#34「普通、結婚って、付き合ってすぐに考えるものかな?」
仕事終わりの羽衣とカフェに入り、コーヒーを1杯頼み、向き合っていた。
「普通、結婚って、付き合ってすぐに考えるものかな?」
まるで自分に問いかけるように、羽衣へと投げかけた。
「結婚の話題が出たの?」
羽衣は驚きに目を見張る。
「ううん。……むしろ、全然出ない」
「じゃあ、まどかが結婚したいって思ってるとか?」
まどかは、ディナーの帰り道に絢斗の発した言葉を思い起こす。
“俺のことは、まどかが分かってれば、それでいいから”
言葉とともに、困ったように笑みが、頭から離れなくなった。
あのとき、ずっと傍にいて、守りたいと思った。
そんなこと、素面で羽衣には言えなくて、言い淀む。
「人によって違うからね。お互いに一目惚れで、勢いで結婚する人もいれば、同棲までして何年経っても結婚しない人もいる」
まどかはホットコーヒーを口に含む。
まだまだ暑いと思っていたが、ホットコーヒーがちょうどよい季節になってきた。
「まどかは今まで付き合った人で、結婚したいって思った人……結婚を考えた人でもいい。そういう人っている?」
「……いないかも……」
好きな人ができて、その人と付き合っていたときは、若くて、結婚など考えられなかった。
大人になって、仕事も覚えて、結婚を考えられる頃になったら、そもそも付き合うことへのハードルが高くなり、結婚どころか、付き合いも続かなかった。
「今、結婚を考えるのは、30歳になって年齢的にもいいタイミングってこともあると思うけど、それだけじゃなさそうだね」
羽衣は意味深に微笑むと、シュガーポットの蓋を取り、コーヒーシュガーをスプーン1さじすくい、コーヒーカップに入れた。スプーンを元に戻して蓋を閉めてから、ソーサーに置いていたスプーンでコーヒーを混ぜる。どうやら甘さが足りなかったらしい。
「まどか、変わったね」
「変わってる? どこが?」
「前から彼氏の相談はしてくれてたけど、最近は、本人に訊かなきゃ本当のことは分かんないよって言ったら、大体決まって“直接は訊けない”って言ってた」
「そう、かな?」
そう言われたら、そうだったかもしれない。
絢斗に対しては、受け身になっていないとは思う。
別れたくなくて、後悔したくなくて、絢斗に気持ちをぶつけたこともあった。好きになって付き合った人さえ、別れ際はあっさりしていたのに。
「そうだよ。嫌われたくないのか、そもそも、信頼があまりなかったのか……分かんないけど、今はそういうの、ないよね」
羽衣はふふっと笑う。
「むしろ、嫌ってたくらいじゃない? 避けてたし。
私にも会わせてくれた。会わせるのは気を遣わせるからとか何とか言って、コンビニまで連れてきてくれたことなんてなかった」
確かに、絢斗には嫌われてもいいから強く言えたし、仕事で培った信頼もあった。今まで付き合った人とは違う。
羽衣の方が見られず、コーヒーの水面を見つめた。
好きだと自覚した今も、嫌われたくないと思って、感情を抑えることもない。これが、大人にとってどれだけ特別か、理解する機会がなかったのだ。
「今の相手は、まどかが肩肘張らないでいられるってことだよね。だから、結婚生活もイメージしやすいのかもね」
羽衣はコーヒーをすすると、甘さに満足したのか、嬉しそうに微笑んだ。
***
新商品を含んだ新しいサンプルセットが机の上に並んでいた。
サムシングブルーのハートを基調としたパッケージを開けば、アルミパウチが差し込まれている。洗顔、化粧水、乳液、クリームの4点が3つずつだ。
開いた方には、使用方法や効能が分かりやすく書かれている。
「写真で見てたときより可愛く見えるね。説明も簡潔で分かりやすい。すごくいい」
まどかは、サンプルセットを持ってきた企画開発の大平とディスカッションをしてきた。
やっと、サンプルのサンプルセットが出来上がって、その出来もよく、顔が綻ぶ。
「だよな? これで進めていくか」
「お願い。あたしはこれを使って、ウエディング関連のメディアにアプローチしていくね」
「そっち方面はお任せする」
話をしていたら、近くにいた営業部長が気にして顔を覗かせた。
「それが、結婚式場相談カウンターで配布する予定のサンプル?」
「そうです」
1つ手に取って手渡すと、部長はしげしげとサンプルセットを見る。
「このQRコードを読み取ったら、オンライン購入のページに飛ぶの?」
「よくぞお気づきになられました! そうなんですよ」
パウチを取り出すと、QRコードが現れるような仕掛けになっているのだ。
大平がわざとかと思うくらいに大げさに褒めるので、まどかは笑ってしまった。
大平と2人でこだわった点でもあるので、まどかにも気持ちはよく分かった。
「ウエディング関連の場所だけに置くの?」
「そうですね。一応、結婚を控えた人たちに使ってほしいと思って作っているので」
「そうかぁ」
部長が残念そうにするので、まどかが言葉を続ける。
「渡す人は絞るつもりですが、店舗でも置く予定はあるので、いずれはできると思います。サンプルを取り扱ってくれる場所がないか、相談することもあるかもしれません」
「そのときは遠慮なく言ってくれよ」
「はい」
まどかと大平は満面の笑みで返事をした。
「そう言えば、大平くんは奥さんにプレゼントしたらいいな」
部長は大平が新婚であることを、しっかりと覚えていたらしい。
「すでに使ってるので、サンプルを作った趣旨には沿わないのですが、いいですかね?」
「おぉ、そうか。使ってくれてるのか」
「はい」
大平は幸せそうな雰囲気を醸し出している。
なずなのときと同じだ。
付き合っている延長のはずなのに、どうして結婚したら、こんなふうに幸せがにじみ出るのだろう。
たくさんの人に祝われるからだろうか。
部長は自席に戻ると、営業職の面々と会話を弾ませ出した。
ちょうどそこに絢斗が帰社してきて、その輪に加わるかたちになった。
「盛り上がってますね。何の話、してたんですか?」
「結婚の話だよ」
どういう経緯か分からない絢斗に、後輩が説明をしている。その中で、サンプルセットの話が出たとき、絢斗の視線がまどかと大平に向けられた。
「大平くんの奥さんは、もううちの商品使ってるらしいけど、中埜くんの彼女は使ってる?」
部長はとんでもないことを絢斗に訊き始めた。
大平がまどかに視線をくれるから、まどかは苦笑して俯いた。
勝手に絢斗の心境を慮って、そわそわしたからだ。
「部長、今更身近な人にも営業しろってことですか?」
絢斗はまどかの心配をよそに、笑いながら言う。
「そうだよな。今更か。訊くまでもなかったな」
部長も声を上げて豪快に笑う。
部長に対しては強い言い方ではないかと思ったが、絶妙なラインだったようだ。
「嘘は吐いてないな」
大平はまどかだけに聞こえるような声で、ボソッと言った。まどかが大平を見ると、意味深な顔をしてまどかを一瞥して見せるから、とりあえず笑って返した。
これ以上、絢斗に彼女や結婚の話を振られると、気まずい。
幸か不幸か、メディア関係者からの着信がスマホにあり、それに出るために、そそくさとその場を後にした。
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