#33「そこはお互い変わらないよ」
「大平、結婚おめでとう!」
なずなの音頭で乾杯をして、同期会は始まった。
大平の入籍日が決まったので、同期で集まり、お祝いをすることになったからである。
「挨拶、スムーズにいった?」
「どうにか。緊張でどうにかなりそうだった」
大平は思い返しているのか、そわそわとして落ち着かない様子だ。
「涼しくなってきたのに、変な汗かいて辛かった。思い出しただけで緊張してくる」
ビールを呷って、どうにか平常心を保とうとしている。
「結婚式はする予定?」
「準備、大変なんだろ?」
「大変だったけど、終わったら楽しかったからやってよかったなって思うよ。奥さんの意見、ちゃんと聞いてあげなよ?」
「分かってる」
同期会での話が結婚にまつわるものになるとは、数年前は思いもしなかった。
まどかはなずなと大平の会話に混ざれない。
自分ごとのようには思えなかったのだ。
横井は興味がなさそうだが、相槌を打ち、たまに親戚や友人の話を例に出しながら会話に参加している。まどかとは少し違った。
絢斗と付き合う前は、結婚に多少なりともこだわっていたはずなのに、今は結婚のことを考えたことがなかった。
“本当に結婚したい人と付き合えないからだよ”
絢斗はそう言っていた。
――なら、あたしは?
絢斗にとって、結婚したい人なのだろうか。
付き合う提案をされたとき、“恋愛ごっこじゃなきゃいいんでしょ? 結婚を前提に、付き合おうよ”と食い下がってきた。
“結婚を前提に”という言葉は、その場しのぎでなかったことになっているのか、それとも、今でも有効なのか。
「中埜、戻ってこないね?」
「営業は忙しいよな」
なずなに大平は共感の言葉を返しし、大平の隣の横井もこくこくと頷く。
絢斗は電話を受けて、一旦、席を外していた。
まどかの隣に座っているなずなは、まどかに向き直る。
「まどかって、中埜と本当に付き合ってるんだね」
「え、何? 今更?」
大平が向かいで声を上げて笑っている。
まどかはぽかんとしてなずなを見た。
「だって、中埜が隣に座って嫌そうな顔はするけど、何だかんだ受け入れてるよね。関係が変わったんだなって実感する」
「付き合ってもからかうのは変わらないけど、2人のときでもあんな感じなの?」
普通は、付き合ったらからかわないものなのだろうか。
大平の言葉が、まどかをザラっとした気持ちにさせる。
「そこはお互い変わらないよ」
「言いたいことが言い合える関係ってことでしょ? いいことだよ」
そんなことを言われると思わず、言葉を発した横井をまじまじと見つめたら、横井は穏やかに微笑んだ。
「結婚の話とか、訊いていい感じ?」
なずなはこそこそと窺うように訊いてきた。
「結婚とか、そんな話はまだしたことなくて……」
「まだ付き合ってそんなに経ってないならそんなもんだろ」
「まどかはどうなの?」
「えぇ?」
「中埜と結婚するのは、どう?」
まどかは目を泳がせる。
今まさに、結婚を考えたことがなかったことに思い至ったばかりだ。
「結婚はいずれとは思ってるけど、相手あり気だし、中埜と結婚は、まだ考えられないっていうか……」
もごもごとしてはっきりせず、要領を得ない回答になる。
自然と視線も下がり、ビールグラスの表面にできた水滴が流れるのが視界に入った。
「――俺も聞いてない話、聞き出そうとしないでくれる?」
絶妙なタイミングで、絢斗が席に戻ってきた。
「中埜はどうなの?」
なずなは怯みもせず、絢斗に切り込んだ。
まどかはどきりとして、絢斗を見上げ、じっと見つめる。
「それは2人で話すから。何で先にみんなの前で言うことになるんだよ」
絢斗の気持ちが知れる機会だと思ってしまったが、絢斗の言葉はもっともで、まどかは複雑な気持ちになった。
「それは……ごめん」
なずなは謝罪すると、「とりあえず横井おめでとう!」とグラスを持ち上げる。
気まずい雰囲気を打ち消すように「おめでとう」と大平と横井も続く。
絢斗はまどかの隣に座る。
――絢斗はどんな気持ちでいるのだろう。
まどかは絢斗の方が見られなくなった。
***
「予約の時間に間に合わないよ。早くして」
絢斗は出かけられる準備を完璧に終えて、慌ただしく動き回っているまどかを冷静に見つめている。軽い口調が腹立たしい。
「誰の……せいでっ……!」
イライラしながらも、間に合わない可能性も事実なので、バタバタと準備を進めた。
絢斗に選んでもらった、さくらカラーのワンピースを着て、そのワンピースでランチに行ったレストランに、今度はディナーでやって来た。
一度来た場所なのに、違う場所に迷い込んだような気分になる。クラシカルな雰囲気が、暗闇でより格式高く感じた。
絢斗は前回のコットンのカジュアルなセットアップではなく、ウールのセットアップだった。ダークブラウンなことも相まって、秋を感じる。
「間に合ってよかったねぇ」
呑気に言う絢斗を見て、またムッとした。
「出る前も言ったけど、中埜のせいでしょ」
「俺が何したって言うの?」
余裕綽々の表情は、馬鹿にされたようで、癪に障る。
「ギリギリまで……」
「……何?」
絢斗は笑みを堪えきれていない。
まどかが周りの目のあるところで、続きを言うはずがないと、高を括っている。
その通りで、ますます苛立ちが募ったが、何とかグッと呑み込んだ。
どうして出かけるのが遅れてしまったのかと言えば、きっかけは絢斗ではあるが、まどかのせいでもあった。
お昼過ぎ、食事を摂った後、眠たくなってきて、ソファーでうとうとしていたら、絢斗が膝枕してくれた。
そのまま眠りに落ちそうだったのに、絢斗がちょっかいをかけてきた。
髪を撫でるまではまだよかった。耳の縁をなぞるように触れ、耳たぶをやわやわと摘んだ。
それでは飽き足らず、鼻筋をつーっとなぞってみたり、唇の弾力を確かめるように触れたり、気づけば絢斗の指の行く先が気になって、覚醒してしまった。
閉じていた目を開けば、柔和な眼差しの絢斗と目が合った。
「……寝させてくれるんじゃないの?」
「そのつもりだよ?」
「でも……寝られないよ……?」
「ん? そう?」
とぼけた声は少しの色気を含んでいて、自分だけがその気になってきているわけではないと悟るには十分だった。
乗せられるがままに乗せられて、そのまま、ことに及んでしまって、軽い昼寝のつもりが家を出る予定時間ギリギリになってしまったのだ。
結局はお互い様で、何も言えない。
おいしい料理に集中すべく、食前酒に口を含んだ。
今回はディナーのため、前回のランチのときよりも、価格のコース料理で、出てくるものもワンラックアップした印象だった。
「記念日でもないのに、いいのかな……」
まどかはぽつりと呟いていた。
呟いた自覚がなくて、絢斗と目が合って、呟いたことに気づいた。
「いいに決まってるでしょ。これで、来ることによって思い出になるし、記念日になるかもしれないし」
「うん……」
「記念日でもそうじゃなくても、まどかと過ごす時間は特別で、大切にしてるよ」
相変わらず、キザな言葉をさらりと言ってのける。
まどかがそわそわしているのには、理由があった。
少し前に、離れた席で、プロポーズをしているカップルがいた。
まばらな拍手が広がって、まどかたちの耳にも届いたとき、プロポーズだと気づいたのだった。
まさかプロポーズするところに居合わせるなんて、思いもしなかった。
世間ではこういうお店でプロポーズするのだなと実感させられて、何だか落ち着かなくなった。
まさか、絢斗が今、プロポーズするとは思っていない。
しかし、自分たちにも、そのときが来ることもあると思うと、そわそわしてしまうのだ。
まどかがプロポーズにも気づいているのだ。聡い絢斗が気づかないとは思えない。
――普通は全く触れないものだろうか。
絢斗がわざと結婚の話題を出さないように思えてくる。
……いや、自分も思っているだけで、言葉にはしていない。絢斗にも何か思うところがあったかもしれない。
少なくともまどかは、人のプロポーズを間近に見て、感化されている。
――自分は、絢斗と結婚したいのだろうか。
2時間弱の食事を終え、外へと出る。
最近は、めっきり涼しくなった。日が落ちると、よく分かる。
「寒くない?」
「うん。大丈夫」
コートの前をしっかりと閉めて、見栄えよりも防寒を優先する。
当たり前だが、絢斗からプロポーズをされることはなかった。
正直、今されても、まどか自身、ピンと来る気はしなかったのだけれど。
自分の気持ちははっきりと分からなかったが、1つだけ、深く思ったことがある。
結婚についての考えを、付き合う前に絢斗から訊いておくべきだった、と。
結婚に対してどれほど前向きか。
付き合ってどれくらいで結婚を考え始めるか。
もし、事前に色々と聞けていたら、諸々の覚悟ができたように思う。
後悔しても今更遅いが、考えずにはいられなかった。
「うわぁ……」
ある一点を見た絢斗が、嫌な顔を隠しもしなかった。
不思議に思ってその一点を見れば、50代くらいの恰幅のよい男性が、まどかよりも若そうな女性を連れて歩いていた。
「知り合い?」
「知り合いというか……」
絢斗は言葉を切って、彼らの視線から避けるように、まどかの手を引っ張って反対方向へと早足に進む。
「ここまで来たら見つからないかな」
ある程度歩いた後、絢斗はまどかの手を離した。
動いたおかげで、体がちょうどよく火照っていて、手だけが寒くて寂しい。
「結局、さっきのは誰なの?」
「前に俺へのクレームがあったの、覚えてない?」
「あー……社員を誘惑してるとか何とかっていうクレーム?」
「そう」
「もしかして、そのクレームを出してきた本人?」
「そういうこと」
あの人が、クレームを出してきた、絢斗の営業先の会社の幹部だったのか。
そうであれば、あの絢斗の嫌な顔も納得だ。
「奥さん、同い年くらいだったはずなんだよなぁ。何もしてないのに理不尽だって思ってたけど、あれ、自分が誘惑されるタイプだから、俺のこと、社員を誘惑してるふうに見えたんだろうな」
絢斗はけろりとした様子で、淡々と語る。
まどかはその顔を見ているうちに、胸がきゅうっと痛んだ。
「ひどい顔」
絢斗はまどかの顔を見て、デリカシーのない言葉を笑って吐く。
まどかは絢斗の腕を力なく叩いた。
デレデレしながら若い女を見る中年のおじさんの顔を思い出して、気分が悪くなる。
事実ではないことでクレームを出してきて、絢斗を傷つけて、会社もてんやわんやになって、それなのに、自分は道理に背いて、不倫に走っている。クレーム内容と同じ、色恋ごとであることが腹立たしい。
せっかくおいしいものでお腹が満たされたのに、気分を害されている。
「……何でまどかがそんなに傷ついてんの?」
腹が立つと同時に、悲しかった。
「……中埜は嫌な気持ちにならないの?」
顔を見れば、嫌な気持ちになっていることは分かる。
しかし、絢斗は、軽い調子で振る舞うことで、自分の感情を隠し込んでしまう。もっと絢斗の感情を引き出したかった。
「なるよ。あんなクズに色々言われたって思うと、腑に落ちないところはある。でも、よかったでしょ? 契約もしなくてよかったって、今回でよくよく分かったんだから」
絢斗はフッと頬を緩めた。
「だから、俺の立場になって、傷つくのはやめてよ」
まどかはハッとした。
自分が絢斗の立場だったら、どうにもならないことにうじうじしていたって仕方がないと、絢斗と同じように思っていたのではないか。
「クレームがあったときも、心配してくれたな」
あのときは、否定されたが、落ち込んでいるように見えたのだ。甘えてほしいと思って、気を許した。
「心配してもらえて嬉しいよ。今回もたくさん甘えてもいい?」
からかいの色を含んだ問いかけに、唖然とする。
こちらは本気で心配しているというのに。
……ただ、軽薄な調子に救われることもある。
暗い雰囲気に引きずられることはないし、基本、絢斗といるときは楽しい気持ちになれるから。
あんなに嫌いだと思っていたところに、救われたと思うなんて、笑える。
「……笑ってる?」
笑うのを堪えきれなくて、顔を隠すように、絢斗から背ける。
「え、何? いかがわしいことでも考えてた?」
「違うわっ! ふざけたこと言うからでしょ」
早足に歩き出せば、絢斗も少し遅れてついてくる。
「ありがとう」
突然、感謝の言葉を述べられて、まどかは足の速度を緩めた。
「俺のことは、まどかが分かってれば、それでいいから」
振り向いて目に入った絢斗の顔は、困ったように笑っていて、周りの目も気にせず、抱き締めたくなった。
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