#12−②「好きな人と付き合ったことあるの?」
***
むしゃくしゃしながら帰路についていると、スマホが鳴って、スマホの画面を開いた勢いで、電話を取ってしまった。
ため息を吐き、一息ついてから、スマホを耳に当てる。
『もしもし? 聞こえてる?』
「……聞こえてる」
『あれ……なんか怒ってる?』
「……怒ってない」
『怒ってるときの間だよね?』
「……はぁ」
話し声よりも大きなため息が漏れた。
実際に言い争いになると、面倒だ。
どうして絢斗のことを思い出して、少しでもいいと思ったのだろう。こんなに腹が立って仕方がないのに。
『今どこにいるの? 外でしょ?』
「……うん」
『行くから教えて』
まどかが素直に場所を教えたら、何か言われるかと思ったのに、絢斗は『分かった』と一言答えた。
「でも、今から電車に乗って帰るよ?」
『じゃあ、家の最寄り駅で待ってる』
「……うん」
まどかは絢斗に伝えた通り、電車に乗り、自宅の最寄り駅に着いた。
絢斗は“待ってる”と言ったが、まどかの方が早く着く可能性もある。
絢斗はどこにいたのだろう。待つと言うくらいだから、まどかよりも近いところにいたに違いない。
キョロキョロしていると、改札の外でひらひらと手を振る絢斗が目に入った。
すれ違う人が振り向いて絢斗の顔を見ていく。
絢斗はどこにいても目立つ人だ。
まどかは一瞬ためらったが、絢斗に駆け寄った。
「わざわざ会いに来るなんて、急用?」
「え、何で?」
「電話の用事はなんだったの?」
「ただ何してるかなって電話しただけだよ」
絢斗は平然と言ってのけた。
それから、絢斗はまどかの自宅の場所をちゃんと覚えているようで、迷うことなく歩き出した。
「何してたの、こんな時間まで」
「食事」
「1人……じゃないか。誰と?」
足元に視線を落とし、ふらふらと歩く。
「俺に言いにくいってことは、同窓会のあいつだ」
探るような色はなく、言い切ってきた。
それも想定済みだ。
絢斗に隠せることはない。
会ったら、話さなければならないことは分かっていた。
それなのに、話すとなると、ためらわれてしまう。
「やめた方がいいって言ったのに会いに行ったんだ? やめとけって言われたら、やっちゃうタイプ? 子どもじゃないんだから」
馬鹿にするような軽い調子で言われても、まどかは黙っていた。
絢斗に言われて、改めて自分の馬鹿さを思い知って、嫌になる。
「食事に行って、何があったの? 何か言われた?」
絢斗はまどかの前へと回り込み、立ち塞がった。
「話したいから、会ってくれたんじゃないの?」
仕方なく足を止めたまどかは、絢斗の顔を見上げる。
この苛立ちを誰かにぶつけたかったのは事実だ。
タイミングよく絢斗から連絡があって、好都合と会うことにしたが、実際に面と向かうと、言うのをためらわれた。
「……“2人きりでゆっくり話せるところに行こう”って言われて、ホテルに連れていかれた」
「は?」
凄みのある絢斗の声を聞いて、さっきの苛立ちがまた引き出される。
「こっちが“は?”って感じ。信じられない」
「言われた時点で大体分かってたでしょ? 律儀にホテルに行くとか、馬鹿なの? そもそも、連絡取れて食事行けるってなったら、あっちも期待するじゃん。……馬鹿なの?」
「何回も馬鹿って言わないでよ! “期待する”とか、あんたも1回食事しただけでホテル行けると思うタイプなの?」
「なわけないじゃん。そういうやつもいることは、子どもじゃないから分かるでしょ」
「子どもって言ったり、子どもじゃないって言ったり、何なのよ!」
――会うんじゃなかった。
どこにいるかなんて伝えず、1人で帰るべきだった。
「そもそも、何であんたにそんなこと言われなきゃなんないのよ」
こんなことを言われたくて会ったわけじゃない。
絢斗の横を通り過ぎ、ずんずんと進む。
絢斗と口論になれば、余計に怒りが増すし、誰かに聞いてもらうとしても、絢斗ではなかった。
「彼氏だからじゃん。当たり前のこと言わせないでよ」
胸がキュッとなって、泣きそうになる。
下唇を噛んで耐えた。
馬鹿にしたかと思えば、“彼氏だから”と言う。
心を大きく揺さぶられて、情緒がおかしくなる。
不意に、歩くのに大きく振っていた手の片方が掴まれた。
振り払おうとしても、力が込められて離れない。
「……痛い。離して」
「嫌だ」
絢斗に離す気が一切ないことを感じ取り、まどかは諦めて、腕から力を抜いた。
絢斗もまどかが逃げないと分かると、手を離し、再びまどかの前に立った。
膝を曲げて屈み、まどかの目を真っ直ぐに覗き込む。
「……何もされてないよね?」
絢斗の顔に、からかいの色は全く見えない。
ただ純粋に心配しているようだった。
「……されてない」
ボソッと答え、腕を組んでそっぽ向く。
「ホテル入る前に渋ったら面倒なこと言い出したから、最終的に言い負かしちゃった。……かなり引かれた」
ぶつぶつと言った後、すぐに反応がなくて、おもむろに絢斗の顔を見返す。
目をぱちくりとさせた絢斗に、じわじわと笑みがこぼれ出した。
それから、突然、スイッチが入ったかのように、クックッと笑い出す。
「何だそれ。さすが三戸だわ。想像したら笑える」
笑いすぎじゃないかと、まどかは冷ややかな目で見ていたが、絢斗はしばらく声を上げて笑い続けた。
「笑った笑った」
「さすがに笑いすぎじゃない?」
「ごめん」
謝るのに止めないなら、もういっそのこと謝らないでほしかった。
笑い終わるのを待つこの時間は何なんだと、怒りを通り越して呆れる。
「笑ったけど、言い負かすなんて駄目だからね。逆上したらどうするの。2人きりでそんなことしないで。ホテル街なんて、誰も助けてくれない。見て見ない振りされる」
「逆上しないと思ったから言ったの。危ないと思ったらもっと早くから帰ってる」
今更優しい声色で言われても、説得力が皆無で、適当に返した。
ふと絢斗が手のひらを差し出してきた。
手のひらを見てから絢斗の顔を見る。
「じゃあ、スマホ出して」
「何で?」
「いいから」
用心しながら、バッグからスマホを取り出す。
絢斗は微笑みながら頷きを繰り返す。
子ども扱いされている気がして、いい気はしない。
「次。メッセージアプリ開いて」
「え?」
「そいつはどれ?」
最後のやり取りは、会う前である今日の夕方なので、スクロールせずともすぐに見つかる。
「貸して」
言われた通りに差し出すことには抵抗があって、引くかをためらった隙に、すかさず奪われた。
絢斗は山本のトーク履歴を見ているようで、眉間にシワを寄せて怪訝な顔をした。
「何このメッセージの量。内容も引くわ」
山本のメッセージだけではなく、それに対してのまどかのメッセージも読まれているのだ。
辱めを受けているようで、居心地が悪い。
「メッセージ、しつこかったなら、最初からブロックしとけばいいじゃん」
「だって、また会うことあったら気まずいでしょ」
「会わなきゃいい。同窓会なんて行かず、会いたい友達だけと約束して会えばいい」
「……そうね。結果的に言い負かして気まずくなってるし」
絢斗は正論しか言わない。
言い負かした自体は反省していない。あそこまで言わないと、もやもやしたままだった。
しかし、段々、やりすぎたような気もしてくる。
「あいつ、口軽いかな……」
「ホテルの前まで行って持ち帰れなかったって、ダサくて言えないでしょ」
「でも、あたしの悪口は言うよね」
「そうかもねぇ」
絢斗はスマホの画面を見ながら会話を続けていたが、ふと顔を上げて、スマホをまどかに返してきた。
「ブロックしたから」
勝手にブロックなんかして、と思わなくもないが、絢斗がしてくれてスッキリした。
自分の感覚はおかしくなかった。
山本が普通ではなかったと、再確認できた。
「何であのとき、やめとた方がいいって言ったの?」
「そうだねぇ……勘?」
「勘なの?」
「うん。まぁ、それもあるんだけど、どう考えても三戸には釣り合わなかったと思う。どう考えても三戸と付き合えるようなタマじゃなかった。言い負かされてるんだから。あいつに三戸はもったいなかった」
“釣り合わなかった”
“もったいない”
どれも、まどかを高く評価している。
「……何それ。なら、どんな人ならいいの?」
絢斗の目がまどかの目を捉える。
どくんと心臓が跳ねた。
「――俺」
「……は?」
「俺なら釣り合う」
真面目な顔で、さも当然かのように迷いなく言い切った。
山本に釣り合うと言われたときは、自分が下に見られたようで、不快感しかなかったのに、今は違う。
「……何でそんなに自信満々なの?」
素朴な疑問だった。
すれ違う人たちに振り返られる容姿を持っている絢斗は、客観的に見れば魅力的である。
まどか自身は、そんな絢斗に釣り合うような人間だろうかと、首を傾げてしまうのに、絢斗は自分のような不安も持った振る舞いを見せない。
「俺があいつよりも劣ってるところある?」
「それは分かんないけど……」
絢斗は苛立ちを隠そうとしない。
珍しくて、思わず気圧され、まどかの声は自然と小さくなった。
「分かんないでしょ。だから考えるだけ無駄」
絢斗がフッと視線を外して、空を仰いだ。
少しだけ緊張が緩んで、ホッと息ができた。
「俺の自信なんて、見せかけだよ。自信があるって言い切ったら、そうなれる気がして言ってる。言霊って言うでしょ?」
「うん、まぁ……」
「自信があるような俺が望まれてるから、そう振る舞うようにしているうちに、こうなってきただけ」
虚勢を張って、自分の弱いところを隠しているというのか。何でも期待に応える、この男が。
脆いところなど、見たことがない。
それは、まどかが同期だからか。誰になら、見せることができるのだろう。
絢斗の安らげる場所はちゃんとあるのだろうか。
「……それって、恋愛でもそうなの?」
せめて、彼女にだけは、隙も見せていてほしい。
祈るように訊いてみた。
「そうだねぇ。付き合うってなったら、相手には俺の理想があって、それが崩れると、途端に上手くいかなくなる。見た目のせいで、思った感じと違うって言われるのはいつものことだから」
――あぁ。
きっと、彼女に隙なんて見せたことがないのだ。
「でも、別に何となく付き合ってるから、なんか違うって言われて別れを切り出されても、すんなり受け入れちゃって、必死になれないんだよ、結局」
ダメージはない。
そう言っているように聞こえるが、ダメージがないはずがない。少なからず、傷ついているはずだ。
「……勝手よね。大人しそうで純情ぶってるって、それは勝手にそっちが勘違いしたんでしょって」
「三戸はそうだよね。全然大人しくない。むしろ、がっついてそうだもんね」
絢斗はおかしそうに笑っている。
絢斗はちゃんとまどか自身を見ていて、理解しているのだ。だから、イメージと素に食い違いがない。
――そうか。
絢斗は分かった上で、付き合おうと言ってくれたのか。
改めて、それを実感して、心がじんわりと温かくなる。
その一方で、絢斗はそれでいいのか、と不安にもなる。
“本当に結婚したい人と付き合えないからだよ”
ふと頭をよぎるのは、前に絢斗が言った言葉だった。
「あんた、好きな人と付き合ったことあるの?」
「あるよ」
即答だった。
ただ、苦い顔をしていた。
「高校生のとき、告白しても最初は信じてもらえなくて、何とか口説き落とした。でも結局、続かなかった」
「何で?」
「相手が周りに勘違いされたんだよね。俺と付き合ってることで、遊び人だって思われて、すごく傷つけちゃった。それから、本当に好きな人と付き合うのが怖くなった。好きなのに、傷つけるってあり得ないじゃん」
軽い感じで言っているのに、胸にどっしりと重く響く。
本当に今の自分と似ている。
自分が好きな人と付き合うのではなく、好きになってもらって付き合うところが。
しかし、まどかは好きな人ができていないが、絢斗は好きな人が現在進行形でいるのだ。
自分の気持ちに蓋をして、まどかと付き合うなんて、どんな気持ちだろう。
「だから、あたしと付き合うって言ったの?」
「え?」
「あたしなら傷つかないって、思ったから?」
絢斗は悲しそうな顔をした気がしたが、その色はすぐに消えた。
「そうだねぇ。大の大人を言い負かす三戸なら、傷つけられるなんて、全然なさそうだし、三戸にはイケメンと付き合ってきた経験があるから、そういう振る舞いは慣れてそう」
「人を猛獣使いみたいに言わないでよ」
絢斗はクックッと笑い出した。
「でもさ、本当に俺ら、釣り合ってると思うよ。お互いにお互いのこと、過度に期待しすぎてないから」
少し寂しそうに笑って、まどかの自宅に向かって歩き出した。
まどかは少し遅れて、一歩を踏み出す。
少しだけ絢斗のことが、分かったような気がした。
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