#15−②「楽しかったよ」

そんなこんなのやり取りをしているうちに、絢斗のマンションまでたどり着いた。


「今日は俺のこと、少しは分かった?」


「……分かんないかな」


先に手を洗った絢斗がじっと見つめてくる。

その視線を感じながら、自分も手を洗う。


「中埜はあたしのこと結構知ってて、昔話したことも覚えてくれてるけど、あたしは中埜のこと、よく知らない。それがよく分かった」


「これからたくさん知れるってことだね。夜通し語ろうか?」


「そうね……」


絢斗の言うことには一理ある。

これから知ることがたくさんあるのは、面白いとも言える。


「えっ、今日も泊まるってこと?」


「……いや、帰る」


「駄目だよ、前言撤回なし」


「夜通し語るのと泊まるのは別でしょ」


「同義だよ」


その通りだと思い、何も言い返さずに、黙ってタオルで手を拭いた。


「とりあえず座って。そんなにすぐは帰らないでしょ?」


ソファーに座るように促されるまま、とりあえず座る。

流されているなとは思うが、振り切ってまで帰ろうとは思わない。


「いい機会だから、知りたいことがあったらどんどん訊いてよ」


絢斗は膝に肘を置いて前のめりになっている。

姿勢を正しているまどかからは、ちょうど顔が見えず、訊きやすい状況ではあった。


ただ、改めて知りたいことを考えても、思いつかない。


「知りたいことは別にない――みたいなオチ?」


「そんなことない」


まどかが即答したら、絢斗は「少しでも興味があるみたいでよかった」と薄っすら笑った。


「なんか……中埜って、あんまり自分のこと話さないようにしてるから、話したくないのかと思ってた」


「人によるよ。まどかなら話す」


どうしてそういうことを言うのだろう。

軽い調子だから、ノリで言っているだけだと思うが、何度もあると、ノリでは片付けられなくなる。


「……中埜がどんな人と付き合ってきたのか、全然知らないけど、あたしみたいに口答えするようなタイプはいなかったでしょ?」


「そうだねぇ」


絢斗は体を起こし、ソファーの背もたれに体重を預けた。

まどかは体を捻って、絢斗の方を見る。


「でも、自分の意見をちゃんと伝えてくれるのは、嬉しいよ。俺の意見ばっかり聞いて頷いてるのはつまんないからね」


「なるほど……」


「それに、自分から告白して付き合ってないからね。付き合ったんだからタイプってわけじゃないよ?」


「……そっか」


待ち合わせ場所に行くと、いつも人に囲まれている絢斗を思い出す。


あれだけ人を集める絢斗に告白する人がいることに、改めて驚く。

駄目元で記念告白な人もいそうだが、掻い潜って告白していく精神力などは、絢斗と付き合うには必須の条件だ。

絢斗もそういう人が魅力的に思えるのかもしれない。



「高校生のときに好きな人と付き合ったっきり、付き合う前から好きな人と付き合ってないんでしょ? それって楽しいの?」


「そっくりそのまま返したいんだけど?」


胸がちくりと痛む。

絢斗から目線を外した。


「好きになれるって思った人と付き合ってるんだよ。だから、スタートは楽しめる、楽しみたいって思ってる」


「でも、中埜から告白することはないんでしょ?」


「基本ない。好きな人にしか付き合ってなんて言ったことないんだから」


選ばれし人たちだ。


よく考えれば、まどかも一応絢斗から付き合おうと言われている。


考えれば考えるほど、どうして自分と付き合おうと思ったのか、よく分からなくなってくる。


わざわざ毎週末に会って、今日はコース料理まで予約しておいてくれたのだ。

付き合う相手にまどかを選んだのが、まどかが傷つかないと思っているからだとしたら、ここまでするだろうか。


この前聞いた理由で、何となく納得したようで、納得できていない。


お見合いとでも思えばいいのだろうか。


いや、この付き合いは結婚前提なのか。

それは、否だ。結婚したい人とは付き合えないと言っていたのに、まどかと結婚したいわけがない。


「中埜はあたしと付き合えて楽しい? 楽しくないのに、無理してる?」


「付き合えて楽しいよ。強気なのに、流されやすくて危なっかしいところもあって、見てて飽きない。全然無理してない。じゃなきゃ、自分から付き合おうなんて言わない」


楽しいならよかった。

そう思い切れればよかったれど、まどかには難しかった。


「じゃあ、結婚願望があって、結婚できるなら誰でもいいとか?」


「結婚が誰でもいいわけないじゃん。結婚に憧れはあるし」


「だったら、あたしと付き合ってていいの?」


絢斗はどこか悲しげな顔をする。


自分が彼女として適任とは思えない。

いつか結婚したいなら、結婚したいと思える人と付き合うべきだ。


そんな悲しい顔をするくらいなら、こんな恋愛ごっこなんて、やめればいいのに。


不意に絢斗がぐっと顔を寄せてくる。

あまりの勢いに驚いて身を引いたとき、肩をトンと押されて、ソファーに倒れた。


絢斗に覆い被さられ、身動きが取れなくなる。

絢斗の瞳に自分の顔が映っているのを確認できるほど、絢斗の顔が近くにあった。


「そういうこと、もう言わないで」


その声に、珍しく怒りが滲んでいて、まどかは息を呑んだ。



絢斗の顔がより近づいたと思うと、次の瞬間には頭頂部しか見えなくなる。絢斗は額をまどかの肩に置いたのだ。


肩に確かな重みを感じ、整髪剤の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。

絢斗の髪が首筋に当たって、チクチクして、鎖骨の辺りに絢斗の吐息が触れ、くすぐったい。


抵抗できなかった。

――というより、抵抗する気にならなかった。


何も言わず、息を詰めて、ただ絢斗の動向を見守っている。


「……まどかと付き合うのにメリットあるって言ったの、信じてない?」


耳元で聞こえる声に気を取られていたら、急に端正な顔が目の前に現れた。

顔に影がかかって、独特な雰囲気を醸し出している。


「だから今、流されてもいいって思ってる?」


低くてかすれた声は色気を感じて、ドキドキしている。

明らかに、不利な状況でもそんなことを考えるなんて、自分が嫌になる。


まどかが絢斗と付き合うのをやめない理由の1つは、刺激を求めているからだと思う。

またつまらないことをしているのかと、絢斗に言われるくらいなら、絢斗と付き合えばいいと思っているところもある。


実際、付き合ってみて、絢斗といると、腹立たしいこともあるが、それと同じくらい楽しいことも多い。つまらなくない恋愛はこういうものだと、絢斗が身をもって教えてくれているようだった。


もっと絢斗のことを知りたくなって、付き合い続けたいと思い始めている。


「そんな気持ちで、シたいなんて思わないよ」


初めてかもしれない。

絢斗から大人の関係を匂わされたのは。


まどかは子どもではない。

付き合ったなら、体の関係を持つのは流れとして分かる。


絢斗が望むなら、楽しい時間を作ってくれる絢斗への対価として――いや、違う。まどかの中で、絢斗への抵抗がなくなっていて、前向きに流されてもいいと思っているのだ。


「俺、まどかが楽しんでくれたら、それでいいんだよ」


好きでもない人に、自分はそう思えるだろうか。


絢斗は突然目を伏せて笑った。


「――なんて嘘だな。俺が楽しいからだよ。どうせなら一緒に楽しみたいじゃん」


その精神がまどかも巻き込んで楽しくさせてくれるのかと思うと同時に、それでいいのかという考えは拭えない。


「そんなに付き合うことに罪悪感があるなら、名前くらい呼んでよ。体許すよりも、先に流されること、あるでしょ」


頑なに名前を呼ばないのに、体を許そうとしているなんて、よくよく考えればどうかしている。


黙り込み続けていたら、絢斗はまた言葉を続ける。


「だって、せっかく付き合ったのに、俺ばっかり一方的で、恋愛ごっこにもなってないよ?」


「……それはそうだね」


久しぶりに声を発したから、思ったより小さい声しか出なかった。


しかし、恋愛ごっこではなく、結婚を前提に付き合おうと言っていたのは絢斗だったはず。

それなのに、恋愛ごっこをしようとしている。


そんなことを今言ってしまったら、結婚を前提に付き合いたいと言っているみたいで、言えなかった。


「……楽しかったよ、今日」


その代わり、今日の感想を言った。


「むかつくこともあるけど、何だかんだで楽しめてるから、こうやって……絢斗に会ってる。恋愛ごっこくらいにはなってると思うけど……」


言葉は尻すぼみになる。

組み敷かれている状態で、完全に顔を背けることができなかったが、最大限に顔を横に向けて言った。


言い終わっても、絢斗の反応がなくて、恥ずかしくてたまらない。無理して言わなきゃよかった。


「……呼べるじゃん」


嬉しそうな声が振ってきて、ちらりと絢斗に目を向けたら、破顔していた。


そんなに嬉しそうに笑うことがあるのだなと、思わず目を奪われた。

覆い被さっているのに、穏やかな表情で、ちぐはぐだった。



「……その体勢、疲れない?」


「うん。疲れた」


絢斗は体を起こしながら、まどかの腰とソファーの間に手を入れ、まどかの背中に腕を回し、まどかを抱き起こす。思いの外、体が密着した。


まさかそんな起こし方をされるとは思わず、固まってされるがままだった。


起き上がったら起き上がったで、絢斗はまどかの目にかかる前髪を左右に分けるように触れる。



「……髪触るの好きだね?」


「あー、そう? 無意識だった」


髪に触れる手は離れたが、腰の辺りに添えられたままの手が気になる。

何となく甘い雰囲気が漂っている感じがして、照れくさい。


まどかが目を伏せれば、フッと笑う気配がした。


笑われたことにムッとして顔を上げれば、絢斗はとても優しい表情でまどかを見ていた。


「もう1回呼んで?」


「……嫌だ」


「まぁ、そういうのも嫌いじゃないよ」


何を返しても喜ばれそうで、もはや狂気を感じる。

いつもの調子に戻った絢斗が、何だか可愛らしくも見えてきて、重症かもしれないと思う。



「高校生のときに好きだった人ってどんな人だったの? どんなところが好きだった?」


今なら訊いてもいいかもしれない。

そう思って、足を投げ出して、気楽に訊いてみた。



「俺のこと、特別扱いしなかったかな。別のクラスだったんだけど、最初は名前も知られてなくて、他の人と反応が違ったんだよね」


絢斗ほどの顔立ちであれば、ある程度校内で噂になるのは必至だろう。特別に思う気持ちは分かる気がした。


「変に近づこうともしないし、離れようともしない。その付かず離れずの距離感が居心地よかった。俺の気を引こうって気もないし、嘘を吐かれてないっていうことが、一番安心した」


懐かしんでいる横顔は、嬉しそうにも見えるし、悲しそうにも見える。まどかの知らない絢斗だった。


過去に、居心地がよい人に巡り会えていることに、安堵すると同時に、ちくりと胸が痛んだ。


「まどかに似てるかもな」


ふと目を細めて言うから、どくんと胸が高鳴る。


――何だその顔は。

それではまるで、まるで――。


「――あ、でも俺の顔が好きなところは違うか」


「好きとは言ったことないんですけど?」


「イケメンとは認めたじゃん」


「認めただけでしょうが」


結果的に、本当に夜通し語り合うことになってしまっていた。



慣れた感じでお風呂に入って、当たり前のように同じベッドに潜った。


まどかが先に壁際の方へと寄っていけば、腰に絢斗の手が触れたと気づいたときには、お腹まで腕を回され、引き寄せられていた。


お腹なんて触らないでほしいのに、胸が苦しくて、言葉にならない。

背中に絢斗のぬくもりを感じながら、息を詰めるしかできない。


布団にくるまるだけでも、絢斗の匂いを色濃く感じ、絢斗に包まれているようだったのに、実際に抱き締められたら全然違った。


今までの恋愛を思い出してみても、過去一番に刺激的にも思えてくる。

好きで付き合った人と恋愛するよりも刺激的なことがあるだろうか。

好きでないのに付き合っているから、刺激的に思えるのかもしれない。



「こっち向いて」


息をたっぷりと含んだ声が、まどかの首筋を撫でる。


すぐに動けないでいると、ギュッとより引き寄せられた。背中から脚まで、ぴったりとくっついていて、呼吸が上手くできない。


ドキドキしているのは絢斗にバレたくない。


「……そんなにくっついたら向けないんだけど?」


「そうだね」


分かりきっているはずなのに、絢斗は今気づいたかのように言う。


少し緩んだ腕の中で回転して、絢斗の方を向く。

思いの外、近い距離で向かい合うことになった。


笑みの一切ない顔は、見とれてしまうほど、いつになく綺麗だった。

吸い込まれそうな瞳に、ドキドキさせられる。


「2回泊まっても何もなかったから、何もないと思った?」


心臓が異常なほどに激しく鼓動する。

今から眠りにつこうとしている人の鼓動ではない。


――一体、何をされるのだろう。


期待にも似た気持ちで身構えていたら、絢斗は頬を緩めた。


「手、繋いでいい?」


「……手?」


「あ、期待した?」


「……何をよ。手くらい繋ぐわ」


――完全に乗せられた。

手ならいいと思わせられてしまった。


「やった」


手を差し出す前に手を取られて、指を絡め取られる。あっという間に恋人繋ぎだ。


厚みのある手は、お風呂で温まっているからか、いつもより熱く感じる。


全然、“手くらい”ではない。

手が触れるだけでも、十分、ドキドキさせられて仕方がなかった。


お互いに仰向けになって、同じように天井を見つめる。


「ここまでまどかに気を許してもらえるなんて、思わなかったな」


絢斗が感慨深そうにこぼし、顔だけまどかの方に向けて微笑んだ。


息が止まるかと思った。


慌てて絢斗から壁へと視線を背ける。


――本当に何なんだ。

接し方も見せる表情も、まるであたしのことを好きみたいじゃないか。

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