? ネ……早乙女くん。一緒に行かなくて」

 ジロウの出動とは、ネビュラがあれほど会いたがっていた魔法少女への変身と同じ意味のはずだ。だがネビュラは寂しげに目を細めた。

「それを理由に授業をサボれば絶交だと言われてな」

「あ、そう……」

 よく躾けられた犬のようだと、ミヤコはかなり失礼な感想を抱いた。




「ミヤコ」

「それでだがミヤコ」

「悪いがミヤコ」

 昼休みが終わるまで、いや終わって五限になり、そのあとの休憩でも、ネビュラは度々ミヤコの席を訪れた。

「だから。他の人を当たってくれない? 知り合いだと思われたくないんだってば」

「実際に知り合いだが」

「昨日の話でしょ!」

「どーしたの駿河。なに揉めてんの?」

 背後からかかった声に、ミヤコの身体が一瞬で硬直した。

「や……別に。織田さんこそどうしたの?」

 着崩した制服にメイク。クラスで一、二を争う派手な外見の織田ナデシコは、ネビュラの横で中腰になった。

「二人が喋ってたから来ただけ」

 理由になっているようないないようなことを言ってナデシコはニッコリと笑った。

「仲いいんだ、駿河とネビュラくん」

 来た。ミヤコは密かに唇を噛んだ。最初にネビュラを囲んだ「目敏い女子」の筆頭格。学校にも数人しかいない絶滅危惧種、世に言うギャルの一人で、ミヤコにとってはネビュラやジロウとは別の意味で関わりたくない相手だった。同じ女子でも住んでいる水深が全く違う、はっきり言えば苦手な種類の人種だ。


「別に。仲いいわけじゃないけど」

「けど、何?」

 顔は笑っているが、それはネビュラ用だ。声にも台詞にも言い逃れは絶対に許さないという明確な意志が透けて見えていた。ミヤコが最も避けたいと思っていた状況だ。

「昨日の話だが。まだこの街に不慣れなときにジロウとミヤコに出会い、助けてもらった。二人は言わば俺の恩人だな」

 ネビュラが女子の会話に割って入った。ごく自然に、だがその中身は完全な嘘。少なくともミヤコにはネビュラを助けた記憶はない。

「そうなの?」

「まあ……うん。そうかな」

 多少の心苦しさはありつつ、ミヤコは全力でネビュラの嘘に乗っかった。するとナデシコは「へえ」と感心した顔を見せた。

「いいとこあるじゃん、駿河」

「そうでもないけど」

 謙遜ではなく本音だった。ネビュラの機転でナデシコの追求から逃れられて、ミヤコは心から安堵した。ここで話が終われば世界は平和なままだったのだが。

「ミヤコは好人物だが。俺が深い仲になりたいのはジロウ一人だ」

「……えっ?」

 ネビュラの口から出た思いもよらない台詞に、ガタンと机を鳴らしてナデシコが立ち上がる。クラス中の視線が三人に集まった。

「なんで桜木? ネビュラくん?」

「決まっている」

 ネビュラが重々しく頷く。あとに続くだろう言葉をミヤコは止めたいと思ったが、止められなかった。その話題に混ざりたくないと保身が働いてしまった。そして。

「求婚した相手と親密になりたいのは当然の話だろう」

 教室が静まり返る。控えめに言ってもネビュラの発言は爆弾だった。

「求婚……って、プロポーズ?」

 ナデシコが静寂を破った。ざわざわと教室に声の波が立つ。「もうやめて」とミヤコは心の中だけで懇願したが、当然ながら誰の耳にも届かない。

「他に意味があるか?」

「桜木に、ネビュラくんが? 求婚!?」

 ナデシコの声は良く通り、聞き耳を立てていない生徒の耳まで届いた。そんな生徒はどこにもいなかったが。

「そっち!?」

「そっちの人なの? 早乙女くん!?」

「じゃあ桜木もか……!」

 沸き立った教室の中で、ただ一人ミヤコだけが頭を抱えていた。この場にジロウがいれば否定するなり拒絶するなり、怒ったり反論したりできただろう。だがいない。いないものはいない。とんだもらい事故というやつだった。



 その翌日。ようやく気温が平年並みに戻った日の朝。ジロウはおそらく学校で唯一冬服で、加えてマスクに冷感シートという重装備で登校してきた。

「……見たことない顔色になってるけど。休んだほうが良かったんじゃない?」

「……出られる限りは授業に出るって、前から決めてるんだ。普段休みがちだし、期末も近いしな……」

「その様子だと熱もあるでしょ。帰ったほうがいいって」

「……言わないでくれ。余計しんどくなる。って言うか駿河。……なんか今日の三組、変じゃないか? あちこちから、ずっと妙な視線を感じるんだけど」

「さあ、気のせいでしょ。体調悪いからそう思うんじゃない」

 ミヤコは全力でとぼけた。全くもって気のせいではないが、それを知るのは風邪が治ってからでいいだろう。傷口に塩を塗るのは嫌いじゃないが、病人にトドメを刺すのはミヤコの趣味ではなかった。











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