#26−①「デレてない!」
自社の会議室で、下条と情報誌に載せる記事の最終確認をし、エントランスまでお見送りをする。
自動ドアの手前で、下条がふと思い出したように振り向いた。
「そう言えば、缶詰、食べきれました?」
「あぁ……」
山積みの缶詰の写真を見せていたからだろう。
下条は感想を期待している。
急かされているように感じ、気まずい。
何せ、1つも食べていないのだから。
「まだ1つも食べてないです……」
「そうなんですか?」
下条はひどく驚いた顔をしたが、すぐに「新商品の発売もありましたもんね」と納得したようだ。
新商品の発表会も終わり、忙しさは落ち着いてきていた。
「仕事が落ち着いたので、そろそろゆっくり食べようと思います」
「そのときはぜひ感想を聞かせてください」
「はい」
まどかが返事をしたら、下条は嬉しそうに微笑んだ。
「下条さん、営業の方でしたっけ?」
とぼけて言ってみたら、下条はハハッと笑った。
見送った下条の後ろ姿が見えなくなって、くるりと振り向いて足を踏み出したら、目の前に人が立っていた。
顔を見てから踏ん張ることを諦めて、そのままぶつかった。
胸板にぶつけて痛む鼻を手で押さえて気遣いながら、おもむろに顔を見上げた。
「……楽しそうだね?」
絢斗は笑顔を取り繕って、そう言った。
ちゃんと笑えていない。怒りが滲んでいて、口元に無駄な力が入っている。
「……何もないからね?」
何も反応がないことが怖い。
端正な顔立ちは、迫力がある。
絢斗とくっついていたことに気づき、一歩後ろに退いて即座に離れた。
「――あ、そうだ。缶詰」
たった今、下条と話したことを思い出す。
「中埜と食べたくてたくさん買ったのに、色々あったからそのままになってるんだよね。一緒に食べない? おつまみ向きの缶詰だから、飲みながらどう?」
ついつい早口になった。
言い切って満足してしまったところがあり、ただただ絢斗の反応を待つ。
「……家、行っていいの?」
訊かれてハッとした。
あれほど慎重になっていたのに、自ら家に上げようとしている。
「……そうやって訊かれると、断りたくなる」
「天の邪鬼だな。駄目だよ。1回言ったことを撤回するのは」
「気が変わることだってあるでしょ」
もう取り返しがつかない。
絢斗の生き生きとした表情を見ていたら、もはやこれまでと、諦めに傾く。
「食べる。絶対行くから!」
嬉しそうな顔を見たら、もう断れそうになかった。
***
絢斗はこうと決めたら即行動の人だ。
上手く言いくるめられ、あっという間に、今夜の予定を取りつけられた。
定時を過ぎ、まどかも絢斗も残業の必要はなく、予定通りまどかは絢斗とともに帰路につくことになった。
隣を歩く絢斗は浮かれていた。
「まどかからそんなこと言われるとは思わなかったよ。友達に会ってほしいなんて、なかなかじゃない?」
実は、今夜、まどかの家に絢斗を上げる代わりに、お願いをしていた。
“あたしの友達に会ってくれる? 友達、仕事中だから、顔見せるだけ。いい?”と。
「会わせるのを先延ばしにすると、後々面倒になるのが目に見えてるから。ちょっとだけ顔見せとけば、落ち着くはずなの」
「ちょっと……変わってる子?」
言葉を選んだのがよく伝わった。
大体の人は、会えなくてもそれほど気にしないだろうが、彼女は違う。
特に今回は、イケメンだろうと思っているから、余計に興味津々なのだろう。
「恋愛体質で、友達の恋路も気にする子なの」
「ふーん」
絢斗はそれ以上、友達について訊こうとはしなかった。
「……中埜は友達をあたしに会わせたいと思う?」
乙女みたいなことを口走ってしまった。
言ってしまって、慌てる。
口を手で覆っても、発された言葉はもう戻らない。
「そりゃあ、まどかと付き合ってるって、知ってほしいよ。友達にも会社の人にも」
からかわれずに答えてもらえたことにホッとしつつ、そわそわし出す。
“本当に結婚したい人と付き合えないからだよ”
ここでまた、この絢斗の言葉を思い出すとは思わなかった。
友達や会社の人、ひいては家族にはどうなのだろう。
まどかは、絢斗にとって、結婚したいほどの好きな人なのだろうか。
……いや、今は、気持ちが通じ合ったばかりで、そこまで考えなくてもいいはずだ。そもそも、そんな余裕はない。
「あ、でも……」
言い淀む絢斗の顔をちらりと窺うように見上げる。
「見せたくない気持ちもあるかな。まどかは一見人当たりがいいから」
「……“一見”? よくよく見たら違うって?」
絢斗はニヤニヤと笑っていて、何も言わない。
自分だけが腹を立ているのが気にくわない。
「……一言余計なんだから」
否定もできないから、ボソッと独り言をこぼすだけに留めた。
目的地である、まどかの近所のコンビニにたどり着く。
自動ドアの前で目を凝らせば、店内に友達である羽衣がいることを確認できた。
「行くって言ってないの?」
「うん、言ってない。いつもこうやって会ってるから大丈夫」
絢斗は半分不安そうで半分面白そうな顔をした。
絢斗と来るなんて、事前に言っていたら、どう考えても面倒になる。会う前から、どう接したらいいかとか、質問攻めにあっただろう。
まどかはいつものように、ふらっと店内へと足を踏み込んだ。
羽衣は店内のレジにおり、ちょうど会計を済ませて、客を見送ったところだった。
「お疲れ」と言おうとしたのだろう。
途中まで言いかけて、傍にいた絢斗に視線が移り、固まった。面白いくらいに瞠目する。
「……えっ、ちょっと待って! か、彼氏さん?」
状況が呑み込めたのか、しばらく経つと明らかに興奮して、言葉が上手く出てこない様子だった。
「まどかの彼氏の中埜絢斗です」
「まどかの友達の朝永羽衣です」
絢斗は作ったような笑みではなく、自然に穏やかな笑みを浮かべていた。
まどかはいつもと違う笑顔に少し戸惑う。
絢斗は、仕事以外のプライベートでは、笑顔で圧倒して、人を寄せつけないようなところがある。
しかし、今はそれがない。
普段、まどかに見せる、肩の力が抜けた自然な表情をしていた。
一方の羽衣は、手を差し出そうとして、「握手は違うか」と独り言を言って、手を引っ込めた。
まるで憧れの芸能人にあった一般人のような反応だった。
「どこまで聞いてますかね? 一応、中学まで一緒だった同級生で、卒業してもずっと仲良くしてます。なので、何か知りたいことがあれば、お話します」
羽衣は訊いたくせに、早口でまくし立てるから、絢斗は圧倒されながら、全てを聞いた。
それから、嫌な顔1つ見せず、「それはぜひ」と答えた。
「でも、また別の機会にお願いします」
「そうよね、そうだ。またぜひお会いしましょう」
羽衣は明らかに混乱している。
1人だけ落ち着かず、手振り身振りで会話していた。
絢斗はふとまどかに視線を向ける。
「お酒、買おうか?」
「そうだね」
「話してていいよ。俺が選んでくるから」
絢斗は柔和な顔をし、まどかの頭をぽんぽんとしてから、店内奥へと進んでいった。
羽衣は、その後ろ姿がある程度離れたことを確認する。
その後、目を輝かせて、まどかの目を見ながら、わざわざレジカウンター前に出てきて、まどかにすり寄ってきた。
「さすがまどかが認める顔! イケメン!」
羽衣はまどかの腕をバシバシと叩く。興奮で手加減が感じられない。
「何してほしいか訊いてくれた人だよね? あんな人ならしたいこといっぱい出てくるよ」
まるで自分が付き合うことになったかのように、想像を膨らませており、楽しそうである。
かごにお酒を入れて戻ってきた絢斗をまじまじと見る。
羽衣は少し冷静を取り戻したようだ。
「本当にイケメンですね。一般人でここまでイケメンな人、私の周りにはいないです」
「ありがとうございます」
これは色々言うと面倒で、感謝の言葉のみになってしまうやつだ。
「まどかが好きな顔だから、絶対イケメンと思ってました。けど、想像以上で、心臓がバクバクして、困ってます」
羽衣があからさまに本音をこぼすから、まどかは苦笑いしながら隣で聞いた。
「まどかが好きな顔って言ってたんですか?」
「付き合い始めのときに。顔は好きかもって」
「“顔は”ねぇ……」
絢斗は意味深な眼差しをまどかに向けてきた。
第三者からの話を聞けて、ご満悦らしい。
顔だけでいいのか、と心の中で悪態をつきながら、目を背けた。
会計を済ませて、コンビニを出てしまえば、自宅まではあっという間だ。
「まどか、誰にでも面食いだと思われてるんだね?」
今更誤魔化しても仕方がない。
まどかは自嘲の笑みをこぼす。
「昔からの知り合いはね。最近の人はそう思ってないと思うけど」
「昔からイケメンが好きなんだねぇ」
そのまま言葉を受け止めるだけで、からかわれなかったからかもしれない。
「……多分、イケメンの人の方が……かっこよく見えたんだよね」
まどかはぽつりぽつりと話す。
「何それ。当たり前じゃなくて?」
「そういうんじゃなくて、顔立ちか整ってる人は、余裕があって、かっこよく見えるっていうか……」
「なるほどね。それはあるかも」
余裕綽々の絢斗がまどかの顔を覗き込んできた。
しかし、余裕がありすぎるのも、腹立たしい。
たまには余裕のないところも見たい。その方が可愛げがある。
「……中埜って、女の人にあんなにこにこするんだね」
「嫉妬した?」
否定の言葉がとっさに出てこなくて、変な間が空いたので、それならとそのまま答えないことにした。
「まどかの友達だからだよ。よく思われたいからね」
「……ふーん」
嬉しいくせに、感情をなるべく削いで、無関心を装った返事をした。
顔も背けたのに、絢斗にはバレバレだったようで、隣でクックッと肩で笑っている気配がした。
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