#10「そんなに近づかないでよ」

絢斗に呼び出されるまま、待ち合わせ場所の駅前に向かうと、絢斗はすでにいた。


どこにいるか、すぐ分かったというか、ある意味分からなかったというか、とにかく目立つ男だと再認識した。


絢斗は、大学生くらいの女の子たちに囲まれていた。

まさかあの中心にいるとは思わず、一度は他を探したが、見つからなくて、もしかしてと思い、再び目を向けた集団の中心に絢斗がいたのだ。


近づくのにためらい、遠巻きに眺めていると、ふとこちらを絢斗が見た。

数秒遅れて、周りの女の子たちがまどかを見てくる。

怯むほどの勢いで、一歩後退りしてしまった。


絢斗が何か言ったら、女の子たちはどこかへ行ってしまった。


絢斗は脇目も振らず、まどかの方へと向かってくる。

近づくにつれ、足早になり、駆けてきた。

ひらひらと手を振る絢斗は、仕事のときのスーツと違うというだけで、いつもと変わらなかった。


面前に立った絢斗は、まどかにぐいっと顔を寄せてきた。


「……な、何?」


目は見えるように片手で顔を隠して、とっさに防御の姿勢を取る。


「今日、メイクしてる?」


「……あー、ジム行ってきたから、最低限しかしてない」


「そのまま来たの?」


「ちょっと買い物して、そのまま」


「デートなのに」


絢斗はわざとらしく唇を尖らせて見せて言う。


「急に言うからでしょ」


「急に言った方が来てくれる確率上がるかと思って」


「時間空いたら気が変わるかもって?」


「そう」


絢斗はお茶目に笑って、不意にまどかの手を取った。

目を見張るまどかに気づいているのかいないのか、その手を引っ張って歩き出す。


「じゃあ、次はばっちりメイクして、ドレスコードのあるようなところに行こう」


「え、いいよ、別に」


「たまにはいいじゃん」


見下ろしてくる絢斗の顔は綺麗で、つい見とれてしまう。


その間に、絢斗は掴んでいただけだったのに、指を絡めて繋ぎ直した。


絢斗と手を繋いだことなんてない。初めて繋ぐ手は、自分とは違う男の人の手で、ドキドキする。

手を掴まれていただけのときよりも、体が密着する。


もっとちゃんとした格好で、きちんとメイクをしていればよかった。


歩は気楽にと言ったが、思ったほど気楽には無理そうだ。




食事は絢斗が行きつけというお店に行った。

家庭料理を出すお店で、レトロな店内に気さくな店員が迎えてくれ、気軽に来られる雰囲気があった。

絢斗が行きつけという理由が分かったような気がした。


食事が終わってすぐに帰るものだと思っていたが、お店を出てからすぐに、絢斗は「帰るには早い時間だね」と言い出す。


「俺の家、近いよ。来る?」


「え……」


「こないだは三戸の家に上がらせてもらったから、今度はうちに来ない?」


確かに絢斗の言う通り、20時にもなっておらず、まだ何かできそうな時間帯である。

しかし、絢斗の家に行ったところで、何をするのだ。


「別に何もしないよ。……それともされた方がいい?」


「なわけないでしょっ」


覗き込まれて近づいた顔から顔を背けるが、絢斗はついてくる。


「もうっ!」


胸板を強く押すが、全然離れてくれなくて、むしろ、絢斗は面白そうに笑っていて、より腹立たしく思った。


「分かった! 分かったから、そんなに近づかないでよ」


「じゃあ、行こうか」


――駄目だ。

完全に絢斗のペースに呑まれている。 

感情が乱されて、状況の把握や整理が後回しになる。



結局、上手く断り切れず、絢斗の家に行くことになってしまった。


たどり着いた絢斗の家は、広いワンルームで、最低限の家具が置かれており、モノトーンでまとめられ、落ち着いた雰囲気だった。


「そこでずっと立ってるつもり?」


廊下から部屋へと入ったところで固まっているまどかを絢斗は笑った。


笑われて悔しいけれど、どう振る舞うべきか分からなくて立ち尽くしていたら、絢斗が近づいてきて、手を引かれ、ソファーに座らされた。


「飲み物はコーヒーでいい?」


「え、いいよ。いらない」


絢斗がソファーの背もたれに手をつくから、まどかもそれに合わせて背もたれに背中をぴたりとつける。絢斗が覆い被さるようになり、ぐっと体の距離が縮まった。


「じゃあ、イチャイチャでもする?」


「はぁ? しないって!」


真顔から、ニヤニヤと笑い始めた絢斗を見て、からかわれたことを悟る。


「ちょっと待ってて」


絢斗がキッチンに向かう後ろ姿を確認して、小さく息を吐いた。

一度跳ね上がった心臓は、なかなか落ち着かなくて、しばらく胸がドキドキして仕方がなかった。



「どうぞ」


「ありがとう」


絢斗からグラスに入ったアイスコーヒーを受け取ってお礼を言う。


絢斗はすぐに座らず、自分のアイスコーヒーをテーブルに置き、またキッチンに戻ったかと思うと、何やら箱を持ってきた。


「三戸と食べられたらと思って、ワッフル買ってきたんだ」


テーブルで箱を開けると、ワッフル生地でクリームやフルーツを挟んだワッフルが並んでいた。


「こんなに?」


「好きな味がなかったら困るのと、それほど大きくないから、色んな種類が食べられるように買ってきた」


ワッフルと絢斗の顔を交互に見る。


絢斗はわざわざ自分のために用意をしてくれていたと言うのか。

まどかが訪ねてこなかったらどうするつもりだったのだろう。


「一緒に食べない?」


「……食べる」


絢斗はまどかの前に立ち、屈んだかと思うと、片手でまどかの両頬を挟んだ。

突然のことに驚いたのはもちろん、そもそも頬を挟まれているから、物理的に何も喋れない。


「何で唇尖らせてんの」


絢斗はクックッと笑っている。


不服そうにしながらも食べると言ったところも、頬が挟まれた状態の顔も、何もかもが絢斗にとっては面白いのだろう。


――悔しい。

全てが絢斗の思う通りに進んでいるに違いない。


「……うあい」


「何て?」


わざとらしく耳を近づけてくる。

その手を離してくれれば、ちゃんと聞こえるというのに。


まどかはされるがままだったが、もうじっとしていられなかった。

絢斗が頬に触れている手の腕を掴み、下へと引っ張る。思ったより簡単に頬から外れた。

そのせいで、絢斗の胸板が面前に迫ってきて、避けることもできず、胸板に顔がぶつかった。


「痛い……」


鼻を強く打って、じんじんと痛んだ。

顔を離して鼻を押さえる。

思ったより強く打ってしまった。すぐに痛みは引かなさそうだ。無防備すぎたのだ。


「鼻打っちゃった?」


「……誰のせいよ」


「ごめん」


絢斗の手がまどかの頭に置かれたかと思うと、ぽんぽんと優しく叩かれた。


絢斗にこれほど触れられたことは初めてで、いきなり距離が縮まった気がして、気持ちがついていかない。


何だか顔が見られなくて、俯いたまま、鼻を押さえ続けている。

その間に絢斗はまどかの隣に座った。


「癖みたいになってるな」


「……何が?」


「からかうのが」


おもむろに絢斗の方に顔だけ向ければ、絢斗が困ったように笑っていた。


「……まだ痛い?」


甘さを孕んだ声にどきりとする。


「……もう大丈夫」


鼻の痛みよりも、心臓が強く打ち続けていることの方が苦しくて、鼻から手を下ろして胸に手を当てた。

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