#17−①「好きって言われたら、それで好きになるものなの?」
今日は、基本、外に出ている営業部の面々が、社内で右往左往して、明らかに何かあったようだった。
まどかも仕事で席を外していた時間も長く、自席に戻ると、気づいたら落ち着いていて、絢斗の直属の上司だけが残っていた。
電話対応が続いており、やっと電話を切ったかと思うと、盛大なため息を吐いていた。
まどかは思わず上司に近づいて声をかけた。
「何かあったんですか?」
「クレームがね……」
「中埜がですか?」
電話の中に、絢斗の名前が何度も出てきていた。
全容は把握できなかったが、絢斗のことで困ったことになっているというのは分かっていた。
「……全然中埜くんには否はないと思うんだけどね」
上司が語ってくれたのは、営業先の会社の幹部から、絢斗が自社の社員を誘惑しているとクレームがあったという話だった。
まどかは驚きもしたが、すぐに納得をした。
絢斗には人を惑わす魅力があるからだ。
それに、絢斗がまだ新人の頃、一生懸命営業していた会社から、同じようなクレームがあったことを思い出す。
あのときと同じ。
誘惑ではなく、逆恨みの可能性が高い。
絢斗はどう思っているのだろう。
絢斗のことだから大丈夫だと思いつつも、どこかで心配にもなる。
まどかは、ここにいない絢斗に思いを馳せた。
***
同期のなずなが研修で本社にやって来ていた。
午前中で研修は終わるから昼食を摂ろうと事前に話していたので、約束通り社内の休憩スペースで落ち合っていた。
研修がどうだったかという話から始まり、仕事の話が続く。
コンビニで買ってきたものを食べ終え、持参のマグボトルを傾け、コーヒーを飲み始める。
「ねぇ、何かあった? 中埜と」
なずなが急にまどかに顔を近づけ、声のトーンを落として、話し出すものだから、面食らった。
「神妙な顔して何かと思えば……何があるって言うのよ」
「真面目に訊いてるんだからね?」
まどかが笑ってかわそうとしたら、なずなはムッとした顔をして、本気度が伝わって押し黙った。
「いつもまどかに中埜と何もないか訊いてた。あれは本心。でも、何かあったかと思うと不安になった。……私、余計なことしたかな?」
「なずながそんなに不安になることはないよ」
まどかが言い切っても、なずなの不安の色は顔から消えない。
まどかはなずなの不安の元をたどることにした。
「……こないだ、あたしたち、そんなに何かあったと思うような感じだった?」
「まず……中埜がまどかのこと、まどかって呼んでたでしょ?」
「あぁ……やっぱりそれ……」
大反省だった“まどか呼び”は、やはり反省するに値するものだったようだ。
頭を抱えるまどかを見て、なずなは心配を隠そうとしない。
「本当は中埜のことすごく嫌で、名前も無理やり呼ばれて困ってるとか……?」
小さく震える声に、まどかは驚いた。
「大丈夫!」
顔の前で両手を横に振って、慌てて否定する。
「別に嫌じゃないから、そんなに気にしないで」
なずなの不安や心配は晴れたわけではないが、多少は取り除けたようだ。
「何で急に名前呼ぶの、許すようになったの?」
「最近勝手に呼び出したのはあっち」
ただ、以前なら、勝手に呼ばれたら、絶対に許しはしなかった。やめろと強く言い、2度以降呼ばせなかっただろう。
そもそも、勝手に呼ばれるような雰囲気を醸し出すことはなかったから、呼ばれていなかったに違いない。
「……でも、最近、前より避けなくなったのは事実かな。よく考えてよ。あたし、子どもっぽかったでしょ? 今更だけど、大人になっただけ」
自嘲気味に笑いながら言う。
なずなたち同期の言う通りだった。
絢斗にだけ特別冷たい態度を取っているのは、逆に意識している。子どもっぽかったと、今更ながら恥ずかしくなる。
「名前だけじゃないよ。距離が近い感じがしたの。今までは近づかれても嫌がって、ある程度距離置こうとしてたのに、何も言わずに受け入れてるって感じ」
「え……」
「気づいてない? 無意識?」
いつもと変わらず振る舞えていると思っていた。
絢斗に言われたことに反論して、ずっと喧嘩のようなやり取りを繰り広げて、いつもの痴話喧嘩だと思われているつもりだった。
そもそも、距離が近いと思われるほど、絢斗に気を許してるつもりはなかった。
……いや、許す許さないなんて、考えていなかった。
隣にいるのが当然で、腕が触れても違和感を覚えないくらい、近くにいるのが当たり前になっていた。
「……今はちょっと自分の心の整理がつかなくて、なずなにはちゃんと話せないんだけど、またいずれ話すから。心配してくれてありがとう」
「……分かった。こっちこそ、ありがとう」
なずなはまだ訊き足りなさそうだったが、呑み込んでくれた。
コーヒーを一口含み、前になずなと話した会話をふと思い出した。
「なずなは、旦那さんと結婚前提で付き合い始めたんだっけ?」
「違うよ。夫の方が年下だし、結婚なんて全然! 何だったら付き合うのも抵抗あったもん」
「何でそれが付き合って結婚にまでいくの?」
「勢いがすごくて、好き好きって言われてたら、段々その気になってきて、一緒にいたら楽しくて、もし私が手放したら、他の人にそうするのかって思ったら、途端に嫌な気がしてきて、気づかないうちに自分も好きになってたんだって気づいたの」
「好きって言われたら、それで好きになるものなの?」
まどかが好きになった人たちは、まどかを好きになってはくれなかった。
まどかを好いてくれた人たちを、まどかは好きになれなかった。
まどかには容易に信じがたい事実だった。
「きっかけに過ぎないよ。何でこの人は私のことが好きなんだろうって思い始めたら、もっと知りたくなって、知っていくうちに好きになった。好きって言われたから好きになったんじゃなくて、好きになるべくして出会った人だっただけ。他の人だったら、好きって言われても、好きになってなかった」
幸せそうななずなの微笑みにまどかはつられて微笑んだ。
あのとき、自分にはあり得ないと思って、自分事として考えなかった。
でも、今なら身にしみる。
まどかは、今まで出会えていなかっただけなのだ。
好きになって、好きになられる。
そんな現実だって、まどかにだってあり得るのだ。
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