第7話 桜木家へ

「ミカンの缶詰とゼリー、スポーツドリンクも買った。あとは家族への手土産、これは羊羹でいいか。ミヤコ、近くに和菓子屋はあるだろうか?」

「デパ地下に行けばあるけど。……早乙女くん、まだ地球に来て数日だよね」

「ちょうど一週間だな。それがどうした?」

「なんでそんなに日本に詳しいの?」

 ネビュラが買ったものは風邪の見舞いの定番の品で、しかも手土産に羊羹などと、とても宇宙人の発想とは思えない。

「そんなことか。俺は叡智の結晶、宇宙百科を読破しているからな。この程度どうと言うこともない」

「宇宙百科?」

 またわけの分からない単語が出てきたが、ミヤコはそれ以上追求しなかった。馬鹿馬鹿しくなっていた。


 授業のない土曜の昼過ぎ。ミヤコは駅からほど近いスーパーの前でネビュラと合流した。風邪で寝込んでいるというジロウの見舞いのためだ。

「ジロウは無事に家まで届けた。家族がいたので、ついでに挨拶も済ませておいた」

 昨夜。電話でネビュラから報告を受けて、ミヤコはつい首を捻った。一体どういう立場で挨拶をしたのだろうかと。

「それでだ。明日の午後にまた見舞いに行く約束をしたんだが」

「うん。行ってらっしゃい」

「良ければだが、ミヤコも同行してくれないか?」

「なんで!?」

 思わず声を上げてしまって、ミヤコはキョロキョロ周囲を見回した。自宅のマンションの自分の部屋だが、夜の大声は想像以上に響く。

「少々思うところがあり、それについて是非ミヤコの見解を聞きたい」

「見解って。何の話? ……どうあれ役に立てるとは思わないけど」

「ミヤコが見たまま、思ったままの意見でいい。都合はどうだろうか」

「……特に用事はないけど」

 こんな経緯でミヤコはネビュラと落ち合う約束をしたのだった。


 デパ地下で羊羹と最中を買い、ネビュラの案内でジロウの家を目指した。最寄り駅は同じだが方向は真逆で、ミヤコのマンションからジロウの家までは徒歩で三〇分以上かかった。空の広い住宅街の中の一戸建てだ。

「……ネビュラ。それに駿河も」

 呼び鈴を押して出てきたジロウがひどく驚いていたが、ミヤコも負けてはいなかった。

「……どうしたの桜木? そのカッコ、可愛いけど」

 少女の姿なのは想定通りだったがアリクイの着ぐるみパジャマは想定外だった。

「母さんが買ってきたんだ。あとカワウソとレッサーパンダもある」

「あ、そう……」

 ジロウの顔はまだ赤い。きっと熱で正常な判断が失われているんだろうとミヤコは勝手に判断した。

「ミナミコアリクイだな。確かに愛らしいジロウに良く似合っているが」

「詳しいな、ネビュラ」

「……」

 ジロウは突っ込んだがミヤコは無言を貫いた。どうせ宇宙百科の知識だ。

「失礼する」

 素早くネビュラが門を擦り抜け、玄関のドアを大きく開けるとジロウの身体を軽々と抱き上げた。

「お前……っ! また!」

「病人は大人しく寝るのが宇宙共通のルールだ。部屋は三階だったな」

 ジロウを抱えたまま家に上がり、ネビュラは階段へと姿を消してしまう。呆然と立ち尽くしていたミヤコのところへパタパタとスリッパを鳴らして別の人物がやってきた。

「あら、ジロウちゃんのお友達?」

「……同じクラスの駿河です」

 慌ててミヤコは会釈をする。変身後のジロウに良く似た可愛らしい中年の女性。聞くまでもなくジロウの母親だとすぐ分かった。




 通されたリビングの大きなソファにネビュラとミヤコは並んで座った。床に置かれたビーズクッションには、明らかに男子のジロウと同じ遺伝子を持つ顔立ちの二十歳前後の男性。

「ジロウの兄のハルヒコだ」

 何故かネビュラに紹介されて、兄ハルヒコは苦笑した。

「しかしあのジロウに女子の友達がいるとはなあ」

「……あはは」

 正直に言えば友達になった覚えはないのだが、否定するのもどうかと思い、ミヤコは笑って受け流した。

「駿河さんだっけか? ウチに来たってことは、ジロウの事情は知ってるんだな?」

「……はい。まあ。ざっくりと」

 ミヤコの煮え切らない返事にハルヒコは軽く頷いた。

「色々試したが結果は見ての通り。はっきり言ってお手上げだ」

 ハルヒコは言葉の通りに両手を挙げてみせた。「お手上げって」とミヤコは眉を寄せた。

「原因は掴めたのか、ハルヒコ?」

「……なんで呼び捨てなの」

 尊大というか何というか。思えば先生相手にもネビュラはタメ口だった気がる。窘めたミヤコにハルヒコは笑って手を振った。

「構わん、構わん。……濃厚なのは風邪による体調不良。次点でステッキだかブローチだか、魔法の道具の故障。それ以外ならもう全然分からん。そもそも何も分からないんだけどな。これでも一応医大に行ってるんだが、魔法なんて医者の専門外もいいとこだからなあ」 

「あー……なるほど」

 ミヤコは以前にジロウが言っていた、自分以外は全員出来がいいという台詞を思い出していた。


「このまま女の子になっちゃ駄目なの、ジロウちゃん?」

 紅茶の香りと共にやってきたジロウの母親が、何やらとんでもないことを言い出した。

「あんなに可愛いんだし、女の子のお友達も素敵な彼氏さんもできたんだし」

「彼氏?」

 ティーカップを受け取ったミヤコがネビュラを睨んだが、さりげなく視線を外された。

「私ね、本当は女の子が欲しかったんだけど。でもほら、ウチって男の子しかできないじゃない? だからパパにも三人目って言えなくて」

 何の話だろうか。だが段々と話がキナ臭くなってきたとミヤコは感じていた。

「まあぶっちゃけ俺も弟より可愛い妹のほうがいいけどな」

「それはぶっちゃけすぎじゃ……」

 ハルヒコまで不穏なことを言い出して、ミヤコは話の軌道修正を試みた。しかし。

「でしょ! 本当に可愛いもんね、女の子のジロウちゃん!」

 母親が手を叩いて喜び、ハルヒコはウンウン頷いた。

「だから今回の件で原因を解明して、次は女のまま固定させる方法も考えておこうと思ってる」

「うん! 難しいことはハルヒコくんにお願いして、私はジロウちゃんが女の子として暮らせるように準備しなきゃね!」

「……」

 ミヤコは表情を隠すために紅茶を飲んだ。この二人、思想があまりに危険すぎる。この場にジロウがいたら家出をしてしまうんじゃないかとすら思った。

「ネビュラくんも、ジロウちゃんが女の子でいたほうがいいでしょ?」

「それは当然だ」

 ネビュラも紅茶を一口啜り、ティーカップを置いて膝の上で指を組んだ。


「…………」

 ミヤコは眩暈を覚えて額を押さえていた。

 そもそもネビュラは魔法少女のジロウに求婚していて、母親と兄はジロウに女の子のままでいて欲しいと願っている。「四面楚歌だ」とミヤコはあまり使う機会のない四字熟語を思い浮かべた。ジロウが男子に戻りたがっていることは疑いようもないのに、本人のいない場所で勝手に話が、それも本人が絶対に望みそうもない方向に進もうとしている。

「あの」

「だが」

 ミヤコが意を決して口を開くのと、ネビュラが言葉を継いだのは同時だった。ミヤコは小さな頷きでネビュラに発言を譲った。

「確かに俺はジロウに女性のままであって欲しいと思っている。だがそれはあくまで本人の意思の上でのことだ。果たして今のジロウがそれを望んでいるだろうか?」

「まあ……ねえ」

「それを言われるとなあ」

 気まずそうな母親と頭を掻いたハルヒコにネビュラが首肯した。

「理解が早くてありがたい。この話はジロウの体調が万全のときに、本人を交えてすべきだろう」

「でもずっとこのままもねえ。本当はジロウちゃんにあんまり危ないことして欲しくないんだけど」

「まあまあ、母さん。……いずれちょっと先走りが過ぎたな。ネビュラくんの言う通り、続きはまた、ジロウが元気になってからにしよう」

 続きがあるかはともかくとして、そんなハルヒコの台詞で話は終わり、ネビュラとミヤコは最後にジロウの様子を見て帰ることにした。

 三階のジロウの部屋は男子にしてはよく片付けられていたが、それでもやはり男子の部屋だった。その分ベッドで寝息を立てている着ぐるみパジャマの少女の異物感が大きく、ミヤコはつい声を潜めて笑った。


「ちょっとひどいね」

「ふむ?」

 帰り道。ミヤコはネビュラに見解を求められていたことを忘れていなかった。

「分からなくはないけど、本人の意思を無視しすぎ。桜木、もとから男子なのに、これまでの人生? 知らないけど。やってきたこととか全部無視して、可愛いからってだけで女の子でいて欲しいって」

 段々と声が大きくなる。ミヤコのそれは義憤に近い感情だった。

「ふむ。ミヤコもそう思ったか」

「早乙女くんも?」

「ああ」

 ネビュラは足を止め、隠し持っていたハードカバーの本を開いてミヤコに手渡した。

「ジロウの部屋で拝借したんだが」

「これって……卒業アルバム? 小学校の」

 開いたページにはまだ幼さの残るジロウの写真が載っていた。

「……普通に男の子だよね。ちょっと影が薄い? どのクラスにも一人いそうな」

 かなり失礼だが一応ミヤコに悪気はない。

「これを見るに、やはりジロウの元々の性別はミヤコも言う通り、男のようだな」

「え?」

「やっと納得がいった」

「…………そこ!? 今? そっち!?」

「大事な話だろう」

「早乙女くんにはそうかもだけど! え、見解ってその話だったの!?」

 やはりこの宇宙人も駄目だ。ミヤコは改めてジロウの境遇を憐れんだ。



 週末が明けてもジロウは登校しなかった。元の男子高校生の姿でひょっこりと教室に現れたのは実に五日後、木曜日のことだ。

「何してたの? 流石に心配したんだけど」

 そう詰め寄ったミヤコに、ジロウは周囲を見回してから小声で耳打ちした。

「……生理がきた」

「は?」

「毎日変身してたせいじゃないかって、兄貴が。終わったら元に戻れた」

「……あ、そう」

 それ以上ミヤコは何も言えなかった。


 その日の昼休み。コンビニで買ってきた赤飯おにぎりをネビュラがジロウに手渡した。どうやら宇宙イヤーで聞き耳を立てていたらしかった。

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