#11−①「キープなんてしてない」

「映画でも観る?」


特に返事をしないうちに、絢斗はテレビをつけて、「これ、観たいと思ってたんだよね」と言って、恋愛映画を再生し始めた。


絢斗が恋愛映画を観たいと思うのだとギョッとしたが、これは彼女との家デート用の選択なのかとも思い至り、頭を傾げた。


アイスコーヒーを飲みながら、絢斗の横顔を盗み見る。


やはり、絢斗が映画館で恋愛映画を観る姿の想像がつかない。

どういう感情で観るのだろう。


絢斗が気になっていたのも最初のうちだけで、まどかは何だかんだ映画にのめり込み、最後にはほろりとして、涙をぐっとこらえるほどだった。


その間に、ワッフルを2つも食べて、充実した時間を過ごしてしまった。



「――あっ! 今、何時?」


ふと思い出し、声を上げた。

絢斗が答える前に、自分のスマホを見て確認する。


映画を1本観たのだ。

当たり前だが、すでに23時近いと分かる。


「もうこんな時間……」


まだ電車もバスも動いている。

自宅はここからそれほど遠くない。


ソファーから立ち上がったら、手首を掴まれた。


驚いて掴まれた手を見て、絢斗の顔に視線を移す。


絢斗の顔を見下ろすことなんて、普段はない。

新鮮な眺めだ。どこから見ても整った顔である。


「泊まってったら?」


「……は?」


「ジム、行ってたんだったら、色々揃ってるんじゃない?」


絢斗はソファーの横に置かれたトートバッグを指差し言う。


絢斗の指を追って、トートバッグを見つめる。

あの中には、着替えはあるし、基礎化粧品やメイク道具もある。


泊まろうと思って持ってきたわけではないのに、準備万端のようで、何だか嫌だった。


「付き合ってるんだし、別に泊まってもよくない?」


絢斗が的外れなことを言ってさえくれれば、その隙をつけるのに、隙がなくて困る。


「……帰れる時間なのに?」


思いの外、自分の口から発された言葉が弱々しくて、情けない。


「うん。“帰れる時間なのに”」


「でも……」


絢斗の手がまどかの手を下へと引っ張る。

まどかはすんなりとソファーに腰を下ろした。


絢斗と視線がぶつかる。

怖いくらいの綺麗な真顔に、熱のこもった眼差しが、落ち着かない気持ちにさせる。


絢斗に対して、何もせずに流されることなど、今までなかった。

何かしら反論して、それでも絢斗の思うままに誘導されていることはあれど、何も言えないままなんてあり得ない。


そう思うのに、絢斗が触れる手が熱いのか、触れたところが熱を持ち出している。


「いいじゃん、泊まったって。明日も休みだし、ゆっくりしていきなよ」


甘い囁きだった。


意地を張る必要はない。


……いや、そもそも自分は泊まりたいのか。

それがよく分からなくて、身動きが取れない。


「“何もしない”って言ったのは本当だよ」


そう言う絢斗の親指は、まどかの手の甲を円を書くようにくるくると撫でている。


言葉と行動が相反していて、まどかの処理能力は限界を超えてしまい、このまま流されることを選んだ。



泊まることになってから、絢斗の行動は素早かった。

まどかがすぐにお風呂に入れるように、お風呂にお湯を張って、タオルや着替え、歯ブラシなど、必要なものを準備してくれた。


まどかは気持ちがついていかないまま、お風呂に入った。


絢斗の用意してくれた着替えは、Tシャツとハーフのジャージだった。まどかが着ると、上下ともに七分丈になった。

それを絢斗に見せると、「着れないことはなかったね」と微笑んだ。


絢斗はドライヤーを持ってきて、まどかに髪を乾かすように言ってから、お風呂へと向かった。


まどかが髪を乾かし終わった頃、戻ってきた絢斗は、まどかと同じような格好をしていた。

手を広げてくるりと一回転してから、「お揃い」と言うから、まどかも思わず笑った。


「髪、乾かさないの?」


まどかはドライヤーを絢斗に渡しながら訊く。


「せっかく三戸といるのに、話す時間がなくなるのはもったいないから」


「……髪乾かすのにそんなに時間かからないでしょ」


「そうだねぇ」


絢斗と視線が合わなくなった。

視線の先はまどかの髪だった。


「三戸こそ、ちゃんと乾かした?」


乾かした、と答えようとして、絢斗の指が髪に触れたことに気づいて、喉まで出かけた言葉が詰まった。

ふわりと香るシャンプーの香りは、自分のものなのか、絢斗のものなのか、分からない。とにかく甘かった。


肩よりも長いセミロングの髪を見下ろす。

絢斗の指か毛先まで滑り落ちてくるのを目視する。


今日、まどかと手を繋いだ指だ。

自分とは違う、指の関節が張っていて、骨ばった印象の、正真正銘男の人の指だった。


心臓がドキドキして、息が苦しい。

それなのに、その指から目が離せない。


「……乾かしてくる」


「……うん」


絢斗が部屋から廊下へと消えた途端、体から力が抜ける。

どれだけ緊張で体が強張っていたかが分かった。


絢斗が触れた髪に、触れる。


泊まるなんて、生半可な覚悟ですべきではなかった。

泊まることは外に出かけることとは違う。


振り向いて部屋を見渡す。

ワンルームの一角にあるベッドに目が止まる。


泊まるということは、寝るということで、どこで寝るのだ。

絢斗はベッドに寝て、自分はソファーで寝よう。


しかし、絢斗はどうすると言うだろう。

さっきまではソファーに座って過ごしていたが、今はそれが正解なのか、分からなくなっている。


とりあえず立ち尽くしていると、笑われる未来が見えたので、またソファーに座った。

一度座ったものの、落ち着かなくて、端に寄って座り直した。



戻ってきた絢斗の髪は乾いていて、ふんわりとしている。いつもと違い、前髪が分けられていなくて、幼く見え、可愛い。

目に髪がかかっていることで、目を直視することがなくなって、ある意味では助かった。


「どうする?」


「え……」


絢斗はまどかの隣に腰を下ろす。


「まだ起きて、映画観る? それとも寝る?」


「今から……」


すでに深夜12時を回っている。

2時間の映画を観れば、寝るのはかなり遅い時間になる。そもそも、途中で寝てしまうだろう。


しかし、逆に言えば、寝落ちする方が、色々と考えなくていいのかもしれない。


ぐるぐると考えていると、絢斗が「ま、俺は眠いから寝たいかな」と言った。


「……うん。寝ようか」


泊めてもらっている身としては、基本住んでいる人に従うべきだと考え、まどかはそれに賛同した。


「俺はソファーで寝るから、ベッド使って」


「いいよ。あたしがソファーで寝る」


「絶対そう言うと思った」


「駄目だよ。あたしは泊めてもらってるんだから」


「俺が使ってるベッドが嫌だ?」


「そんなこと言ってないでしょ。あたしが使うのは変だって言ってるの」


「俺が泊まったらって言ったんじゃん。三戸から頼まれて泊めたわけじゃないから、変じゃない」


「変だよ」


「変なのは、付き合ってるのに別々で寝ることでしょ」


「……は?」


通常通りの言葉の応酬が、途切れる。


――そんな話をしていたんだっけ。


思考回路が停止したまどかをいいことに、絢斗は立ち上がってまどかを見下ろしてくる。


「よし、一緒にベッドで寝よう」


「なっ、何でそうなるの?」


絢斗はまどかに手を差し出す。


「添い寝するだけだよ?」


挑発するような表情と声色に、まどかはムッとする。


また絢斗のペースに乗せられているのが悔しい。

しかし、絢斗の言うことが最善とも思えてくる。


「……いい。自分で行ける」


「そう?」


まどかは立ち上がり、絢斗の横を通ってベッドに向かう。もう自棄やけだった。


ベッドに勢いよく座れば、スプリングで体が跳ねる。


絢斗は呆気に取られた顔でまどかを見ていた。

その顔を見られただけで、いくらか腹立たしさがマシになった。


しかし、すぐにニヤニヤとし始めた絢斗が近づいてくる。


「いい子だねぇ」


「馬鹿にしないで」


隣に座って顔を覗き込んでくる絢斗から、顔を背けた。


――そうだ。

絢斗の言うように、“添い寝するだけ”だ。


すでに、すっぴんも見せているし、仕事では見せないところを見せている。

今更添い寝くらいいいではないかと思い始めてきた。


ベッドもシングルではないようだし、背を向けて寝れば、触れ合うことなく寝られそうだ。



絢斗が動く気配がして、身構えたら、絢斗はまたまどかの髪に触れていた。


髪に触るのが好きなのだろうか。

まどかは絢斗の顔を横目で窺い見る。


美人は3日で飽きる、ということわざがあるが、本当だろうか。

同期としてではなく、彼氏として近くで見続けていたら、飽きるのだろうか。


「――できた」


絢斗の声でぴくりと肩を揺らした。


髪を引っ張ったりしているとは思ったが、視線を落とすと、綺麗な三つ編みができていて驚いた。


「器用だね」


「妹によくしてたから」


「妹いるんだっけ?」


「うん。俺に似て可愛いよ」


「一言余計だわ」


絢斗はクックッと笑った。


「いくつ下なの?」


「6個下」


妹が小学校1年生のとき、絢斗は中学1年生ということか。

そう考えたら結構年は離れていて、可愛がるのも当然のように思える。


「三戸は一人っ子だったよね?」


「うん」


絢斗は本当によく覚えている。記憶力がいい。

営業職という職業柄もあるかもしれない。


絢斗が指を離すと、しゅるしゅると形は崩れてしまった。

絢斗がそれを指で梳いて、元に戻していく。


「“添い寝するだけ”って言った俺を信じてくれるのは嬉しいけど、多少、自衛は必要じゃない?」


――そうだ。信じているのだ。


確かに、いつもからかわれて、憎たらしいと思うことはあれど、同期としては信頼している。

そうでなければ、付き合うのを許可したり、泊まったりしていない。


今だって、髪を触られて、ドキドキはしても嫌だとは思わなくて、されるがままだった。


「油断しすぎだよ。いくら俺だからって、髪なんて触らせて」


「あんたが勝手に触ってっ……」


絢斗の方に顔を向けたら、何も言えなくなって、口をつぐむ。

だって、絢斗があまりにも必死に耐えるような表情をしていたから。


「電気消すね」


絢斗が立ち上がり、部屋の電気のスイッチの元へと歩く後ろ姿を複雑な気持ちで見守った。

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