#26−②「デレてない!」

***


「――やっと2人きりになれた」


玄関に入るや否や、絢斗はまどかの耳元で囁いた。

突然の耳打ちにびっくりして振り向けば、甘さの孕んだ眼差しが心を揺さぶる。


「……耳打ちする必要あった?」


「しない必要もないよね?」


「……屁理屈」


まどかはパンプスを脱いで、先に家へと上がる。


「ここまでかわされると、さすがに傷つくよ? そんなに嫌なの?」


ハッとして、足を止めて絢斗の方を振り向いた。


「嫌じゃない、けど……」


「“けど”?」


「……何でもない!」


絢斗の目に見つめられると、本音を言える気がしなくなった。


「……まぁいいけど」


絢斗は食い下がらなかった。

まどかが目を伏せているうちに、先にリビングへと向かう。


その背中を見て、一抹の寂しさを覚える。


「……ぎゅってして」


驚いた顔が振り向いて、恥ずかしくなってくる。

頬が一気に熱くなり、さまよわせた視線を落としていく。


「ま、まどかがデレてる……!」


「デレてない!」


「デレてるじゃん」


「……もういいっ!」


大げさに驚いて見せる絢斗を追い抜いて、リビングへと続くドアに手をかければ、不意に後ろから抱きすくめられた。


落ち着くのに胸が騒ぐ。

相反するような感情に思えるのに、不思議と同居している。


強張りが少しずつ解けていく。


鼻、唇がうなじに触れている。

最初はわざとか分からなかったので、くすぐったい程度にしか思っていなかった。

しかし、チュッと吸いつかれて、確信犯だと見抜いた。


絢斗の腕を掴み、振りほどこうとしたら、簡単に腕が外れて、まどかはくるりと振り向かせられた。


絢斗はまどかの両肩に腕を置いて、顔を近づけてくる。急激に縮まった距離に息を詰めた。


じっと顔を見ているわけではなく、片手でまどかのセミロングの髪に触れ、髪の束を持ち上げ、くるくると指でもてあそんでいる。


通った鼻筋に、シャープな頬の輪郭は綺麗で、いつまでも見ていられそうだった。

ただ、このまま至近距離にいると、心臓がどうにかなりそうで、耐えられない。


「……重たい」


「そうだよね。ごめん」


絢斗は謝って、まどかの肩から腕を下ろし、ついでに髪に触れていた手も下ろした。

それから、そのままリビングに行くわけでもなく、じっと見つめられる。


真面目な表情にどくんと胸が高鳴る。


「無理に先に進もうとは思ってないから。まどかの嫌なことはしない」


絢斗と先に進みたくないと思っているわけではないのに、こんなことを言わせてしまうなんて。

申し訳なさや罪悪感が募ってくる。


「……嫌なわけじゃないから。ただ、段階を踏まないと、気持ちがついていかないっていうか、恥ずかしいだけっていうか……」


言いながら、少しずつ俯いていくから、言葉を切ったときには足元を見ていた。


「うん。話してくれてありがとう」


絢斗は穏やかに微笑んで、まどかの頭を撫でる。


くすぐったい。何というか……心が。


このままされるがままなのは、癪だし、自分らしくない。


「ちょっと屈んで?」


絢斗はまどかのお願いを素直に聞いた。


まどかは絢斗の肩に手を置いて伸び上がり、絢斗の唇にキスを落とした。


絢斗は驚きもしなかった。

屈むようにお願いした時点で、キスをしようとしていたのとはバレバレだったのだろう。



「駄目だよ」


“え”という口を作ったまま、声が出ない。


「それだけじゃ、駄目」


絢斗の扇情的な眼差しは、まどかに有無を言わせなかった。


一歩退いたら、ドアに背中がついた。

絢斗の片方の前腕がドアについて、かなり至近距離で目を覗き込まれる。


逃げようとは思わなかった。

むしろ、わくわくしている自分がいる。


絢斗のキスを積極的に受け入れていた。


絢斗とのキスは2度目だ。

1度目はは勢いがほとんどで、しかも、会社の会議室内で、多少の自制がきいていた。

しかし、今回は、誰の目も気にしなくていい。


絢斗の唇の感触に、息づかい、髪を撫でる指。

全ての神経を絢斗に向ける。


何度も角度を変えて口付けられた。

舌先が触れ合い、もっと深く繋がりたくて、顔を傾けたら、奥まで誘い込むかたちになって、より快感を生む。


2度目のキスなのに、すでにまどかの弱いところに気づいている。同じところばかり撫でられて、思わず鼻にかかった声が漏れた。

観察力に技術が伴っていて、憎たらしい。


そのうち、キスをされながら、優しく腰の辺りを撫でられている。

触られるがままにしていたが、服の裾から入った指が素肌に触れそうになったところで、絢斗の手を掴んだ。


「……やめて」


小さく震える声が出た。

全く拒絶するような声色ではなくて、情けなかった。


絢斗の手と唇が、まどかから離れた。


「……お腹すいたから」


「しかけてきたのはまどかなのに」


絢斗は不服そうだったが、すぐに「分かったよ」と言って、まどかの髪を手櫛で整えた。


油断も隙もない。

“まどかの嫌なことはしない”と言ったのは、どの口だったか。



その後、絢斗に大量の缶詰を見せたら、かなり驚き、選び放題だと笑った。


好きなものをいくつか選び、お皿に出して加熱して食べた。

想像通り、お酒のおつまみにはもってこいだった。


「残りはまた今度食べに来よう」


絢斗はぺろりと赤い舌を覗かせて、含み笑いをした。

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