#16「好きなはずないのに」
「何でそんなに怒ってんの?」
「……怒ってない」
「いや、怒ってるじゃん」
「怒ってるって言うことに怒ってんの」
「怒ってるってことじゃん」
頭が変になりそうだ。
思わず叫びそうになったが、夜の街でいきなり奇声を上げる変人にはなりたくなかったので、必死に押し込めた。
絢斗とは話さず、1人きりになりたいのに、絢斗はまどかのすぐ後ろを歩いてきていた。
まどかはずんずんと歩いているのに、絢斗は余裕そうについてきて、脚の長さの差を感じて腹が立つ。
今日は、仕事終わりに同期会を開催していた。
絢斗と付き合い始めてから初めての同期会で、そわそわとしながらも参加した。
前回の同期会では、絢斗と付き合うなんてあり得ないと言い切っていたくせに、今では付き合っているなんて、絶対に知られたくなかった。
「俺、変なことしてないよね? 付き合ってることは、誰にも言わない方がいいんでしょ?」
「隠す気あった? 名前呼んだら、疑われるでしょうが!」
思わず語気が荒くなる。
「絶対変に思われた……」
直接何も言われなかったが、明らかに違和感を覚えた顔を皆がしていた。
「変に思われたとしたら、その後動揺してたまどかの反応だよ」
「そうだとしたら、あんたのせいじゃない!」
確かに、動揺は隠せていなかった自覚はある。
上手いこと、誤魔化せなかったことも反省している。
だからこそ、絢斗の対応に腹が立つ。
「だって、ずっとまどかって呼んでるから、癖づいちゃってんのよ」
カッとなっているまどかを、絢斗は軽い調子でいなす。
「だから呼ぶなとあれほど……」
「“呼ぶな”なんて言ってた?」
「最初は言ってたよ。諦めて言わなくなっただけで」
「言わなくなったら呼んでいいってことじゃん」
「違うわ!」
付き合い始めて、多少甘い雰囲気にもなるようになったのに、このやり取りは変わらないらしい。
気づいたら、前後ではなく、隣り合って話していたことに気づく。
「……分かった。自分が悪かったわ」
ふいっと目線を逸らして、緩んでいた歩みを元通りに戻した。
かと言って、絢斗を振り切れるはずもない。
絢斗はすぐ後ろをついてきている。
絢斗といると、平常心を保てない。
今のように絢斗の言動に腹を立てたり、先週末の絢斗での自宅にいるときのように気を許してもいい気になったり、とにかく上下左右にまどかの心を乱しに乱してくるのだ。
しかも、その絢斗が自分を好きかもしれない。
そう考えてしまうから、余計に平常心を失ってしまう。
とにかく今は絢斗から離れて、心の平穏を取り戻したかった。
そんなとき、道路を挟んだ向かいの道路に、見知った背格好の人物が見えた。
まどかは救いが現れたと思い、その方へと駆け出した。
「まどか?」
絢斗に名前を呼ばれても、振り切った。
青になった横断歩道を渡り、とにかく走る。
人が多くて、思うように走れない。
何とか人混みを上手く縫うようにして進む。
「あゆっ!」
名前を呼んだら、彼はキョロキョロと周囲を見渡し出した。
見間違いではない。
確信を得てから、まどかは歩の前へと回り込んだ。
「え……まどか?」
歩はすぐに状況を理解できないできょとんとしている。
歩の後ろから、「何で急に走るの?」と、絢斗が少し遅れてたどり着いた。
「あんたは何でついてくるの?」
歩は勢いよく振り向き、絢斗を目視する。
まどかと知らない人に挟まれて会話され、ますます混乱していた。
「もしかしてあゆかもって思って、走ってきた」
「えっ……」
歩は前を向いたり、後ろを向いたり、忙しい。
完全に巻き込んでしまったと反省もしつつ、歩に救いを求めるしかない。
とりあえず、歩と絢斗はお互いに知らない人同士なので、紹介をしておくことにした。
「会社の同期」
「中埜です」
「ジムで働いてる友達」
「宇栄原です」
まどかの紹介でお互いに名前を名乗り、ぺこりと頭を下げ合う様子は、何ともぎこちない。
「あゆ、今帰り?」
「うん。もう真っ直ぐ帰るつもり」
「じゃあ、あたしも一緒に途中まで帰っていい?」
「え、何で……」
歩はチラチラと絢斗の顔を窺う。
絢斗と一緒にいるのに、歩と帰ろうと言う理由が分からないのだろう。
「いいの。気にしないでいいから!」
まどかは歩の背中に回り、両肩に手を置き、前へと押し出す。
「じゃあ、あたしは帰るから」
顔だけ絢斗の方を振り向いて言い切る。
「……いいの?」
歩は怪訝そうな顔をして、歩き出そうとせず、その場に踏ん張っている。
「うん、いいの。また明日、会社で!」
歩と絢斗に順番に告げる。
絢斗が後ろでため息を吐く気配がした。
どうやら諦めてくれたようである。
「分かったよ。気をつけて帰りなよ?」
「うん、気をつける」
絢斗は歩の顔が見える位置に回り込んだ。
それから、いつもの誰をも虜にする笑顔を浮かべた。
「お願いしますね」
「あ、はい……」
歩は固まっていて、絢斗の方が先に動き出した。
あっさりとくるりと背を向けて行くから、拍子抜けだった。
まどかはしばらく絢斗の背中を見ていたが、歩に向き直った。
「あれが、“顔がいい同期”……。言われなくても分かるやつだった……」
歩は放心状態でぶつぶつと呟いていた。
「憎たらしいけど、顔だけは本当に整ってるのよ」
「あれは誰が見てもそうだね……」
歩は未だに動き出す気配がない。
絢斗がもたらした衝撃がいかにすごいかが分かる。
「やっぱりあれ、ずるいよね? あの顔で見つめられたら、好きでなくてもドキドキするよね? それが普通よね?」
「なんか……必死だね?」
歩の目がまどかの目を捉える。
まどかが前のめりになってまで訊いたせいか、歩は正気を取り戻したようだった。
「好きでもない人と付き合うメリット、訊いたことあったでしょ?」
「うん」
「あのとき、あゆ、言ってた。“本当に好きじゃないの”って」
「……言ったね」
「ずっと考えないようにしてた。あたしのこと、好きなはずないのに、好きだったら、全部のことがしっくり来るの」
言葉にしてしまうと、まどかの推測であるはずなのに、信憑性を増してきた。
一気に体が熱くなってくる。
休日、わざわざ会ったり、家に泊めたり、自分と釣り合うと言ったり、他の男と会うのを止めたり。
それは、好きでもない人に対する態度なのか。
「メリットも何も、好きな人と付き合えたら嬉しいよね。あり得ないのに、あり得ないって分かってるのに、好きなんじゃないかって考えちゃって、一緒にいると居心地悪くて……」
「だから、逃げてきたんだ?」
「……うん」
まどかはこくりと頷いた。
絢斗は、自分を好きなのかと誤解させるような言動を繰り返していた。
ただそれは、付き合った義理で、まどかを楽しませるためだと思っていた。
まるで他の男に嫉妬したような態度だって、自分という彼氏がいながら他の男にうつつを抜かすことが自尊心を傷つけるからだと思っていた。
しかし、あれは本音だったのではないか。
“俺が楽しいからだよ。どうせなら一緒に楽しみたいじゃん”
好きでなくても、付き合ったらそう思うのは自然な流れだとは思う。
では、まどかの寝ているときに、“俺のこと、好きになればいいのに”と言ったのも、その延長だろうか。
「彼、すごいね」
「え?」
歩は絢斗の消えた方をぼんやりと眺めていた。
「つまんなくなさそうだね。むしろ、楽しそう」
歩はフッと笑って、まどかの方を見た。
「自分とは正反対の人をつまんないって言い切りながら、自分もつまんないことしてたらかっこ悪いけど、まどかをちゃんと恋愛的に揺さぶって、言った通りつまんなくないんだったら、すごいね」
それは歩の言う通りだ。
絢斗は自分を信じて、自信満々で振る舞うことで、自分にプレッシャーをかけて、そのプレッシャーに打ち勝っていくのだ。
「顔だけじゃないね。顔だけじゃあ、まどかを楽しませるなんて、できないだろうから」
「……あたし、楽しいなんて言ってない」
ボソッと反論したら、歩が「楽しくないの?」と訊いてくる。訊いてはいるが、訊いてはいなかった。
まどかは口をつぐんだ。
「そんなに頭を抱えるようなことじゃないでしょ。付き合ってるんだから、相手を好きな方がいい。むしろ、幸せなことじゃない? 贅沢な悩みだよ」
「でもね、勘違いかもしれないし、本当にそうだとして、受け止められる自信だってない」
「だからって、逃げてたら駄目だよ。あんな逃げ方してたら、まどかのこと、好きでも好きじゃなくても、傷つくよ」
「……そうだよね」
絢斗から付き合おうと提案したのだ。
恋愛的に好きでなかったとしてしも、同僚としては信頼されていて好感を持ってもらえているとは分かっている。
まどか自身も、絢斗のことは、拒否していたときよりもずっと好ましく思っている。
しかし、このドキドキが、恋愛的に好きだからなのか分からない。
「次は、自分の気持ちと向き合うタイミングなんじゃない? これから彼とどうしたいか、考えてみたら?」
歩のアドバイスは、次のまどかの進む道を照らしてくれるようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます